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Wikipedia:コメント依頼/Trek011とDalaibaatur

Wikipedia‐ノート:チベット自治区/投票#ルール違反?#ルール違反? より転記しました。--miya 2005年5月20日 (金) 08:45 (UTC)[返信]


当初の議論

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チベット自治区において私が2005年3月1日に行った差し替え編集について、ダライ氏はほとんど毎日にように「トレックのルール違反」となじっているわけですが、嘘でも100回言えば真実になることもあるので、放置しておけません。西蔵の定義ひとつ取ってもダライ氏の2005年2月27日 (日) 10:21 の版は偏った個人的見解であると判断したので全面改稿しました。今では辞書における西蔵の定義はダライ氏の定義と違うのはご理解いただけるでしょう。ノートページと違い編集は大胆に行うことができます。もし、不満があれば、リバートすることもできるし、現にすでに復活されています。ノートにおける議論は一ヶ月前のものであり、この点でも何の違反もありません。念のためにノートに全面改稿の理由を記し、2日待ちました。ところが2日では早すぎる、ルール違反だという主張を繰り返しているのです。どうしてもルール違反だというのなら、何故特定版削除の依頼をしなかったのでしょうか。公式にルール違反の認定を受けていないのに、毎日のようにルール違反と言い続けるのは執拗な個人攻撃でしかありません。Trek011 2005年5月19日 (木) 02:57 (UTC)[返信]

trek氏が「嘘」だという氏のルール違反の内容を、私の視点から整理したものはこちら。氏が自身の非をみとめ、同様の行為を再発しない旨の意思表示が一度でもあったなら、「毎日にように(中略)なじる」必要などなく、投稿その他で私の条件を提示する場合にも、氏が同様のルール違反の行為を再び強行するのにそなえて身構え続ける必要もなくなり、ずいぶん気楽になれるのだが、残念ながら、いまのところ氏にはそのような意思表示が見られませんでした。
ただし、「不満があればリバートすればよい」というご意見を表明されたのは、これまで初めてで、画期的なことですな。これは、こちらで述べてあるような、「チベット民族の自治区そのものについての記事」は西蔵自治区で、「中国政府がもちいるイデオロギー用語としての呼称「チベット自治区」「チベット地方」等の訳語についての記事」はチベット自治区で、という役割分担に戻してよい、という意思表示と理解してよろしいのですかな?であるならば、早速リバートさせていただくし、当事者どうしが合意したということで、この投票自体、必要なくなってしまうのだが?
【何故特定版削除の依頼をしなかったのでしょうか】
まずは、当事者同士の話し合いから始めよう、ということです。
中国政府が使用する用法を初め、中華人民共和国で使用されている「西蔵」は「今では辞書における西蔵の定義はダライ氏の定義と違う」どころか、「ダライ氏の定義」どおりに使用されております。詳細およびやりとりの続きは、西蔵およびノート:西蔵 を参照。--Dalaibaatur 2005年5月19日 (木) 14:14 (UTC)[返信]

私の最初の編集行為がルール違反だと主張するなら、まずいかなるルールに違反しているのか、そのルールの条文を示し、そして私の編集行為がそのルールに確実に違反していることを立証する必要があります。ここでそれをやってもらいましょうか。話し合いもなにも、立証もせずに一方的に違反だ違反だとまくし立ててきただけです。Trek011 2005年5月19日 (木) 23:31 (UTC)[返信]

編集方針の対立している問題について、議論も合意もなく、一方的な改変を加えたことです。Wikipedia:編集合戦を参照。--Dalaibaatur 2005年5月21日 (土) 05:04 (UTC)[返信]

Xmas stepsと申します。お二人の論争に首を突っ込むのは僭越かと思いますが、Wikipedia:ウィキペチケットにある、「他の人の意見の対立を見かけたら、仲裁をしてみてください。」に従って、以下の点について指摘させて頂きます。まず、お二人にお伝えしたいのが、Wikipedia:議論が白熱しても冷静ににある以下の言葉です。

我々はここに同じ目標を持って集まっているということ、会話のもう一方の端にも人間がいるのだ、ということを忘れないようにしてください。フレームは誰にとっても非生産的であり、ウィキペディアを不愉快なものにしてしまいます。

次に、Dalaibaaturさんのおっしゃる「ルール違反」は、Wikipedia:議論が白熱しても冷静に、にある、記事の中立性を保つため、偏った記事を書き直すときに推奨されている手法にTrek011さんが反しているということだと思います。(Dalaibaaturさん、もし違うようであれば指摘して下さい。)その手法とは以下のものです。

  1. あんまりにも酷いものでない限り、ノートで、その記事の偏っていると思う点を指摘し、代案を示す。
  2. 返事がない場合、それで置き換えてしまう。返事があるか無いかは、ウォッチリストを使用してチェックするとよいでしょう。
  3. 返事が来た場合には、あなたの提案した言葉遣いについての同意を取り付けるよう努力してみる。

返事を待つのに十分な期間はどの程度かについてはWikipedia上での公式見解を見つけることはできませんでしたが、Dalaibaaturさんに返事をする意思があって、その返事の前にTrek011さんが記事の置き換えを実施されたのであれば、リバートするかどうかは別問題として、ノートで合意形成を図る必要があります。しかし、今回のケースがここまでもつれているのは、DalaibaaturさんがTrek011さんと建設的な議論ができるかどうかに疑念を抱き、それを確認するために明確に同意を求めた

【編集方針の対立している項目の文面の改訂は、投稿者たちの議論と同意の上に行うこと】

に対してTrek011さんが明確な回答をしていないということに端を発しているのではないでしょうか。これでは、「Trek011さんには建設的な議論に基づく合意形成を行う意思がない。」と思われても不思議ではありません。Trek011さんはご自身でも「私はこれまで合意形成を拒否したことは一度もありません。」と書かれているので、合意形成を行う意思はもっていらっしゃるのです。しかし、残念ながら、「伝えないものは伝わらない」のです。面と向かっての会話でも、自分の意思を正確に伝えるのはとても難しいので、ネット上でのコミュニケーションで自分の意思を正確に伝えるのはさらに難しいと思います。是非、お二人が現在の対立関係を清算し、この「チベット自治区/西蔵自治区」の記事を、中立的で充実した、すなわち、多くの立場からの見解を包含したものにして頂くことを望んで止みません。なにせ門外漢の私はお二人の博識には脱帽するばかりなのですから。Xmas Steps 2005年5月20日 (金) 02:40 (UTC)[返信]

【しかし、今回のケースがここまでもつれているのは、DalaibaaturさんがTrek011さんと建設的な議論ができるかどうかに疑念を抱き、それを確認するために明確に同意を求めた
【編集方針の対立している項目の文面の改訂は、投稿者たちの議論と同意の上に行うこと】
に対してTrek011さんが明確な回答をしていないということに端を発しているのではないでしょうか。】
私のTrek011氏に対する不信は、この点につきます。氏がこの点に同意するという意思を表明していただけるなら、「和解」や「対立関係の清算」に展望がひらけてくるのですが。--Dalaibaatur 2005年5月20日 (金) 05:24 (UTC)[返信]

Xmas steps氏には長文のご意見を頂きありがとうございます。まず、3月1日に私が介入する以前の版はWikipedia:ウィキペディアは何でないか>「ウィキペディアは演説場所ではない」に照らして余りにも偏った内容であると判断しました。しかし、いきなりリバートせず、ノートページに理由を記載し、2日待ちました。このやり方はXmas Steps氏が提示された指針に基本的に違反していないと考えます。ノートページを見ると、前回の議論は1ヶ月前のもので、今は誰も来ていないと思ったので、待つのは2日にしました。指針では「あんまりにも酷いものでない限り、ノートで、その記事の偏っていると思う点を指摘し、代案を示す。」とありますが、差し替えることによって代案を示したつもりです。反対ならいくらでもリバートできるのですから。 このやり方が3ヶ月間も「ルール違反」だとなじり続けるほど、実際にルールに違反しているでしょうか。しかし、ダライ氏は「Wikiの標準では7日間だったような」という曖昧な記憶を基準に2日しか待たないのは「ルール違反」と叫び続けているのです。Xmas Steps氏は「DalaibaaturさんがTrek011さんと建設的な議論ができるかどうかに疑念を抱き、それを確認するために明確に同意を求めた」との解釈ですが、私はダライ氏の執拗な個人攻撃にもかかわらず、対話拒否することなく、3ヶ月にわたって議論を継続し、投票にまでなっているのですから、そのような疑念を今でも抱くのは不合理ではないでしょうか。少なくともXmas Steps氏が示された解釈では私の側に明確なルール違反があったとは理解しがたいものがあります。一方、ダライ氏の方は履歴継承違反、ノートページにおける他者発言の改竄、削除依頼表示テンプレのリバート合戦と明確なルール違反を繰り返しています。「建設的な議論をできるかどうか」疑念をもっているのはこちらなのです。Trek011 2005年5月20日 (金) 05:40 (UTC)[返信]

Dalaibaaturさん、Trek011さん、突然の乱入(?)にもかかわらず、コメント頂きありがとうございました。Trek011さんの説明の中で問題があるとすれば、「差し替えることによって代案を示した」という箇所であると思います。Wikipediaの指針は句読点の関係で読み取りにくくなっていますが、「ノート上で代案を示す」と読むこともでき、実際私はそのように解釈しました。私の解釈とDalaibaaturさんの解釈が一致しているかどうかはDalaibaaturさんに回答をお願いするとして、同じであれば、Dalaibaaturさんは「ルール違反だ」と思い、Trek011さんは「ルール違反ではない」と思うのでしょう。この意見の相違またはミスコミュニケーションを解消できていない結果として、Dalaibaaturさんが「ルール違反」と繰り返し述べる事態になっていると思います。「3ヶ月間議論を継続しているのだから、自分は合意形成の意思がある。」というのは、意思を行動で示すという意味では素晴らしいことですが、直接問いかけられていることに直接答えないという意味では問題があると思います。もしも、Trek011さんがDalaibaaturさんの問いかけに対して、すぐに「自分には合意形成の意思がある。」と表明していれば、ここまで話はもつれなかったはずです。それはTrek011さんにとっても、記事の投稿に集中できるという利点があります。それをしなかった帰結は、この3ヶ月の「不毛な」言い争いの数々です(不穏な表現で申し訳ありませんが、もっとも適切な単語だと思いましたので)。一日も早く、DalaibaaturさんとTrek011さんが過去を水に流して対立関係を清算し、建設的な議論の上により魅力的なWikipediaを作っていって頂くことを願って止みません。Xmas Steps 2005年5月20日 (金) 06:21 (UTC)[返信]

短文ではなく、かなり長いものですから、代案をノートに示せばノートが長大なものとなって読みにくくなくことは避けられません。また、本文を差し替えることによって代案を示す実例は見たことがあります。どちらにしても、代案を示していることは間違いないわけです。指針の文言を必ずノートに示せと解釈するか、本文差し替えでも良いと解釈するかという形式論的論争に陥るのはご勘弁ください。当該ノートページをよく読んでいただきたいのですが、ダライ氏がルール違反と主張した根拠はむしろ「2日しか待たなかった」ということであり、スカイラブ氏もこの点に賛意を示していたのです。しかし、「5日待て」という明確な条文があるのかというと、Xmas steps氏が確認されたように、それはダライ氏の頭の中にしかなかったのですから、このような曖昧な主張には明確な回答はできません。本件投票管理人である「っ」氏も「大人の対応」を説いておられます。つまり、すべてのルールをひっくり返して、そのような条文があるかどうかを調査する時間はなかたので、曖昧な態度に終始するしかなかったのです。(今回、第三者としてこの点を明確にしていただいたことには感謝しています。)なお、この論争も最終投票に差し掛かり、投票後はある方に編集を白紙委任するという解決方法が有力になっています。この案が採用されば、私が編集に関与することもないわけですから、私と「建設的な議論」ができるかどうかは関係なくなるのです。したがって、この点を理由に白紙委任に条件をつけるのはダライ氏の論理的な矛盾としか申し上げようがない。私はこれまで独島義勇守備隊韓流のようなかなりきわどいテーマでも意見の異なる方との合意形成に成功してきましたが、今回ばかりはこのような解決方法が最も合理的であると考えています。Trek011 2005年5月20日 (金) 07:35 (UTC)[返信]
【ダライ氏がルール違反と主張した根拠はむしろ「2日しか待たなかった」ということであり、】こちらよりはむしろ【編集方針の対立している問題について、議論も合意もなく、一方的な改変を加えたこと】ですね。合意形成期間をルールとして7日間と規定している事項としては、ブロック依頼、特定版削除などがあります。--Dalaibaatur 2005年5月21日 (土) 05:04 (UTC)[返信]
Trek011さん、形式論的論争に持ち込もうという意図はないのでご安心下さい(笑)。むしろ、現在の「相互不信」の根っこにあるのは、指針の文言の解釈の違いに過ぎないかもしれないのだから、そこをはっきりさせて、和解に向けて前進しましょうよ、ということなんです。また、どの程度待つのが十分かというのも十人十色で水掛け論になりかねないのでやめませんか。実際、Dalaibaaturさん自身が問いかけに対するTrek011さんの回答があれば和解に向けて前進できるといっているのですから、明言してみてはいかがでしょうか。今回の記事以外のところで、お二人が同じ記事に居合わせることもありうる訳ですから、心の奥で引っ掛かっているわだかまりを解消しておくことはお二人にとって、利することはあっても何の害もないと思いますが。Xmas Steps 2005年5月20日 (金) 08:19 (UTC)[返信]

「指針の文言の解釈の違い」で済むことでしょうか。少なくともダライ氏が3ヶ月にわたって私の最初の編集を「ルール違反」であると非難してきたことは必ずしも明快な根拠はなく、「5日待機説」に至っては思い違いにすぎなかったわけですから、この点について本人の謝罪があれば、心情的和解にはやぶさかではありません。Trek011 2005年5月20日 (金) 09:26 (UTC)[返信]

「ルール違反であると批難」の根拠としては、Wikipedia:編集合戦を参照。【編集方針の対立している項目の文面の改訂は、投稿者たちの議論と同意の上に行うこと】に対する同意があるなら、trek氏を合意形成の意思がある人と認め、氏と「心情的和解を行うことにやぶさかではありません」。--Dalaibaatur 2005年5月21日 (土) 05:04 (UTC)[返信]
済むか済まないかは別にしても、根っこにあるのが「大問題」ではないというのが私の意見です。現状で問題が大きく見えるのはむしろ、3ヶ月に渡ってTrek011さんとDalaibaaturさんの双方の心の中に雪だるま式に大きくなっていったわだかまりのせいではないでしょうか。「5日待機説」に根拠がないのと同様に、「2日待機説」(Trek011さんが説を唱えている訳ではありませんが比較のため)にも根拠はなく、これがDalaibaaturさんの心証を害した初めの一歩であると思うので、どっちもどっちです。また、Trek011さんの最初の編集について、個人的な感想を言わせていただけば、今までの文章についてほぼ完全に削除してしまったことは問題だと思います。中立的であるとは多様な視点を包含させることだと私は思います。したがって、チベット自治区/西蔵自治区の記事の内容として、大雑把に言えば、Trek011さんは地理的な概念を中心にすべきと思い、Dalaibaaturさんは歴史的な概念を中心にすべきと思うのであれば(事実と反していれば訂正して下さい)、中立的とは地理的概念と歴史的概念を併記することだと思います。Xmas Steps 2005年5月20日 (金) 23:23 (UTC)[返信]

内容理解については地理と歴史の違いというのはちょっと違います。ダライ氏は西蔵をチベットの一地方として扱っていたわけですが、西蔵の日本語訳名はチベットであり、西チベットではないのです。諸橋漢和辞典に「西蔵の訳語にチベットを使うのはどうか」と書いてあるのは、英語を使うことに対する違和感を表明しているだけで、西蔵はチベットではないといっているわけではない。むしろ「西蔵語」をみるとはチベット語としているのでお笑いです。諸橋博士が日本語の流れを決めているのではありません。また新疆維吾爾自治区のように中国語をそのまま使っているのも問題です。(これは現在投票中ですが。)さらに「中国政府が「西蔵」に対しことさら「チベット」の訳語を使用しているのは西蔵部分のみを「チベット」として印象づけようとする意図があるものと思われる。」の部分はダライ氏の空想です。中華人民共和国成立以前から、日本語にはチベットという表現があった。このような奇怪な説を書く以上、参考文献やリンクを挙げるべきなのにそれさえしていない。つまり、チベット自治区を中国の行政区域として扱うのではなく、「人民政府のイデオロギー用語」として解説するという記述スタイルになっているのです。これはNPOVですから、普通の記述に改めました。自治区成立前後から現代までの歴史は私の版でも述べています。チベットの枠組みなどはチベットという項目があるので、そちらで書けばよいのです。チベットなどはこれまでほとんど関心を呼ばず、ダライ氏ひとりが書いていたようなものです。ところが私が介入したため腹を立て、「ルール違反」の口実をでっち上げて非難、誹謗中傷に終始しているのです。結局、内容的な問題は信用できる第三者に白紙委任するという方向で進んでいますが、これにも一部異議をとなえています。つまり、チベットチベット亡命政府の項目でいくらでも書けるのに、チベット自治区にまで「チベットの枠組み」を書かなければ気が済まないのは一種の「陣取り合戦」です。Xmas Steps氏のように社会科学系の優秀な方でさえ、上記のような内容理解ができていないところにこの問題の特殊性があります。2005年5月21日 (土) 00:16 (UTC)


【「中国政府が「西蔵」に対しことさら「チベット」の訳語を使用しているのは西蔵部分のみを「チベット」として印象づけようとする意図があるものと思われる。」の部分はダライ氏の空想です】と述べている表現は2005年2月27日の版の旧版の文面であって、こちらの改訂第2版(こちらの第5節まで)では、さらに表現が強化され、中国政府が用いる「チベット自治区」「チベット地方」の訳語の定義として、【中国政府が、チベットを西蔵の部分のみに限定しようという政策に基づき、自身で出版する日本語文献やWebページの日本語版において用いている正式の呼称である。】とさらに明確に定義しています。そしてtrek氏は「空想」だと力説していますが、実際には、改訂版(こちらの第5節まで)で、明快に各種証拠を提示しています。
ここではまず、「チベットの領域」と「西蔵」の領域について、17〜18世紀のチベットの古典と漢籍の用例から提示しています。チベットでは伝統的に「西蔵+青海+甘粛・四川・雲南の一部」をチベットの国土だと考えてきたこと、「西蔵」は元来、このチベットの一部分のみを指す言葉として誕生したことなどは、この時期の古典の用例から確認される事実です。そして中国の国内で発表される文章に登場する「西蔵」は、いまでも「チベットの一部分」のみを指して用いられています。ちなみに、古典から引用したのは、チベット亡命政府と中国現政権の、いずれの立場に組することをも避けるためです。
中国現政権は、チベットを「西蔵」部分のみに限定することを正当化する根拠として、中国の歴代政権とチベット東部地方の諸侯との関係を挙げます。たとえば1724年の雍正のチベット分割以降、清がチベット東部の諸侯たちに対する支配権をグシ・ハン王朝から接収し、彼らを青海、甘粛、四川、雲南などに分属させ、それぞれの地方長官たちを通じて土司の称号を受けるようにしたことを、東部地方が「内地(=中国本土)」に帰属していたことを示す、と解釈するなど。したがって、対立する立場を中立的に記述する百科事典の記事としては、この方面の歴史的事実にも、当然言及しております。
滅亡直前の清国、そして中華民国の歴代政権は、チベット東部地方を「内地」に組み込み、西蔵部分のみを「チベット」とする政策をとります。すなわち、英領インド軍のラサ侵攻(1903年)に驚愕した清国は1905年、四川省の軍勢を東からチベットに攻め込ませ、ラサまでを制圧します。そしてチベット東部地方の諸侯や、ラサのダライラマ政府をとり潰し、チベットを中国の直接統治下におこうと試みます。辛亥革命のどさくさで、ダライラマ政府は西蔵部分の支配権を回復しますが、チベット東部地方は中華民国の各地方政権に制圧、1928年青海省1939年西康省などの諸省が設置、残る各地も甘粛、雲南などに分属させられ、行政制度上、中国の「内地」に組み込まれました。

以上の行政制度をふまえ、滅亡直前の清国や、中華民国政権は、対外的にチベット情報を発信する際には、その原語においてチベットの総称として用いられてきた呼称を、西蔵部分のみを指す訳語として用い始めます。

中国共産党は、政権をとる以前には、チベットの枠組みの中に、チベットの東部地方をもふくめたこともありました(チベット東部に波巴政府を樹立)が、人民共和国樹立後は、前政権以来の立場に回帰し、西蔵部分のみを「チベット」だと称する方針をとっています。中国の国内で発表される各種媒体に登場する「西蔵」そして、その訳語として用いられる「チベット」、「Tibet」は、チベットの西南部分、すなわちガリ、ツァン、ウー、カムの西半だけを指す呼称として使用されています。
以上より、中国政府が「西蔵」の訳語としてもちいる「チベット自治区」「チベット地方」等の訳語が【中国政府が、チベットを西蔵の部分のみに限定しようという政策に基づき、自身で出版する日本語文献やWebページの日本語版において用いている正式の呼称である】ことは、まったく事実です。
【チベット自治区を中国の行政区域として扱うのではなく、「人民政府のイデオロギー用語」として解説するという記述スタイルになっているのです。】
trek氏のルール違反の編纂行為以前は、チベット民族の自治区を「中国の行政区域」のは西蔵自治区、イデオロギー用語として解説するのは「チベット自治区」という役割分担になっておりました。
【これはNPOVですから】
日本語の「チベット」という用語は、べつにイデオロギー用語でもありませんが、チベットの半分だけをさす地域名称「西蔵」の訳語として、ことさら「チベット」という総称を保ちいる中国政府の訳語には、上記のような、チベットの東部地方を「内地」に組み込む制度を正当化する、というイデオロギー背景が存在するのは事実ですので、「イデオロギー用語」という規定に問題はありません。--Dalaibaatur 2005年5月21日 (土) 05:04 (UTC)[返信]

適用条文について

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声さえ、いや字さえ大きければ良いというものではありません。

>こちらよりはむしろ【編集方針の対立している問題について、議論も合意もなく、一方的な改変を加えたこと】ですね。 合意形成期間をルールとして7日間と規定している事項としては、ブロック依頼、特定版削除などがあります。--Dalaibaatur 2005年5月21日 (土) 05:04 (UTC)

とのことですが、Wikipedia:投稿ブロックの方針Wikipedia:特定の版の削除のどこにそのような規定があるのでしょう。自分の解釈ではなく、明確な条文として引用してください。Trek011 2005年5月22日 (日) 11:04 (UTC)[返信]

合意形成期間

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提案に、異論が投げかけられた場合には、議論のプロセスに入ります。合理的な期間〔軽微な案件で24時間、中程度の案件で72時間、重大な案件で168時間程度が妥当でしょうか〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。【出典:Wikipedia:合意形成より】--Dalaibaatur 2005年5月22日 (日) 15:38 (UTC)[返信]

ブロックの方針でも特定版削除でもなかったんですね。いい加減なことをいうと、他者の時間を浪費させることになるので注意してください。また、Wikipedia:合意形成のカテゴリは「草案」です。まだ一種の目安程度で絶対的な拘束力をもつルールではありません。私は現行記事に対する疑問をもち、ノートに疑問理由を述べ、2日待った。ノートでホットな議論が行われている最中であれば、常識的に2日は早すぎたかもしれませんが、ノートページの議論は1ヶ月前に終わっていた。したがって誰も来ていない可能性もあると判断して2日で本文差し替え方式によって代案を示した。反対ならリバートすることもできる。現にリバートは行われ、両記事併記の形になった。そして議論は投票にまでなった。合意形成の精神から大きく外れているとは思いません。ノート:大韓民国>技術の項では理由さえ明記せず代案も示さずに、さほど問題のない他者の投稿を消去してしまった事例があります。こちらはルール違反ではないのでしょうか。Trek011 2005年5月22日 (日) 23:31 (UTC)[返信]
Dalaibaaturさん、実際の出展を例示頂きありがとうございました。このように重要な記事が1年以上に渡って草案のままになっていることこそが問題かもしれません。私はこの記事の存在を知りませんでしたので、今後の参考にさせて頂きたいと思います。Trek011さん、今回のケースでは確かに、両記事併記の形で合意形成がなされつつありますが、その犠牲にDalaibaaturさんとTrek011さんとの間に感情的に大きな溝が生じてしまったことが残念でなりません。お二人とも、今まで続いてきた「不毛な」言い争いを望んでいた訳ではないと信じますので、何が問題だったのか、どうすべきだったのか、建設的に話し合いができればいいのに、と思ってしまいます。また、ノート:大韓民国>技術の項についてここで具体的な言及をするのは場違いなので避けますが、「さほど問題のない他者の投稿」というTrek011さんの評価には疑問があります。細かくは別の場に書き込みます。Xmas Steps 2005年5月23日 (月) 02:14 (UTC)[返信]

私は相手の方がどのような性格の持ち主であるかまで責任はもてません。他の方であればより穏やかな対応もありえたのです。そういったことより、私の最初の編集行為がダライ氏が3ヶ月に渡って非難を繰り返してきたような「ルール違反」であるかどうかに議論は絞られるべきでしょう。またダライ氏の当初記事に何の問題もなかったとは言えないのです。Trek011 2005年5月23日 (月) 03:29 (UTC)[返信]

個人攻撃と批判

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誰しも他人の性格には、例え身内であっても、責任など持てるものではありません。責任が持てるのは「自分」の言動だけです。責任を持って行った言動が他者との関係の中で、好ましくない結果(今回のケースで言えば、DalaibaaturさんとTrek011さんとの間に生じた「わだかまり」)をもたらしたのであれば、おのおのが自分の言動を振り返って、反省すべきところは反省すべきです。Trek011さんの最初の編集行為を「ルール違反」だと3ヶ月に渡って言及し続けたことが「個人攻撃」というルール違反だとすれば、「こんなちゃちな術策を弄する人」や「大チベット主義」といったTrek011さんがDalaibaaturさんに対してしてきた評価(Dalaibaaturさんのいうところの「レッテル」)も、Wikipedia:個人攻撃はしない の「他人の政治的立場を決めつけて攻撃しない、例えば論争の相手をナチ、レイシスト、右翼、あるいは左翼と決めつけて批判する。」に違反するものとも考えられます。また、Trek011さんの最初の編集行為は中立的な観点にある、「偏った意見を削除して良いか」という項にある、「われわれの多くは、ある記述が偏った見方から書かれているという事実だけでは、その記述を即削除してしまう理由としては不十分だと考えます。もしもその記述が完全に妥当な情報を含んでいるなら、それを活かすべく編集されるべきで、削除されるべきではありません。」に反するかもしれません。しかし何よりも私が主張したいのは、Wikipedia:ウィキ愛の精神、なかんずく、許し、忘れるということをして頂きたいということです。Xmas Steps 2005年5月23日 (月) 04:20 (UTC)[返信]

どうも戦線を拡大されたようなので、節を改めます。「ルール違反」問題はもう決着が付いたと考えて良いのでしょうか。基本的にはダライ氏が3ヶ月にわたって私の編集行為を「ルール違反」と高飛車な非難を繰り返してきたことに対して、私は「ルール違反」ではないと防戦するという構図です。したがって、この問題に最終的な決着をつけることが先決問題だと思います。次に

>ある記述が偏った見方から書かれているという事実だけでは、その記述を即削除してしまう理由としては不十分だと考えます

この問題については、クリスマス氏との最初の対話で、理由をノートページに掲載し2日待ってから差し替えの形で代案を示したと説明しています。即削除(消去)したわけではなく、ダライ氏のリバートや議論にも応じています。即削除して無視したわけではないのです。そして現在は第三者に白紙委任する形で解決策を模索しています。クリスマス氏はそんな解決策ではダメでまず心情的に和解すべきだといわれるのでしょうか。また、私の片言隻句を捉えて個人攻撃であるとされるのなら、何故ダライ氏の数々の暴言は無視されるのか理解できません。Wikipedia:ウィキ愛の精神は重要な原則ではありますが、われわれは他人を愛するためにウィキにきているのではありません。できるだけ正確で中立的な記事を作成編集するためにきているのです。この目的を達成する限りにおいて、他者の発言や記事を批判することは許されています。したがってダライ氏にある種の政治的偏向があれば、批判してはいけないというルールはないのです。Trek011 2005年5月23日 (月) 05:14 (UTC)[返信]

Trek011さんは、私の言動を「戦線を拡大」したと評価されたように読めるのですが、私にはそのような意図はありません。私は仲裁役として発言しているのであって、どちらか一方に与するつもりはありません。私の現状認識は「個人攻撃の応酬」で、どちらか一方を断罪することは不可能だということ、そしてむしろ、お互いが「許し、忘れる」ことによって解決することができる問題であるというのが、私の主張です。また、Wikipedia:ウィキ愛の精神が重要なのは、「できるだけ正確で中立的な記事を作成編集するために」必要だからです。さらに、他者の発言を批判することは許されても、他人の政治的立場を特定のものと決めつけて批判することは許されていません。Xmas Steps 2005年5月23日 (月) 07:21 (UTC)[返信]

まず、最初の質問は全く無視されていることを指摘しておきます。このコメント欄はそこから派生したものなので、何らかの結論は必要です。また、チベットの伝統的領域を執拗に主張するダライ氏を大チベット主義であると言ったところで、事実そのものを指摘しただけで、改めて立証する必要もないことでしょう。大チベット主義に何かネガティブな意味があると解釈されるのでしたら、その理由を述べてください。大セルビア主義などは歴史用語として普通に使用されています。少なくとも大セルビア主義をレッテルだと非難する声はなかったのです。Trek011 2005年5月23日 (月) 08:50 (UTC)[返信]

最初の質問、すなわち、『「ルール違反」問題はもう決着が付いたと考えて良いのでしょうか。』について無視したつもりはありません。「ルール違反」問題がTrek011さんに対する個人攻撃だとすれば、「大セルビアチベット主義」問題はDalaibaaturさんに対する個人攻撃だと考えます。理由は発言した人は事実を述べている思っている一方で、言われた人が事実でないことを言われていると思っている点からです。これをもって私は「個人攻撃の応酬」と言いましたし、お互いが「許し、忘れる」ことによって解決する、もしくは結論を出すことができると考えています。Xmas Steps 2005年5月23日 (月) 13:23 (UTC)[返信]

ダライ氏が3ヶ月にわたって私の最初の編集行為を「ルール違反」と非難してきたことは明確な根拠のない誹謗中傷であることは認めるわけですね。私から見れば、ダライ氏の行為は個人攻撃を超えた誣告冤罪で、迷惑この上ないことです。また何か勘違いをされているようですが、大セルビア主義は例として出しただけで、ダライ氏が大セルビア主義だと言っているのはありません。こちらの質問は大チベット主義が何かネガティブな意味があると解釈されるのでしたら、その理由を述べてくださいということです。大チベット主義がレッテルなら大セルビア主義も汎スラブ主義もレッテルになってしまいます。明確な理由もなく大チベット主義をレッテルと決めつけないでください。Trek011 2005年5月23日 (月) 23:44 (UTC)[返信]

まず「大セルビア主義」については、間違いなので訂正しました。誤解を招き申し訳ございません。「ルール違反」発言については、草案とはいえ、参照にすべき記事を提示頂いたので、誹謗中傷と判断するには不十分と判断します。また、私がかねてから述べているとおり、【編集方針の対立している項目の文面の改訂は、投稿者たちの議論と同意の上に行うこと】に対するDalaibaaturさんの同意の要請にTrek011さんが明確な回答をしていないことが、「ルール違反」発言を繰り返す大きな要因となっていると考えます。なお、「大チベット主義」について、私はまったくレッテル視していません。私が個人攻撃と判断した理由は上記の通り、「発言した人は事実を述べている思っている一方で、言われた人が事実でないことを言われていると思っている点」からです。Xmas Steps 2005年5月24日 (火) 01:34 (UTC)[返信]

それではまだルールとして採用されていない素案もルールと同じ効力をもつとお考えなのでしょうか。また本人が事実ではないと主張したたけで、個人攻撃となれば、どんなことでも個人攻撃になってしまいます。もはや論外ですね。私としてはこれ以上、時間を浪費したくないので、もう結構です。ウィキペディアはノートページにおける議論を本来の目的とはしていません。いつまでも仲裁とやらを続けられては迷惑です。誰も頼んだわけではありません。Trek011 2005年5月24日 (火) 06:36 (UTC)[返信]

Trek011さんへ贈る言葉:「他の参加者に敬意を払う。」(Wikipedia:基本方針とガイドラインより)これができないためにあちこちで対立関係を生んでいることに気がつかない限り、Trek011さんは今後も様々な「不毛な争い」を引き起こし続けると思います。自分の非を一切認めることができず、他人の非を水に流すことができない人がこのままWikipediaに居続けること自体が現在と将来のWikipediaにとって大きなマイナスであると考えます。今回の対立関係を清算することがTrek011さんとWikipedeiaの利益になると思ったからこそ仲裁役を買って出たわけで、Trek011さんの存在そのものがWikipediaにとってマイナスであるという思った以上、仲裁などできませんので、こちらから辞退させて頂きます。仲裁役は義務ではないので。Xmas Steps 2005年5月24日 (火) 08:11 (UTC)[返信]

やはりこれが目的だったわけですね。仲裁者の姿態をとりつつ、実際には一方的な個人攻撃を行う戦術です。素案もルールと同じ効力をもつと主張したり、また本人が事実ではないと主張したたけで個人攻撃といえるなどと主張されるのには驚きました。まだログインされて間もないようですし、仲裁を買って出るのは少し早いようです。これだけ(利用者:Trek011)投稿していれば、意見の異なる方と多少の摩擦は発生しますが、すべて解決しています。心情的和解ということではなく、記事本文における解決です。今回は本人の特異な性格もあって手こずっていますが、解決の方向は見えてきました。投稿量や活動量を考慮せず、 「あちこちで対立関係を生んでいる」 「自分の非を一切認めることができず」 などと根拠のない非難はやめてください。誹謗中傷にあたります。ログイン後一ヶ月にもならないのに随分大きく出られるものですね。ウィキペディアの目的はバランスのとれた記事の作成であり、心情的に同一なコミュニティーの形成ではないのです。Trek011 2005年5月24日 (火) 20:51 (UTC)[返信]

まず、「仲裁者の姿態をとりつつ、実際には一方的な個人攻撃を行う戦術」は個人に対する誹謗中傷なので訂正を求めます。「素案もルールと同じ効力をもつ」などと主張していません。私の主張は、「ルールになっていなければ無意味ということではない。草案にも程度の違いはあっても参考とすべき価値がある。」ということです。「本人が事実ではないと主張したたけで個人攻撃といえる」のが論外というのであれば、Dalaibaaturさんの「ルール違反」発言を個人攻撃とするTrek011さんの主張も論外と考えます。Trek011さんがルール違反でないと思っていること以外に個人攻撃とする根拠があるのであれば話は別ですが。「あちこちで対立関係を生んでいる」、「自分の非を一切認めることができず」の根拠は、「投稿ブロック依頼/Trek011(2005年5月) 」にあります。ユーザー登録からの期間を引き合いに出して態度を評価する理由も分かりません。また、「心情的に同一なコミュニティーの形成」など目的だとは思ってはいません。Wikipediaがバランスのとれた記事を作成するのに他のユーザーとの協力関係を必要としているので、心理的なわだかまりは協力関係の形成の阻害要因でしかないので解消すべきという主張です。ただ今では、他のユーザーへの敬意を持ち合わせない人が長期間存在し続けることはWikipediaの価値を貶めることになると考えています。Xmas Steps 2005年5月25日 (水) 06:01 (UTC)[返信]

おやおや、仲裁者から攻撃者への見事な変身ぶりですね。Wikipedia:ウィキ愛の精神を説いておられたのはどこのどなたでしたでしょうか。こんな方だから仲裁など無理と申し上げているのです。

>「あちこちで対立関係を生んでいる」、「自分の非を一切認めることができず」の根拠は、「投稿ブロック依頼/Trek011(2005年5月) 」にあります。

それではSnow steed氏の扇動に乗っかっているだけです。自分が批判されただけで、ブロック依頼を乱発する習性まで見習ってしまったようですね。Trek011 2005年5月25日 (水) 07:42 (UTC)[返信]

Trek011さんがルール違反でないと思っていること以外にDalaibaaturさんの「ルール違反」発言を個人攻撃とする根拠はないのですか。ないのであれば、ご自分で「論外」をおっしゃっているのですから、ご自身の発言を訂正されることをお勧め致します。なお、せっかくWikipedia:ウィキ愛を引用していただいたので、この言葉をお贈り致します。「もしウィキ愛に達することができなければ、それはただ百科事典全体としては苦しいものになるということです。フレーム合戦が続けば編集者は駆逐され、偏見に基づいた記事が読者を離れさせ、当分の間はその両方が私たちの評判を傷つけることになるでしょう。」現状はこの通りになっているように思われます。また、「仲裁者から攻撃者への見事な変身ぶり」も「自分が批判されただけで、ブロック依頼を乱発する習性まで見習ってしまった」も誹謗中傷なので訂正を求めます。訂正できないのであれば何をもって「攻撃」といっているのか客観的に説明して下さい。また、私がいつ、「ブロック依頼を乱発」したのか根拠を示して下さい。Xmas Steps 2005年5月25日 (水) 08:12 (UTC)[返信]

もはや仲裁者であることを放棄され、他者の非難に没頭されているようなので、Wikipedia:議論が白熱しても冷静に>「場合によっては、一週間とか、一ヶ月とか、それ以上の間を置いた方がいいかもしれません。その時でも、きっとウィキペディアはここにあるのですから。」によりしばらく中止を宣言します。Trek011 2005年5月25日 (水) 09:17 (UTC)[返信]

こちらは仲裁役の辞退をすでに明言しているのに何をおっしゃっているのか意味不明ですが、最後まで「他人の非難に没頭」という誹謗中傷をつけるのを忘れないところは相変わらずですね。実際には、Trek011さんの誹謗中傷と事実誤認を訂正し、説明を求めているだけなのですが。こちらの問いかけに一切答えないままの中止宣言は無責任ではありますが、合理的な回答を見出せなかった口実である可能性があるように思います。白熱して冷静さを失っての誹謗中傷ということで、1ヶ月以上は活動を自粛された方が頭を冷やすこともできるかもしれないので、お勧めしておきます。Xmas Steps 2005年5月25日 (水) 14:32 (UTC)[返信]

「奇怪な説」の実在性について

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【中華人民共和国成立以前から、日本語にはチベットという表現があった。このような奇怪な説を書く以上、】
とのことですが、私には、このような奇怪な説を書いた覚えなど、まったくないのですが。他人の発言を捏造するなといくらお願いしても、ちっとも改めていただけないのは、大変残念です。「捏造ではない」ような気がするなら、私の実在する投稿の文章のなかから、「中華人民共和国成立以前から、日本語にはチベットという表現があった」という一節を挙げてください。--Dalaibaatur 2005年5月22日 (日) 15:27 (UTC)[返信]

完全な誤解です。文章は冷静に読んでください。このような奇説とは「チベット自治区は中国政府のイデオロギー用語」であるとのダライ氏の説を指しています。チベット自治区成立まで日本語にはチベットという言葉がなく、西蔵だけであったが、中国政府がチベット自治区と言い出したから、日本でもチベットと言い出しのではなく、チベットの語は中華人民共和国成立以前から日本語として存在していたのです。Trek011 2005年5月22日 (日) 23:42 (UTC)[返信]

実際に書いてもいないことを「〜を書く以上、」などといっって提示するのは、どのように言い訳をしたところで【他人の発言の勝手な捏造】に相当します。私は、【チベット自治区成立まで日本語にはチベットという言葉がなく、西蔵だけであったが、中国政府がチベット自治区と言い出したから、日本でもチベットと言い出した】などという奇怪な説を、いかなる投稿でも述べたことはありません。【チベット自治区成立まで日本語にはチベットという言葉がなく、西蔵だけであった】という奇怪な説が実在している私の投稿が、実在するような気がするなら、ぜひそんな文面が存在する私の投稿が、どの投稿に実在しているのか、紹介してください。
この人には、他人の発言を批判する場合には、【実在する文面を【 】でくくって提示し、他人の発言をかってにでっちあげることはやめてください】と何度もお願いしていますが、ちっとも改めてくれません。--Dalaibaatur 2005年6月2日 (木) 00:26 (UTC)[返信]

trek氏の用いるレッテルについて

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trek氏が旧版以来、【この文面】に対して愛用してきたレッテルとしては、以下のようなものがあります。

  1. チベット亡命政府の政治的主張に埋め尽くされている
  2. 中国政府陰謀論を主張している
  3. 大チベット主義の見解そのものである
  4. Dalaibaaturの偏った個人的主張である

これもサンプルに加えましょう。

5.また、チベットの伝統的領域を執拗に主張するダライ氏を大チベット主義であると言ったところで、事実そのものを指摘しただけで、改めて立証する必要もないことでしょう。

trek氏の主張によれば、チベット人が伝統的に「チベット」として認識してきた領域をもって「チベット」とみなすことが「大チベット主義」とやらにあたるそうですが、「西蔵」や「雍正のチベット分割」の項目で、多数の実例をしめしたとおり、清朝の将軍や、当時の中国の勅撰の刊行物なども、西蔵の部分だけでなく、いま青海省四川雲南甘粛に分割されているチベットの東部地方をあわせて、まとめてひとつのチベットであると認識しておりました。この領域を「チベット」とみなすことは、当時のチベット側、中国側一致した見解であったといえます。したがって、いまこの領域をもって「チベット」と呼ぶのは、たんに歴史的事実を認識しているだけにすぎず、「主義」とやらでもなんでもありません。「西蔵」部分だけを「チベット地方」と呼びたがる立場こそ「小チベット主義」といえるでしょう。--Dalaibaatur 2005年7月21日 (木) 21:53 (UTC)[返信]

合意形成期間(その2)

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Wikipedia:ページの編集は大胆に」には、つぎのような記述があります。

もし、あなたが不慣れなウィキペディアンならば、論争の種となる項目を編集する前に、ノートに、編集したいところを抜き出して、どのように変更するかを提示してください。もちろん、その編集の出典も明示します。ノートに提示したあと、しばらく待ってください。1週間程度、待っても反応がなければ、その編集を実行してください。しかし、質問や反論が出た場合には、その調整を終えた後に本文を編集してください。なかなか調整がつかない場合には、投票してみるというのも手段の1つです。

以上、ご参考までに。--Dalaibaatur 2005年7月21日 (木) 21:53 (UTC)[返信]

ノートで一度提示するのは、時間をかけて編集に加わる、方針と理解できます。参考になりました。--Mmm25967 2007年4月17日 (火) 10:28 (UTC)[返信]