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Wikipedia:コメント依頼/Kanbun

利用者:Kanbunの行動について広くコメントを求めます。

経緯[編集]

事の発端はWikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいについて議論が行われ、その結果を踏まえた書き換えが当該方針文書に適用されたことです。([1]

この適用に対し、私Kanbunは以前の議論に比べて参加者が少なく、期間が小規模であることから、合意として信頼性に不安があること、またそもそも合意の内容が不分明なことから、当該方針文書の差し戻しをするつもりであることを言い、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいでの経緯説明と本方針文書での再議論を、作業を行った利用者:Su-no-Gさんに求めました。([2][3][4][5][6][7][8]

その後、方針の差し戻しはIPユーザーによって再リバートされました([9])。私自身は編集合戦をするつもりはないのでこれについてはリバートをかけませんでした。再々リバートは利用者:Su-no-Gさんによって行われています([10])。

この間、利用者:Su-no-Gさんには急激な心情の変化があったのでしょうか、突然自らが荒らし行為を行ったのだと表明され、ウィキブレイク宣言されました([11][12][13][14])。私には何のことかわからず、ここにいる多くの方々も、利用者:Su-no-Gさんが何らか荒らし行為をしたとは考えられないのではないでしょうか。私自身は利用者:Su-no-Gさんを尊敬しこそすれ、隙があったわけでもなく、利用者:Su-no-Gさんが実質的に「荒らし」と考えられるような問題行為を起こしたとはまったく考えていません。客観的に見れば、無理を承知でお願いしていたのは私のほうなのですから([15][16])。私自身このような事態を避けられなかったことは痛恨の極みです。利用者:Su-no-Gさんのような模範的ウィキペディアンの喪失がウィキペディアにとってどれほど大きな損失であるか、いえ、どんな方であれ、大切な仲間を失うというのは悲しいことです。今回の私の行動が起こした一番の被害はこのことであると思います。私自身がもっとも非難されるべきと考えているのはこの人的損失です。

以後私は各所で告知した上コメントを求め、多くの方々からコメントを頂き、また話し合う機会も得ました。この過程において簡潔案の支持が閉鎖的なものでなく、多くの方々の支持を受けているということが確認できましたので、私の行動のそもそもの理由である今回の書き換え行為の信頼性の不安は取り除かれたと判断しました。私自身求めていたものが得られましたので、今回の書き換えがコミュニティにとって妥当であるということに確信が持て、深い満足が得られました。議論過程で合意のレベルなど重要な問題点が見過ごされているのは不満であり、今後の課題と思われますが、本件に関していえば、新たに寄せられた多くの方々のコメントにより十分目的を達しました。皆様のご協力に感謝します。

さて、今回の件は結果的に簡潔案の支持を強くすることとなり、コミュニティの、現在の方針文書への信頼も確認できましたので、私自身は行動を起こしたことを直接後悔しているところはありません。しかし、別のやりようはあったはずです。私自身は本事案に緊急性を感じたので、やや強引な行動をとったのですが、議論の過程で多くのウィキペディアンの方々からもう少し慎重な対応をとのコメントをいただきました。結果的に利用者:Su-no-Gさんを失うという人的損失の結果にいたったのは、やはり私の行動のつたなさ・不徳のいたすところと思います。

またもしかすると、利用者:Su-no-Gさんは今回の件でブレイクなさることに非常な無念を抱いているかもしれません。私はそれを思うと、いたたまれません。望みは薄いのでしょうが、本コメント依頼で私の行動の問題性が明確に指摘されれば、利用者:Su-no-Gさんの名誉は改めて確認され、ご本人が復帰しやすい状況になり戻ってらっしゃるのではとも期待しております。

まとめますと、今回の私Kanbunめの行動に対して、皆様の率直な批判を承りたく、また必要とあれば制裁を下していただけるよう、ここにコメントを求めるものであります。どのような批判でも受け止めますので、なにとぞ心からの忌憚なき意見を寄せていただけるよう、今一度皆様のご協力をどうぞよろしくお願いいたします。

被依頼者からのコメント[編集]

上の「経緯」説明で私からのコメントと代えさせていただきます。--Kanbun 2010年4月24日 (土) 15:27 (UTC)[返信]

コメント[編集]

(コメント)綺麗事を並べ立てて激励しようかと思ったが、あえて上から目線の本音と妄想で語らせてもらう。

個人的に、今回の件は、明確にKanbun氏が悪いと断言できるものではない、と思っている。まず、Su-no-G氏は簡潔案について議論していることを告知したし、サブページではあるものの提案後1週間経過し、反対がない状況で文書に反映させてるから、いわゆる合意の条件は満たしているはずだ。(最低限、ではある。)一方、Kanbun氏の差し戻し強要も理解できる。前回改定するときには今回より多い人数で長期間議論して決めたのだから、今回と前回ではいわゆる合意のレベルに差があるというのは頷ける。さらに、「合意が成立したとみなし、改定します」という宣言をサブじゃないノートページに書き込んでから文書に反映させて欲しかった、というのも、もっともな意見だ。ウォッチリストにサブページを入れ忘れるケースはありがちだし、同意できる。

ではなぜKanbun氏ばかり非難されることになったかといえば、結果としてSu-no-G氏がウィキブレイクしたからという点に尽きる。根拠としてはノートなどでの編集履歴をあげておこう。ウィキブレイク宣言を境に、簡潔案反対意見が皆無になり、賛成意見のみとなったのが分かるはずだ。(宣言前には明確な反対意見が3つ寄せられていた。)このコメント依頼を読むような利用者には言うまでもなく、Su-no-G氏の日本語版に対する貢献度はかなりのものだ。専門的な知識があって、記事が書けて、議論への参加姿勢も丁寧で、問題利用者への対処も上手で、大きな欠点がない。(今回のウィキブレイクは唐突で本音が分からんが。)元管理者でもあり、現在就任中の管理者の大半よりも、コミュニティからの支持率は高いんじゃないか?一部に嫌ってる粘着もいるようだが、これは日本語版で名の知られてる利用者としては普通のことだしな。(粘着されてる状態が普通なのは、日本語版の病的な点。)

そんなSu-no-G氏が突然ウィキブレイクしたもんだから、周囲が仰天した。「すのじーがウィキブレイク!?なんで!?」→「あそこの議論が原因か。相手は誰だ」→「かんぶんとかいうヤツが余計なことしやがったんだな」→「おいかんぶんおまえのせいなんだぞ、反省してんのか?」→「うわ、ぜんぜん反省してねえ。俺は正しいって反論してきたよオイ」→「ふざけんな。おまえがすぐに消えれば、すのじーが戻ってきたかもしれないのに……!!」→差し戻し強要に非難殺到、かんぶんフルボッコ…………妄想だけどな。(外してると言われそうだ。)

より踏み込んで、Su-no-G氏とKanbun氏の立場が、逆だったらどうだろう?と妄想してみると興味深い。「かんぶんがウィキブレイクだってよ」→「誰だっけ?そんなヤツ知らねー」→「相手はすのじーか。じゃあかんぶんとやらが悪いんだろ」→「そりゃそうだ。すのじーが間違ってるってのは滅多にないしな」→差し戻し強要にも異論は出ず、以後はすのじー主導で議論が進む…………妄想だけどな。(外してると言われない予感。)

なんでこうなるんだ、という原因は、Su-no-G氏とKanbun氏の日本語版コミュニティにおける位置づけの差だろうな。格の違いと言ってもいい。日本語版において、貢献度/知名度/信用度/信頼性/重要性/存在感などなど、あらゆる評価でSu-no-G氏がKanbun氏を上回っていると断言できる。簡単に図式化すると「Su-no-G>>>>>>>>>>Kanbun」というところか?方針上、すべての利用者は対等であると謳われているが、ありゃ建前だ。(……失言だ、本音じゃない。)要は、Kanbun氏が逐一コメントに反論していたのは無駄どころか火に油を注ぐ逆効果だったってことだ。いろいろ主張したいのも自然とはいえ、主張の内容で非難されてたんじゃなく、感情や状況で非難されてたんでな。(尻馬に乗ってるヤツもいたが。)「悔しい、理不尽だ」と思うのは甘い。主張の内容より発言者の地位や関係が重視されるなんて、現実世界では、ごくあたりまえ。

結論として、Kanbun氏に対する制裁は不要、しばらくウィキブレイクするのはいいかもしれん。今回で懲りただろうから、今後は、相手を見てケンカを売ることを推奨する。もしケンカを売った自覚がないのなら、言動にはもっと慎重になるべきだ。--本音と妄想 2010年4月25日 (日) 08:54 (UTC)[返信]

  • コメント - 手続きをちゃんと踏んで行った変更であるのに、俺/私が知らなかったから全部戻しますね、議論も一からやり直してくださいね。と、やられたら誰でも感情が爆発しますわな(Su-no-Gさんはウィキペディアから去るという選択をされましたが)。今度から方針やガイドラインに手を加えるときは、その都度、Kanbunさんの会話ページに赴き、お伺いを立てないといけないようですね。この言い様はあんまりだと思われるかも知れませんが、他でも同じように「知らなかったから取り消し!」とされてしまうことを勘案すると回避策としてはそうなってしまうんです。--akane700 2010年4月25日 (日) 09:49 (UTC)[返信]
へのいちです。下にも書きましたが、Kanbunさんは“自分が知らなかったから”というような理由で動いていたのではなくて、“メインのノートでやるべき話ではないか”という観点から動いていたのだと思います。ですから、Akane700さんのその言い様はあんまりだと思います。--へのいち 2010年4月26日 (月) 15:55 (UTC)[返信]
サブページでやるか、「メインのノート」でやるかってのは小理屈でしかないと考えます。誰にもバレないように隠してやってたのならともかく、メインのノートにちゃんとリンクはつけてたし、告知もされていたんです。そして、合意もとれていた形です。百歩譲って、メインのノートでやらなければならなかったとしても1人よりも多くの合意があって行われた変更を無に帰すような一連の行動こそあんまりでしょう。井戸端でさえサブページ化してるのにここでのサブページでの合意は無意味と主張しだす意味が分かりません。「小さなこと」で合意を反故にされてはたまったもんじゃない。ホントに。--akane700 2010年4月26日 (月) 20:22 (UTC)[返信]

コメント 件のノートに、「対案を出しました」としてサブページ「/簡潔案」のノートへのリンクが張られました。私は、「/簡潔案」のノートでは簡潔案自体を案として練り上げるためのやり取りがあって、簡潔案を採用するかどうかということについては親ページのノートで話し合うんだろうなと思って見守っていました。この点、Kanbunさんの感じ方と同じだと思います。また、Kanbunさんの問題提起は、“自分が気づかなかったから納得できない”ということではなくて、簡潔案を採用するかどうかということについて“親ページのノートのほうに書いておかないと他の多くの参加者も面食らうんじゃないだろうか”という観点からなされていたように感じました。その後の話の進み具合を見ると、“告知は十分になされていて親ページのノートに書く必要はない”という意見が多数のようでしたが、Kanbunさんの問題提起や話の進め方自体に問題があるとは思いません。--へのいち 2010年4月26日 (月) 15:55 (UTC)[返信]

  • コメント簡潔案の適用について節冒頭では「私はそもそも本方針文書の大幅な改変については本ノートページで議論をし、合意を取るべきと考えましたが、上記編集の実行者であるSu-no-Gさんはサブページでの議論をふまえて、改変は合意を取れていると考えられておられるようです。私は改めて簡潔案にするか現状の解説付きの状態のままにするかはここで議論すべきと思い、節を立てました」とあります。手続き上改変の合意は得られていると考えるのは妥当ではないとKanbunさんが考えている節があるので、当該ノートでも手続きについての意見が集まったのではないでしょうか。
    手続き上は合意が得られていた、とぼくは考えます。合意に不満であるならば、改めて議論をすることもできます。しかし、「すべき」という表現は適切ではなかったと思います。また、簡潔案をガイドライン化していたならともかく、草案の書き換えにあたっては、経緯説明と本方針文書での再議論は、Su-no-Gさんに「求め」るのではなく、「お願い」するのが妥当だったと思います。告知は「お知らせ」ほかで「念入りに」なされていたと思います。投票は必要がないならば避けた方が良いことでもあります。異論がないまま、草案の書き換えにまで投票をする必要は感じません。圧倒的に簡潔案に対して否定的な意見が集まったのならば、元に戻すことは問題ないと思います。議論の期間や参加人数についてですが、すんなり合意が得られれば時間はかかりませんし、参加者がこなければ人は増えません。作業を行ったところで、より多くの人の目に触れ、そこで気づいた人によって再度議論がはじまることはあるでしょう。そういう意味も含めて、合意を経て、ガイドライン化ではなく「草案の書き換え」というステップを踏んでいたのだと思います。
    Su-no-Gさんへの配慮も感じましたが、手続き上は合意が得られていた、と捉える立場からは、Kanbunさんは、手続き上の十分ではなかったことを前提として振舞っているように見えました。これは、実際に作業を進めてきた側からすると、かなり不快に思うことでしょう。
    ただ、それだけでSu-no-Gさんがブレイクするほどのものではないでしょう。Kanbunさんは、Su-no-Gさんのこの[17]発言が意味する状況を把握し、「対応」を「ご検討」されているでしょうか。この背景が見えれば、Su-no-Gさんの振る舞いは、いくらか見えてくると思います。これが見えなければいけない、見えなければ意見をするな、というようなことではないとも思いますから、Kanbunさんへの批判ということでもないのですが、だからこそSu-no-Gさんも身をひくというかたちをとったのかなとも思います。--Ks aka 98 2010年4月26日 (月) 20:02 (UTC)[返信]
  • コメント Kanbunさんへのコメント依頼ですので、そこに特化してコメントします。Su-no-Gさんのウィキブレイクの原因全てはご本人でなくては分かりません。Kanbunさんの行動への批判といっても、ご自分で認識されておられるとおり「やや強引な行動」を取るべきではなかったのではないか、という程度に止まります。よって制裁を科すような話でもないかと思います。もし、Kanbunさんご本人がSu-no-Gさんに対し申し訳なくお思いなのでしたら、この発言にいうところの「対処」をはじめ、これまでSu-no-Gさんがコミュニティにおいて果たしてこられた多くの役割の一部なりともご理解のうえ、今後の活動に活かして頂ければ宜しいのではないでしょうか。--ろう(Law soma) D C 2010年4月27日 (火) 02:39 (UTC)[返信]
  • コメント 少々長いので3分割しています。ご了承ください。まず、Kanbunさんは以前から当該項目の議論に参加され、ホスト的な立場を務めてこられたと同時に、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/意見投票20061209においては当初案、簡潔案いずれでもよい、との態度を示されてきた経緯があります。今回、素案がスのGさんによって簡潔案に上書きされたのを差し戻したのは、1. 誘導された簡潔案のノートでは到底議論が尽くされたようには見えないこと、2. 該当ページのノートでなぜ上書きの確認をとろうとしないのか、という2つの疑問が理由だったと理解しています。このことは、私も含めて、かつて当該ノートで議論に参加していた者からすると、ごく当たり前な感覚だと思っています。おそらく、Kanbunさんは、かつてご自分がホスト役を務めてこられた経緯と、それまでの当該ノートでの議論参加者への責任感から、この2点を解決するためには自ら矢面に立ち、非難を引き受ける覚悟であえて差し戻しされたものでしょう。
  • この差し戻しは結局多数の支持を得られませんでした。しかも、上記2点の疑問についてもほとんど顧みられなかったように見受けます。スのGさんが撤退表明されて以降寄せられたコメントは、簡潔案を支持するという態度表明がされるのはまだいい方で、それも理由が示されることはほとんどなく、単に手続きとして制度的に瑕疵はなかった、要するに最初からなにも問題はなかった(にもかかわらず、Kanbunさんが一方的に暴れた)という主張が多数でした。あとは、この文書の逆説的な性格に便乗した当てこすりと揶揄、そして感情的な悪罵でした。とはいえ、そうした「意見」でも、簡潔案のノートで交わされたやりとりを支持・補強するのにある程度は役に立ったであろうこと、かつ、コメントが集まったことで上書きの確認という点でも一応の目的は果たしたということで、当面収束に同意されたものでしょう。
  • 残念ながら、Kanbunさんの問題提起はいまでもきちんと受け止められていないと思います。とくに、手続き論に拘泥するつもりもなく、簡潔案が気に入らないから恣意的に差し戻したのでもなかったのに、そうであるかのように見なされたことは心外だったろうと推測します。率直に言って、これはKanbunさんの問題提起のやり方が激しかったためにかえって反発されたことがあったと思います。スのGさんが撤退されたことも大いに影響したでしょう。また、その後もKanbunさんは相手しなくてもいいようなコメントにもすべて応答され、かえって本題から離れる方向に刺激した感は否めません(もっとも、これはKanbunさんお一人の話ではありません)。しかし、もっと別のやり方があったかもしれないからといって、Kanbunさんの問題提起自体が否定されるべきものなのでしょうか。私としては、すでに当該ノートページにおいて簡潔案への反対とその理由をお示ししており、項目の方針化までの間に、この点を含めてもう少し有意な議論が交わされることを望んでいます。しかし、この間の経緯を見ると、それはないものねだりなのかもしれないと思うようになりました。--みっち 2010年4月28日 (水) 09:19 (UTC)[返信]
  • Wikipediaの依頼や各ノートのような合議体では、「どのような状況に至れば合意が形成されたと言えるのか」はかなりあいまいなものとならざるを得ず、合意が形成されたのか否かという点でなかなか合意が成立しないというギャグのような状況もけっこう存在します。ただ、基本線として、「合意が形成されたと認識するには慎重であるべきだ」ということと、「合意が形成されていないと断定するには慎重であるべきだ」ということは、言えるのではないだろうかと思います。おれに関して言えば、過去に2シリーズほどガイドライン文書を立ち上げ、合意の取り付け作業を行いましたが、「ガイドラインとするに足りるものとなった、という合意の形成を確認し、ガイドラインとしての宣言を行う」作業は、他のひとにまかせました。起草者が宣言を行うのは、わが子かわいさというバイアスがかかっている可能性があると懸念したためです。さて。
    Wikipediaにおける合議では、参加者が少ないことが珍しくありません。ただなんだ、WIKIというシステムの特性やユーザのスキルが大胆に異なるってゆーか広いダイナミックレンジを持っていることを考えると、集中して審議をするのはせいぜい10名程度が限度だし、長くやっていても雲散霧消しがちであり、「参加者が少なく、期間が小規模である」ことをもって合意は形成されていないということはできないんじゃないかと思います。今回の「形成された合意」については、告知状況・参加者数・期間の両面から、合意に質的な不安があるということは困難ではないかと思います。期間はそれなりに十分に取られていましたし、標準的な告知はなされたにもかかわらず参加者が少なかったけど、それは「ま、どうでもいいことだ」と思ったひとが多かったからではないかと思います(おれに関しては、特に異論はなかったし、記事空間以外の編集履歴はあんまし増やしたくなかったし、手広く議論をしている暇もないし、「これは放置でよし」と判断してろくに読んでいませんでした。ジンボ的には重要なんだろうしWikipediaのある種の好ましいアナーキーさを裏付けるものでもありましたが、かなり高度な理解力がないと使えない文書でもあって、わかりやすいものである必要はないのではないか、みたいな感じ)。
    もちろん、誰かが「合意は形成されました」と宣言したとして、常に合意が形成されたと判断できるわけではありません。たとえば「標準的な告知がなされておらず、参加者が少なく、期間も短い」みたいなやつ、言い方を変えれば「反対者がなるべく来ないように、賛同者のみ(時としてひとりだけで)こっそりやって一週間反論がなかったから合意は形成されましたと宣言する」ようなやつ、こういうのはときどきありますけど。でもそれ、「合意として質が低い」ってよりは「そもそも合意が形成されていない」と考えるべきなんじゃなかろうかとか思ったりして。
    おれ、有効に「合意が形成された」という宣言が出たあとに「その合意は無効だあっ!」と叫んでリバートするというのを「ちゃぶ台返しの術」なんて呼んでますけど、おれもなんかでやったよなあと思って探したのだが、「これ」てのがみつからなかった。単に「合意が形成された」という宣言が出た後に「それは合意が形成されたとは言えない状態だろ」と思って猛然と反論してひっくり返したケースはいくつかありましたけど。Wikipediaにおいては、一事不再理原則なんかはなくて合意はいつでも再検討できるものであり、いったん有効に形成された合意は、それなりに尊重されるべきだろうと思います。
    現実問題、今の時点でのアクティヴな編集者が何人いるんだかおれは知りませんが、議論参加者が5人だろうが10人だろうが50人だろうが、おそらくいずれにせよ「全編集者数の2%以下」であることに違いはないと思うんですよね。そんな視力検査みたいな数字で質は判断できないんじゃないんだろうか。また、異論がないから参加しなかったバックグラウンドは参加者数からは推測できないということも指摘しておきたい。大モメにモメた管理者解任投票ですら投票総数が200票いかないんだから、そんなもんだと思っといた方がいいんじゃないだろうか。
    Su-no-Gさんのブレイクについては、Su-no-Gさんに理由を聞かないとわかりませんし、誰であろうともブレイクする自由はあるだろうと思いますので、特に意見はありません。ま、Su-no-Gさんのブレイクを理由として改めて当該議論を読んで意思表示をしたひとがそこそこいたってことはあり得る可能性ですが、要するにそれは「Su-no-Gさんのブレイク宣言がえらい告知能力を持っていた」という話にとどまるかと存じます。でも、ブレイクのきっかけを作ってしまったことについては深刻な反省を求めます。--Nekosuki600 2010年5月1日 (土) 17:09 (UTC)[返信]
  • Kanbunさんが簡潔案の議論に気づかなかったという再提案の根拠はまったく身勝手だと思います。例えば議論参加者が少ないとか討議期間が短いなど客観的なデータを根拠にすべきでしょう。しかし、その後の議論ではホストとして冷静に対応され、素直に提案の取り下げもされており特に問題は見当たりません。Su-no-Gさんのブレイクは彼あるいは彼女自身の責任においてなのでKanbunさんが気にする必要はまったくありません。むしろ気軽に議論に参加できる場を作るためにも些細なことにはこだわるべきではありません。--いんでぃご 2010年5月1日 (土) 17:43 (UTC)[返信]
  • >>へのいちさん、いんでぃごさんへ。
[18]にて「どういう経緯でそうなったのかがわかりません」との発言。[19]にて「私自身はどこでかわからないのですが、合意が形成された(?)ということで、」との発言。Kanbunさんの主張は「メインのノートでやるべき話ではないか」ではなく、「サブページで行われたため、自分は議論の場所を把握できなかった。だからメインのノートでやるべきだった」です。そこのところ誤解無きよう。--akane700 2010年5月7日 (金) 14:00 (UTC)[返信]
  • へのいちです。改めてその発言を読み直しましたが、akane700さんの誤読ではないかと思います。たしかに、「自分は議論の場所を把握できなかった」、「メインのノートでやるべきだった」ということは書かれていますが、その間をつなぐ「だから」については書かれていないですよね。つまり、「自分は議論の場所を把握できなかった」というのは単なる付帯状況に過ぎず、それを「メインのノートでやるべきだった」ということの根拠にしているわけではないと読み取れると思います。いかがでしょうか。--へのいち 2010年5月7日 (金) 16:49 (UTC)[返信]
  • [20]にて「「おれは知らなかった=告知が甘い」という抗議うんぬんについては、私はまったくブラックユーモアでやっているのではなくて、大真面目にやっています」ともKanbunさんはコメントしております。これでも根拠ではないとのお考えでしょうか?--akane700 2010年5月7日 (金) 20:23 (UTC)[返信]
  • では、「メインのノートでやるべきだった」の本来の根拠は何であるとお考えでしょうか?ただなんとなくメインのノートでやるべきだったとKanbunさんはお考えだったのでしょうか?--akane700 2010年5月7日 (金) 20:23 (UTC)[返信]
一週間以上無回答のようですし、Wikipedia・トーク:ルールすべてを無視しなさいを熟読していただければ、「サブページで行われたため、自分は議論の場所を把握できなかった。だからメインのノートでやるべきだった」で間違いないことが自明ですのでこの件はこれで終わりにしましょう。--akane700 2010年5月18日 (火) 08:27 (UTC)[返信]