コンテンツにスキップ

Wikipedia:コメント依頼/Miya 20100304

先月から、就任(解任投票の結果留任となった方、ビューロクラット・チェックユーザ係として信任された方はその時点)から4年以上が経過した管理者に対して、1週間に1人のペースで順次解任動議を提出しております。このように、各管理者の解任動議提出の4週間前には、告知を兼ねたコメント依頼を提出いたします。この計画についてはWikipedia‐ノート:管理者/任期制導入の提案をご覧ください。2010年3月31日(水) には、Miyaさん会話 | 投稿 | ブロック | 保護 | 削除 | 移動に対する解任動議を提出する予定です。ここでは、管理者としてのMiyaさんの活動について、コメントをお願いいたします。--氷鷺 2010年3月3日 (水) 16:38 (UTC)[返信]

経緯[編集]

Miyaさんは、2004月12月21日に管理者に就任されました(賛成32票、反対0票、無効0票)。その後、現在まで継続的に管理者業務に携わっていらっしゃるようです。2007年6月にある記事での保護解除が権限乱用だとして、ちゃたま (Chatama) さんにより1週間の投稿ブロックをかけられています(これについてはコメント依頼のMiya_20070623およびちゃたま_20070624を参照)。コメント依頼がその他に2件あります(2005年4月2007年5月)。投稿ブロック依頼が、いずれも悪戯・嫌がらせのようなものですが2006年5月に2件(12)あります。解任制度がまだ草案段階であったころに、模擬投票が行われています(管理者の解任/Miya_20060701)。--氷鷺 2010年3月3日 (水) 16:38 (UTC)[返信]

被依頼者からのコメント[編集]

まず、コメントをお寄せくださった皆様にお礼申し上げます。 私の言葉や対処に対していただいた苦言につきましては厳粛に受けとめさせていただきました。また容認や擁護のコメントをくださった方々には深く感謝しています。

ただ、実際の言動について、もっとこうすべきという批判は謹んで承りますが、事実に基づかないコメントにつきましては、訂正をお願いしたく思います。解任投票がらみの自己弁護、と受け止められたくないためにコメントを控えておりましたが、投票が一応終了したので、下に書かせていただきます。--miya 2010年4月11日 (日) 12:46 (UTC)[返信]

  • Wikja-l管理人について:Hatukanezumiさんは 2010年3月17日 (水) 04:13 に "wikija-lの管理人になって手伝おうかと (メールで) 申し出たところ、Miyaさんから「(jaWPの) 管理者がやるべきだ」との理由で断られました。"と書いておられますが、私は「(jaWPの) 管理者がやるべきだ」とは言っていません。wikija-lの「管理人就任には、WP上とWikiJA-l上の両方で承認されることが必要だと(私は)思います。少なくとも反対多数ではない状態が必要ではないでしょうか、一応、WPの公式リストですから」と書いたはずです。ご確認ください。--miya 2010年4月11日 (日) 12:46 (UTC)[返信]
コメント それだけでしたか? ご確認ください。ていうか、こういうことになるから言いたくなかったんけど。
それと、「事実に基づくコメント」についてのコメントはいただけないんでしょうか。 --Hatukanezumi 2010年4月11日 (日) 14:07 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • (コメント)ブログで陰湿な陰口を叩き続ける[1]ような輩は放逐されるべき。GcG 2010年3月6日 (土) 11:36 (UTC)[返信]
  • (コメント)非管理者による方針の改定に、Miyaさんが反対されたことが何度かありました。それ自体には何の問題もありません。しかし、提案者が非管理者であるという事実を利用して、提案の内容を評価し、提案に反対するのはおやめいただきたいです。そのような手法は論理的ではないし、後述する事例ともあわせてご自身のブログで「方針を改訂したい人は、まず管理者になって対象の権限行使を実地で多数経験してから、方針改訂に臨んでほしい」と発言されるなど、管理者は特別であるという意識がどこかにあるのではないかと、疑いの目をもって見てしまいます。--ZCU 2010年3月6日 (土) 12:47 (UTC) 修正。長らく放置してしまい申し訳ありませんでした。--ZCU 2010年3月29日 (月) 14:18 (UTC)[返信]
  • (コメント)被依頼者は3年近く前、LTA:NODAによって提出されたWikipedia:投稿ブロック依頼/野田文憲のブロック追認依頼を出し、追認に賛成する意見が一つも付かないまま放置しているようですが、管理者として少々無責任に過ぎるのではないでしょうか。--Keysrapid 2010年3月7日 (日) 15:21 (UTC)[返信]
  • コメント 解任投票が目的なんですか? ならやればいいんじゃないかな。
    過去に、訴訟リスク (という表現も疑問だが) が想定され得る事案に関して、被依頼者が何度か管理者権限を要しない編集と要する編集とを組み合わせて対処した例については、履歴でも見ることができるのでわたしも知っています。わたしなどは書棚の奥で埃をかぶったような分野の記事しか書きませんので実害はないのですが、時事的あるいは社会的に論争のある話題について記事を書くひとには、こういった事例を見てウィキペディアでの執筆に二の足を踏むひともいるでしょうね。記事を書いた結果そういう事案にたまたま該当し、紛争に巻き込まれたら、Miyaさんのようなひとはさっさとわたしをウィキペディアから厄介払いして「訴訟リスク」を回避するのでしょうから。
    しかし、このことをもって「管理者権限の濫用だぁ」と言うつもりはわたしにはありません。管理者は単に、より広い編集権限を持っている利用者でしかないのですから、一般利用者の編集や改名や白紙化と同様、その編集権限行使 (ひとつひとつの編集も利用者の権限行使です) に個人の嗜好が反映されることは当然のことですし、それに対するコミュニティの抑制はこれまでも働いてきたとおもいます。一般編集者と同じく管理者は複数いるのですから、どうしようもなくまずい編集 (権限行使) はだれかがリバートするでしょうし、リバートされなかったのならそれは記事にとって致命的な変更ではなかったのでしょう。以上のような意味において、わたしは被依頼者が利用者としての行動になんらかの評価を受ける機会はあるべきだと考えますが、それはsysop権限をどうこうするという話ではありません。<br\>そういうわけで、被依頼者のシステム上の権限がどうなろうとかまいません。 --Hatukanezumi 2010年3月9日 (火) 14:52 (UTC)[返信]
  • (コメント)Miyaさんは、info-jaチームの中心となって、外部からの苦情に対する応対を引き受けています。プロジェクトの要の一つであり、欠かすことができない人材です。しかしMiyaさんの活動については、まさにこれのせいで誤解を生じ、感謝されにくい側面があります。
まず第一に、苦情受付は必要であり、その応対や処理の過程は公開するわけにはいかないということは理解していただきたいです。ウィキペディアは法の上にある存在でも、法の外にある存在でもないので、外部の人が社会通念上妥当な手段で苦情を持ち込んできたとき、ウィキペディアのルールに従うよう命じることはできません。つまり、苦情メールは受け付けねばならず、そのメールは相手の許可なしには公開できない、ということです。
info-jaが相手の要求を突っぱねた場合には、その痕跡は表に出ません。苦情があった、ということさえわかりません。稀に管理者MLに話が流れてくることもあり、私はそれで知ることがあるのですが、普通には保護などの制限的なアクションを起こしたときにだけ、その結果だけが現れます。そういうわけなので、Miyaさんの活動の全容はその履歴からだけでは判断できません。見えないところ、書けないところに苦労と成果があります。
Miyaさんの仕事は、苦情に対して唯々諾々と従うものではありません。「紛争に巻き込まれたら、Miyaさんのようなひとはさっさとわたしをウィキペディアから厄介払いして「訴訟リスク」を回避するのでしょう」とは妄想が過ぎます。しかし、すべての要求に対して突っぱねられそうなところはとりあえず全部突っぱねてみる、というものでもないはずです。法的な問題の評価や、実際の訴訟リスク、百科事典作りに負わせるマイナスを勘案して、落とし所を探ることになります。info-ja対応そのものを否定して、裁量で動くのがけしからんとか、全部公開議論で決定しろとかいうのは非現実的というものです。(代わりに、対応件数と傾向を記した年次報告を出すのが、理解を得る手段としていいだろうと私は思っています。が、それもまた一仕事であり・・・。)
また、管理者は特別な存在ではないとの意見に関連することですが、内部的にはそれが通用しても、外部に対応する場合にはそうはいかないところはあります。ウィキペディアンの間で一目置かれる人でも、一利用者としての資格で苦情を処理しようと乗り出してどうなるかというと、話し合いの相手として認めてもらえない可能性が高いでしょう。内部議論への参加と発言の重みにおいて、管理者を特別視しないという考えは、原則として堅持しましょう。決定はコンセンサス方式の議論でまとめる、というのも大切な原則です。しかしその原則がそのまま貫き通せない限界点は確かにあり、外部との接点がそこなのです。
このところは「受け」のMiyaさんと、「攻め」の海獺さんが、それぞれ外を相手に苦情をやりとりする仕事の中心になってきました。その際、こちらの希望が100%通らないのも、決定過程が見えないのも、仕事の性質からして仕方がありません。我々の希望に反する結果については、不満は当然残るでしょう。でも渉外とはそういうものです。内部の希望がそのままかなうのは、内部自治に関することに限られます。内部が世界のすべてというふうに考えてはいけないのです。
法的問題についてMiyaさんより詳しい人はいるので、そういう人が代わろうとか、手伝おうとかいう動きがあるなら歓迎します。私の頭の中にも、人を駒のように動かせるものならこの人にinfo-jaの面倒をみてほしいと思う方はいます。しかし、労多くして報われることが少ないとわかっていて、自分でもやりたくないと思っている仕事を、軽々しく他人に頼むことはできません。今私にできるのは現に引き受けてくれている人に感謝し、これからやろうする人を支持することだけです。そういうわけで、渉外の面倒を引き受けるつもりがない人や、そもそもそういう事情の存在を認識していない人が、「Miyaが悪意か無能かでウィキペディアに害をなしているのだ」というが如き論をぶち上げるなら、くみすることはできません。--Kinori 2010年3月13日 (土) 03:00 (UTC)。一部取消し--Kinori 2010年3月17日 (水) 10:32 (UTC)[返信]
  • コメント わたしが上のコメントのように、被依頼者の判断に、ときに疑問をもっていることは事実です。それは、被依頼者とのこれまでのやりとりの中で感じたことでもあります (かならずしも公開の場でされたやりとりとはかぎらないので、ここでは述べませんが)。
    上でわたしは、まあ簡単に言えば「管理者として、『言論・出版の自由』とか『通信の秘密の保護』とかいう大文字で語られるようなことを、ちゃんと意識して活動しているのかどうか、疑問におもう (それは管理者であるかどうかに関係ない)」と言ってるわけです。それに対して「がんばってくれてるんだから批判はやめましょう」みたいなこと言われるのは心外です。そもそもウィキペディアって、そういうアメリカっぽい思想の土壌の上に構築されてるわけで、だからアカウントによる匿名性確保をシステム的に保証するとか、多重アカウントを完全に排除はしないという創立者の言明とかがあったりするわけですよ。そういった政治文化をウィキペディア日本語版もいやおうなしに引き継いでいるということに対して、Kinoriさんのコメントは、正直言ってかなり無頓着、無神経だとおもいます。なんかわかってもらえそうにない気がするのでもうコメントしない。 --Hatukanezumi 2010年3月13日 (土) 15:21 (UTC) と言いながら補足。コメントしながらわたしが気にとめていたのは、「水商売ウォッチング」の事例 (このサイトは、ウィキペディアのいくつかの記事でも信頼できる資料として参照されています) でした。Kinoriさんのコメントがなかったらここまで言うつもりはなかったんだけどね。 --Hatukanezumi 2010年3月13日 (土) 15:50 (UTC) small fix --Hatukanezumi 2010年3月14日 (日) 11:22 (UTC)[返信]
  • miya様に抜けられるとinfo-ja対応に与える影響が大きすぎ、しかもその穴を埋める人材がなかなか見つからないから積極的に解任しようとは思わない、という点ではKinori様の見解に同意します。しかしながら、それを以っていかなる批判も許さないというのはどうか、というのは私も思います。Nekosuki600様やHatukanezumi様が仰るように、私もmiya様のjawpの管理者としての活動の成果には疑問点を感じるところはあります。そしてその原因としては、「義理」やら「人情」やらに厚すぎて、議論の場での発言や管理者としての権限行使において中立性を欠いてしまうのではないかと、私は判断しています。「義理」やら「人情」やらというのは日本の文化なのかもしれませんが、管理活動の上で(と言うか通常記事の執筆・編集においても)それらを入れてしまえばその時点で中立性を損ないます。もっとも逆に言えば、せめて管理活動にあたられる間だけでも「義理」やら「人情」やらを捨てて中立性を維持していただければ、commonsでの管理者としての活動実績がそれを物語っているように、管理者としてはかなり有能な方なのではないかとも、私は考えています。いずれにせよ、こちらでも申し上げましたが、jawpはあくまで「日本語版」、グローバルな場で日本語を道具として使用しているのみなのであって、「日本版」でも「日本」でもないということを、miya様、Kinori様ともに、十二分にお考え頂きたいと思います。Yassie 2010年3月13日 (土) 23:49 (UTC)[返信]
  • (コメント)少なからず、管理者としての判断の方向性に疑問を感じることがあるということは、表明しておこうと思います。情に流されることが多い、という印象もあります。Wikipediaが小規模であった時代には人的統治というか、情を重視するという方向性はあり得たと思うものの、現状ではもうそれは通用しないのではないかとも思うわけです。おれが感じる違和感は、そのあたりが原因なんじゃないかと、おれは判断しています。また、そういう観点からスタイルを見直すことを再三にわたってお願いしてきましたが、いまのところそういう指摘に対しての考察がなされたようには見受けられず、たいへん残念に思っています。--Nekosuki600 2010年3月13日 (土) 11:02 (UTC)[返信]
  • コメント Miyaさんの管理者権限行使に関する否定的コメントが複数回出されておりますが、管理者は無謬な訳ではありませんし、表に出にくい様々な対処(info-jaチームの仕事もそうです)も含めて総合的に見る限り、要求される水準以上のバランス感覚の持ち主だと思います。否定的なコメントを出されている皆さんも、指摘・批判を以て管理者権限の与奪にまで繋げるものではないとは思いますが、この場が解任動議を前提としたものである以上、念のためコメントしておきます。--ろう(Law soma) D C 2010年3月16日 (火) 06:44 (UTC)[返信]
    • コメント はあ。むしろKinoriさんのようなコメントに対しては「こんなことで解任投票〔また動議をだすのでしょうから〕で解任賛成票がたくさんついたらどう責任とるつもりだよっ」とかおもってます (わたしはいままでどおり投票しませんから、反対票も減るのだし)。
      ウィキペディアが目的をもった活動である以上、オンオフ問わずたがいに親しくなっておくことは大切だとおもいます。ただ、Miyaさんの周辺ではなぜかしばしば「善意の過剰な強調」が見られることに、違和感を感じています。善意なんて信じないぜへへっ、とか言ってるんじゃないですよ。「彼/女が善意でやっていることに対して疑問をさしはさむなんて、悪意で言ってるんでしょうあんたはっ」といった感じの、とっても感情的な反応にしばしば遭う、ということです。これって善意にとるという原則に反しませんか。
      Miyaさん自身がそういう反応の原因に自分がなっているかもしれないことについて、考えて、コメントしてくれるといいとおもいます。無理にとは言わないし、ここでなくていいけど。 --Hatukanezumi 2010年3月16日 (火) 11:58 (UTC)[返信]
      • コメント (えっとインデントの位置から見て形式的にせよ私へのご意見だと思いましたのでお返事いたしますが、)そういう見方も出来るのですね、以上の感想はありませんが、下でもKinoriさんが書かれているように「この場が解任動議を前提としたものである以上」、被依頼者の否定的側面の強調だけでは好ましくありません。被依頼者が解任された場合のメリットとデメリットを逐一挙げていき、皆さんがそれらを参照しながら解任投票にご参加頂くのが筋でしょう。Kinoriさんのご意見は単に被依頼者が解任された場合に生じるデメリットを指摘しているものと認識しております。今回、この場で否定的コメントを出されている方々であっても、単に被依頼者に欠点を自覚して頂ければ再任されてもよいと思っていらっしゃる方から、解任すべきという方まで様々ですが、Kinoriさんが書かれるまでは「解任のデメリット」について明確に書いた方はいらっしゃいませんでした。--ろう(Law soma) D C 2010年3月17日 (水) 01:58 (UTC)[返信]
        • コメント ではろうさんは、この場に「渉外の面倒を引き受けるつもりがない人や、そもそもそういう事情の存在を認識していない人が、『Miyaが悪意か無能かでウィキペディアに害をなしているのだ』というが如き論をぶち上げる」ひとがいると考えますか。わたしはこれを、この場で批判的なコメントをしたひとへのあてこすりだと考えました。わたしがそう考えたのには、ひとつ理由があります。言わないつもりだったけど言っちゃいます。
          上でZCUさんが「あるひとの提案に、管理者でないことを理由に反対した」という事例を挙げておられますが、わたしはかつてwikija-lの管理人になって手伝おうかと (メールで) 申し出たところ、Miyaさんから「(jaWPの) 管理者がやるべきだ」との理由で断られました。Tomosさんの呼びかけに応じてMiyaさんとBellcricketさんが管理人に加わったときは、そんな「資格制限」はついていませんでした。ので、その後作られた内規なんでしょう (「内規」という表現はもちろん皮肉です。そんなことが決まったことは、当事者以外の誰も知らないのですから)。
          管理者の仕事に苦労が多いことは、わたしも不十分ながら知っています。しかし、だからといって批判に対して否定的にしかとらえられなかったり、管理者以外の連中はわかってないのだとばかりに境界をひいたりするのなら、当方とてもお手伝いなどする意志はありません。勝手に苦労してなさい。
          最後に、ろうさんの意見を読んでわたしは、管理者の行動について評価するのに解任投票を使うことは適切でない、との以前からの確信をいっそう強めました。批判が解任という形でしかあらわれないというこの「制度」、いったいいつまで続けるつもりなんでしょうかね。 --Hatukanezumi 2010年3月17日 (水) 04:13 (UTC)[返信]
          • コメント Kinoriさんの発言について私がどう考えるかですが、少なくとも最初の方を除いては該当しないと思います。最初の方についても真意は存じ上げません。「あてこすり」であったかどうかは分かりませんが、そのように受け取られてもおかしくない発言でしたので、私も何となく適切でないように思います。皆ボランティアで参加しているのですから、Kinoriさんには、管理者以外で運営系に参加される方を減らす効果を持つ発言はしないで頂きたいと思います。
            次にMLの一件ですが、なるほどそのような経緯があったのであれば「管理者以外の連中はわかっていないのだ」的な発言に対しナーバスになるのも理解できます。ちなみにそんな「内規」があることは私も知りませんでした。
            なお、私は「批判に対して否定的にしかとらえられなかったり」したつもりもありませんしKinoriさんもそうだと思いますよ。あくまで投票に際しここを閲覧する利用者の方々が皆さんの前向きな批判を否定的にしかとらえないことを恐れただけです。実際解任動議に際しては、十分にメリット・デメリットを考慮して解任賛成票を入れる方がいる反面、人の尻馬に乗って賛成しているのではないかと思われる方もいらっしゃいます。ですので、Hatukanezumiさんでさえ「不十分ながら」とおっしゃるように、私もKinoriさんも管理者MLに流れてくる断片的な情報でしか知り得ない「苦労」については指摘しておかないと、閲覧する投票者に不親切だと思うのです。
            最後のご意見については、おっしゃるように「管理者の行動について評価するのに解任投票を使うことは適切でない」とは言えるかもしれません。もし「評価」だけが目的なら、解任を前提としないコメント依頼により評価すべきかもしれません。結果的にそのコメント依頼により解任すべきという方向性が出てくれば解任動議に移行すればよいのですから。そもそも今回の解任動議の試行は任期制の代用のようなものでした。であれば求められる「評価」とは管理者権限の行使などの適切性について、当該管理者の良い面と悪い面をどんどん出して両論併記したうえで、比較考量の上で留任か解任かを再度コミュニティに問うというものではないでしょうか。 --ろう(Law soma) D C 2010年3月17日 (水) 08:16 (UTC)[返信]
私ははじめから解任を念頭においた批判だと思っています。もし解任と切り離した批判の場が欲しいなら、普通のコメント依頼を出すべきではないでしょうか。それは全然禁止されていないし、過去にもたくさん例があります。
問題にされた一文で私が意図したのは、「あてこすり」ではなくて正面からの批判ですが、後で読み返して、不適切な印象・効果を与えるところは感じましたので、その点はお詫びします。「渉外の面倒を」の一文は取り消します。とりわけその前半部分は口に出すべきでなかったと反省しています。
ただ、どの箇所であれ、批判者に悪意があるなどと言うつもりはまったくありません。Miyaさんに悪意を想定したのはGcGさんですが、それも本気でそう信じての発言でしょう。多くの人にとっては、Miyaさんの善意はいまさら言うまでもないことで、その先の仕事の評価(つまり無能かどうか)が問題になっているのだと認識しています。
wikija-lについては、タッチしていないのでわかりません。なぜだろう、とは思いますね。--Kinori 2010年3月17日 (水) 10:32 (UTC)[返信]
  • (コメント)また長文になりますが、3月14日のHatsukanezumiさんのコメントからお返事をつけていきます。まず、批判するなとは一言も言っておりません。Hatsukanezumiさんが事実のある側面を指摘する。私が別の側面を指摘する。相互に批判がある。「批判を許す」とはそういうことです。『言論の自由』を大文字で説きながら、私のコメントを「Kinoriが言わなければ」という口調で咎めるのは、矛盾です。そして、ここから解任投票にもっていこうというコメント依頼で、擁護論が出ないことを期待するのはおかしいです。コメント依頼で擁護論が皆無なのに、解任投票では反対が集まるという結果が出たら、それはコミュニティの議論の衰退が極まったことを意味します。Hatsukanezumiさんがもし本気でそういう展開を期待していたのだとしたら、それは望むべきでない悪い展開だと言わせていただきます。
政治文化についてですが、思想・文化と無縁に存在する組織はどこにもないという意味では、ウィキペディアもインターネットの政治文化と無関係ではありえません。しかしウィキペディアの基本方針そのものは、(国政レベルの政治というよりむしろ組織論的な)政治思想を拒否するところに立脚しています。少し前までの「何ではないか」がアナキズムの実験場ではない、民主主義ではないとかと言っていたのは、政治文化から演繹する考え方への警戒でしょう。ことさらアナキズムや民主主義を槍玉にあげたのは、ウィキペディアがそれらから遠いからではなく、むしろ一番近いからです。匿名も多重アカもこの百科事典作りに都合がいいから採用しているまでのことで、組織原理として信奉しているからではありません。匿名が都合がいいのは、それが人寄せに役立つからです。なぜ役立つかと言えば、人々がそれを好むから、ということになるので、結局文化・思想と無縁にはなれません。しかし、それでも、そこから特定の思想を信奉しない人を責めていいわけではありません。英語版にジンポ・ウェールズが介入したのは君主制を信奉していたからではなく、今en:Office actionsが存在することにも政治文化的理由はありません。どちらも便宜によります。要するに、結論が同じになる場合でも、政治思想への挨拶はせずに、百科事典作りから話を組み立てろ、ということです。結論が違ってくるならなおさらです。
それと、Wikipedia:中立性Wikipedia:日本中心にならないようにはこの場の議論と関係ありません。どちらも運営の話ではないし、中立性の結論は「重要度でウェイトをかけた両論併記」です。日本中心も本質的には同じことを言っています。無理矢理人間にあてはめれば、様々な思想・文化の人を容れろ、ということになるでしょう。アメリカの一部の人の思想・文化を信奉せよという話にはなりません。それでも余談として付き合うなら、私は浪花節にもアメリカ人の処世術にも関心はなく、司馬遷を慕って趣味にその真似事をする者です。こういう場面で人を弁護するのは当然の因縁と言えます。
Nekosuki600さんが言う情に流れて、というところは、過去にAphaiaさん絡みでいくつか見られました。そこまで擁護するつもりはありませんが、Aphaiaさんがいない現状では実際上根が絶たれています。
その他個々のケースについて、もっとうまく対応しろ、ということなら、もっとうまくやれる人がいるでしょう。その人がやるのがよろしいです。しかしその際問われるのは性格でも思想でもなく、知識に裏付けられた自信です。人が代わったところで、付け焼き刃の知識と勉強で応対しなければならないなら、どこにどう問題が出るかが変わるだけで、実質同じことになります。--Kinori 2010年3月16日 (火) 22:54 (UTC)[返信]
  • (コメント・質問)突っ込みではなく論点の明確化ですが、Kinori様はつまるところ、Wikipedia:中立的な観点は記事に関するものであって運営に関する話ではないから、運営の上では、あるいは管理者権限の行使の上では中立性を維持しなくても許される、とお考えであるということでしょうか。なお、本質問に対するご回答によってはKinori様に対するコメント依頼を提出させていただくことも検討しておりますので、予めご留意ください。Yassie 2010年3月17日 (水) 04:22 (UTC)[返信]
Wikipedia:中立的な観点は記事に関するものであって運営に関する話ではない」 → そうです。この方針に運営に関することは書かれていません。
「運営の上では、あるいは管理者権限の行使の上では中立性を維持しなくても許される」 → いいえ。この方針にそんなことは書かれていません。
方針を引くなら、タイトルだけでなく、本文を読んで理解すべきだと思います。--Kinori 2010年3月17日 (水) 07:09 (UTC)[返信]
方針にどのように書かれているかということではなく、Kinori様がどうお考えであるかということを問うています。Kinori様は、運営の上で、あるいは管理者権限の行使の上で、中立性を維持しなくても許されるとお考えでなのでしょうか。YesかNoか、お答えください。Yassie 2010年3月17日 (水) 07:41 (UTC)[返信]
いいえ。許されないと思います。しかしたぶん、Yassieさんが考えている中立と、私が考えているのは、かなり違うものだと思います。この場でする話ではありませんので、続行するなら私の会話ページに移るか、別のコメント依頼を立ててください。--Kinori 2010年3月17日 (水) 10:45 (UTC)[返信]
そうですね。運営においても、中立性を維持しないことは許されないですよね。ならば、本コメント依頼で私を含めた複数の利用者が寄せている、miya様の管理業務、および管理者権限行使に対する批判はまさにその中立性に対してのものですから、本コメント依頼が妥当です。さらに言えば、Kinori様が仰るような「info-ja対応で頑張っているのだからいかなる批判も許さない」という庇い立ても、中立性を損なうものであり、許されないものであると私は考えます。
ちなみに私は、先のコメントでも述べましたが、miya様を積極的に解任しようとは思っておりません。「解任しようと思うか」ということに対しては明確にNoと言っているのだからNoですよ。ただmiya様には、管理業務において「義理」やら「人情」やらに流されて中立性を損なう癖が度々見られるので、それを直して欲しいだけです。そしてそれはmiya様だけでなく、Kinori様にも言えることです。Yassie 2010年3月17日 (水) 11:42 (UTC)[返信]
  • んー。「Nekosuki600さんが言う情に流れて、というところは、過去にAphaiaさん絡みでいくつか見られました。そこまで擁護するつもりはありませんが、Aphaiaさんがいない現状では実際上根が絶たれています」てのは、ちょっと甘くないか。誰かに対して批判的な意見表明がなされた場合のリアクションとかについて、同様の事象は続いていると思いますが。
    根は同じかもしれませんが、おれは前段で「管理者としての判断の方向性に疑問を感じることがある」と述べています。たとえば何かトラブルがあった場合に過剰に安全側に倒そうとするあたりに、「智は、ときどきだけど、戦わなければ守れないものである」といった悲しい原則への無理解も感じます。おれ、そこらへんに疑念を提示しているんで、妙に矮小化されても困ります。--Nekosuki600 2010年3月17日 (水) 11:23 (UTC)[返信]
  • コメント えーと、一般論として管理者には公平性が求められている筈ですので情云々について批判するのは一定の側面においては理解できるのですが、安全側に倒す方向性というのは、利用者間でもおそらく意見の相違があろうかと思いますので、猫が好き♪さんの価値観では疑問を感じる、ということにすぎないのだと思います。私自身、個人的には、「智は、ときどきだけど、戦わなければ守れないものである」という切ない原則には抗えない思いを抱いておりますが、少なくともコミュニティを守ろうとする場合に、状況に応じては、節を曲げ訴訟リスクを回避したり、論争の先送りを図ったりということがあり得ることも認識しております。その辺の基準なりレベルというものは未だ決してオーソライズされたものではない筈ですので、猫が好き♪さんのご意見はご意見として尊重しつつ、ご覧の皆さんに指摘を提示しておきたいと思います。--ろう(Law soma) D C 2010年3月18日 (木) 00:23 (UTC)[返信]
  • ま、安全側に倒すことの是非については争いませんよ、どうせ合意には至らないと思うので。ただおれは単に「安全側に倒すことの是非」なんか論じておらず、「過剰に安全側に倒そうとするあたり」って言ってるわけ。まあこの過剰の評価も微妙でしょうけれども。でだ。
    おれ、Miyaさんについては解任側で投票しようとは思っていなかったんだよねえ。ご夫婦に揃って解任票を投じるのもなんだかなぁとか思っていたし。しかし、こういうのって過剰な庇いあいみたいに感じられるもので、MiyaさんとMiya.mさんについては両方とも解任票を投じる方向で検討しようと思いました。庇いあいって、時として逆効果になるんだぜ。そのくらいのことはわかった上でレスするかどうか決めてほしかったなあ。--Nekosuki600 2010年3月18日 (木) 17:15 (UTC)[返信]
  • コメント 「過剰」の判断も微妙だというのには全く同感です。で、「庇い合い」についてですが、そのように受けとめる向きもあることは、これまでのあちらこちらでの様々な議論を読んでいて理解しているところです。ですが、発言者の心が推測できないこと対面応答に及ばない文章だけのコミュニケーションにおいて、情を排した意見(のつもりだけど)に対して「庇い合い」などと受けとめるってのは、何か管理者を仲良し集団の類と見なしているようにも受け取れ、少々残念です。はっきり言って、私は他の管理者の皆さんにお会いしたこともなければ何の義理もありません(まあ利用者としてお世話になったりした方はいらっしゃいますが)ので、投票者に対し一方的な印象を与えないように心がけているにすぎないのです。--ろう(Law soma) D C 2010年3月19日 (金) 03:39 (UTC)[返信]
  • (コメント)自分はいままでのところ、削除依頼と、info-jaについてのノートと、数回だけお話をする機会があったのですが、これは話の内容そのものについて考えたのではなく、話し合いの相手が非管理者である/仲間内でないという理由で、話の内容を低く評価したり相手に反対しているのではないかな、といった印象は、自分も持ちました。Uryah 2010年3月22日 (月) 08:12 (UTC)[返信]
  • (コメント)被依頼者の発言からは古参の独善性とでもいうか選民意識が感じられる事が多々あります。文書なり運営なりに疑義を呈する議論があっても、当時の経緯を知らない新参には正確な判断は出来ないだろうと断じるだけで、議論には参加しません。発言を求められても、百の議論より一つの記事、が免罪符となります。当時の記憶を元に「新参」に説明するつもりはないのです。また、wikiと訳すな!、というのもあります。googleでwikiといれれば先頭に出てくるのはWikipedia日本語版です。もちろん厳密に言えば誤用ではあります。が、それほど意識的でない非ウィキペディアンにとってはこだわりなく使ってしまう略称です。「wiki」と略されるのがそれほど許容できない問題であるなら、積極的に啓蒙すればまだ良いのですが、実際は「新参」の排除に使われています。Wikipediaのルールに明るくない人が議論をする際にこの誤用を使うと、もうその人とは議論を続けません。wikiって略すな新参者、という発言が返るのみです。文脈とは関係のない揚げ足取りです。最初期の同人サークル的な雰囲気の中で生まれたモノが大切で、往々にして論理的な働きかけを非論理的に打ち消そうとします。議論に参加するなら、経歴を生かして当時はどういう流れだったかを説明してほしいし、説明はしないが文句だけは言いたいというような理由で発言してほしくないと思います。こういう場面が見受けられる人が管理者であることで、その判断基準も公平性に欠けると判断されても仕方がないと感じます。--220.219.166.157 2010年4月10日 (土) 10:10 (UTC)[返信]
  • コメントWikipedia:管理者解任の投票/Miya 20100331が終わった途端、ここやWikipedia‐ノート:管理者解任の投票/Miya 20100331で反論を始めるMiyaさんの姿勢に失望しました。「解任投票がらみの自己弁護、と受け止められたくないためにコメントを控えておりました」とのことですが、言いたいことがあるにも関わらず投票が終わるまでダンマリを決め込んだ態度こそ、自己保身そのものではないでしょうか。黙って批判を聞くという態度、つまりコメント依頼や解任投票において一貫して沈黙するという態度はありだと思います。ただしその場合、投票が終わった後も沈黙を貫くべきでしょう。自らの地位に影響がないことを確認してから発言するという態度は、一連の解任動議提出において管理者が見せた態度の中で最も姑息で醜悪であると言わざるを得ません。-- 2010年4月11日 (日) 14:02 (UTC)[返信]
    • 尻馬。うーん、確かにこの、解任投票が終わったからって気を抜いたようなコメントは、かなりひどいものだなぁ。
      なんていうの。「事実に基づかないコメントにつきましては、訂正をお願いしたく思います」というあたりに、おれは頭を抱えました。確かにこう、事実に基づいていないことをことさらに声高に言い立てて印象操作をする、みたいな戦術はあるんだけど、そういうのってわりと簡単に見抜けるし無化もできる。そうじゃなくて、「認識が食い違っている」ことを「事実に基づいていない」と表現し非難するみたいなレトリックってあるわけだし、そういう場合には認識のすり合わせをしなくちゃいけないわけっすよ。そういう「認識のすり合わせ」について、メタな部分でMiyaさんの認識が、おかしいんじゃないだろうかという気がする。だから「自分にとっての事実に基づいていないコメントは正されるべきだ」みたいな表明がでてきちゃうんだと思うんだよねえ。
      こういう時におれは言語の無力さを感じたりするのですが、しかしこれを放置してもおけないわけで、どうするのがいいのでしょう。--Nekosuki600 2010年4月11日 (日) 16:04 (UTC)[返信]
      • コメント 私も尻馬なんですが、一言。Miyaさんにおかれましては、本当に事実誤認である意見に対する反論ならば、別に自己弁護などとは通常の利用者なら思いませんので、もっと早く修正要求してほしかった。解任ノートの反論はHimetvさんが投票終了後に書き込まれたこともありこの時期でもしょうがないのかもしれませんが、ここでの今更の反論は、廉さんじゃなくとも「自己保身」と受けとめる人は少なくないと思います。正直申し上げて私もKinoriさんも少なからず疑問に思っていた部分についての反論ですので、このように出てこられたからには何らかの結論を見いだして頂きたく思います。--ろう(Law soma) D C 2010年4月12日 (月) 05:31 (UTC)[返信]
        • コメント 【これまでの心境について】GcGさんのコメントとHatukanezumiさんの最初のコメントを見て、他の人が抱いている印象については釈明はできない、自己弁護を重ねると見えるだけだろう、それぐらいなら最後まで沈黙を守るほうがいいかもしれない、これで解任されても仕方がないとすっかり観念しました(ただしそれならば廉さんがおっしゃるように「投票が終わった後も沈黙を貫くべき」でしたが)。ろうさん、Kinoriさんに好意的なコメントを頂きながら、自分では何も書かないですみませんでした。
          ただ、解任のノートでのHimetvさんのお疑いは、私の参加姿勢の根幹にかかわることで、どうしても反論せずにはいられませんでした。そうしてそれを書くときにこちらももう一度見てWikiJA-lの件についてメールを何度も読み返し、管理者でないことを理由に断った覚えもログもなく、Hatukanezumiさんはもしかしたら勘違いしておられるのではないか、メールを読み返してもらえばこの点だけは簡単に確認していただけるのではないかという気がしてきて、後先考えずこちらにも書いてしまったのでした。今振り返ればとんだ見当違いで愚かとしか言いようがありません。
          Hatukanezumiさんのお返事を見て、勘違いなどではなくHatukanezumiさんはMiyaから「(jaWPの) 管理者がやるべきだ」との理由で断られたと本当に考えておられたのだと知らされ、Nekosuki600さんの言葉で「認識が食い違っている」という状況だということをようやく理解しました。それから今まで、メールでのやり取りを何度も読み返して考えました。「認識のすり合わせ」は難しそうですが、言いかけてしまった以上、私の方の認識を書かせていただきます
          【ML管理人について】WikiJA-lは日本語版ウィキペディア(もしくはウィキメディア)の公式MLですから、リスト管理人として信頼できると日本語版コミュニティで合意がえられるなら、ML管理人がjawp管理者であろうと非管理者であろうとかまわないと当時も今も考えています。その前のMLモデレータ増員提案でも2007年から2008年にかけてWP上とWikiJA-l上の両方で異論が出ないか確認していたはずです。その時推薦した/されたのは3人ともsysopだったので、非管理者が推薦された時に、Wikija-l管理者=WP管理者 であるべき、という意見も出そうな気はしますが、WP上の権限行使とMLの管理には何の関連もないので、全く問題にされないかもしれません。 
          Hatukanezumiさんが「wikija-lの管理人になって手伝おうか」と言ったと認識しておられる場面で、私はHatukanezumiさんの管理人就任に積極的には賛成しませんでした。これをHatukanezumiさんはMiyaに「断られた」と受け止められたようですが、是非交代してくださいと言えなかったのはHatukanezumiさんが非管理者だからではなく、それまでのやりとりから、MLに不適切な投稿をする参加者がいたら果敢に制限をかける人かもしれないという印象があったからです(あくまで私の印象ですので、違っていたらすみません)。特に、2008年当時はまだ「ブロック中の自身の会話ページ編集許可」は導入されておらず、WikiJA-lはブロックされた人が解除を訴えるための最後の手段だったので、対話の道をML管理人だけの判断で簡単にふさいでいいのか、どういう場合にふさぐべきなのか、というのは大変悩むところでした。
          Hatukanezumiさんは良い方で人間的には信頼していますし、私的なMLの司会者としては適任かもしれませんが、公的な性格を持つMLの管理人とては適任かどうか危ぶまれたため、管理人になってもよいとまで言っていただいたにもかかわらず積極的に推薦するなどの動きをとれませんでした。ただこれは、あくまでも私の個人的な印象でしかなかったので、もしコミュニティがML管理人として信頼できると合意するならそれもありだろうと思い「管理人就任には、WP上とWikiJA-l上の両方で承認されることが必要だと(私は)思います」とお返事したのです。あれこれと善意で助言や提案を何度も寄せてくださる方に「あなたのML運営方針は、ブロック者にとって唯一最後の対話窓口である今のWikiJA-lには向いていないと思う」とは言えず、言葉を濁して終わってしまいましたが、今振り返ればかえって申しわけなかったです。
          以上、私の方の認識を説明させていただきました。--miya 2010年4月14日 (水) 04:18 (UTC)[返信]
          • コメント 一言だけ。少なくとも私の意見はmiyaさんに対する「好意」から出たものではなく、好悪の感情にとらわれずにmiyaさんの仕事ぶりを評価したうえで、miyaさんを仮に管理者から解任した場合のデメリットを無機的に記述したつもりでしたので、「好意的なコメント」という表現にはちょっとひっかかりました。そのような受けとめられ方を当のご本人からされたということは、Yassieさんや猫が好き♪さんの意見の趣旨がお分かりになっておられないことを意味していると考えられますので、とても残念です。--ろう(Law soma) D C 2010年4月15日 (木) 00:54 (UTC)[返信]
            • 「バランス感覚」について過分な評価をいただきながら果たしてそれに価するのかと心苦しく、上のような言葉になりました。すみません。--miya 2010年4月20日 (火) 15:50 (UTC)[返信]
コメント ここでwikija-lの管理人の「資格」について議論するつもりはわたしにはありません。話がかみあっていないようにおもうので、若干述べておきます。
  • 「果敢に制限をかける」だのなんだのについては、当時わたしはそのような説明を受けておりません。また、わたしが「果敢に制限をかける」ことを指向していたと判断した理由を、当時の状況に即して、具体的に説明できますか。できるものならしてみてください。
  • あなたは、わたしおよびwikija-l管理人たちをまじえた私信においてあなたが述べたことの一部しか述べていない。あなたはその後も発言しており、そのなかでjaWP管理者でなければだめだという理由を述べている。それちゃんと示しなさい。後付けの言い訳ではなく。ちゃんと示されたらわたしもちゃんと反論します。
  • miyaさんの論は、いままでのinfo-jaなどでの自分の活動に関する意義づけをそのままwikija-l管理人の活動にあてはめて、自分が役割を独占することを正当化しているだけだと考えます。この点、Miyaさんが経緯をもっと明らかにしてくれればより詳細に述べたいとおもいます。
  • 結論だけ先に述べておきます。Miyaさん。あなたのやっていることは悪しき官僚制だとおもう。新しい分野 (今回の例で言うと、もともとjaWPとは独立してあった場であるwikija-lのメンテナンス業務) をみつけると、自分の仕事を作り出すことによって自分の存在意義を高めようとし、ほかのひとが入り込めないようにする (もっと端的に言うと、だれを入れるかに自分の判断を反映させようとする)。たとえば (どこの官庁でもいいんですが) 警察官僚が道路管理行政を独占していて、その結果道路用信号機の製造・設置事業が寡占状態にあるのとおなじようなことを、ここウィキペディアで実現しようとしている、とおもう。
とにかく、上記1項め、2項めについて、誠意ある状況説明をお願いいたします。この時期にこの場にわざわざでてきた以上、最後まできちんとやりなさいね。 --Hatukanezumi 2010年4月14日 (水) 12:16 (UTC)[返信]
「果敢に制限をかける」・・・2008年9月、私に管理人辞任を勧告しご自分がかわりにしてもいいとおっしゃった(「手伝おうか」というようなお申し出ではなかったと記憶しております)とき、Hatukanezumiさんも理由をお書きにならなかったですよね。MLの迷走を考えれば、批判されても仕方がない、もしこのときHatukanezumiさんが管理人の位置にいらっしゃれば(ML内で意見統一できていなくても)もっと早くに退会なり制限なりの処分をされたことだろうと思いました。私は、これが自分の私的MLだったら、あるいは、WikiJA-lでも、ブロックされた利用者の最後の対話の場として設定されていなかったら、もっと違う対処ができたかもしれないと内心忸怩たる思いでした。それでも、Nekosuki600さんのThu, 25 Sep 2008 23:06:59 +0900の投稿で述べられている"「最後の砦」の扉を閉めてしまうのはまずいだろう"というご意見を否定しきれなかったので、なかなか動かなかった/動けなかったのです(実際にはMizusumashiさんのおっしゃるように「追放」すら「解除を想定しないブロック」という意味ではありません"ので、なおさらです)。
「後付けの言い訳」・・・そもそも、私は「管理人就任には、WP上とWikiJA-l上の両方で承認されることが必要だと(私は)思います。少なくとも反対多数ではない状態が必要ではないでしょうか」と自分の見解を最初に述べています。その後のやりとりで理由を述べて断ったとHatukanezumiさんが認識なさったのは分かりましたが、私はそもそも公的MLの管理人になりたいという人の申し出を認める権限も断る権限も有していないと自覚しており、諾否を述べたつもりは毛頭ありません。私の言い方が紛らわしくて誤解を与えてしまったのだとしたら、その点についてはおわびいたしますが、他の人のコメントも交じる私信ログの公開はお断りします。
jawp管理者フラッグについて・・・私は管理者フラッグを普通自動車の運転免許と同程度のものととらえています。交通法規による制限か、技術的制限かという点は違いますが、どちらも持っていれば一定の行為が可能になります。でも持っているから特別ということはありませんし、持っていても活用しなければ絵に描いた餅です。アクティブな管理者が100人くらいに増えればもう私など用済みだろうと就任当時から思っていましたが、残念ながら、休止状態の管理者を含めてすら、3桁にはまだ程遠い状況です。
「役割を独占」・・・ML管理人が独占したくなるようなうらやむべき立場だとは全然思いません。なりたい人は堂々と表で手をあげ、WP上とWikiJA-l上の両方で承認を求められればよろしいでしょう。
「悪しき官僚制」・・・私がML管理人の増員を提案したのは、井戸端BBSが無くなって、ブロックされた利用者との対話の場がWikiJA-lに設定され、たった一人アクティブな管理人には荷が重すぎるのではないかと危惧したからです(井戸端BBSの設置者は疲弊してウィキペディアを去っています)。それを「おせっかい」と言われるならともかく「ほかのひとが入り込めないようにする」といわれるのは情けないです。もちろんHatukanezumiさんはおそらく以前にML運営の経験をお持ちで、自分が管理人ならもっとちゃんと運営するのに、と業を煮やしておられたのだろうとお察し申し上げますが。
さて、あのときはやめるよう求められてもすぐにはご希望に添えませんでしたが、幸い「ブロック中の自身の会話ページ編集許可」が導入されて、もうML退会処置が「最後の砦」の扉を閉めてしまう(Nekosuki600さんの言葉より)ことと同義ではなくなり、ML管理人の重荷も減ったので、WikiJA-lにおける私の出番は終わったとも感じています。今なら降りてくれと言われればさっさと降りるでしょう。もちろんHatukanezumiさんがML管理人に手を挙げられても反対はいたしません。--miya 2010年4月20日 (火) 15:50 (UTC)[返信]

報告[編集]

Wikipedia:管理者の解任#利用者:Miyaが提出され、投票実施中です。--Dr.Jimmy 2010年4月5日 (月) 00:50 (UTC)[返信]

投票結果は信任で確定しています。--Dr.Jimmy 2010年4月19日 (月) 05:13 (UTC)[返信]