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Wikipedia:井戸端/subj/「○○でない」という形式の記述はどの程度必要か

「○○でない」という形式の記述はどの程度必要か

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初めて質問させていただきます。表題の通り、「○○でない」という形式の記述はどの程度必要かについて質問させていただきます。「○○でない」という形式の説明が必要となるのは、どのようなときでしょうか。たしかに、「○○」でないという説明をすることによって、その記述する対象の特殊性を際立たせることはできると考えます。しかし、「○○でない」という形式の記述は、さまざまにされうるので、余計な説明が多くなることもあるのではないでしょうか。過剰な記述が多い一例として、秋田放送の「概要」における説明をあげておきます。そこで、皆さまには「○○でない」という形式の説明は、どのようなときに必要か、その基準をご教示ください。お願い致します。--沸々人間 2016年10月3日 (月) 13:53 (UTC) --以上の署名のないコメントは、Radioqween会話投稿記録)さんが 2016年10月3日 (月) 13:53 (UTC) に投稿したものです(コメントの最後に--~~~~と書くだけで自動的に署名できます。--Triglav会話2016年10月3日 (月) 14:04 (UTC)による付記)。[返信]

コメント 例えば「日本人のノーベル経済学賞受賞者はまだいない」「……の時点でノーベル賞を受賞した日本人女性はいない」といった内容であれば、記事「日本人のノーベル賞受賞者」に載せるべき内容だと考えられます。ただ、どの程度必要かというよりも、どの程度許されるかという問題のような気もします。出典に「……でない」「……していない」という言及があれば、書いて大丈夫だと思いますし載せるべきか否かの判断基準になりますが、Wikipedia上に記載した一覧から分析して「……いない」と記述するのは独自研究の観点から問題になります。あと質問の意図とは異なるケースかもしれませんが、誤解しやすい事柄について「……は……ではなく、……である」と記述する場合も想定でき、この場合の基準は自分も悩ましいと思っています。以上Radioqween様の満足いく回答かどうか自信がありませんが、参考になれば幸いです。--Assemblykinematics会話2016年10月11日 (火) 10:21 (UTC)[返信]