Wikipedia:井戸端/subj/"優秀な執筆者"であることは免罪符となり得るのか?
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"優秀な執筆者"であることは免罪符となり得るのか?
[編集]題名そのままの質問となりますが、編集活動熟練者でいらっしゃる各位のご意見を頂戴したくこちらでお伺い致します。
・いわゆる"優秀な執筆者"であることは、その執筆者が関わる紛争案件が発生した際に考慮されるべき事項なのか。
・一点目の質問内容について、これに対応する文言はヘルプ等に記載されているのか。
以上二点についてお伺いしたく存じます。なお、今回の質問につきましては特定の案件,執筆者との紐付けを求めるものではなく、あくまでも皆様の忌憚のないご意見をお伺いしたいがために井戸端の場をお借りしております。--122.217.149.83 2017年4月25日 (火) 13:51 (UTC)
- はて、質問が抽象的過ぎて的を射た回答ができるかどうか。優秀な執筆者であっても傍若無人な態度を取ってよいことにはもちろんなりませんが、優秀な執筆者であることが、その方の主張に説得力を与えることはあろうかと思います。また、ウィキペディアンたちも所詮は人間ですから、優秀な執筆者と困ったちゃんとの論争が起こったときに、優秀な執筆者の方に肩入れしたくなることもあるでしょう。そういうことを禁止したり、あるいは推奨したりする関連文書は、私は見たことはありません。Wikipedia:論争の解決やそこから辿れる文書群が参考になるかもしれません。「熟練者」かどうかは分かりませんが、10年近くの活動歴がある者より。 --白駒(会話) 2017年4月26日 (水) 00:45 (UTC)
- 「優秀な執筆者であれば通常許されない○○と言った行為が許されます」「対象が優秀な執筆者であれば、投稿ブロックは原則的に行わないで下さい。やむを得ず行うにしても、期間は通常の利用者を対象とする時より有意に短くなるように設定してください」「コミュニティに長く貢献してきた利用者は偉いので多少の暴言等は見て見ぬふりをすべきです」・・・などの類は正式な文書には規定されていないと思います。散々読んできましたが記憶に無いですね・・・。私個人の意見としては一切考慮されるべきじゃない、ですね。一般化して考えますと、社会的地位の高い人が何らかの刑事事件を起こした時にそれを理由に刑罰が免除されるかと言うと、そんなことはあり得ないのですから(多少情状が酌量される場合もあるでしょうけど、地位を根拠とされることはほぼないでしょう?)。日本人としての一般的な公序良俗に従って考えますと当然の結論です。ただしコメント依頼や投稿ブロックの場で、被依頼者に対し、○○さんのこれまでの貢献がどう、執筆実績がこう、と言うコメントや投票が行われる事自体は何度も見て来ました。ですが、例えば投稿ブロック依頼であったとして、良識と経験の有る多くの管理者であれば、これらの「特例」がjawpの公式な文書で認められていないと言うことは当然ご存じでしょうから、そのような事は考慮したがらないでしょう。ただし管理者による最後の判定・クローズはあくまでコミュニティの総意を汲み取るものですから、もしそう言った投票が何十もありほぼ全会一致、の様な状態でしたら、理屈の上ではその管理者は大勢に抗うことは難しいでしょうね。私なら?クローズしません。適切な投票を行い、あとは他の人任せです(投票を行った管理者はクローズ権を失うと認識して頂いて結構です。こんなものは明記されていなくても当たり前ですよね)。全く納得できない結論でクローズなんてしたくない。かつ私がクローズする義務もない。なんですか、投票者もクローズする管理者も人間ですからね。書類上アカウント歴10年、1年半程度の管理者歴のある者より。・・・ちなみにjawpで明示的に改行を行いたい場合は、brを入れるのではなく、改行を2発連続でいれてください。よほど楽と思いますし、通常その様にされていますので。--Hman(会話) 2017年4月26日 (水) 05:53 (UTC)
- まだまだ発展途上の身で失礼します。最近ブロックされたある利用者の最後の主張やその前の主張と似ているのはきっと偶然ですよね。と言う話は置いておいて、全ての議論は公開の場でなされますから、「この人だから」という条件が考慮される事は通常ありえませんし、もしあったとしたら同じくらい"優秀な執筆者"によって指摘されるでしょう。ウィキペディアンは一枚岩ではありませんから。というか管理者伝言版や投稿ブロック依頼を遡れば、「やり過ぎてしまった優秀な執筆者」の例も少ないながらあるように思います。--Hiroes(会話) 2017年4月26日 (水) 11:58 (UTC)
- 恐らく偶然と解釈するのがよろしいのではないかと。ブロック依頼の内の何%かで被依頼者の「これまでの貢献」や「執筆力」を勘案してどうたら、と言う投票・コメントはあるもので、非常にありふれた感情論なんですよ。言い換えればまかり通ってしまっておりまして。質問者様がどの件でこういった事に疑問を持たれたのかについては推理のみでは特定のしようがないでしょう。--Hman(会話) 2017年4月26日 (水) 16:10 (UTC)
- ありがちなお話ということですね。そのように解釈しておきます。わざわざすみません。--Hiroes(会話) 2017年4月26日 (水) 16:23 (UTC)
- 恐らく偶然と解釈するのがよろしいのではないかと。ブロック依頼の内の何%かで被依頼者の「これまでの貢献」や「執筆力」を勘案してどうたら、と言う投票・コメントはあるもので、非常にありふれた感情論なんですよ。言い換えればまかり通ってしまっておりまして。質問者様がどの件でこういった事に疑問を持たれたのかについては推理のみでは特定のしようがないでしょう。--Hman(会話) 2017年4月26日 (水) 16:10 (UTC)
- どういう執筆者を指して「いわゆる"優秀な執筆者"である」と表現しているのかいまいちよく分からないですが、優秀だろうが秀逸だろうが、そのことのみもって当該執筆者の言動が正当化されるなんてことはありません。ただ、その執筆者の記事編集における姿勢なりその内容なり、あるいは議論における態度なり意見なり、そういったものが適切公正妥当だからこそ優秀だとか秀逸だとか評価されているわけであって、その適切公正妥当さが「その執筆者が関わる紛争案件」においても他の利用者に支持されることは普通にあるでしょう。そしてそれは何もおかしいことではありません。--2400:4021:9DF4:E400:D87C:D4EA:820F:EE7C 2017年4月26日 (水) 13:48 (UTC)
- それが明白にレッドラインを超えているのであれば、優良執筆者であれ管理者であれ誰であれ、批判されるでしょう。それが明白に問題ない行為であれば、新人であれ、トラブルメーカーであれ、不問に付されるでしょう。だけど物事は必ず明白な基準の上にあるわけではないし、ある人にとっては黒でも、別の人にとってはグレーであり、許容範囲であることもある。
- その昔、Green某という方がいて、秀逸な記事は書いていなかったと思いますが、まあ、それなりに良い記事をいくつか書かれてました。ところがある日、まったく無関係のブロック依頼にまったく無関係の長文を書き連ねて、当然、批判を浴びて、その後の対応も支離滅裂な行動を取られて、満場一致で無期限ブロックされました。他にも割と近年は秀逸な記事を書いた実績がある方ですらも、コミュニティの許容量を超えたとしてブロックされてる。つまり、上記で触れた明白なレッドラインを超えた者に、今までの功績が免罪符としては働いていない証左でないかと思います。
- また、ある例えとして、明らかに新人であるユーザーが3日で合意形成をしたとして編集を強行すれば、それは一週間という合意形成を知らずにやったとして批判されるでしょう。でも、長く活動の実績がある者が3日で同じことをやったとしても、普通、それは何かしらの合理的な意図に基いて行われたのではないかと推量される。それは不条理でも不公正でもなんでもなく、ウィキペディアのルールを熟知していると見なされるがゆえに、雪玉条項やルールすべては無視しなさいあたりで適切な行動という可能性がある(無論、推量の結果としてやっぱり批判ってのもありうるし、そもそも批判されないように慎重な行動を求められる)。それはある立場から見れば、新人イジメや、ベテラン勢の互助会のように感じてしまうだろうけど、妥当は妥当。
- また、明らかに不適切な行為を行ったとしても、それがあくまで一時的なものであったり、反省して以後改めるのであればコミュニティは不問に付すということもよくあります。それは問題を起こした者の内在的な面もあるけど、同時に、ここで不問に付すことによって相手が今後ウィキペディアへ実質的に貢献することへの期待もある。この期待値は当然、過去に実績がある者は大きくなるから、そこを大きく見て擁護する人もいるでしょう。でも、あくまで優秀な執筆者のみが将来的な利益の観点で配慮されるのではなく、将来的な利益の観点という普遍的に行われている判定行為の中で、その恩恵を一番受けやすいのが優秀な執筆者というだけの話です。
- どうしてこのようなゆらぎが起こるかと言えば単純な話で、ウィキペディアの各種ルールは刑法典ではないし、私達は裁判官では無いからです。ある規定に反したからといって、万人に等しい量刑が課されるわけではない。優良執筆者だからこの程度なら不問に付した方が便益が大きいと考える人が擁護して、ここで許しても害の方が大きいと考える人が批判する。その議論の合意形成の結果として対応が決まる。「ウィキペディアは規則主義ではありません」とはそういうものだと理解しております。--EULE(会話) 2017年4月28日 (金) 16:30 (UTC)
- 全く優秀でも熟練でもない執筆者ですが、小生の意見をば。先づ、優秀な執筆者と優秀な説得者(?)はイコール足り得ず、その差を執筆技量で埋めることがあってはなりませぬ。第一、(穿った見方ではありまするが)「私の罪を見逃さなければ優秀な執筆者が失われることになるぞ!」というのは…「執筆者」を役人や貴族等に置き換えれば明白でありますが…前時代の"その筋の権威"的な人間に言わせるべきものであり、我々ウィキペディアンが左様な思想を持っては故ダランベール氏らに合わせる顔がございませぬ。其れは権威に訴える論証にございます!
- 勿論後者についても、執筆技量故に免罪がなされるなんてまさに免罪符(ドイツ)の背景にあるような
クソッタレな思想を持ってはいけないということは、常識と云う以前に(「AだからBが許される」という理屈の限界として)親から子に躾けられるミームであり、「ウィキペディアは無法地帯ではありません」の一言で済むと小生は提言いたします。 - (然し此の問題は非常に難しいモノでもあります。「優秀な執筆者」が免罪符たり得ないことが常識であっても、優秀でない執筆者が紛争に加わるには様々なモノ…勇気とか若気とか年功とかソックパペットでない証拠とか…が必要になります。また紛争当事者への擁護に携わる人間への信頼性が執筆履歴などに拠ってしまい、全員の鼎の軽重を問うのは容易ではございませぬ。)
- 積み重なる実績を誇るには、その道筋に汚点がないか、できた汚点を濯ぐ努力を惜しまないからこそであり、そうして重なった実績を他人に振るうには非常な注意と紳士的な教養が必要です。それを「優秀な」という一過の傲慢によって行ってしまうことは、まさに実績に汚点を作り泥で踏み固めてしまうようなものであると、畏れ多くも優秀でもないのに傲慢な小生が蟷螂の斧を振るって愚挙いたします。長文雑考失礼致しました。--力在領域(会話) 2017年4月30日 (日) 23:01 (UTC)
- つい先日似たような例がありましたが、特定の案件・執筆者との紐付けを求めるものではないと仰るのであれば、あまりにもタイミングが悪いと感じました。--123.198.65.104 2017年5月1日 (月) 06:20 (UTC)
- 私が先に挙げた例とは違いますね。むしろ結果的に「ありがちなこと」であるという裏付けになってしまったような。
細部はともかく、総論だと当たり前の方向にしか語れないと思います。 122.217.149.83 さんがそれら「ありがちなこと」に関係したのか、あるいは見ただけなのかは判りませんが、具体的な各論での判断を仰いではいかがでしょうか。--Hiroes(会話) 2017年5月1日 (月) 06:44 (UTC)- ありがちで言うのであれば、この半年で少なくともあと2件、ブロック依頼の場で不適切行為の内容を超越した話を持ち出してきた利用者がいた案件があります。もう少し遡ればもっとあります。実にあるあるです。実績を勘案しjawpの「がんこ親父」「目の上のタンコブ」としていてほしい、とか。ブロック依頼者のアカウント歴が短すぎると言う方がいたりとか。というわけで本当に、貢献とか執筆歴とかで云々はありがちなんです。ですが、ブロック依頼の結果から言えば、大昔は知りませんが、現在はそんなことを真面目に言う人は少数派であり、ほぼ完全に否定されている概念です。jawpが小さな頃でしたら「なぁなぁ」もありえた、もしくはむしろ好ましかった局面もあったのでしょうが、現在そんな「特権」を許していては統制が取れません。そしてその大昔よりは、現在のjawpは、大昔に活躍された先人が望んだものには近づいているでしょう。さしあたり記事数と参加者は増えていますから。すなわち努力が実を結び、jawpは当時より遥かに大規模なものとなり社会的認知度も向上しました。特権階級を許している場合では断じて、ありません。なおもう一つ「あるある」がありまして、Aさんのブロック依頼を出したBさんもブロックものの事をやっているから両者とも無罪放免論と言ったものです。AさんもBさんもブロック相当の不適切な行為を行っているのであれば、これは両者ブロックが自然なのは当たり前の事ですね。こちらのあるあるはまだ根絶には至っていない気がします。--Hman(会話) 2017年5月1日 (月) 16:24 (UTC)
- 私が先に挙げた例とは違いますね。むしろ結果的に「ありがちなこと」であるという裏付けになってしまったような。