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Wikipedia:コメント依頼/Tsubasabbs20110223

利用者:Tsubasabbsさんのこれまでの行動につき、コメントを依頼します。

これまでの経緯

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2011年1月まで(以下の番号付けでは3番まで)の細かい経緯についてはWikipedia:コメント依頼/Tsubasabbs(一回目のコメント依頼)を御覧下さい。

  1. 法的リスク(著作権、肖像権、個人情報保護)の軽視。
  2. 公式方針・ガイドラインの理解不足。
  3. 上1. 2. を指摘された際には逆説教揶揄逆ギレ
  4. 第三者からの指摘にも反省せず、Kinno Angelが悪いと言い募るだけ。
  5. コモンズにおける画像の削除に賛成票で応じる」としておきながら(この時も上記3番と同様、揶揄がくっついている)、問題提起している私に何の報告もなく勝手に意見を変更、存続票を投じ、結果肖像権侵害の諸画像が存続になってしまった
  6. (追加)一度は削除に応じるとしていたこの画像につき、「上記の日本語訳:(当該画像は)正しくライセンスされており、削除するには理由が不十分である。他のDRも参照せよ。」と書き込んで、存続の意思を表明。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 23:57 (UTC)[返信]
  7. (追加) 海外では平気で海賊版が出回っているような時代ですし・・・。と言って、著作権についてまで(本件の問題は肖像権・プライバシー権なのですが)軽視発言。逆説教や揶揄ではありませんが、あなたも生活態度を(中略)神様から与えられた大切な時と機会を有効に使えるように今から改めるよう努力しなさい。またまた逆説教・揶揄
  8. (追加) 他の利用者からも「質問に答えていない」と苦言を呈されているほか、ライセンスへの無理解を懸念する書き込みが複数行われる([1][2])。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 04:14 (UTC)[返信]
  9. (追加) 自分の問題行動につき「聖堂にはびこるカメラ小僧を今まで何の注意もせず野放しにしてきた正教会の執行部にも責任がある」として責任転嫁。世界中で肖像権侵害がはびこっているのだからとスピード違反の論理で自分の行為を正当化。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 15:20 (UTC)[返信]
  10. (追加) 「彼に万が一のことがあったら貴様を絶対に赦すわけにいかない」と暴言(そもそもそういう「友人」の危険性を生み出しているのはTsubasabbs氏なんですけれどね)。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 15:20 (UTC)[返信]
  11. (追加) 暴言(荒らし呼ばわり・プライバシー暴露の脅迫・罵倒、その他)--Kinno Angel 2011年3月2日 (水) 06:38 (UTC)[返信]
  12. (追加) 一度は納得を表明して入れた削除票につき、「it was forced from Kinno-Angel in an discussion」これは、紛れもない事実です。として、「強制された削除票である」とコモンズで表明、依頼者の名誉をコモンズで毀損し、これを第三者から指摘を受けても放置。同コメントで自分に対する指摘の数々を「リンチ」であると示唆。--Kinno Angel 2011年3月2日 (水) 06:46 (UTC)[返信]
注:尤も、ウィキペディアでの活動そのものについてもウィキペディアなんか、あんなものやってたってしょうがないですよ?と呆れ顔で話しておりました。そういう私は主に調べ物(閲覧)で使っておりますが、忙しい合間に気分転換で編集に参加している程度です。としているような人に、順法精神や社会常識を求めても無駄なのかもしれません。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 04:14 (UTC)[返信]

法的リスクを軽視し、なおかつ他者からの指摘を軽視(甚だしい場合には揶揄)するという被依頼者の言動は、コミュニティに重大な悪影響(法的リスク、jawpの信頼破壊、取材者と被取材者の信頼関係破壊)をもたらすものです。jawpとコモンズ両方のブロックが必要と考えますが、皆様の意見を伺いたく思います。--Kinno Angel 2011年2月24日 (木) 15:11 (UTC)[返信]

  • 仕方が無いから申しますが、私はこの被写体の一般人と知り合いなんです。個人が特定不可能なんて冗談ではありません!被写体の肖像権が侵害されているにも関わらず、全くjawpが動かない現状に大変憂慮しています。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 23:57 (UTC)[返信]
    • 複数の方が動き始めてくださいました。感謝の念にたえません。上記「憂慮」部分を線を引いて消去し、jawp全体に対する疑念表明を撤回、皆様に感謝申し上げます。ありがとうございます。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 04:16 (UTC)[返信]

Tsubasabbsさんのコメント欄

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コメント欄

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コメントお話しが交錯しているので、どんな画像だったのかまだ確認していないのですが、一般的な解釈では法的には建物の外部は、特別に許可なく撮影可能で投稿可能です。 建物の内部においてはそこが公共性のあるエリアか私的なエリアかで、判断がかわり、公共性の認められているエリアでかつ撮影禁止でなければ、許可を受けなくても投稿可能です。(公共のエリアにおいて別段撮影禁止になっていなければ使用方法についてあれこれ制限する法的根拠は存在しません。) ただし建物内部にある美術品(キリスト像や宗教画など)は勝手に撮影したり、勝手に投稿することは許されていません。 また撮影禁止でないにしろ迷惑になったり注意を受けた場合、写真を投稿しないのは道義上当然のことです。 --219.115.60.37 2011年2月24日 (木) 20:01 (UTC)[返信]

ウィキペディアとコモンズ上の画像は加工したり、有料での再配布は可能となっていますが、撮影者やウィキメディア財団が著作権の名目で、それを阻止しないというだけのことであって、改変や再配布によって生ずるリスクはそれを行った本人にすべて帰属するので、何でもありと誤解しないことが重要です。 人物の写りこみについては、個人が特定できないほどならば、一般的に大丈夫です。 顔が良く見えて表情まで分かるようなものは、相手に十分な説明とウィキメディアの中に掲載されるときに、どういう条件で利用されるのか説明し、本人の許可をもらった事を客観的に証明する必要があります。したがってとりあえず掲載不可と考えた方が良いでしょう。 --219.115.60.37 2011年2月24日 (木) 20:01 (UTC)[返信]
コメント 画像はこれこれです。投稿者Tsubasabbs氏から十分な説明どころか「存続OK!」という意見が出されたために、海外ユーザーは「別にいいじゃないか存続で。礼拝はパブリックスペースだ」と、日本の実情を知らない意見が優勢となり、日本人の日本における肖像権・権利概念が著しく侵害されることとなってしまいました。私はTsubasabbs氏に猛省を求めます。
このような事が許される前例を作れば、全国の寺社仏閣・教会で、「コモンズでは権利が認められた」などと強弁されて肖像権侵害が世界レベルで多発しかねません。--Kinno Angel 2011年2月24日 (木) 23:54 (UTC)[返信]
今画像を確認しましたが、背景に美術品が写っています。著作権の保護機関が満了かどうか確かめる必要があります。 神社仏閣でも考え方は同じで、信者だけでなく不特定多数に開放して出入りを認めている礼拝堂やホール、通路ならば公共の場です。 信者のみ立ち入れるタイプの礼拝堂はプライベートです。 ただし仏閣の場合、撮影すると殆どの場合(仏教の常識として)怒られるはず。 法的には公共の場であっても撮影禁止の張り紙があるか撮影して注意された場合は投稿不可能。 それ以外は投稿可能です。 甘すぎると法律違反ですが、厳しすぎはプロジェクト自体を否定する事になるのでどちらにもならないように適切な判断が必要です。--219.115.60.37 2011年2月25日 (金) 04:56 (UTC)[返信]

コメント法的問題などについてはWikipedia:井戸端#肖像権侵害・プライバシー侵害・権利者の許諾が無い画像についてに書きました。219.115.60.37さんの意見におおむね同意します。ご承知かと思いますが、美術品については、いわゆる映り込みの問題として、どこまで思想感情を感得できるかにも拠ることを指摘しておきます。

Tsubasabbsさんの会話ページに「勝手に(本来の目的以外)に使用したり無断で改変したりすることは一切認めません! それゆえ著作権は放棄しません」とありましたが、CC-BY-SAとGFDLのデュアルライセンスでは、勝手に使用したり無断で改変することを認めていることになります。Tsubasabbsさんが上記意見を改めていないのであれば、ライセンスを理解していないままの投稿であるとして、ご自身で削除依頼をすることをおすすめします。--Ks aka 98 2011年2月25日 (金) 05:32 (UTC) 井戸端のリンクが届いていなかったので補完しました--maryaa 2011年2月25日 (金) 10:59 (UTC)[返信]

>ライセンスを理解していないままの投稿であるとして、ご自身で削除依頼をすることをおすすめします。
Ks aka 98さんの「おすすめ」ですが、それは、何度も私は指摘したのです(主なものだけで二回:「ウィキメディア・コモンズの方針について何一つ御理解頂けていないようです」「今回が最初ではありません。法的リスクを軽視されませんよう。心からの忠告」)。彼が「勝手に(本来の目的以外)に使用したり無断で改変したりすることは一切認めません。」と言ったのは、私の指摘の後です。しかもこのコメントの際にも「逆説教」:「あまり感情的にならずに成熟した紳士淑女らしく、また宗教者らしく行動しましょう。」つきでした。
つまりTsubasabbsさんは、ガイドラインを理解出来ないか、もしくはする気が無いかのいずれかであり、ガイドラインについて指摘しても逆説教で返す人であり、しかも間違いを何度も指摘されても自分で責任ある行動をとることは出来ず、しかも自分で言った「削除票を投じる」の前言撤回を平気で出来る人物だということです。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 09:21 (UTC)[返信]
投稿者本人が削除に動けばこんな余計な議論は起きていないのに、投稿者本人が「存続!」に投票してしまったものですから、私が問題ある画像の法的問題につき、英語で説明しなければならない状態に陥ってしまっています。このような状態にも関わらず、Tsubasabbsさんは全く反省せず暢気に各種投稿を続けています。事態はjawpの信用問題に関わります。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 14:10 (UTC)[返信]

コメント前回のコメント依頼のときから、人の話を聞かないなあという印象を持っています。どうしてこんなことをしたのか、結局ライセンスをどうするつもりなのか、公開許可をとらないままでよいと考えるのか、改めて本人の説明が欲しいです。--Kinori 2011年2月26日 (土) 03:50 (UTC)[返信]

コメント しかし、教会としては撮影して構わないと許可して、使い道の制限はしなかったのですよね? こういう状況では法的には、司教様は肖像権は主張しないという合意があったとみなして問題ないし、本人からの申し出で何とかして欲しいという申し出があった場合、穏やかに本人の申し出に沿うかたちで対応すべきケースと思いますけどね。 司祭様のような実名で演説されるのが職業の方で、不特定の人に撮影を許可しておいて、使い道の制限はしなかったたら、写りこみでアップロードされたからという理由で肖像権を盾に法に訴えることは実質できません。 またプライバシーの侵害とは個人のプライベートを内緒で撮影してアップロードすることに類する行為ですから今回はそれに当てはまりません。 Kinno Angelさんが司教様とお知り合いなら教えて差し上げることをお勧めします。 お顔だってはっきり見えてませんよね。 法的に問題なくても本人の申し込みがあった事を説明して数名の合意があれば削除はできます。 これ以上Tsubasabbsさんをとっちめるのはやめといた方がいいですよ。--219.115.60.37 2011年2月26日 (土) 04:24 (UTC)[返信]

報告 以上の219.115.60.37 2011年2月26日 (土) 04:24 (UTC)のコメントは、「#これまでの経緯」節に投稿されていましたが、この#コメント欄に移動させ、インデントを調整し、冒頭に{{コメント}}を付しました。--mizusumashi(みずすまし) 2011年2月26日 (土) 08:00 (UTC)[返信]

コメントたぶん、Kinno Angelさんのおっしゃるように、教会をパブリック・スペース(公共の場)と考えるかどうかは、欧米と日本で一般的な意識の違いがあるだろうと思います。何がパブリック・スペースか、というのはそれぞれの社会の歴史的伝統に根ざしたものである場合があるので、国や地域よって差異があって当然です。
また、日本の判例では、特殊な事例ではありますが、パブリックスペースの典型とされる路上においても「個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由」が認められています(最判S44.12.24 刑集23.12.1625)。日本では、礼拝堂内部が路上よりもさらに公共的でプライバシーの制約が強い場所だとは考えないでしょうから、日本の判例を前提とするならば、パブリックスペース論だけで問題の写真の撮影・配布を正当化することには無理があるでしょう。
もっとも、Tsubasabbsさんは「一声かけて許可を得てから撮影しております」とおっしゃっていますので、その「一声かけて」の内容および前後の文脈などからの解釈によっては、肖像権の問題はないということになろうかと思います。
ただ、このコメント依頼の展開をみていて疑問に思ったのですが、commons:File:Takasakiseikyoukai4.JPGの奥のやや年配の男性は、いわば「職業的な」聖職者なのでしょうか? 誰かが個人的にご存知なことではなく、正教会の一般的な知識として教えていただきたいのですが、この写真のような状況において、このように振舞っている方は聖職者ではなく一般の信徒から選ばれた方である可能性が高いのではないかと疑問に思っています。なにか服装などから、より踏み込んだ判断が可能であれば、それも伺いたいと思います。
画像に移りこんでいる絵画の著作権や、画像以外の点についても懸念はあるのですが、私の考えがまとまっていないこともあって、今はコメントを控えます。--mizusumashi(みずすまし) 2011年2月26日 (土) 08:08 (UTC)[返信]

今、時間がありませんので一つだけ。奥に写りこんでいる男性は単なるステハリを着た堂役です。堂役というのは聖職者ではありません。--Kinno Angel 2011年2月26日 (土) 08:22 (UTC)[返信]
みずすまし様、投稿場所を修正してくださってありがとうございます。 堂役さんの写り方は判断が難しいですね。写りこみと見るか、被写体と見るか人によって議論が別れそうです。そして堂役さんということであれば、教会のスタッフですね。 単なるスタッフさんであれば、一般人なので、少々まずいような気もします。--219.115.60.37 2011年2月26日 (土) 16:15 (UTC)[返信]

コメント「投稿者本人が削除に動けばこんな余計な議論は起きていない」というのは、事実誤認だと思います。 Commonsでの削除依頼で「存続」の結論が出たのは、あくまでClosing Adminの判断であって非依頼者の賛否は無関係でしょう。また、削除依頼の場で新しい見解を聞いたことにより非依頼者の意見が変わったとしても、別に非難すべきことは何もありません。本件では権利侵害になるのかどうかの結論が必ずしも明らかではないのですから、Commonsの管理者たちの意見を信じる立場から見れば「依頼者が誤まった情報で被依頼者を騙して削除に同意させた」のような言い方も不可能ではありません。そのあたりも考慮したうえで、お互い善意にとって行動することが大事だと思います。

なお、問題になっている画像(および同様の画像)のアップロードを止めたいのであれば、日本法ではそれがプライバシー侵害に当たるというしっかりした根拠(法律の条文、判例、権威ある学説等)をCommonsにおいて示してやる必要があるでしょう。ちなみに、上でmizusumashiさんが紹介されている最高裁判例は「みだりに撮影されない権利」を認めたものですが、最終的には「正当な理由があれば撮影OK」と言っているわけですから、撮影する側の「表現の自由」と撮影される側の「みだりに撮影されない権利」のバランスが問題になったときには、どういう結論になるのか結構解釈が難しいだろうと思います。--Dwy 2011年2月27日 (日) 08:18 (UTC)[返信]

すみません、Dwyさん、コメントはありがたいのですが、これまでの経緯をしっかり御覧になった上でコメントして頂けませんか?
>「被依頼者の賛否は無関係でしょう」
賛成票を入れている以上「無関係」など有り得ません。
>削除依頼の場で新しい見解を聞いたことにより非依頼者の意見が変わったとしても、別に非難すべきことは何もありません。
「意見を変えた」ことではなく「二枚舌を使った」ことを問題にしているのです。
>本件では権利侵害になるのかどうかの結論が必ずしも明らかではないのですから
「権利侵害になるのかどうか明らかではないのだから使うのOK」というのがDwyさんのお考えのようですが、私の主張は「これは権利侵害だ!」にとどまらず、「『権利関係が確認されていない』の段階だったとしても、そのレベルであっても使うべきではない」と私は申しております(会話ページなどでの指摘はそういう趣旨です)。その辺が全く通じていないようですが、それについてはコメント依頼では明確ではないかもしれませんので、井戸端での私の発言を御覧下さい。
>Commonsの管理者たちの意見を信じる立場から見れば「依頼者が誤まった情報で被依頼者を騙して削除に同意させた」のような言い方も不可能ではありません。
どうして私については悪意ある想定をされ、被依頼者についてのみ善意にとろうとされるのか理解に苦しみます。--Kinno Angel 2011年2月27日 (日) 11:21 (UTC)[返信]
コメント 井戸端にも書いておきましたが、こちらにも書いておきます。
「権利侵害かどうか明らかではないから、(削除すべきかどうかは)何とも言えない」という意見がこちらでも井戸端でも出ています。
しかしですね、少なくとも「確実に無問題」というのは、日本のユーザーからはTsubasabbsさんを除いてゼロでしょう。「問題があるかもしれない」までは認めている方が殆どでしょう(違いますか?)。
「権利関係が明らかではない」のなら削除する、それが著作権などにみられるウィキメディアにおける大変慎重で賢明なやり方ではないですか?「明らかではないから、権利侵害であることを明らかにしてから削除するべきだ」という見解は、著作権や存命人物の伝記といった同種の法的問題対処と著しく乖離した価値観と思いますがいかがでしょうか。--Kinno Angel 2011年2月27日 (日) 11:35 (UTC)[返信]
WikipediaとCommonsではかなりルールが違いますよ。Commonsは著作権にはすごく厳しいですが、その他の権利(プライバシー権等)については「当事者(画像をアップロードする人や使用する人)の責任でちゃんとやれ」となっている部分が大きいです。Commons:Commons:個人の人物写真をしっかりお読みになれば分かりますが、肖像権やプライバシー権の侵害が懸念される画像であってもCommons:Template:Personality rightsを貼り付けてお終いということです。日本人の法感覚として「おかしい」と思うのは分かりますが、問題はCommons全体のことであって、Tsubasabbsさん個人のことではないと思います。--Dwy 2011年2月27日 (日) 13:23 (UTC)[返信]
二点申し上げます。
>WikipediaとCommonsではかなりルールが違いますよ。
そうなのかもしれませんね。その辺は私の認識不足があったかもしれません(まだ確認中ですが)。ですが
>問題はCommons全体のことであって、Tsubasabbsさん個人のことではないと思います。
違います、Tsubasabbsさん個人の問題も大いにあります。彼は自身の会話ページで「画像の件について 申し上げますが、勝手に(本来の目的以外)に使用したり無断で改変したりすることは一切認めません!それゆえ著作権は放棄しませんが、ウィキペディア内においては皆様に自由に使って頂けるように設定しました。営利・商用目的または本来の目的以外に用いられることは一切認めませんが、人類の英知のために皆様の編集されたページにて資料として用いて頂けるのであれば喜びこの上ありません。」と述べています。つまりコモンズについてのライセンスを一切理解していなかったのです。これを私は繰り返し指摘したのですが、論点をずらす揶揄を含む対応ばかりがなされてきたのは、前回コメント依頼の通りです。そして彼には、この見解が変更されているのかどうか会話ページにおいて二人から問い合わせを受けているにも関わらず([3][4])、返答をせずにコモンズでせっせと存続票を投じています。対話不可能と言い得る域にも入って来ています。--Kinno Angel 2011年2月27日 (日) 14:05 (UTC)[返信]
Tsubasabbsさんが「勝手に(本来の目的以外)に使用したり無断で改変したりすることは一切認めません!それゆえ著作権は放棄しませんが、ウィキペディア内においては皆様に自由に使って頂けるように設定しました。営利・商用目的または本来の目的以外に用いられることは一切認めませんが、人類の英知のために皆様の編集されたページにて資料として用いて頂けるのであれば喜びこの上ありません。」と仰っても、それまでに散々警告文は画面上に出ているわけであって、「著作権放棄をしない」ことだけは一応通りますが、残りの制限条件は投稿ボタンを押してしまえば全部無効になってしまいます。 見落としたことは理由として通用しませんが、後で指摘されて状況を知って後悔しているなら自分で削除依頼を出すことが可能です。 肝心な点は、果たして状況を知ったTsubasabbsさんが今もまだ頑固に無効になった条件を主張し続けているか否なか?という事になるでしょうね。--Gyulfox 2011年2月27日 (日) 14:31 (UTC)[返信]
Commonsのルールがお分かりになっていないようですからもう一度だけ登場しますが、Commonsにアップロードするときのライセンス付与は後から撤回できません。アップロードした本人がどこで何を言おうがライセンスの効力には全く影響を与えませんし、本人が「勘違いしていたから削除してください」と言っても(著作権の問題等の理由がない限り)削除にはなりません。この点は、例えばCommons:Commons:Village pump#Personality rights and images of living peopleのあたりの議論をお読みになれば分かると思います。--Dwy 2011年2月27日 (日) 15:03 (UTC)[返信]
Dwyさん、そうしますと、[ http://commons.wikimedia.org/wiki/Template:Personality_rights Template:Personality rights]には「このファイルを利用することで第三者の人格権が侵害された場合、責任はその利用者が全面的に負うものとします。」とあるのですが、「人格権について勘違いしていたから削除を要請する」というのは、投稿者であっても出来ない、ということですか?--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 04:21 (UTC)[返信]
Kinno Angelさん、短文なので良く読みましょう。Dwyさんの回答の括弧内に(著作権の問題の理由がない限り)とちゃんと書いてあります。--Gyulfox 2011年2月28日 (月) 12:27 (UTC)[返信]
Gyulfoxさん、もちろん読んでおります。だから「等」の中にこの問題が含まれるのか聞いているのです。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 12:36 (UTC)[返信]
あれ?文脈が読めないのですか?含まれてるに決まっています。違法性がないかぎり、勘違いした、では削除理由にならないという意味ですよ。--Gyulfox 2011年2月28日 (月) 12:53 (UTC)[返信]
法的問題につき「等」「文脈」「決まっている」といった曖昧な文言で済ませたく無いのです。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 13:22 (UTC)[返信]
えらそうな口を利いてしまいましたが、私もCommonsのルールに精通しているわけではありません。私の知識は、上で引用したCommons:Village pumpの議論からリンクでたどれる議論を斜め読みした程度のものですので、そのことをまずお断りしておきます。
Kinno Angelさんがお読みになったテンプレートで「人格権」と言っているのは実はPersonality rightの訳なので、実際には「パブリシティ権」のことです。CommonsはPersonality rightには冷たいようで、投稿者が「第三者のPersonality rightについて勘違いしていた」と言っても、「それはあなたとその人の問題ですから、あなたの責任で処理してください。Commons側では関知しません」と言われて、削除にならない可能性が高いような気がします。
ただし、本当の人格権(人格権としての肖像権やプライバシーの権利)については少し話が違うようで、当該写真が日本法では人格権の侵害に当たるということをちゃんと示すことができれば、おそらく削除が認められるのではないかと思います。しかし、上にも書きましたが、それにはちゃんとした根拠(法令、判例、権威ある学説)を示してやる必要があるでしょうから、裁判所がどう考えているのか必ずしも明確ではない現状では、かなりハードルが高いかもしれません。
なお、Commonsの井戸端でYasuさんがおっしゃっているように、「投稿者が依頼しているから」という理由では削除になりません。また、上記の人格権侵害を理由とする削除要求も、投稿者自身からの要求であることによって特に有利になることはないのではないかと思います。(被害者からの要求であれば、ひょっとしたら少し話が違うかもしれません。その場合は本人確認が必要になるでしょうから、通常の削除要求のルートではなく、直接財団の苦情窓口にコンタクトされる方が良いと思います。)--Dwy 2011年2月28日 (月) 17:47 (UTC)[返信]
コメント 大変参考になります、ありがとうございます。色々方策について私としても検討しようと思っております。
で、あまり質問ばかりしていると「ググれ、自分で調べろ」と言われてしまいそうですが(汗)、慣れている方には常識的なことでしたら御教示頂きたいのですが、コモンズの井戸端で「ボカシを入れるなどする妥協をしてはどうか」と言われたのですが、私がボカシを入れた画像をアップし直すということは可能ですよね?お話を伺っていると履歴削除も相当ハードルが高そうですが、取り敢えず、ボカシを入れようとは思っているのですが、それを投稿者もしくは第三者が差し戻す自由もあるということ、そういう理解で間違いないでしょうか?--Kinno Angel 2011年3月1日 (火) 02:27 (UTC)[返信]
コメントどうしても心配であるなら建設的にボカシを入れて解決することは良いことだと思います。また自由に戻せるにしろここまでこじれたら荒らし以外は誰も差し戻そうとするユーザーはいないでしょう。--Gyulfox 2011年3月1日 (火) 05:33 (UTC)[返信]


どうやら、この発言から未だ正しい認識はなされていないようにしか見えませんね…--Jixros 2011年2月27日 (日) 16:29 (UTC)[返信]
↑現状とそぐわなくなったため取り消し--Jixros 2011年3月1日 (火) 16:23 (UTC)[返信]
連続投稿により可読性を損ない申し訳ありません。経緯欄に最近の動向を加筆し複数参加者がありますことに感謝の意を表明Dwyさんにコモンズでのルールについてお問い合わせしました。ここでもコメントを下さっている皆様に感謝申し上げます。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 04:27 (UTC)[返信]

Dwyさんの回答を待ちたく思います。さて、上記に追加しました経緯をみると、これはもう「遵法精神欠如」「ガイドライン軽視と無理解」「対話拒否・対話軽視・回答拒否・暴言」で、早急にブロック依頼すべきと思えてきました。ただそうなると、コモンズでの問題画像の処理に支障が無いかどうか気にはなっています。--Kinno Angel 2011年2月28日 (月) 15:20 (UTC)[返信]

Kinno Angelさんのお気持ちも良くわかるのですが、法的に権利侵害があるといえるかどうかあやしい現状では、「遵法精神と言うけど…どちらかと言えばあなたの方が表現の自由の抑圧では?」とか「Commonsのガイドラインをちゃんと理解していなかったのは誰?」とか「暴言というなら、私も二枚舌なんて言われたくないんだけど・・・」のように言えなくもないんですよね。いずれにしても、ここで被依頼者の責任を追及したところで、「コモンズでの問題画像の処理」の役には立たないですし、同様の事例の防止にもつながらないと思います。まずはプライバシー権・肖像権についての判例や学説等を調べて、「ああいう写真はプライバシーの権利侵害になる」というしっかりした(Commonsの管理者も納得するような)根拠を探すのが先決なんじゃないでしょうか。--Dwy 2011年2月28日 (月) 17:47 (UTC)[返信]
コメント
>表現の自由の抑圧
法的リスクを回避するよう努めることが「表現の自由の抑圧」とは思いません。そもそも顔にボカシを入れてアップするなどの配慮は、日本の状況を考えれば最低限必要だった筈なのです。顔にボカシを入れても、「表現の自由が損なわれた」と思えるような事例では無い筈であり、被依頼者にそうした配慮がハナから無かったということです。
>同様の事例の防止にもつながらない
残念ながら残念ながら、それは全くその通りだと思います。jawpでブロックしたとしても、コモンズでは今後Tsubasabbs氏は(実際には「法的問題は利用者本人に帰属するだけであり勝手にやればいい」と冷たく言われているだけなのに)「お墨付きを得た」と勘違いしてやりたい放題になるだけでしょう。被依頼者に対する信頼がもはや全く無くなってしまっているのも事実です。
>Commonsのガイドラインをちゃんと理解していなかったのは誰?
これについては心情面でかなり納得しますし、私に対する批判があればそれは受け止めますが(色々と御教示に感謝しております、ありがとうございます)、一方で反論として、そもそも「アップロードの段階で表示される程度のガイドラインへの理解」がTsubasabbs氏にあれば、このような事になっていなかった、という事は言えます。
たとえばjawpで「節タイトルにはリンクを張らない」といったガイドラインを知らなかった、というのと、投稿する場所には必ず書かれている「もしあなたが自身の文章を勝手に編集や再配布してほしくないのなら、ここに投稿しないでください。」を読んで居なかった、ではレベルが全く違う筈です。この点でもTsubasabbs氏は「教会の看板をそのまま書いた内容であり、改変しないで下さい」といった文言で投稿していた過去があり(その記事群は削除済みです)、jawpでもコモンズでも、ライセンスについて全く考慮してこなかった過去があるのです。
そして未だに、Tsubasabbs氏は「本来の目的から外れた使用は許しません」といった、まるで頓珍漢な発言を撤回してはいませんし、「私のアップした画像が他に流用(悪用)されなければ問題ないものと判断します。」といった頓珍漢な発言を繰り返す始末です。
つまり、「知らなかった」と「明らかに表示されているものを読んでも居ない」とでは全くレベルが違うのであり、「読んでも居ない」上に「他者から指摘されても逆説教・揶揄で返すか、もしくは論点をずらした返答しかしない」「他者からの指摘を認識できない」というのは由々しき問題であり、今後類似の問題がjawpでも発生し続けると考えます。
そもそも「海外では海賊版が当たり前のご時勢に」みたいに言って法を軽視しているのが問題なのです。「知らなかった」と「ハナから尊重する気が無い」というのとでは、レベルが全く違います
ここまで他者からの指摘を無視し続けて同様の問題を起こし続けているユーザーというのは、法的問題を抜きにしても、相手の指摘の趣旨が分っていないのですから対話不可能を以て、ブロックされて当然でしょう。そもそも以前の著作権関連の問題の時にブロック依頼しておけば、このような事にはならなかったのかも、とすら悔やんでおります。これは「同じ領域での貴重な執筆者が現れた」と思った、私の心情的甘さが大いにあったと思って反省しているところです。
>法的に権利侵害があるといえるかどうかあやしい現状
これにつきましては、「あやしい」のであれば「削除」するのが当然、というのがjawpのあり方であると考えておりましたので(実際著作権や存命人物の伝記に関して非常に敏感な対処がjawpでなされてきており、それには敬意を持っております)、「立証されなければ存続」という価値観がウィキメディアプロジェクトで有り得る、という想定がそもそも私に無かったということです。
そういう意味で、色々と対処して下さっているjawpの編集者の皆様には感謝しておりますし良識もあると思えるのですが、コモンズに対する不信感は増えたというのが正直なところです。
Dwyさんお勧めの立証までするかどうか、膨大な作業量が必要になるでしょうし、正直悩んでおります。「疑わしきは削除」という価値観がコモンズにもあると(勘違いして)思っておりました私は、「コモンズにおいては『疑わしきは存続』だ」といわれますと、高過ぎるハードルに躊躇するというのが正直なところです。
法的問題は抜きにしても、対話不可能とガイドライン軽視(無知ではなくハナからの軽視)を以て、ブロック依頼をすることを今は考えております。コモンズでの類似例の発生はもう止めようが無いかもしれませんが、仕方ありません。少なくともjawpでの著作権軽視(著作権軽視発言は直近でも繰り返されています)は止められると考えます。--Kinno Angel 2011年3月1日 (火) 02:27 (UTC)[返信]
とりあえずTsubasabbs氏がコモンズの考え方を理解されたことは、[5]にて確認されたので、ここに報告をしておきます。--Gyulfox 2011年3月1日 (火) 17:13 (UTC)[返信]

コメントTsubasabbsさんは、Wikipediaでの活動を縮小される方向でお考えの御様子ですので、現時点ではブロック依頼の必要はないと思います。ルール軽視・無理解もありましたが、おそらく問題の本質は、Kinno Angelさんとの軋轢にあるように思います。最初にちょっと不幸なやり取りがあったため、それが長く尾を引いたのでしょうか。個人の気質からくるものもあるでしょう。Kinno Angelさんからの注意を素直に受けいれる心情になることが出来ず、あれやこれやと話を振りまわしているうちに、結果としてルール軽視を生みだしてしまった、ということではないでしょうか。今回のことは、Tsubasabbsさん、Kinno Angelさんの双方にとって悲しむべきことで、私は心を痛めます。ですが、各種問題が生じたことは事実ですので、その点はTsubasabbsさんは直視してほしいです。同じ問題がまた発生すれば、さすがにブロックは避けられないでしょう(しかし、さすがにもうそんなことはないと思います)。

以下はここで言うことではないかもしれませんが。できることなら、Kinno Angelさんも、もう少しやわらかい言葉をかけてあげて下さい。私たちには自明のことでも、初心者にはさっぱりのこともあります。私たちには当然守るべきルールでも、初心者にとっては理不尽な言いがかりに見えることもあります。アドヴァイスをした相手から、(私たちにとっては奇矯に思える)反応や怒りが返ってきたとしても、それをさらっと流して、笑顔で一から噛み砕いて説明することが求められる場面もあるわけです。ともかく、Kinno Angelさんご自身が、次段階の対応をなされるのは、お互いにとってあまり幸福なことではないように思います。--アイザール 2011年3月1日 (火) 17:38 (UTC)[返信]

  • 一切自省もせず、私の指摘に対して誠意ある返答をせず、コモンズに私の名誉を一方的に毀損する書き込みを行い…さらにこの発言(荒らし呼ばわり・脅迫)は、取り消し線が引かれましたが、取り返しのつかない暴言ではないでしょうか。しかも他者から指摘されているのに私に対する謝罪はありません。通常であればこの暴言だけでもブロックに相当します。もはや正常な状態とは言えません。ブロック依頼を提出する意向を強くした次第です。それも当初は「方針文書の要熟読」を理由とする有期限を志向しておりましたが、もはや危険なユーザーであることを以て無期限を志向しています。--Kinno Angel 2011年3月2日 (水) 06:30 (UTC)[返信]
  • 一つ確かに言えるのは、冗談抜きで私は脅迫されているということです。彼は私のことについて見当がついているようですが(本当かどうかは存じませんが)、私は彼について見当がつきません。立場的に圧倒的に不利となりました。「余計なことをしたからこうなったのだ、自業自得だw」と思われる向きもあるでしょうが、私としては、著作権・肖像権・プライバシーの保護に向けて誠心誠意努力してきたつもりです。その辺の事情を第三者の皆様には御理解頂きたく思います。--Kinno Angel 2011年3月2日 (水) 06:46 (UTC)[返信]
  • 連続投稿をお詫び申し上げます。経緯欄に先ほど二つ加筆しましたが、ブロック依頼にまとめることになるかとも思います。本来であればもっと早くにブロック依頼を出せばよかったのだ、と後悔しております。ここまで著作権について軽視するようなユーザーが居て、指摘に誠意ある対応が無ければ、「方針文書の要熟読」としてブロック依頼を普段だったら出しているところでした。これはひとえに、私が「珍しく私と同じ領域の執筆者が現れた」ことを喜んだため、判断に甘さが出たことは否めません。
  • 「優しい言葉をかけるように」というご指摘が私に対してありました。しかし最初の書き込みは(自分で言うのも何ですが)かなり丁重なものです([6])。これに1週間待っても返事が無かったため、さらに丁寧に返答を促しています([7])。で、Tsubasabbs氏から全く理解出来ていないコメントが返ってきたので(ガイドラインを一つも読んでいないとしか思えない内容でした)、私からしたのがこれこれです。…相当「優しく」しているつもりなのです。これに対し彼は「早急に削除を要請いたします。」と述べました。しかしのちに彼はコモンズにおいて、この「削除要請」を「強制されたものだ」と主張しています。…一体正常な対話が可能な人物なのか、どうか御賢察下さい。--Kinno Angel 2011年3月2日 (水) 07:02 (UTC)[返信]

まとめに向けて(総括ではありません)

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謝罪ではなく捨て台詞と申しますか、そういう書き込みがTsubasabbsさんから当方の会話ページになされました。
他方、人物の画像が鮮明であり最も問題であった画像の削除依頼が通り、状況が変わりました。またいま一つの削除依頼の方はまだ決着が着いていませんが、前者よりは問題の度合いが低く、緊急性は相対的に低いものではあります(それでも削除が必要だと私は考えておりますが、コモンズでのガイドライン上存続が決まってしまうのであれば、これ以上の抗弁は諦めようとも思っております)。
当方への書き込み内容と、緊急性の高い画像の削除が行われたことを以て、ブロック依頼は当面必要ないものと判断します。
これまでのTsubasabbsさんの言動、すなわち著作権・肖像権・プライバシーへの配慮の欠落、ガイドラインの軽視、そして何よりも指摘に対する不誠実な対応(暴言・脅迫を含む)というものは、正直言って大変に不愉快なものであったばかりでなく、当然にブロックされなければ公平を欠く物であるとすら私には思えます。
また、当方の会話ページへの書き込みについても、謝罪の一言すらありません。
しかしながらブロックは懲罰のために行われるものではないこともWikipedia:投稿ブロック依頼に明記されています。
5日間、他に異議が無ければ、当面、緊急の問題は片付いたものとし、ブロック依頼を提出せず、コメント依頼を終息させて頂きたく思います。
くどいようですが、これは問題に区切りがついたための対処であり、Tsubasabbsさんが無問題であると判断したことによるものではありません。次に法的問題・ガイドライン軽視・指摘への不誠実な対応といった問題がもし起きれば、その時にはコメント依頼を出さず、即座にブロック依頼を出す事も有り得ることを付言させて頂きます。
コモンズのガイドラインに関わる厄介な問題にも関わらず、コメントを下さいました皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。--Kinno Angel 2011年3月7日 (月) 06:44 (UTC)[返信]
Kinno Angelさんだけを責める気もないし、これをきっかけに対立するのも困るのですが、一言述べます。 色々あったにしろ、結局画像の違法性について灰色で終わったものについて、法を持ち出して一方的に断罪したということは、Kinno Angelさんの勇み足に相当します。 また意見の変更理由も聞いていないにもかかわらず、「二枚舌」これは暴言です。 さらに散々尻尾を突き出して、つかまれたことについては、冷静に考えるとKinno Angelさんの自己管理能力の欠如が原因であって、立場が危うくなったことはそうでしょうが、それにかかる「脅迫行為があった」「危険なユーザー」と断言したのも暴言になります。 今後は十分に注意された方が良いでしょう。 謝罪については、つまりKinno Angelさんは決して威張れた立場にないように思います。 第三者からのもっと優しい言葉をという意見に対し、「最初は丁寧でしたよ」と言う発言は言い訳にすぎず、客観的には(最初だけではなく)、終始優しい言葉をという意味です。  またコメントの総括をされるのであれば反対はしませんが、上記のように自分の気持ちや立場ばかりを述べるのではなく、第三者にもらった意見を中心にして、事がどう運んだかということを客観的に記述するものです。 どうしても第三者の声が耳に入らず、客観的にもなれないという場合は、変則的ですが誰かベテランさんにお願いして総括してもらい、自分の総括に変えるというのも良いでしょう。 状況の好転を受けてブロック依頼を思いとどまったことは、懸命だったと思います。--Gyulfox 2011年3月7日 (月) 07:39 (UTC) [返信]
すみません、相当一方的な話になっていますので申し上げておきます。
>灰色で終わったものについて、法を持ち出して一方的に断罪したということは、Kinno Angelさんの勇み足に相当
「灰色だったら問題外」というのが私の判断だったのでして、その辺まず誤認があります。
>さらに散々尻尾を突き出して、つかまれた
すみません、これは一体何を意味しているのでしょうか。暴言・脅迫をされた方が悪い、という意味でしょうか。
>「最初は丁寧でしたよ」と言う発言は言い訳にすぎず、客観的には(最初だけではなく)、終始優しい言葉をという意味です
逆説教・揶揄を受けても、そしてその返事についてガイドラインへの認識が全然なされていない(つまりこちらの言葉を全然読んでいない)場合でも、「優しい言葉」でなければならないということなのでしょうか。それは一つの価値観としては承りますが、それに対して私に対し、相手から返って来た暴言の数々に対して甘すぎはしませんか。全くその辺の指摘をされていないのは不公平でしかありません。
>上記のように自分の気持ちや立場ばかりを述べるのではなく、第三者にもらった意見を中心にして、事がどう運んだかということを客観的に記述するものです。
そもそも誰も総括なんて言っていません。だからこそ「総括」ではなく「まとめに向けて」と申しているのですが。どなたにも相談せずに勝手に私が総括してしまっては、それこそ参加者に失礼でしょう。その為の断り書きとして書いたつもりだったのですが。私に対して「どんな暴言を吐かれようと優しく」と言っておきながら、御自身は一体どういう姿勢で居るのか、自省をお願いします。--Kinno Angel 2011年3月7日 (月) 10:53 (UTC)[返信]
何だか「まとめに向けて」と書いた節を曲解する方がいらしたので(そもそもその方は過去「短文なのでよく読みましょう」と私に横から割って入って説教してきた方なのですが、御自分は節タイトルすら読んではいないようです)、節名に「総括ではない」旨、明記しました。--Kinno Angel 2011年3月7日 (月) 11:06 (UTC)[返信]