Wikipedia:コメント依頼/利用者:Kinno Angel

利用者:Kinno Angelさんのこれまでの行為について、コメントを依頼します。--~~~~--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 19:39 (UTC)[返信]

場所:ノート:サン・ジョルディの日ノート:ゲオルギウス利用者:Kinno Angelのページ

これまでの経緯[編集]

2つ3つの議論が重なることから、少々複雑ですが、時系列通りに並べてみようと思います。年表のようにご参考にしてください。自分なりに苦労して確認し、時間を揃えていますが、投稿場所が様々なために、なかなかの作業で、かなり時間がかかってしまい、前後の間違え、記入もれなどがあるかもしれませんが、そこはご容赦ください。--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 20:43 (UTC)[返信]


PRUSAKiN氏の「サン・ジョルディの日」という祝日の名前を、聖人の名前の別記事に統一するという理由で「ゲオルギウスの日」にする提案

  • 1. Kinno Angel氏:態度未定。スペイン語記事なら存続、それ以外なら賛成。聖人の名前の統一と汎用性が理由。分割も。
Kinno Angel氏の「ゲオルギウス」を「聖ゲオルギオス」へ改名提案
  • 2. LaBedoyere:①に反対。理由は、サン・ジョルディの日(という呼び方)が国内外で有名であること。(この時点ではラテン語表記と思っている)
  • 3. PRUSAKiN氏:サン・ジョルディが有名かの出典を要求(『「気のせいです」と申し上げることも可能』とも)。また国際化テンプレートの意味を問う。中立的観点を主張し、聖人名がギリシャ名になるなら、ギリシャ名で統一と主張。
  • 4. LaBedoyere:サン・ジョルディが広く知られている出典を示す。国際化テンプレートの意味は記事の未完成を意味するだけであると答える。中立性という解釈に疑問を呈し、この記事は祭の記事であり、聖人の名前と統一する必然性がないと主張。また正式な呼称を使うというルールから「ゲオルギオスの日」という呼称が日本で使われているか出典を問う(この疑問には以後も未回答
  • 03. LaBedoyerePRUSAKiN氏の指摘を受けて、②の賛成を取り消して反対に。
  • 5. Kinno Angel氏:『なぜ「ゲオルギオス?」よりも、なぜスペイン限定の「サン・ジョルディ?」』と問い、中立的観点であると主張。サン・ジョルディという呼び方が『スペイン語優遇』であるとし、ギリシャ語の汎用性を(なぜか)強く訴え始める。①に賛成。
  • 6. LaBedoyere:スペイン語、英語、ラテン語表記だろうがギリシャ語表記だろうが、どれかの言語を使えば中立性を保てるとは思わないと主張。また本記事は、もともとが「スペイン(カタルーニャ)のサン・ジョルディの日」を書いた記事であることを指摘(これが今、サン・ジョルディである理由)。分割も。さらに記事名は、特定の祭を扱うもので、地域性があるものなので、世界中のすべてが同じものという認識が間違いではとも指摘。現状がこのようにスペインの記事だけなので、PRUSAKiN氏とKinno Angel氏に世界的観点からの加筆の準備があるか聞く。
  • 7. くらわ氏:「サン・ジョルディの日」の日本での知名度を支持。分割も支持。聖人の日が日本では定着していないのに「ゲオルギウスの日」という記事名にする必然性に疑問を呈す。
  • 8. Kinno Angel氏:「頭が痛い」など不必要な侮蔑的発言ノート:キュリロス (スラヴの(亜)使徒)の議論をなぜか出典か根拠のように提示するが、何をどう言いたいのか意図不明。分割も再主張。『記事「聖ゲオルギオス」の新規作成も吝かではない』と答えるがそれが何を意味するか無説明
  • 04. Kinno Angel氏:ゲオルギオス (聖人)でもいいと、提案を修正。
  • 05.LaBedoyere:「日本聖書協会『新共同訳聖書』に準じる」というルールがあることを指摘し、ルールの例外となるのは、統一性を逆に崩すことになるのでは?と問う。「私はキリスト教徒ではない」と示し、ジョージ(ゲオルギウス)は聖書のなかに登場しないのか聞く。(この時点で8の投稿を読んでない)
  • 06. Kinno Angel氏:新共同訳のやり方がスタンダードなら、「ゲオルギ」はどうかと、提案を再修正。(聖書にジョージが登場するかは無回答
  • 9. LaBedoyere:「頭が痛い」は侮蔑的発言であると注意。またギリシャ語に汎用性があるという出典提示を求める。日本版ウィキペディアという百科事典での汎用性とKinno Angel氏らが言う汎用性には、定義または活用範囲が違うことを指摘するが、以後も誤解が続く(または故意に無視)。議論が偏って「極めて宗教色が強い」ことも指摘。『正教会贔屓』ともいう。Kinno Angel氏に記事「聖ゲオルギオス」の新規作成はどこの祭として書くつもりなのか聞く(しかし無回答だった)
  • 07.LaBedoyere:(この時点で8の投稿を読んで Kinno Angel氏が侮蔑発言をしたことを知ったので)『新共同訳聖書』のなかにゲオルギが本当にあるなら、ゲオルギ (聖人)かゲオルギー (聖人)になるのではないかとぶっきらぼうに指摘。
  • 10. Kinno Angel氏:東西両教会で重要視される聖人につきギリシャ語表記であると主張。ギリシャ語の汎用性について出典を示せず。『正教会贔屓』発言に反応。
  • 08.Kinno Angel氏:『正教会贔屓』発言への反発から、余計なリソースを費やすハメになって大変不愉快と言う。
  • 09.LaBedoyere:「むしろその一言が余計」と前述の侮蔑的発言があったことをふまえて再びたしなめる。
  • 11. LaBedoyere:いずれにしろ、どれかの言語を用いれば普遍性(中立性、汎用性とも同義で用いている)は無くなると再主張。中立性を理由にどれかの言語を選ぶことの矛盾。祝日の名前が世界的に普遍的な名前でありえないとも再主張。
  • 010.Kinno Angel氏:「ググってからモノを言って」、「バチは当たらない礼儀だ」と再度主張。
  • 12. Kinno Angel氏:スペインだけの分割も主張(①⑧)していたと反論。「聖ゲオルギオス」で別記事を立ててもいいというが、それがどんなものになるのか再度説明なし。記事名は、祝祭日の名前ではなく、あくまで聖人の名前であると主張。
  • 13. イザヤ氏:キリスト教関係記事についてに限り、ギリシャ語は汎用性があると出典開示
  • 14. Kinno Angel氏:Calvero氏の英語版から二回の部分訳を、大幅な加筆とやや大げさに報告。(Kinno Angel氏本人も4行追加するが、Calvero氏の二回目の加筆によってほぼ全て書き換えられる。Kinno Angel氏はその後に翻訳文に手を加え人名などだけ変更した。)「ゲオルギウスの日」への改名への賛成を修正することなく、立場が変わったと言い、改名か分割であるは必須と主張。しかしどう改名し、どう分割するというのか具体的には無説明
  • 15. LaBedoyere:大幅な加筆という表現がオーバーであることを指摘。またKinno Angel氏が加筆の準備が全くなかった(実質的に本人は加筆してない)ことが判明したとも示唆。また英語版が初めからそうであるように、出典の明記がなされておらず、不十分な記事であると指摘。分割(細分化)後の心配にも言及。ギリシャ語の汎用性について、求められる『汎用性・普遍的が示す範囲は非宗教世界を含めた現実世界全般のこと』であると再度説明し、意識レベルの違いを示唆。またKinno Angel氏に皮肉をいうが、これは011の理由と同じ。
  • 011.LaBedoyereKinno Angel氏が示す礼節や誠意と等価のそれしか返してないと、侮蔑発言をしたKinno Angel氏が010で礼儀を持ち出したことに強く憤る。「キリスト教から寛容性を学ばなかった」のかと指摘。
  • 012.Kinno Angel氏:011に対して予断と偏見で相手を偏向していると誹謗。
  • 16. Kinno Angel氏:大幅から「少なくともスペインだけの記事ではなくなった」にトーンダウン。『中立的なのはギリシャ語表記』と再度主張。「正教贔屓」と言われたことに関しても再度主張。翻訳記事が貶められたと勝手に誤解。(以後、後述の曲解と決めつけによる個人攻撃を始める)
  • 17. Kinno Angel氏:「流れ」と称した曲解を掲載。
  • 013.LaBedoyere:侮蔑的発言があったことを再度指摘して怒っている理由を開示。
  • 18. LaBedoyere:翻訳がダメだと言った覚えはないと反論。記事内容の多くが、英語版のときから未検証であることを再び示唆。今や多数版への分割が必要になったと指摘。
  • 19.LaBedoyere:当事者自身が「流れ」と称した総括を行うこと自体が不適切だと指摘。
  • 20. Kinno Angel氏:17で掲載した文章を目立たないように小文字化
  • 21. Kinno Angel氏:説明が無かったとという指摘に対して、「何でスピーディに主張せねばならないのか」と主張。
  • 22. Kinno Angel氏:「リンク付」と称する、禁止されている引用方法による、文章の改変、継ぎ接ぎ、曲解文章を掲載。
  • 014.Kinno Angel氏:「私が正しいなんて主張していませんのでどんな印象をもたれても結構です」と開き直り発言。
  • 015. PRUSAKiN氏:②に関する提案。
  • 23.LaBedoyere:20の投稿済みコメントの小文字化を戻すように要請。不適切な行為であると抗議。正教贔屓が中傷に当たらない理由を説明。また最初から一切、主張に変化がないことも主張。「全教派」に限られる話題だと思いこんでいるのはKinno Angel氏だけと指摘。再び考えていることのレベルの差を示唆。Kinno Angel氏が出典を提示できなかったことが、本質的問題であると指摘。Kinno Angel氏の悪意ある曲解に抗議。
  • 017.LaBedoyere:②への反対が聖ゲオルギオスのものだけで、どうするかは態度未定と表明。
  • 24. Kinno Angel氏:LaBedoyereとの意見の違いを無視。曲解をさらに展開。「そんな速やかに案を出す義務は無い」とも主張。小文字化の抗議を拒否。「反省の弁がない」、「長文で書き続けるだけ」とLaBedoyereを攻撃。
  • 25. Kinno Angel氏:23の抗議に対して「私の糾弾ですか?」と。
  • 018.Kinno Angel氏:21と24の発言で、自分は態度をすぐに鮮明にする必要がないと言ったにもかかわらず、017のLaBedoyereを中傷。『私の利用者ページに書いてあります。相手と議論する時は、相手の前提位チェックしておきましょう』といって、Kinno Angel氏の利用者を見るように主張。
Kinno Angel氏:LaBedoyereへのコメント依頼で、広範囲な曲解と中傷(後述)。
  • 26.LaBedoyere:小文字化が誤解を招くと、再度抗議。宗教色が強いが、中傷に当たらないことを再度説明。「論点がズレている」と諭す。「もう一度私の投稿を最初から読み直してください」とも訴える。
  • 27.LaBedoyere:合意形成の要約が一方的な曲解で構成されていることに抗議。書いてないこと、言ってないことを曲解して掲載することを再々抗議
  • 28. Kinno Angel氏:27を無視して、独自の言い分を強弁。
  • 020.LaBedoyereKinno Angel氏の利用者ページを見て、Kinno Angelと全く相容れないことと、なぜギリシャ語がどうこういう問題にこだわったのか、やや理解。過去のログをみて、同種の議論があったことを初めて知る。
  • 021.Kinno Angel氏:「利用者ページを見てから議論しろ」なんて言ってないと前言を翻す。
④ Kinno Angel氏:LaBedoyereのノートに020が中傷であると主張。
  • 001. LaBedoyere:020は中傷ではないと主張。
Kinno Angel氏:投稿ブロックを依頼。
  • 29.LaBedoyereKinno Angel氏の曲解がどうして続くのか、問いただす。「非宗教的中立性があるのかが、私の論点」と四、五回目の主張。自分勝手な要約を止めるのように求める。これは「十分に個人攻撃と言える」と指摘。
  • 30. Kinno Angel氏:長文を批判するが、29の主張に対して「感じられません」と拒否。
  • 32. Kinno Angel氏:「ほぼ全て、私は貴方の主張についてはそのまま引用」と一部を削除をしていること認めるが、31の批判を否認。
  • 33.LaBedoyere:「大事なところ消して」曲解していることを批判。議論の妨害であると指摘。

--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 19:39 (UTC)[返信]

依頼者のコメント[編集]

私の最初の驚きは、被依頼者であるKinno Angel氏が、突然、侮蔑的な発言をして、イライラしているようにせっついてきたことです。私は普通に話していたものであり、記事名について議論していただけです。Kinno Angel氏の方が東欧と正教会について知識があるのでしょうが、このような礼儀を欠く態度に突然出たことはどうかと思いましたし、理解不能でした。主張の間違いは、絶対に許されないものではありません。そもそも私の態度も絶対的なものではなく、特に「ゲオルギオス」については、私が強い根拠を持ってないことは明らかですし、我を張っていたわけではない。どうなのか聞いていたのです。「サン・ジョルディ」についても、最初から私の立場は一貫して、中立性の問題とは思ってません。そう書いてます。長文なので確認が容易ではないという問題はありますが、それは第三者からみて明らかだと思います。それが突然のKinno Angel氏の攻撃です。私は無宗教であり、宗教を信じておらず、宗派の感情などは全く理解しません。また後述のように宗教的な中傷から、信条を問うたわけではなかったのですが、そこがKinno Angel氏の気に障ったようです。それはKinno Angel氏のノートに具体的に書いてあります。しかしそんなことで、と無宗教の私はいいますが、そんなことで怒りをぶつけられても私は知りません。いや、わかりません。これは全く理不尽です。そして侮蔑され、暴言や乱暴にせっつかれて、感情を害さない人間がいるでしょうか? そして曲解です。議論では最もやってはいけないことだと思います。相手の意見を無視し、ねじ曲げ、書き換えてしまう。そうなるとそれは違うと、必ず得ず、長文になるのも仕方ないことです。一々、ちゃんと私が答えた結果です。それがまた批判されて、まったくどうしろというのでしょうか? Kinno Angel氏は「全然反省する気が無い」と未だに言っていますが、私にとって不可解きわまる展開なのであって、どうして私が非を受けるのでしょう。Kinno Angel氏の行動は十分に問題があるものであり、様々なガイドラインや禁止事項を破るものです。Kinno Angel氏こそが、投稿ブロックを受けるべきではないでしょうか。ご意見をお聞かせ下さい。--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 19:39 (UTC)[返信]

被依頼者さんの行動[編集]

投稿ブロックの反論と同じで、被依頼者さんの行動に限ったもの。

●発端はKinno Angelの侮蔑的発言
「天に唾す」と教訓にしたら? キリスト教から寛容性を学ばなかったとしたら笑えるね。はその応答です。Kinno Angelの暴言をたしなめたものです。暴言をはきつつ、相手には誠意を求める(後述)のは、いかにも自分を棚に上げた行為です。個人攻撃への対処法として、警告が推奨されています。私は「頭が痛い」とかいう侮蔑的表現は、この議論に相応しくないと思いますと言いましたが、これにKinno Angelは無反応であり、下記の個人攻撃2に及んでくるのです。
●宗教絡みの中傷では絶対にない(Kinno Angelの誤解)
私の論点は認知度、知名度でしたが、Kinno AngelPRUSAKiN 氏の論点は中立性の議論であり、それなら記事名が特定の言語によって書かれることによって宗教的中立性が保たれるのか、と問うたわけです。サン・ジョルディの日やセント・ジョージの日のような、すでに非宗教的な祭になっている日の記事名の議論としてどうなのか。Kinno Angelは東欧・正教会を中心に執筆していると公言しており、それで中立性が保たれるとは思わないという理屈からの発言であり、中傷ではありません。実際、専門的に研究している分野に愛着があるのは当然であり、客観性が保たれているのかと問うたわけです。これは全く中傷ではありません。正教関連の記事ばかりを書いているというのですから、「正教贔屓」ではないかと私が思ったのは、無理からぬことです。それは宗教的信条を批判したわけではなく、中立性の議論のなかで、執筆者の信条を問うことが許されない、ということはないと思います。なぜなら自身の信条が判断基準にならないと断言できないからです。私も政治や革命、左派、リベラルの記事を多く書きますし、関連の事物に興味があります。ですから、他人から左派よりであると思われても仕方ないと思いますし、中立性の議論になれば、自分はどちらかといえば部分的に左派寄りであると思うので、中立性の観点にはいつも気をつけています。ですから、同様に相手が正教関連の執筆に特化しているからこそ、普遍性が保たれているか、中立的観点が保たれるかを問うたわけで、中傷ではないです。宗教関連の記事ばかりを書く人が、宗教に関心がないということは、まずないでしょう。議論のなかで中立性が問題にならなければ、話題にあがるはずもないのです。そもそもKinno Angel氏の宗教観など興味はないのです。ただ祭の名前が、聖人祝日で、その名前が、スペイン語では中立性に欠けるという、氏の判断に異議を挟んだだけでこの顛末です。これは絶対に中傷ではないです。また私は無宗教なので、正直言って宗派に関することにこれほど反応したことには驚いております。(その理由は後述の利用者ページを閲覧して判明しました)
●個人攻撃1 - 当事者Kinno Angelによる「流れ」と称した総括での曲解、同じく合意形成依頼での曲解、またノートでも執拗に
Kinno Angel2010年12月24日までの流れをまとめますと称して、私の発言から故意に一部を削除して文意を変えるということを行っています。リンク付きと称するものでも文意をねじ曲げ、追及方向を変えたと間違った主張をしますが、これはそもそも私の言ってないことであり、勝手な解釈です。しかるそれは繰り返され続け2010年12月27日 (月) 09:40 (UTC)、まったくこちらの意見を聞かない議論の妨害にでてきました。このために私は、言葉を尽くさねばならず、長文で自身立場を説明し、相手に誤りを指摘したわけですが、これがまた長文攻撃してきたかのように吹聴されます。まったく個人攻撃であり、議論の妨害です。
●個人攻撃2 - Kinno Angelによる他利用者へのせっつき、高圧的態度
ただ話しているというテンションの私に、ただ…ちょっとこういう事↓を言われますと頭が痛いというか何と言うか…と来て、あまりに議論の前提を認識しないで色々書かれると、余計なリソースを費やすハメになって大変不愉快です。本文検索サービスは無料で行われています。ググって下さいと言い、きちんと相手の主張くらい確認してから、それから苦手分野であればせめてググってからモノを言って頂けないでしょうか。それ位は要求してバチは当たらない礼儀だと思いますと高飛車に来ました。これらと、個人攻撃1に対しての皮肉が、
私はKinno Angel氏が(他の議論も含めて)示す礼節や誠意と等価のそれしか返してない
クリスマスが何の日か分かってない人が、キリスト教の記事に携わるってどうなんだろう。その理不尽さがシュールだなぁとなるわけです。
どうして暴言を吐いた人に誠意を尽くせるでしょうか。そして暴言を吐きながら誠意を他人に求められるでしょうか。 Kinno Angelの姿勢は、自分は暴言を吐いても不問で、相手の意見を曲解してもお構いなし、態度を鮮明にしないことも許されるが、他者には全く不寛容という態度です。これが理不尽といわずしてなんといいましょう。適切な言葉ではないでしょうか。中傷でも私からの個人攻撃でもありません。実態を描写しているだけです。 Kinno Angelは自分を棚に上げることが極めて多いことは、ここよりもさらに長文ですが、ノート:サン・ジョルディの日を読まれたらさらにどのように議論の妨害があったかもわかると思います。何度指摘しても、他人の意見は無視でした。
●個人攻撃3 - Kinno Angelによる決めつけ
ノート:ゲオルギウスでの議論を、勝手に「議論攪乱」と決めつけて「[Wikipedia:コメント依頼/利用者:LaBedoyere]」の場で中傷しています。私は躊躇し、判断材料を持たなかっただけで、議論攪乱を決めつけることは、Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例悪意をもって相手を非難する、あるいは根拠無く相手を非難する行為を繰り返すというれっきとした個人攻撃です。コメント依頼の場なら何を言っても良いとはなりません。議論攪乱と同種の主張はノート:ゲオルギウスでも、ノート:サン・ジョルディの日でも繰り返されており、私が長文で言葉を尽くしてその間違いを指摘しても聞き入れません。
●個人攻撃4 - Kinno Angelによる暴言、後出しジャンケン
私ははっきりと十分分量と説明を備えた世界的視点の「ゲオルギオスの日」の記事の準備があるかを聞いています。知っている人は少ないとは思いますが、私:LaBedoyereは、通常、極めて分量の多い投稿をします。つまり私の尺度からは少ないと思ったから少ないと言っただけで、Kinno Angelの私への全て後出しジャンケン。全く人を馬鹿にした話という個人攻撃になるわけです。私は初め、なぜ後出しジャンケンなのか意味がわかりませんでした。それが明らかになるのは私へのコメント依頼で、「主張内容の断りなしの変更(後だしジャンケン)」ということらしいです。執筆者として出典の資料の準備は私は言うまでもない当然のことと思いますし、最初からそのつもりでした。また検証可能性は、ウィキペディアの記事では必須のものと思われますので、未検証の記事であったことを指摘したまでで、それが後出しジャンケンと誹謗されることになるのはまったく心外であり、私個人の性格や経験を決めつけて攻撃するという個人攻撃です。
●個人攻撃5 - Kinno Angelによる決めつけ2 - 文意の無視
Kinno Angelは、私が長文でもって説明しているのに、「私はこんな事は書いてませんし、言ってもいません」と言っても、私には「同じ趣旨」「翻訳記事を否定している」としか感じられません私はそうは思いません。LaBedoyereさんの方がむしろ御自分の発言を捻じ曲げているとしか思えません、の一点張りで、実際に勝手な要約で論旨をねじ曲げているにもかかわらず、一方的な決めつけを行い、自分の曲解をあくまで押し通そうとしました。果たして、自分以外の誰が、自分の意見を代弁できるでしょうか? その上に長文になったことを非難されるのは納得できません。誤解を解かないと、議論にもなりません。「感じられない」で片付けられて、却下する権利がどうしてKinno Angelにあるのでしょうか。私にも意見を述べる権利があり、他人に"あなたの言っていることと違う"と言われるのは、意味不明です。私が書いていることなのですよ。
さらに指摘しなければならないのは、Kinno Angelが書いた『あと「正しさ」についての姿勢は、私の利用者ページに書いてあります。相手と議論する時は、相手の前提位チェックしておきましょう。』の意味は、『相手について何か言うのなら無根拠に言わないように』ということを『「(私について)議論するなら(利用者ページという)前提をチェックして下さい」という意味』というふうに表した無茶苦茶なことが主張されています。では、どうして、Kinno Angelが書いたことが氏の意に沿うかたちで別の意味だとまかり通るのに、私が書いてる文面だけが私の意の沿わない別の意味だとの曲解が成り立つのでしょうか? これは全く不可解であり、理不尽であり、一方的であり、独善的と言わざる得ません。間違っているでしょうか?
●個人攻撃6 - Kinno Angelによって曲解された言説(ウソ)の流布 - 他者の発言の改竄
ほぼ全て、私は貴方の主張についてはそのまま引用し、リンク形式で実際の発言を示している訳です。貴方は「そんなつもりじゃない」と言い続けていますが、ご自分の発言は消せませんよ』と言ってますが、実際には私の発言の一部を削除したものであり、論旨をねじ曲げています。リンクを張ったといいながらも、引用ではなく、継ぎ接ぎです。引用のルールはご存じだと思います。昨今、指摘をうけて引用は、一字一句改変していはならないと、教えれました。こうまで文意をむちゃくちゃして引用は呼べないのは明らかです。リンクは張ってはありますが、引用ではなく、Kinno Angelによって曲解された言説、つまりはウソの流布です。これを個人攻撃と言わずしてなんと言いましょう。またこれはブロック対象となる他者の発言の改竄に近いといえます。これだけ長くなった議論で、勝手な要約をつけられれば、議論は間違った方向に誘導することになるからです。
●不適切なコメント修正 - Kinno Angelによる投稿済みコメントの小文字化
Kinno Angelは前述の「流れ」と称した一方的な総括を行った後で、その文章は私の主張する曲解なのですが、それを小文字化して目立たないように修正がなされました。これらはあとからノートの議論を読む上で、異なる印象を当たる可能性があるため、私は二度にわたって是正を求めました。しかし[「どの辺が都合が悪い発言」なのか]として要求を拒否しました。これは投稿済のコメントへの修正のガイドラインに違反します。
●個人攻撃7 - レッテル張り - Kinno Angelによる中傷、根拠無く相手を非難する行為
Wikipedia:コメント依頼/利用者:LaBedoyereにて、『利用者:LaBedoyere氏による「正教POVへの懸念+Kinno Angel=正教贔屓イデオローグ」の主張と有ります。しかしこれはノート:サン・ジョルディの日で私が再三再四、否定しているものであり、そもそも「正教POV」の意味も私には分かりません。何のことなんでしょうか? これは完全な個人の政治的、社会的立場を決めつけて攻撃するという完全な個人攻撃であり、誹謗中傷です。「正教贔屓イデオローグ」というのも私の言葉ではないです。悪意をもって相手を非難する、あるいは根拠無く相手を非難する行為を繰り返すにも該当すると思います。 POVってなんやねんと言う人が、それを主張するはずもありません。

--LaBedoyere 2010年12月27日 (月) 19:39 (UTC)[返信]


被依頼者さんのコメント[編集]

私からは依頼者の方が問題ある行動を多々とっていると思えるのですが、それがさらに増長しているようです。自分の発言をカモフラージュしようとしているのか、暴言や中傷についても一切反省せず(私の「頭が痛い」発言を「発端」としていますが、私はそれの十倍以上の中傷・暴言を受け続けています)、よくまとまっていない大量の書き込みを至る所に書き散らす行為は(この大量書き込みが、議論の見通しを悪くしている最大の要因です)、議論撹乱として許されるべきではないと思います。これ以上の言い分・具体的な依頼者の問題行動は、短くWikipedia:コメント依頼/利用者:LaBedoyere(右ブロック依頼を行ったため一旦終結宣言)とWikipedia:投稿ブロック依頼/LaBedoyereにまとめてありますのでそちらを御参照下さい。--Kinno Angel 2010年12月28日 (火) 00:30 (UTC)[返信]

弁明については短く致しておきます。大量書き込みによって第三者からの見通しが極限に悪くなっていますので。

  • ●発端はKinno Angelの侮蔑的発言について
    • 依頼者が具体的に挙げている「侮蔑的発言」はこれだけであり、依頼者はその後「同じ礼儀を返しているだけ」として、Wikipedia:投稿ブロック依頼/LaBedoyereに挙げましたような中傷を繰り返し続けました。
  • ●宗教絡みの中傷では絶対にないについて
    • ほう。「「天に唾す」と教訓にしたら? キリスト教から寛容性を学ばなかったとしたら笑えるね。」「クリスマスが何の日か分かってない人が、キリスト教の記事に携わるってどうなんだろう。その理不尽さがシュールだなぁ。」「でも『神に感謝する日々』なんて書いちゃって、やっぱり信仰もってるんでしょ。」「Kinno Angel氏は正教会の信者かなんか知りませんが、極めて非中立的なのも明らかギリシャ正教寄りである」」「あなたは極めて宗教色が強いイデオローグを持っている。」
  • ●個人攻撃1
    • 「私の言ってないことを」云々と依頼者は言っていますが、私は依頼者の発言についてはリンクをつけて証明しています。依頼者が「ギリシャ語=ギリシャ正教贔屓」という誤った論法と「Kinno Angelは正教イデオローグ」とまで述べた後で、「問題は正教云々じゃなくて無宗教まで含めた中立性云々」と追及方向を変えた事は事実です。もし「正教贔屓を最初から問題にしていた訳じゃない」というのなら、私に対して「正教贔屓」ではなく「キリスト教贔屓」と最初から言っておけば済む話だったのですが、その辺の不必要な中傷に対する反省はゼロのようです。
  • ●個人攻撃2
    • 「高飛車に出た」云々と言いますが、全く少しもググらないで相手に「出典を出せ、出典を出せ」と繰り返す人に言った言葉です。その後、上記のような「十倍返し」を依頼者はしてきた訳ですが、依頼者が自己弁護の根拠として出せる私の発言など、この程度ということです。なお議論妨害といいますが、議論妨害しているのは依頼者の側です。改名提案・分割提案とはまったく関係のない依頼者の自己弁護と個人攻撃のために、各種ノートページは無茶苦茶になり、膠着してしまいました。
  • ●個人攻撃4
    • 十分分量と説明を備えた世界的視点の「ゲオルギオスの日」の記事についてですが、翻訳されて加筆された段階で世界的視点は達成されている訳で、「質が低い、検証もされていない記事だから、この加筆はしっかり準備された加筆ではなく、改名議論にも影響しない」という氏の見解は「独自方針」でしかありません。加筆されてから言い出したというのは後出しじゃんけん以外の何者でもありません。
  • ●個人攻撃5 ●個人攻撃6
    • 実際に勝手な要約で論旨をねじ曲げているにもかかわらずについてですが、私はそうは思いませんとしか言い様がありません。他者の発言の改竄についてですが、改竄もしてはおりません。
  • ●不適切なコメント修正
    • 具体的にどれがそれに当たるのか全然依頼者は挙げていませんが、依頼者が挙げている「小文字化」はこれです。これが問題あるものなのかどうかは、第三者の判断に委ねましょう。
  • ●個人攻撃7 - レッテル張り

コメント で、さっくりと申しますと、「発端はKinno Angelの『頭が痛い、ググれ』発言だ!」とする依頼者が、この「頭が痛い・ググれ」が諸悪の根源だ!と言い続けて、それを正当化理由としてずっと粘着し続けている、そういう構図です。依頼者が「侮蔑的発言」として私を論難するのに挙げている具体的事例は、彼が「発端」とする「頭が痛い、ググれ」のみです。これで私までブロックされてしまうのなら、もはや大量書き込みした者勝ちと思うしかありません。--Kinno Angel 2010年12月28日 (火) 01:09 (UTC)[返信]

コメント 「ノートでのやりとりは「ディベート」ではなく「ディスカッション」を目指していただきたい」「それだけでKinno Angelさんの周りの紛争はかなり軽減されるかも」…思い当たる節が多々あります。前向きに検討させて頂きたく思います。--Kinno Angel 2010年12月29日 (水) 02:15 (UTC)[返信]

コメント[編集]

まとめ[編集]

(終了宣言)興味がなくなったので終了します。--LaBedoyere 2010年12月29日 (水) 12:16 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼を行って僅か2日で終了宣言。しかもその理由が「興味がなくなった」というのは、いささか不誠実な、それこそコミュニティを疲弊させる行動ではないでしょうか。--森藍亭 2010年12月29日 (水) 13:18 (UTC)[返信]