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Wikipedia:コメント依頼/HTTH

これまでの経緯とHTTHのコメント

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私はHTTHといい、主にドイツ関連で執筆をしています。今回、ノート:アイスレーベンにて利用者‐会話:T6n8さんから「1月10日の意見表明は拝見しましたが、反駁済みの内容の繰り返しであり、説得性のある論理的な立論はないようですので、改名不可という意見に変化はありません。」という意見をいただきました。T6n8さんの言う場所はノート:アイスレーベン#2015年1月1日以降だと思います。

HTTHは議論が非常に下手と自覚していますし、また今回、別の方のコメントに応えようと、これまでのまとめをしてしまったことも原因だと思います。

そのため皆様からHTTHの議論の論理性と立論の不備、また問題点の指摘をお願いします。

なおT6n8さんとは以前に、本人の希望でWikipedia:コメント依頼/T6n8その2を出しています。そのためか何かこうギクシャクしている感じがします。こちらについてもHTTHの振る舞いについて、ご指摘くださればありがたいです。

今後に役立てたいので、どうぞよろしくお願いいたします。--HTTH会話2015年2月11日 (水) 15:16 (UTC)[返信]

コメント

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コメントドイツの郵便番号一覧」等の更新や「Lutherstadt」「Kreis Eisleben」等の翻訳によって「ルターシュタット・アイスレーベン」の使用例を増やしたり、「プロジェクト:ドイツ」で都市名の付け方や「シュタット」という表現を明文化するなど、根拠の補強が必要かもしれません。今後も議論が平行線をたどるなら、暫定的な改名で合意を形成できる場合は一旦改名して「Template:暫定記事名」を貼って様子を見る、暫定的な改名でも合意を形成できない場合は改名せずに「Template:暫定記事名」を貼って保留にする、といった措置になるかと存じます。--Momonga365会話2015年2月15日 (日) 22:44 (UTC)[返信]

コメント「議論が下手だと自覚」とおっしゃいますが、そもそもなんのため、なにを目的に議論をしているのでしょう。「相手を論破して勝つ」「自分の主張を通す」のが目指すところで、それが思い通りにできるのを「議論が上手」と考えているのであれば、根っこから間違っていると思います。ウィキペディアはどこまで行っても共同作業、コミュニティです。議論は合意を得るために行うもので、目指すところは「合意」であるべきなのです。したがって議論は、どういう点で合意ができるのか、どういう点が合意できないのか、を明確にしていく過程ととらえる必要があります。合意をはかるために妥協や譲歩をするということもあるでしょう。それができずにただ自説の「正しさ」を主張したり補強したりしようとするのが、ウィキペディアで言う「議論が下手」なんだろうと思います。

子供の絵本でこういうのを知りませんか。3人に4つのリンゴが与えられる。余った一つを誰が食べるか喧嘩になる。あるいは、1人が2人を殴り倒して4つを独占しようとする。しかし、残った一つを3等分すればみんな同じだけ食べられる。4つともジュースにして3等分してもいい。あるいは、もう1人誰かみつけてきて、4人で1つづつ食べれば幸せな人が1人増える。それとも、余った一つを植えれば、やがてリンゴの木が生えてたくさん実がなる・・・HTTHさんはこの場面で「どうやったら2人を倒せますか?僕は腕力が弱いので」と言っているようにみえてしまいます。
特に今回のような改名議論、それも外国の固有名詞となると、転記と表記ゆれ、解釈、訳語、など「正否」では決着がつかないのは最初からわかっているような議論です。リダイレクトという機能もあるわけですから、日本語転記や呼称は絶対に一つに限定しないとどうにもならない、という性格の話でもありません。呼称・転記について日本での決定的な定説がなくて、お互いに論拠があるならば、記事のなかでそこらへんの事情を解説しつつ、「○○という考え方では××となり、△△に基づけば□□となる。ここでは便宜上××で統一する」みたいにすればいいし、そう書くことは読者の助けになります。そうした方向で合意して着地点を見つけていくことが「議論」であり、うまく着陸させられることができるのが「議論が上手」ということになるでしょう。
極論すると(本当に極論ですが)「日本の首都は網走だ」という強固な合意があってそう書かれているコミュニティで「いや東京だろ、俺は正しい、絶対譲らない」と一人だけ言い張ってもしょうがない、ということになります。どんなに自分が正しいと確信していても、合意が得られなければダメ、それが共同作業ということです。どうしても常に「正しい」ことを書きたければ自分のHPでやるしかない。
別の場所でHmanさんが「手続き」を「アリバイ」と表現なさっていますが、私はこうした「議論」も一種のアリバイのようなものと考えています。仮に後になって正否が判明・確定するような場合でも、どちらが正しかったとしても、その記事がそういう経過の果てに今こうある、というのが残ります。ノートがなくても履歴や差分を丹念に辿ることでも同じようなことがわかるかもしれませんが、しかしノートに議論が残っている方がはるかにわかりやすい。それは、たとえば上の例で「日本の首都は東京だ」と主張したが認められず合意を得られず、「日本の首都は網走だ」という記述が残ったとします。後になって第三者がノートを見れば、この記事はどういう経緯でこう書かれているのか、誰が「首都は東京」という情報に修正しようとしたのか、誰が・どういう理由で合意ができずにそれができなかったのか、議論が目に見えるカタチで残されているわけですから、わかるわけです。それでいいんじゃないでしょうか。(プライバシーや名誉毀損関連ではまたちょっと違いますが、)ウィキペディアの記述が仮に「まちがい」だったとしても、それでHTTHさんが逮捕されて投獄されるわけじゃないです。
アイスレーベンでの議論を拝見すると100対0でHTTHさん一人に全責任があるとは思いませんけれども、お互いが・もしくはどちらかが、「どういう内容ならば合意できるか」を念頭に議論を行っていれば、状況はもう少し変わっていたのではないかと思います。--柒月例祭会話2015年2月17日 (火) 16:43 (UTC)[返信]

コメント アイスレーベンの議論では、双方が意見を出し合い、両者の主張が平行線であることが分かった、という状態ですから、誰が悪いわけでも、誰の議論が下手なわけでもありません。時間がかかったのは確かですが、双方が意見を出し尽くしたというのは決して悪い事ではありません。両者の意見を踏まえた折衷案をノート:アイスレーベンに提案してまいりました。個人的には、HTTHさんの様に執筆能力のある方には、このような、敢えていえば些末な議論に拘泥することなく、記事の執筆にご尽力戴けるとうれしいです。よろしくお願い致します。-- 汲平会話2015年2月22日 (日) 07:01 (UTC)[返信]

コメントHTTHさんのスタイルは百科事典の編纂と言うことに限って言えば特に問題無いと思います。略式の名称も転送すれば、検索出来るのだから、正式名称に読者を導くのは百科事典的には本質でしょう。用例の過多を問うて結論づけるのは百科事典とは何たるか?を考えれば決め方としては亜流だと思いますし、学術的な観点のある方、そうで無い方全ての方が最終的に合意したいと思うのは素晴らしいですが、関わった方全てと合意しうると考えていつまでも議論を続ける事は、寄付で賄われているプロジェクトとして現実的では無いと思います。現時点で既に議論は十分に思えます。検索のキートリガとサーバーの転送リソースだけを見るならば現状の名称のままとし、本文で正式名称をうたうのが最適ですが、ここは百科事典でありそういった趣きでも無いでしょうから。--106.175.176.18 2015年3月16日 (月) 13:23 (UTC)[返信]

コメント 日本語表記は欧州の言葉に対応しきれないので、こういう問題がしばしば起こりますよね。「自分はこういう考えをする」、「こういう事項を優先する、なぜなら・・・」と普遍化したほうが、みなさんの議論を惹起する上でも有効だと思います。--スタンドパンチ・オフェンス会話2015年4月6日 (月) 15:22 (UTC)[返信]

コメント ノート:アイスレーベンを見ましたが、悲しくてたまりませんでした。ノートで議論への参加中止と記事の加筆中止を告げ、期限を定めずにブレイクを取ってはいかがでしょうか。ドイツ語の記事を一生懸命に翻訳しているのはHTTHさん、かたやいつまでも納得なさらない方の履歴を拝見した所、新規作成は医薬品の『アビラテロン』ひとつ、それも冒頭部分のみ英訳で後は他人任せでした。これでは到底、記事書きとは見なせません。英語の記事ひとつ翻訳して仕上げられないならドイツ語記事に関与などなおさら無理でしょう。しかもGoogleで「ザイティガ」で検索すると約13,700件がヒット、一方「アビラテロン」は約8,040件なので、その方の理屈ならなぜ記事名を「ザイティガ」としなかったのか理解できませんでした。とにかくウィキペディアは、士農工商の身分制度に例えると「書き手」は商人以下の扱いで、記事を書かずに議論したり仕切ったりする利用者すなわち「議論屋」ばかりが強大な影響力を持っているというのが実情です。「日本の首都は網走だ」と間違いを強固に主張する人間が常駐する分野・記事では「日本の首都は東京だ」という事実を書こうとすれば排除されます。全く記事を書かない人に、手下か子分のようにへつらい、機嫌を取り続け納得してもらわなければ「日本の首都は東京だ」の一行さえ書けないのがウィキペディアです。記事を書く何倍も合意取りに時間を取られ、相手を納得させる責任を書き手が負わされるのがウィキペディアです。HTTHさんはウィキペディアにはもったいないと思いました。あの議論は酷い。無益です。時間をもっとご自分のために用いてはいかがでしょうか。HTTHさんほどのスキルがあれば、ウィキペディアでなくても自分のHPや他の場でもっと成果を挙げられるのではないでしょうか。得意分野に、記事が書けるわけでもないのに食い下がり議論を挑み続ける人が居る限り、実質上その分野では執筆など不可能です。「果てしない議論」しか先には無いのです。もし何年か経った頃には書き手はウィキペディアへの寄稿は断念しており、食い下がっていた人達は興味を失っており、記事が見向きもされなくなった後で、誰かがノートを見返して、何だこれは日本の首都は東京に決まっているとさくっと修正するまで時間が必要だというのがウィキペディアの常識で、それが受け入れられなければ自分のHPに書けというのがここでの議論のようです。とりあえず、ノート:アイスレーベン#同名記事新規立項のお知らせもご覧ください。--114.181.36.77 2015年4月11日 (土) 08:39 (UTC)[返信]

  • コメントまず冒頭「本人の希望でWikipedia:コメント依頼/T6n8その2を出しています」事実と異なりますね。「井戸端なり、コメント依頼などで第三者の意見を集めたらいいでしょう。」とは提案しましたが、利用者のコメント依頼を希望した事実はありません。
  • 2015年4月6日 (月) 23:04 (UTC)の投稿2015年4月21日 (火) 16:13の投稿 2重の誤りを繰り返していますね。典拠と称するコトバンクには「フランクフルト・アム・マイン」とは書かれておらず「フランクフルト・アムマイン」とのみ書いてある点および「日本語での正式名称」に言及している文でない点の2点で誤っており、日本語での正式名称が「フランクフルト・アム・マイン」であるとは示されていないという状況には変化がありません。
  • 「ちなみに、あなたは議論が主な活動内容(記事編集は2割余り)なようですが、」とは本題にはなんら関係のないことですね。Wikipedia:論争の解決にいう「レベル1 個人攻撃 直接議題に関係することではなく特徴、編集実績など発言者自身を根拠に否定する。」相当ですね。114.181.36.77さんも同様により不適切な投稿を行っていると判断しておりますがそれは別途。
  • 「「原語のカナ転写がデファクトスタンダードであることにはなりません」と主張されたのですから、解釈ではなく、しっかり実例を持ってきましょう」「デファクトスタンダード」であるとする根拠が何もないだけだし、仮に「デファクトスタンダード」であっても意味がないので、「調査」する意味がありません。
  • 2015-04-22T06:08:46の投稿。もはやアイスレーベンの記事ともほとんど関係なくいったい何がしたいのでしょう?

--T6n8会話2015年4月23日 (木) 15:35 (UTC)[返信]

まとめ

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