コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia‐ノート:日本中心にならないように/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

議論提起 (仮)

[編集]

そろそろ、ノートで議論すべきだと思います。文中や要約欄でやりとりするのは限界があります。

さて、私の今回の編集について。まず些細なことからですが、編纂や文化形成物といった言い方は無用に難解であり、もっと普通の言い回しがいいと考え書き換えました。編纂は個別の記事の書き方だけでなくもっといろいろな編集行為を含んだ非常に大きな概念でしょう。

で、つぎに、日本文化の産物、および日本に地域的に限定される事象、日本発祥の事象について、日本人の視点からの記述は当然の権利と行為という記述がありますが、これは変だと思います。記述対象として、日本中心になることが肯定されるのであって、記述スタイルとして日本人の視点になることが肯定されるわけではないでしょう。また、「権利」という観点が入るべきでもありません。記述として適切かどうかという問題のはずです。

日本にしかない、おもいっきり日本文化の産物でも、「わが国の」と書いていいわけではないわけで、語り口として「日本人視点」の問題と、記述量の偏重として「日本中心」の問題は、概念的に分けるべきです。そういう特殊日本的なものでも日本人に一般的だが、他国では一般的でない視点の記述があるならば、その場合、地の文は日本人の視点を取るのではなく「日本では一般に」という書き方を、一応、そうできる場合は志向すべき、ということでしょう。この「日本視点」と「日本偏重」の二側面の区別は重要だと思います。

つぎに、途中の編集で無視されてしまったようですが、他国についてもいえるのに日本についてのみ項目が存在する場合の対処についての論争。これは対立点があるようです。具体的には日本人受賞者だけの項目がある場合、あるいはそういう項目を立てていいか、という点。私は原則としては他国のことも書ける場合はそうすべきではない。これは原則です。そのうえで、他国のことは知らないのでかけない場合、日本のことだけ書いてもいいか、という点ですが、私は、後に他国のことも加筆しやすいように、項目だけでも他国の分も立てておく、という条件で、ありだと思います。

つぎに、すでにそういう項目がある場合の対処、原則は加筆、これも異論のないところだと思います。加筆できない場合は、私は、原則としてスタイルが日本視点でなければ、日本偏重は容認すべきだと思います。削除はすべきではありません。ただし、分割は選択肢になりますが、これは合意を得た後で、ということで。

最後に、他国のこともちゃんと記述してあるが、そのうえ、かさねて、日本のことだけピックアップして独立項目を記事中に重ねてつくるべきか。これは、私は望ましくなく、つくるなら、日本だけのピックアップではなく、国別ピックアップを全部作るべきだと思います。この場合は、同一記事中に情報があるので、削除もありだと思います。

ただし、他の独立記事にその情報がある場合には削除はのぞましくないと思います。あくまで、同一記事中に情報がある場合とわたしは考えたいです。記事同士で情報が重複するのは問題ないですし、情報を減らすべきではない、というのは、ある程度は、記事単位でまず考えたいです。以上、異論のありうるところだと思いますが、意見としてClinamen 2006年3月21日 (火) 08:13 (UTC)

段落分けしました。Clinamen 2006年3月21日 (火) 10:05 (UTC)
私も意見として。長文を書くなら改行するなり文の概要を書くなり、呟くのではなく読み手に意思を伝える事を目的としてください。議論をしようというのなら尚更です。また、議題は誰に宛てて書いたのか、或いは該当場所は何処なのか。拾遺は難しいですが、それを行わなくては論題がハッキリしません。愚痴を書く事は否定はしませんが、貴方の行為は否定される事も気をつけてください。
また平易な文に置き換えるとはは聞こえは立派な行為ですが、元来の文章の意味を崩す事は元来之を指しません。置き換えられない、または元の文章を理解出来ないのなら触るべきではありません(編集合戦の元になります。その場合は、記述者に平易な文章への置き換えを依頼すべきです)(皆の意見頂戴しながら追々、平易な語に置き換えさせてもらいます。お手数をお掛けし失礼しました)。以上はまぁ、広く一般的かつ常識的な、意見として。
また補足ですが其々の立場は毛が生えた程度イエス・キリステが強行日本観点排斥主義、Lusheetaが常識論者、Mixturesが常識論者、向日葵三十郎が横暴阻止または常識論者、hutsukiが横暴阻止または常識論者、Clinamenが肯定派のようです。一度、各人が行った編集を覗いて見ると面白いかもしれませんね。Hutsuki 2006年3月21日 (火) 09:28 (UTC)

主旨については特に異論はありませんが、「記事を書く場合には必ず日本以外の事例も調べて記載しなければならない」「日本のことだけじゃなくて海外のことも書くべき」と執筆行為への義務や強制されるような事態になることは避けるべきだと思います。以上一意見として。--Etoa 2006年3月31日 (金) 06:45 (UTC)

日本法により定義される事象の対処は?

[編集]

バス (交通機関)タクシー警察など日本法により定義される事象までも分割したため、記事内容が非常に曖昧になってしまっています。「概念は世界中にあるが、定義は日本法に準拠する事象」については、「百科事典に正確な定義」と「日本POVにならない表現」の両立はあり得ず、どちらか一方をかなぐり捨てて執筆しなければなりません。正確な定義を犠牲にして日本POVを除去するべきなのか、それとも日本POVを承知で日本法による定義を書くべきなのか、一度井戸端などで問題提起してください。なお本記事は削除依頼に出されていますのであわせてお含み置きください。--Muyo master 2006年3月27日 (月) 02:29 (UTC)

公式文書へ

[編集]

そろそろ良い感じにまとまってきて、公式文書としてもいいように思えます。ですので、公式文書へするか否かの合意をとりませんか。--が生えた程度2006年3月27日 (月) 05:51 (UTC)

ひとこと

[編集]

分割後スタブにならないというルールを強調している方がいらっしゃっるようですが、Wikipedia:記事の分割と統合は統合以外、つまり分割に関する部分は草案ですよ。この文書と同じく、まだ効力を持っていないことをお知らせしておきます。--Famous boy 2006年3月27日 (月) 16:53 (UTC)

日本版ウィキペディア/日本語版ウィキペディア、文化/言語

[編集]

この草案は、既存の基本方針Wikipedia:中立的な観点にある「アメリカ中心主義への批判」の節を詳述・拡張する形のものであり、また「日本語版ウィキペディア/日本版ウィキペディア」を混同する過ちはしばし指摘されることでもありますので、直接参照できるように独立したガイドライン文書化するのは良い案であるように思われます。ただ、「日本文化と日本語は緊密な関係にある」[1]というClinamenさんが後から加筆された注意書きは正しく、示唆に富むものなので、この点はもう少し煮詰める必要があると思います。

ウィキペディアでは多言語コーディネーション(multilingual coordination)のため、日本語版と他言語版に存在する同じ事物を解説している項目には言語間リンクを貼ることになっています。この際、日本語版における項目名と他言語版における項目名は互いの訳語という関係になりますが、訳語が100%の同等物を指し示すことはむしろ稀です。今Chatsuboで提起されているradish/大根のように、英和辞典を引けば一応訳語として載ってはいても、双方の語が指し示す範囲が完全に一致することはまずありません。また、物理的な指示範囲だけでなく、それぞれの語が持つ社会的な意義も当然異なってきます。より社会的、文化的な概念になるほどこの傾向は強くなってくる。例えば「兄」も「弟」も英語では区別されず「brother」になりますが、日本語に斯様な区別があり英語には無いのは双方の社会において「両親を同じくする雄の年上/年下の個体」に付加される意義が異なるからでしょう。日本の伝統的な家制度に依拠する兄弟の意義は、「兄弟」という語に固有の意義であり、「brother」の意義ではありません。であれば、「兄弟」の項目に斯様な日本ローカルのPOV的解説を最初に書いて、その後に世界各国のbrotherなりhermanoについて書いたとしても、そう大きな問題でもないように思われます(項目名が「兄弟(kyodai)」である以上は)。

極力「日本中心主義」的な記述は控えるべきであるというガイドライン自体は至極妥当なものであると思いますし、現在「日本中心主義」的すぎて目に余る編集が少なくなく、そうした編集がもっと効果的に抑制されるべきであるのは確かです。しかし、「日本版ウィキペディア」ではなく「日本語版ウィキペディア」であるとは言えど、日本語も結局は日本文化の一部であり、完全に価値中立的なコミュニケーション媒体ではないという点は注意に値するのではないかと思います。Hermeneus (user / talk) 2006年3月28日 (火) 17:19 (UTC)

日本文化との距離のとりかたについてのご提案に賛成します。何より、読者が日本語を母語とする人がマジョリティでしょうから(訳語については、国民en:Nationによく現れているように思います。それはさておき)目指すべき指標として、日本版ではなく日本語版であるという意識を共有することの意義はきわめて高いと思います。日本中心もさることながら、資本主義国としての視点(共産主義やそれに関連する団体等への視点)、モダニズムへの好意的評価(アメリカ中心主義、ユーロセントリズム)などなど、疑問を感じる場面は端々にみられます。これらを指摘するだけでも、意義があるのではないでしょうか。--S kitahashi(Plé)2006年3月28日 (火) 22:25 (UTC)
英語版がアメリカ中心主義を批判するのは、英語が多くの国の国語、公用語であり、また国際語として世界の多くの人が使用しているという事情があるからであり、それをそのまま日本語版にも当てはめるのはどうかと思います。「日本語版であり、日本版でもある」と柔軟に考えたらいいのではないでしょうか? --Nudité d'Europe 2006年3月31日 (金) 13:41 (UTC)

議論収束の提案

[編集]

Nudité d'Europeさんのご指摘で感じたのですが、ガイドライン「日本中心にならないように」は、多くの要素を盛り込むことができるものである反面、議論が広がりすぎるおそれもあるのではないでしょうか。思いつくかぎりであげてみると、

  1. ターゲットリーダー/利用者はネイティヴ日本人とは限らない。
  2. 日本的視点によって記述されるのは好ましくない。
  3. ヨーロッパ・アメリカ・資本主義への偏向がみられる場合がある。
  4. 訳語の問題。
  5. 国家/地域/民族が、それぞれ1対1対応である前提に立脚した記述は避けたほうがよい。
  6. 完全な価値中立性は実現不可能である。

などなど、議論の発散がおこりそうな気がします。このガイドラインで扱う問題について、絞り込むのもアリかなと。みなさんのお考えはいかがでしょうか。--S kitahashi(Plé)2006年3月31日 (金) 14:52 (UTC)

西側あるいは北半球POVの問題は別扱いにすべきでは? で、ざっと書いてみた概要案です。どうも現状の文案はやはり、構成がいまひとつわかり難いと感じます。また、既存ガイドライン・方針との整合性も、明示的に確認しておいたほうがいいように思います。

一般に特定の言語と特定の国家や地域とは緊密な関係にあることが多く、しばしばその社会や文化とその言語とは切り離しえない関係にがあります。ですから、必ずしも各言語版の相違がすべて排斥されるわけではありません。たとえば、その言語と関係の深い事項についての記事の充実は、執筆者の偏りのプラスの側面です。
問題となる主要な点は以下の点です。
  1. 記述が特定の地域社会、国家の解釈、評価にのみ基づくものにならないようにしてください。個人の視点の偏りは意識しやすくとも、地域的・社会的な或る程度ひろく共有された偏向には気がつきにくいものです。いくつかの問題では、特定の地域・国家の認識と他の社会での認識は異なることがあります。
  2. 対象のローカルな事情や特徴づけを範囲を明確化せずに記述しないでください。つねに対象についての普遍的な情報と、ローカルな情報、属性、特徴は明示的に区別して扱い、読者にそれとわかるように記述してください。特に、地域や法体系によって定義が異なる場合には注意が必要です。
  3. 記述の構成。そうできる場合は、特定の地域や国家にかかわることのみ記述せず、その対象がかかわるすべての地域・国家を念頭において、なるべく網羅的な記述をこころがけてください。記事の構成においては、つねに複数の国や地域での事情についての記述がなされることを前提にした構成を行い、特定地域以外の記述を妨げるような構成は避けてください。
  4. 言い回しの問題。読者が特定の地域や国家に属したり、あるいは特定のローカルな知識を持っていることを前提にした言い回しは使用しないでください。読者に対するそのようなローカルな仮定はかならずしも事実ではありませんし、その場合には、適切に記述したいことが伝わりません。
ただし、上述のいずれの場合にも、原則としてなるべく加筆で対応してください。記述の偏重を改善するために、すでにある有益な情報を削除することは望ましくありません。

大別すると、ターゲットリーダー=記述スタイルの問題がひとつ(わが国、など)。記述における評価でのNPOVの問題がひとつ(ナショナル、あるいはローカルなPOV)。記述配分のバランス・構成の偏りの問題がひとつ(特筆してのリストアップ、構成上の特別扱いなど)。個別事情と一般事情の混同の問題がひとつ(何処の事情か明示的に書かないなど)。都合四項目が挙げられるように思いますが、漏れがあればあげてください。言語別に定義が違う場合の扱い、というのは、ここで扱うべきかどうか私はちょっと迷っています。また、上で言われている、「ほかの言語・地域のことを知らないから日本のこともかけない」や「加筆ではなく削除」という方針はとらない、ということは明記されるべきかと思います。とりあえず、私も、原則的な項目にいったんリストアップして、その上で個別のその適用を述べる、という体裁が議論のうえでも記述の上でも必要だと思います。--Clinamen 2006年3月31日 (金) 15:14 (UTC)

可読性について

[編集]

ガイドラインの可読性が低いと、共有も難しいと思います。平易に、簡略に記述したほうが…と思いますがいかがなもんでしょうか。現状、ちょっと長いかなと。--S kitahashi(Plé)2006年3月28日 (火) 22:25 (UTC)

中立的観点を補強する意味でこの項目は有意義だと思います。しかし、内容的にはまだまだのように感じます。以下、ざっと思いついた範囲で列挙します。
  1. 概要 説明が長すぎる。もっと端的に、この項目が中立的観点のために必要なのだということ、また日本中心にならないようにするのと同時に、日本でないいかなる国中心にもならないようにすべきことを強調すべき。「日本文化」についての文章は、「この方針は日本文化あるいは日本的文化を貶めるためのものではない」として補足的に節立てしてはどうか。言語間リンクや他言語からの翻訳は、概要でなく具体的な方針とする。
  2. 問題となりうる文章例 「具体的な方針」として記述すべき。なお、現在示されている例はデータ的に不十分な記述とはいえても、必ずしも「中立的観点」で問題とはいえず、適切でない。
  3. 避けるべき表現 「適切な言い換え」として例示する。これらの言い回しは日本人執筆者が意図的でなく用いている場合も多いので、留意点としてそのことも付記する。
  4. 言い回し 例が適切でない。日本と世界あるいは国と国を対置して優劣などの価値観を感じさせるような表現を避けるということをどこかに書くべき。
  5. 文化の例 なにがいいたいのか意味がわからない。別な観点や日本人以外の執筆者の投稿も必要ということなら、そう書けばいいだけのことでは。概要の「日本文化」の部分をここに持ってくるのか、そのあたりの整理も必要。
  6. 時事的記事の扱い 日本のマスコミ報道が日本中心になっていたとしても、ウィキペディアは百科事典なのだから記事が対象とする全体像を示すように常に心がける、というようなことは、概要で書くべき。この節は要らないのでは。
  7. 編纂が難しそうな場合 記事は「編纂」でなく「編集」。この節も要らない気がする。「なお」以降の、元記事から「日本の○○」などに分割することについては、中立的観点だけでなく、元記事と分割記事の整合性ほかで問題が生じる可能性もあるので、なるべく事前に合意を取るようにする、というような具体的方針として残す。
あと、S kitahashiさんの、資本主義やモダニズム偏重についてのご指摘には共感します。--みっち 2006年3月29日 (水) 03:37 (UTC)

「日本中心主義」的記述の削除について

[編集]

日本についてのみ記述している箇所を削って回って物議を醸してる人がいるようですが、このような行為は控えるべきだと当ガイドラインにも明記しておくべきでしょう。もしある項目において日本についてのみ書いてあったなら、他の国のことについても加筆してバランスを取るようにするのが筋です。他国の事情に関する記述が欠けているととらえれば、加筆依頼に出すなりスタブテンプレートを貼れば済みます。日本中心の記述を偏向した観点と捉えるなら、中立的観点および修正テンプレートを貼ればよいでしょう。いずれにしろ削除対象ではありませんし、仮に自分で加筆できなかったとしても、単に問題箇所だけをざっくり削除するのが適切な対処であるとは思いません。Hermeneus (user / talk) 2006年4月1日 (土) 06:45 (UTC)

削除する必要は無いでしょう

[編集]

この議論は継続することに意味がある議論だと思います。--61.195.135.81 2006年4月2日 (日) 21:01 (UTC)

米英中心主義

[編集]

「一つの国籍・民族・文化、に偏らないように」という内容の記事にして米英中心主義の記事を融合する方向で編集を行ったほうが同じ内容や論点の重複を避けることができるのではないでしょうか。ここは日本語版なのですから米英中心主義の記事よりもこちらの記事のほうが明らかに重要だとおもいますが。Vapour

提唱者も長期の投稿ブロック食らっていますしねぇ……。Rejectの提案をしたほうがいいかも。 向日葵三十郎 2006年4月5日 (水) 14:14 (UTC)

日本語版だったときは、米版のアメリカ中心主義は米版編集に当たって大切な概念でした。ですが今現在そういった考え方が米版でもある、という事を理解する為にも融合は推せません。理念が同じである為内容は被ってしまうかも知れませんが、日本版でも先ずは一読として薦められるガイドラインとして昇華させるべきだと思います。
また提唱者の文章は既に9割以上採用されていないですし、彼の手を離れていると言って良いでしょう。存続と言う意見を出す方が居たのですし、この記事を発展させ完成させるのが良いのではないのでしょうか?Hutsuki 2006年4月11日 (火) 03:00 (UTC)
「日本語版ウィキペディア」というのは別に「en.wikipediaを日本語に訳したもの」という意味ではありません。「日本版ウィキペディアではなく日本版ウィキペディアである」というのは、ウィキペディアは何語で書かれていようともその言語を母語とする国に特化した百科事典ではない、ということを強調する時に暫し言われることです。「日本向けの百科事典」であれば、読者は暗黙のうちに日本人であると想定されるため、「我が国」などの表現が使用されればデフォルトで日本を意味することになる。一方、単に「日本語で書かれた百科事典」であれば、「我が国」のような表現では一体どの国を指すのか不明になる。ウィキペディアは後者だから「我が国」のような表現は控えるべきだとされている。そういうことを簡潔に表現するのが「日本版ウィキペディアではなく日本版ウィキペディアである」という言明です。Hermeneus (user / talk) 2006年4月11日 (火) 13:50 (UTC)
このガイドライン案自体は悪くないと思いますので、廃案には反対します。Hermeneus (user / talk) 2006年4月11日 (火) 13:50 (UTC)
逆転の発想で、あの提唱者がブロック食らっている間にまともなものをまとめるのがいいかもしれませんな 向日葵三十郎 2006年4月11日 (火) 15:25 (UTC)
提唱者はすでにブロックが解除されています。221.191.208.121 2006年6月6日 (火) 07:32 (UTC)

ヘイトスピーチについて

[編集]

韓国絡みの差別的な表現が目立つような気がするのですが、とりわけ大韓民国の表現。また従軍慰安婦の表現が酷いと思います。なんとか韓国人に読んでもらっても恥ずかしくないものにしたいものです。--schawalzwald2006年5月15日(月)04:25(utc)

私はここでの議論には門外漢ですが、反応が無いようなので横から失礼します。
ご指摘の件はここで論じられているのとは別の問題だと思います。ここで論じられているのはうっかり日本以外に関する記述が抜け落ちてしまったりしないような方針が必要なのではないかという問題で、ここで言う「日本中心」には「反外国」の意味は含まれないようです。また未だに過ぎません。
mononohazumi 2006年5月20日 (土) 23:40 (UTC)

時刻の表記に「日本標準時」といった説明を入れるべきか

[編集]

一番ここが関連すると思うのでここで質問します。テレビ番組やラジオ番組の記事を見ていると、放送時間の説明のところで「日本標準時」といった断り書きを入れている記事といない記事とがあるのですがこれは入れた方がいいのでしょうか。いちいち「日本標準時」書くのも煩雑な気がしますが何も説明が無ければ「協定世界時」であると理解するのが正しいような気もします。記事の冒頭に「○○は日本のテレビ番組である。」といった記述があればその後に書かれている時刻は特に説明が無い限り「日本標準時」であるといった考え方でいいのでしょうか。--211.135.51.89 2006年6月12日 (月) 11:11 (UTC) 井戸端より再質問 2006年6月27日 (火) 14:44 (UTC)

Wikipedia日本語版はあくまで日本語版であり、日本版ではありませんから、時刻に関して「JST」もしくは「日本標準時」の一言を断るべきではないでしょうか。利用者は日本人が多いにしても世界的プロジェクトの一角としてはやはり時刻は断りの無い限りはUTCでよむのが普通(もちろんプロジェクトにかかわっていない日本人が閲覧した際は日本標準時で解するでしょうが)だと思います。ただし、多くの場所に用いられている日付は慣用的に日本標準時に則った日付になっていますから、その限りではないようにも思えます。本来ならば日付にもJSTである旨書くべきではあると思うのですが…。--202.122.192.129 2006年6月27日 (火) 15:22 (UTC)

放送時刻が記述される際には、その放送局も記述されるはずですので、その放送局のある地域の時刻であることは自明でしょう。特に日本の放送局の場合、それがたとえ系列トップ局の記述であったとしても日本標準時以外が用いられるケースはほぼ皆無であることも自明で、そこにわざわざ日本標準時であることを書き込むのは冗長で可読性を損ねることになることのほうが多いと思います。--Hachikou 2006年6月27日 (火) 23:37 (UTC)

「日本」の番組ならば、わざわざ日本標準時という断り書きを入れる必要はないのではないでしょうか。--草薙 2006年6月28日 (水) 05:48 (UTC)
「テレビ・ラジオ番組」に限らず、「日本」に限らず、同一標準時地域内に限った事象の項目であれば、現地時間であるのは自明なので、わざわざ断り書き入れたりUTC併記したりは必要ないと考えます。--Kussy 2006年6月28日 (水) 06:39 (UTC)
別プロジェクトですが、参考までに。ウィキニュースでは、時刻を扱うことがきわめて多いのですが、時刻表記に現地時間を採用しています。その上で、UTCとの時差及び日本以外の時間の場合には日本時間を併記しています。従って、日本の夜7時なら「午後7時 (UTC+9)」、中国のそれなら「午後7時(UTC+8、日本時間午後8時)」のようになります。-- 2006年6月28日 (水) 06:44 (UTC)
これもあくまで参考としてですが、私の場合は最近の出来事スポーツ 最近の出来事で海外で発生した事件・事故やスポーツの記事を書くことが度々ありますが、その場合も現地時間と日本時間を併記するようにしています。例えば現地時間○○日午後(日本時間□□日深夜)という具合です。--Mee-san 2006年6月28日 (水) 12:55 (UTC)

廃案の提案

[編集]

ガイドライン案「日本中心にならないように」を廃案にすることを提案致します。理由は以下の通りです。

  • 起草からおよそ半年が経ちますが、有意な加筆、細部の編集ともにほとんど行われておりません。さらに毛が生えた程度によって作られた記事であり、毛が生えた程度及びそのソックパペットにしか支持されていない。
  • Wikipedia内で日本という局地に限られる事象が説明不足によって他の国でも一般の事象として扱われてしまう事態が重大な問題になっておらず、ガイドライン制定の必要性に欠けます。
  • このようなガイドラインを作ることで、逆に日本という局地に限られる事象に関する記事を冷遇することにつながり、中立性が保てなくなります。

なお廃案となった場合、Wikipedia:基本方針とガイドラインから当ページへのリンクを除去し、当ページにはWikipedia:利用規約を参考に白紙化の上{{Historical}}タグと廃案となった旨を記述、ショートカットWP:JPOVとリダイレクトWikipedia:日本中心主義及びWikipedia:日本中心主義にならないためにの削除を依頼したいと思います。 つきましては、2週間を目安にご意見を募りたいと思います。この提案への賛否、並びに廃案決定後の処理についてご意見の程お願い致します。--しようこ 2006年12月5日 (火) 13:14 (UTC)

私がWikipedia‐ノート:性風俗関係者を差別しないようにWikipedia:井戸端 (告知)に書いた提案文をそっくり引き写すというのは、如何なものでしょうか。ご自分の言葉でしっかりと提案理由を説明された方がよろしいかと思います。--Bellcricket 2006年12月6日 (水) 08:28 (UTC)
(補足)提案者はソックパペットとして無期限ブロックを受けました(参考:利用者:しようこ)--co.kyoto 2006年12月10日 (日) 14:54 (UTC)
  • (廃案に反対) 時間が掛かってでも、整備は進めるべきだと思います. 日本中心にならないようにするというのは、ウィキペディア日本語版にとって非常に重要な事項だと思います. 日本語を使う人の多くが日本国内に集中していて、日本語版編集者の殆どが日本国内在住という事情から、完全に中立であるというのは実際には難しいと思います. ですが(であればこそ)、常にそこにあるべき方針なのではないでしょうか. これを示しておかないと、記事によっては、例えば海外在住の日本人にとってはまるで意味をなさないものに成り下がってしまう可能性すらあると思います. 具体的に例を挙げますと、金属材料に関する記事で日本国内で一般的に使われているJIS呼称(=日本ローカルな呼び方; ex.ステンレス鋼の「SUS○○」)が乱れ飛ぶおそれがあります.
    日本という局地に限られる事象に関する記事については、この方針の存在により即冷遇されるという事にはならないと思います. おそらく、その多くは海外での認知度が低過ぎて他言語版で扱われていないというだけで、何もこの世に存在しない物事ではないのでしょうから. 後は視点の問題だと思います. a perfect fool 2006年12月10日 (日) 20:56 (UTC)
  • (廃案に反対)A perfect foolさんの意見とほぼ同意見です。どうしても「日本の中だけ」の視点で物事を観てしまう傾向が自分含めた日本人にはあるので、ウィキペディアが世界的なプロジェクトの元で行われている事を考えると重要な懸案事項だと思います。また、この方針の下で日本独特の事象に関する記事を書き直せば、多言語版の記事にとっても翻訳の際に有用になると思います。--そばクッキー 2006年12月12日 (火) 12:54 (UTC)
  • (廃案に反対)廃案を提議されたしようこさんの「毛が生えた程度及びそのソックパペットにしか支持されていない。」というご発言に錯誤があるように存じますので、反対いたします。Wikipedia:日本中心にならないように自体は、有用なものと考えます。Toki-ho 2006年12月20日 (水) 05:06 (UTC)
  • (廃案に反対)整備が不十分な文書ですが、Wikipedia:性風俗関係者を差別しないようにとは異なり「ja.wikipediaは日本語版であって日本版ではない」ことの補強として文書自体の存在意義はあると考えます。--hashikure 2006年12月20日 (水) 06:11 (UTC)
  • (廃案に反対)この草案は必要と思います。それにしても、提案者が無期限ブロックを受けている状況で、議論を継続するべきなのでしょうか?--Kazutoko (会話|履歴|保管倉庫) 2006年12月21日 (木) 14:50 (UTC)
    • 提案者が設定した議論期間(2週間)を過ぎていますし、ここで終了したほうが良いでしょう。廃案反対の意見が大勢を占めているとみて、廃案とせず、ということで。今回のことがきっかけで、草案作成が進むことを願います。--Bellcricket 2006年12月21日 (木) 22:06 (UTC)