Wikipedia:井戸端/subj/「この記事に書いてあることは全部嘘です」とされる記事は信頼できる情報源か
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「この記事に書いてあることは全部嘘です」とされる記事は信頼できる情報源か
[編集]自己言及のパラドックスの問題です。「このインタビューに書いてあることは全部嘘です」と明記されている情報源の中に書かれた記述を信頼できるか否かで、私とマクガイアさんとの間で意見の対立がありました(利用者‐会話:マクガイア#デッドボールPについて)。それはまあ、該当記事のノートなどで解決すべき問題なのですが、一般論としてはどうなんでしょうか。
論理学的には「この記事の内容が全部嘘」という情報自体が「全部嘘」に入っていると見なすことができるため、実は全て真実かも知れません。かといって嘘が混じっている可能性を否定する訳でもないので、結局のところ真実かどうかはわからない、という形になると考えます。しかし今回のように情報源が虚構新聞やエイプリルフールの記事などではなく、信頼できる報道機関から発行されている場合、どこかに迷惑がかかるような書き方はしないだろうという意見ももっともであり、今回の件ではマクガイアさんは、「全部嘘」は冗談として無視できるという立場を取りました。ですが私としては、「全部嘘」という体裁で書かれているものを信頼できる情報源と見なすのは、信じるなと言われているものを信じるという意味で違和感を感じ、釈然としないものを感じています。
もちろんケースバイケースであるとは思うのですが、このようなとき、皆様は何を基準に判断するのが適切だと考えますでしょうか?--Kanohara 2011年9月4日 (日) 15:18 (UTC)
- 素直に読めば、「やるかもしれないぞ。やらないかもしれないぞ。読者よ悩み苦しめ」というパフォーマンスではないですか?まあこのデッドボール氏の普段の芸風次第なので、一般論ですが。このhtmlを私が出典として用いるのでしたら、
- ・・・・・と述べている。ただしインタビューの最後では「このインタビューは全部うそぴょんちゃんです!」としている。
- または・・・・・と述べている。ただしインタビューの最後では「このインタビューは全部うそぴょんちゃんです!」としている。ただし○○や○○によれば、これまで大方において有言実行はなされているようだ
- などとしますし、各所についてもネタの可能性があるインタビューとして扱うでしょう。まあ、この様な解釈の割れる資料につきましては、「ちなみに」以上で取り扱われるべきものではなく、閲覧者にしっかり「ちなみに」であると伝え、誤解のない形で用いたいものですね。--Hman 2011年9月4日 (日) 15:30 (UTC)
- 自己言及のパラドックス、なんて小難しいこと考えずに嘘だと書いてあるのなら嘘だ(或いは、信用できる情報源により報じられた事実ではない)と判断すべきでしょう。「○月×日の**新聞において、Aという報道がなされた。しかし、翌△日にこれが誤報であったと訂正された」というのと本質は変わらないと思います。このようなときに誤報記事を無視して**新聞を出典としてAの記述を行うのが馬鹿げた行為であることは言うまでも無いことだと思います。--とりっく☆すたぁ(会話/記録) 2011年9月4日 (日) 23:28 (UTC)
- デPの楽曲を聞いた上であのインタビュー読めば、普通に当人の芸風だと思いますが・・・なお、自身のサイトのプロフィールで「2005〜2007 日本ファルコム株式会社に所属。サウンドクリエイターとして主にBGM・SE作成、ゲーム開発。」と普通に公表してますよ?--KAMUI 2011年9月5日 (月) 08:01 (UTC)
- コメント 色々とコメントをありがとうございます。どうも判断が分かれる題材のようですね。個人的にはHmanさんの意見に近い意見を持っていますが、「クレタ人は嘘つきだ、とクレタ人は言った」というエピメニデスのパラドックスはよく知られていると思いますので、それを踏まえた上で冗談と見なせるという判断もあるのではないかと考えました。ともかく、発端となったデッドボールPの件に関しては、それとは異なる信頼できる情報源がKAMUIさんから提示されたことで、解決に向けて大きく動いたと思います。その件に関しては感謝いたします。--Kanohara 2011年9月5日 (月) 11:56 (UTC)