Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考/スレブレニツァの虐殺 20081005

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日本語文献?[編集]

Annogooさんより2008年11月26日 (水) 20:52 (UTC)付けで投じられた反対意見を批判したところ、2008年12月14日 (日) 12:22 (UTC)付けで反論が寄せられました。しかし、その反論を呼んでもなお、反対票は失当であるとの意見を変える必要を認めません。Annogooさんと私との間での議論を過剰に行うことで選考の妨げとなることを避けるため、更なる議論はノートページにて行うことにしましょう。

2008年12月14日 (日) 12:22 (UTC)付け反論に対する再批判を以下に記します。なお、議論の必要上、箇条書きをさらに細分化します。

1a. ウィキペディア日本語版は日本語話者による閲覧を前提としているのだから、「できるだけ日本語によるソースが欲しい」と思うのは至極当然ではないでしょうか。日本語によるソースでなければ、日本語話者は記事を検証できません(もっとも自動翻訳機を使用することなどによりある程度は検証することが可能であるかもしれないが)。

日本語話者の全てが日本語のネイティブ話者/読者であるならともかく、そうではないと指摘済みです。したがって、「当然」の主張ではありえません。

1b. Wikipedia:検証可能性には「ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、…」と書かれています。

2. これは秀逸な記事の候補であるのだから、ある程度の日本語ソースが望まれているはずです。外国語ソースはそれを補填する存在でしょう。

しかし、優先すべきであるとしても「英語文献の削減」すべきという趣旨だとは認められません。また、「可能な限り」と留保があるとおり、不可能な場合には日本語文献に固執する必要はないと理解すべきです。外国語による出典を「補填物」(したがって一段劣るもの)とするかのような発言も誤りと断じざるを得ません。逆に、Annogooさんの論法に従えば、(極端に言って)日本語文献の挙示が不可能な主題にまつわる記事は秀逸になりえない、ということにもなりえます。しかしながら、WP:Vや「秀逸な記事の目安」がかかる事態を要請しているのか、極めて疑問です。

日本語文献が乏しいと言う点ですが、主要執筆者より改善の可能性が乏しい旨が告げられています。加筆依頼等で主要執筆者以外の助力を求める等、できることはまだあるかも知れません。しかし、それでもなお改善を図りえない、という場合、どの時点でやむを得ない事と認めて反対票を撤回されるおつもりなのでしょうか。そのお返事しだいでは、無理難題に類する反対意見として排除を検討しなければなりません。

3. ikedat76 さんのコメントは、私を侮辱しており厳重に抗議します。

jawpは日本語版であって日本(人)版ではないという論点は、jawpコミュニティにおいて再三にわたって確認されてきたことであり、それに対する認識を欠いた発言を批判することに不当さがあるとは認められません。昨日今日に参加したばかりの新人ならいざしらず、既に1年以上参加しており、方針等に対する理解度も求められる場で発言しながらその種の根本的な認識を欠くことは批判されても致し方ないと考えます。

また、個人攻撃云々についても、WP:ATACKは個人に対する批判を禁ずるものではないと解釈すべきです(Wikipedia:井戸端/subj/「個人攻撃」に変わる文章について)。したがって、抗議があったことは認識しますが、それ以上の対応の必要を認めません。

なお、日本語文献がどの程度まで強く要請されるものなのかについては、この選考のみにとどまらない論点とも思われます。必要であれば、Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考なりWikipedia:井戸端等で続行したほうがよいかも知れません。その可能性も考えておくことにしましょう。--ikedat76 2008年12月14日 (日) 15:58 (UTC)下線部追記--ikedat76 2008年12月16日 (火) 14:42 (UTC)[返信]

一点、指摘。Wikipedia:秀逸な記事の選考/0.999...で選出された0.999...は翻訳記事で、日本語文献は1点たりとも挙げられていません。この記事は、秀逸な記事として不適切なのでしょうか。もし不適切だとお考えなら別ですが、そうでないのならば、では日本語による文献が“なければNG”“なくてもOK”の境はどこなのでしょうか。伺いたいものです。--ikedat76 2008年12月16日 (火) 14:42 (UTC)[返信]


ikedat76さんへ

(1aに)私が上げた「日本語話者」には、「日本語しか話せない人」と「日本語とそれ以外の言語を話せる人」両方がすでに含まれているのですが。わざわざ再度指摘される必要は皆無です。「(日本語話者の中の)日本語しか話せない人」が「できるだけ日本語によるソースが欲しい」と思うのは「当然」の主張ではないと、あなたはおっしゃるわけですね。
(1bと2に)私は日本語文献が欲しいとは言いましたが、「英語文献の削減をすべき」だとは発言していません。あくまでも追加の立場であることは最初から一貫しています。
(1bと2に)逆に、Annogooさんの論法に従えば、(極端に言って)日本語文献の挙示が不可能な主題にまつわる記事は秀逸になりえない、ということにもなりえます。
まず言っておきたいのは、このあなたのコメントは典型的な詭弁であるということ。私は確かに「秀逸な記事の候補であるのだから、ある程度の日本語ソースが望まれている」とは言いましたが、「日本語文献の挙示が不可能な主題にまつわる記事は秀逸になりえない」などとは言っていません。勝手な曲解であります。
(3に)私の意見を「馬鹿馬鹿しい」と発言したこと対して、ikedat76さんから謝罪がないとは残念です。
最後にWikipedia:秀逸な記事の選考/0.999...で選出された0.999...についてですが、これとスレブレニツァの虐殺とは関係ないですね。「記事は、秀逸な記事として不適切なのでしょうか」 …そんなの知りません。記事の選考にかかわった方々に聞いてください。それとも何か、0.999...は日本語ソース1つもなしで秀逸な記事に選ばれたのだから、日本語ソースが少ないことを理由に反対はできない!とでもおっしゃりたいのでしょうか?これも同じく詭弁であります。--Annogoo 2008年12月25日 (木) 18:31 (UTC)[返信]

以下、順不同。

> 「英語文献の削減をすべき」だとは発言していません

2008-12-14 12:22:28 (UTC)版にてPeccaflyさんへの発言中に「また英語文献の削減は、日本語による同等の情報の出典の追加がされるまで必要ないと思います」とあります。これは、2008-11-26 20:52:33 (UTC)版でのAnnogooさんの発言に対するPeccaflyさんの発言「英語文献を削減することはできません」(2008-12-01 07:30:29 (UTC)付)」に対するものですが、「あくまでも追加の立場であることは最初から一貫」しているのであれば、この時点で削減を求めたものではない旨を述べるべきでした。

> 私が上げた「日本語話者」には、〔中略〕わざわざ再度指摘される必要は皆無です。

そういう趣旨であることは承知しています。しかし、それこそが、日本(人)版と日本語版の混同に他なりません。

「(日本語話者の中の)日本語しか話せない人」が「できるだけ日本語によるソースが欲しい」ことをもって秀逸ではないという判断の根拠にできるといった場合、「(日本語話者の中の)日本語しか話せない人」による検証ができない記事はWikipediaにおける秀逸な記事ではないという判断を下してよいということになります。

しかし、WP:Vにいう「できるだけ日本語で」というのは敷衍すれば「無理ならば別にかまわない」ということであり、「検証可能性がある」ことは(いかなる言語によるものであるかを特に問題にせず)検証可能性が単に「ある」か「ない」かの問題であって、日本語によるものか否かを問題にしているわけではありません。

> 詭弁

相手の挙げた論法の論理的帰結を探ることは詭弁ではありません。--ikedat76 2008年12月27日 (土) 06:22 (UTC)下線部追記。--ikedat76 2008年12月27日 (土) 06:35 (UTC)[返信]