Wikipedia:コメント依頼/ムカイ

ムカイの議論姿勢について、コメントを依頼します。--ムカイ会話2016年2月27日 (土) 18:52 (UTC)[返信]

これまでの経緯[編集]

ムカイは、ノート:姫路城#導入部修正提案およびノート:姫路城#コメント依頼提出後において、記事の修正提案を行ってその議論の最中でありますがSumaruさんよりWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの内「印象操作」や「いつまでも納得しない」を指摘されます。ムカイに大きな問題行為があるのか、コメントをいただきたいところです。よろしくお願いいたします。--ムカイ会話2016年2月27日 (土) 18:52 (UTC)[返信]

参考リンク

依頼者のコメント[編集]

プリズム11さんへ
Sumaruさんを初めとする皆さんは記事姫路城の編集自体を否定しているのではなく、ムカイさんの出した変更案が不適切である旨理由をつけて懇切丁寧に説明しており、”
私からは「変更案が不適切である」旨ご指摘に対しては一通りのご説明をさせていただいたつもりです。不足であれば、再度ご説明いたします。--ムカイ会話2016年3月13日 (日) 17:46 (UTC)[返信]
Sumaruさんへ
“私以外からもムカイさんの「導入部に歴史関係を加筆したい」という提案に明瞭に反対、もしくはそれよりも現状の文面を支持する意見がこれだけ付いており、誰も撤回していません。”
現状の文面を支持する意見がこれだけ付いていることについては、文面執筆に関わったものとしては大変うれしく思います。
以前も申しましたが、歴史関係の加筆はそれに限らないことは私から表明していることであり、現状の議論では編集をするべきか否か、を問うものになっています。Sumaruさんが現状維持するべきというご主張の理由は「ムカイの独自解釈的観点によるムカイ好みにするための編集提案」とのムカイ個人に関する複数回ご指摘の認識、文字数が増えること、複数の文献において文化財の列挙や世界遺産と記述されていることから現状導入文で問題ないと思われること、歴史の記述については特別史跡に指定されているという部分があることから補完されているため省略してもよい、というご認識が根幹となっている、これは共有するものかと思います。しかし、これらについては2016年2月22日 (月) 16:24 (UTC)の私のコメントにてご返答差し上げているはずです。不足があればもう一度ご説明差し上げます。
“この状況で、御自分の提案の撤回条件に「今後、この記事に対するいかなる編集行為をも阻止や妨害をしないこと。」などという、ムカイさんが御自分の好む編集を加えたとしても誰も反対できない(あるいは双方がこの条項を盾にとれば編集合戦になることが明白である)項目を加えるのが、『腕ずくで「解決」しない』に該当しないと解釈する方が難しいと思います。”
『腕ずくで「解決」しない』に該当しないと解釈する方が難しいとおっしゃっておりますが、あの条件文から『腕ずくで「解決」しない』のなにかに抵触すると解釈なさる方が難しいように思います。どこをどう解釈なさったのでしょうか。--ムカイ会話2016年3月13日 (日) 17:46 (UTC)[返信]
Triglavさんへ
ご期待くださいましてありがとうございます。この議論においてかなり神経をすり減らしてしましたし、本業のほうも忙しくなるためSumaruさんとのお話し合いが終わった後、半年ほどウィキブレイクをとろうかと思っています。予めコメントいたします。お見苦しいところをお目にかけておりまして、恐縮です。
私自身は、日本史(城郭建築・建築史)と文化財の間が専門分野ですので、分かり合えないはずはないとは思うのですが、どうやらなにかが違うようです。お心遣いに感謝いたします。--ムカイ会話2016年3月13日 (日) 17:46 (UTC)[返信]

コメント[編集]

コメント この分野、あまり詳しくないので的を射ているか自信がないのですけど、気になったことを。まず、ムカイ様の日本の城関連での活動に感謝し、今後においてもこの分野においてさらなる精力的な執筆活動を期待していることを予め申し上げておきます。
このような衝突を目にすると決まって、イギリスがアフリカに進出したとき山奥の村で既にフランス国旗が掲げられていたという事件を思い出します。イギリスが北から南へ縦断するとき、西から東へ横断中のフランスの先客に遭遇したというものです。
問題となった姫路城には、2つのプロジェクトが重なりあっています。「PJ日本史」と「PJ世界遺産」です。編集方針、編集スタイル、執筆陣、そして読者層さえも異なる世界の衝突です。このような異質な者しかいない現地ではとても解決できそうにありません。
そのとき例の事件では「その場では衝突せず、現地司令官同士が話し合って、お互いの本国に問題を持ち帰った」のだそうです。どうでしょう、一旦「PJ日本史」に持ち帰ってみてはいかがでしょうか?考えの近いもの同士が知恵を出せば、何か良い解決方法が導き出されるかもしれません。--Triglav会話2016年3月6日 (日) 11:44 (UTC)[返信]
コメント当初、このコメント依頼は静観するつもりでおりましたが、あまりに目に余るのでコメントします。ノート:姫路城から引用しますと
  • ということで、「記事『姫路城』の導入部と概要節は現状のままでよい。12月13日の提案文の採用には反対」という私の意見はさらに揺るぎのないものになりました。(Uraniaさん)
  • 私は現状で問題ないと思いますし、これだけのボリュームの記事ですから、それを要約して簡潔にまとめようとするとどのようにしても必ず異論は出るでしょう。致命的な瑕疵がない限りこれだけの労力をかけて議論を続ける意味があるとは思えません。(Xx kyousuke xxさん)
  • 現状本文を含めた提案文各種(枠内)の各候補から条件に合致するのは現状本文のみであり、従って私の希望は現状維持ということになります。(Triglavさん)
  • 私は「現状維持するかしないか」ではなく、これまで出た全ての案を勘案したうえで「現状維持が最良案である」と判断してコメントしました。賛否で言えば、他の案は反対です。記事をさらに深く読み込んでもらうことを意図するべき冒頭文において、ダラダラ長文を書いて読む気を無くさせては元も子もありません。(Saigen Jiroさん)
といった形で私以外からもムカイさんの「導入部に歴史関係を加筆したい」という提案に明瞭に反対、もしくはそれよりも現状の文面を支持する意見がこれだけ付いており、誰も撤回していません。この状況で、御自分の提案の撤回条件に「今後、この記事に対するいかなる編集行為をも阻止や妨害をしないこと。」などという、ムカイさんが御自分の好む編集を加えたとしても誰も反対できない(あるいは双方がこの条項を盾にとれば編集合戦になることが明白である)項目を加えるのが、『腕ずくで「解決」しない』に該当しないと解釈する方が難しいと思います。--Sumaru会話2016年3月6日 (日) 16:40 (UTC)[返信]
コメント (追記)あの場でムカイさんの姿勢について何度か「『「かつて現役だった時の姫路城」と「今残る『城跡』としての姫路城」を截然と分け、その両方を同時に表さなければ姫路城の定義として不足がある』という独自解釈にこだわり続けていつまでも納得しておられない」と表明したことについてこの場で根拠を説明せよとのことでしたので、説明することにしましたが、長くなるのでこのコメント依頼のノートの方に記載しておきます。なお、コメント依頼は広くコメントを募る場であって議論する場ではないので、この件につき依頼者兼被依頼者のムカイさんと議論するつもりはありません。私のコメントが妥当と見るか、ムカイさんへの不当な決め付けと見るかは、第三者の方々のご判断に委ねます。--Sumaru会話2016年3月14日 (月) 12:23 (UTC)[返信]
コメント Sumaruさんの意見と全く同意見です。補足しますと、ムカイさんは「今後、この記事に対するいかなる編集行為をも阻止や妨害をしないこと。」を主張する根拠として「ウィキペディアのルール上でも読者の読みやすさでも、極端におかしな加筆や改変をしない限りは特に問題が発生するとは思われません」と書き、つまり「Wikipediaは誰でも編集に参加できる」ことを理由に挙げていますが、Sumaruさんを初めとする皆さんは記事姫路城の編集自体を否定しているのではなく、ムカイさんの出した変更案が不適切である旨理由をつけて懇切丁寧に説明しており、ムカイさんの主張は失当です。--プリズム11会話2016年3月6日 (日) 18:06 (UTC)[返信]

まとめ[編集]