Wikipedia:チェスタトンのフェンス
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This page in a nutshell:あるものが何故そこにあるのかわからないうちは、それを変えるべきではありません。そうなっている何かしらの理由があるはずです。 |
チェスタトンのフェンスとは、なぜその仕組みがあるのかがわからないうちは、その仕組みを変えるべきではない、という考え方であり警句である。G・K・チェスタトンの著書『The Thing』のなかの「家庭生活からの漂流」(The Drift from Domesticity)にある、次の一節からきている。
何か物事を刷新するときには、単に変化だけ起こしたいというのでなければだが、パラドックスに聞こえるかもしれない、単純で明快な原則というものがある。具体的には何かの制度や法律のことだとしても、ここでは話を簡単にするため、道をふさぐように建てられたフェンスやゲートを例にとって考えてみよう。現代的な進歩主義者であればあるほど、このフェンスに足音高く近寄ってきて、こう言うだろう。「何のためにあるのかわからない。片づけてしまおう」。それに対して、真に知的な進歩主義者であればこう切り返すはずだ。「何のためにあるのかわからないなら、片づけさせるわけにはいかない。出直してくれ。しかしもし戻ってきて、そしてこれが何のためにあるのか説明できたなら、もう壊してしまったって構わないよ」[1]
チェスタトンのこの警句は、本来はまず歴史的な文脈、つまり同時代の社会主義者・進歩主義者(たとえばジョージ・バーナード・ショー)との対峙のなかで解すべきだろう。
ウィキペディアにおける「フェンス」とは
[編集]あなたがもし何かの「意味や目的が見いだせずに」削除依頼をしようとしたり、方針を変えようとするときは、まずその歴史を調べることから始めよう。そうすれば、なぜそれが生み出されたのかがわかるだろうし、おそらく今もその目的を果たしていることに気づくはずだ。もしそこで取り組まれている問題がもはや意義をなさないのであれば、それが説得力を持つ形で議論の遡上にあげるのがよい。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “Taking a Fence Down”. American Chesterton Society. 21 June 2014閲覧。