Wikipedia:井戸端/subj/「百科事典的」と「字引的」の狭間

「百科事典的」と「字引的」の狭間について[編集]

一攫千金一撃必殺という記事があるのですが、Template:字引が貼られた上、最近になってこの2つが削除依頼に出されました(Wikipedia:削除依頼/一攫千金Wikipedia:削除依頼/一撃必殺)。削除依頼の理由が2つとも「百科事典的でない記事。字引の類。冒頭部分以外は独自研究。」となっていますが、ウィクショナリーのwikt:一攫千金を見ても語句の説明しか書かれていません。「一」で始まる四字熟語のうち、比較的長そうなwikt:一念発起wiki:一石二鳥を見ても、ウィキペディアの一攫千金一撃必殺ほどには詳しく書かれていません。ということは、「字引的」でテンプレートが貼られたり削除依頼されたりする記事の中には、実はウィキペディアにもウィクショナリーにも適さないものが多数存在するのではないかと思います(なお、前述の2記事の削除依頼の理由には「独自研究」もありますが、中には「一般常識」に近いものもあり、それらを「独自研究」とするのは疑問です)。なぜこういう「『百科事典的』と『字引的』の狭間」に追いやられてしまう記事が存在するのか、そしてなぜこういう記事がウィキペディアとウィクショナリーの両方から排除されなければならないのかを識者の皆さんにお聞きしたいと思います。--春野秋葉 2007年2月19日 (月) 20:44 (UTC)[返信]

私も皆さんがどのようにお考えかに興味があります。
私の考えでは「字引的」に書くからだめなのであって「百科事典的」に書けばウィキペディアに掲載できない言葉はないと思っています。例えば「一攫千金」。今は、意味と実例しか書いてないので「分量の多い字引」になってますが、
  • 「一攫千金」の言葉の由来
  • 「一攫千金」 使われはじめた時期
  • 「一攫千金」の歴史
  • 関連項目にあがっている「ゴールドラッシュ」や「成金」の一攫千金の視点からの記述
などを文献調査して掲載すれば十分百科事典的になるのではないでしょうか? 国語辞典と自分の常識だけで記事を書くから字引的になってしまうだけだと思います。--excl-zoo (会話/履歴) 2007年2月19日 (月) 23:16 (UTC)[返信]
私も字引的内容に留まらなければ「辞典」的から「事典」的な記事になると考えます。ただ、それでも内容によってはウィキペディアというよりもウィキブックスが相当という事もあるように思われます。個人的には、こうした細分化をするよりも、グレーゾーンもあることから、総括的なウィキメディアに再編成されると良いとは思いますが、それはメタの議論ということで。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月20日 (火) 00:37 (UTC)[返信]
(追記)現在、コモンズで外字作成を行っているのですが、たとえば「変体仮名」の項目で「」の文字を使っても、では「“”はどんなところで使われているのか」とか「“”の元字(“安”)の万葉仮名の使われ方は」といった記事があると非常に興味深いものになりますが、ウィキブックスっぽい気もしてきます。しかし、一つのサイト内でそれらが読めるのであれば、利便性も高いように感じるのです。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年2月20日 (火) 00:48 (UTC)[返信]

一攫千金の削除依頼をした者です。金儲けを参酌した上で、四字熟語なら何でも有りな感じがしたため依頼しました。例えば、シュプレヒコールも上記「狭間」でしょうか。スローガンはかなり字引的だったりします。wikt:一攫千金の記事を見ましたが、少し内容が寂しい気もします。ウィクショナリーで書けないし、wikipediaでも書けないことになると、崖と崖の間の奈落の底に落ちてしまうのかもしれません。--fromm 2007年2月20日 (火) 01:34 (UTC)[返信]

私の感覚だと一攫千金は削除に相応しい独自研究、金儲けはさらに論外、シュプレヒコールは辞書的で不要、スローガンは短くても百科事典として合格です。書きたい事と書いてもいい事と書かなきゃならないことの分別が付かない奴が多過ぎる、というのが、wikipediaのシステム上避け得ない弱点です。その語自体が要請しない内容で無理やり分量増やしても百科事典のふりなんか出来ません。この中では、一攫千金は漢籍の出所を記す事で、シュプレヒコールはどのような文化・思想にバンドルされて日本語に紛れ込んだかを書く事によって百科事典記事になれます。これはスローガンにも欲しいところです。で「一攫千金の歴史」とか「ええじゃないかはシュプレヒコールといえるかどうかの歴史的考察」なんか「あってもいい」だけで、語源がないと諸共消えていただく運命なぐらい副次的なことです。「歴史的一攫千金ブーム」で立項することは止めませんけどLR 2007年2月20日 (火) 02:33 (UTC)[返信]
というか、ここで「感じがする」だの、「感覚だと」だのいう主観で、人が書いた記事を安易に削除依頼に出したり、消えるべきだとかスローガンぶちあげている人間はどういう「感覚」なのか?これは根本的には「百科事典とはなにか?」であるとか、「Wikipediaと古来の紙の百科事典との違いは?」ということにまでなってしまうのでしょうが、まかりなりにも現時点でそれなりに有意な情報を含有し、さらにここで複数の人間が指摘するようなポイントで加筆できるのであれば、それをノートで議論したりどこかで呼びかければいいことで、なんでその情報をゼロにしたいのか?合格だの不合格だの言ってる利用者もいるが、このプロジェクトは原理的にほとんどの記事は最初スタブで不合格であってそれが複数の人間により合格基準までひっぱりあげる途上に永遠にあるシステムです。ある時点でスパッと切って不合格だろ?削除とかやってたらそのシステム自体機能しようがないのは理解できますか?繰り返すが安易なPOVで削除依頼出す利用者は猛省してもらいたいし、どうやったら削除以来常駐の餌食にならないように記事を救済できるかということを考えて欲しい。--218.251.38.122 2007年2月20日 (火) 16:32 (UTC)[返信]


ウィクショナリーでは単に言葉の意味を記載するので、それ以外の付加情報がここでいう「狭間情報」になりますね。私はexcl-zooさんと同意見で、狭間となるような部分は自分の常識だけで書いている印象があります。ここに資料による裏づけや客観的意見を加えれば、たとえ「一般常識」であっても十分百科事典的な記事になると思います。単独で記事にしにくい場合は定義部分のみはウィクショナリーに移し、狭間情報は他の記事に統合することも可能でしょうし、単純に削除という流れになるのは惜しいと感じます。一攫千金金儲けと統合してもよさそうです。 また、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに記載があるとおり、この条件が満たされていないからといって削除の方針のケースEに当てはまるわけではないので、「字引的である」という理由だけで削除することには大変疑問を感じます。--Clapon 2007年2月20日 (火) 04:29 (UTC)[返信]

「字引でない」と「字引的」という狭間にたたされた別の例を。春野秋葉さんにわたしも同感です。ペリメーターなんですけど、Wikipediaでの個別記事からリンクすべき用語の基礎情報で、業界用語としてつかわれている意味をリストしたかったのです。Wiktionary初めてであちらに記述wikt:ぺリメーターしたところ、いきなり、「sty ばっさり」とコメントされ、そうされました。わたしが必要としていた部分はすべて削除されていました。初心者に親切なコメントくらいほしかったところでした。業務用語集のような使い方がWiktionaryでできないものかとおもったのですが・・・。それはないだろうそれならばと、こちらに翻ってきて、同じものを作成したところ、こんどは同じユーザーの方から字引的とされ、ウィクショナリーへの記述を推奨されるタグが貼られました。おいおいどうしたらいいんだとおもいましたが、なんとかもうすこし充実させて、タグをはがしました。それ以降Wiktionaryはおとずれるのをやめましたけど・・・。Wikipedia/Wiktionaryいずれにしても最初から初心者がルールどおりにはつくれるわけないので、どのように育てていくのかの指導がないままに、いきなり削除というのは、まずいのではないでしょうか--Pararinpooh 2007年2月20日 (火) 05:11 (UTC)[返信]
そのWiktの記事、何か問題があるように思えないのですが。単にNinomyさんがスタイルの編集をしただけでしょう。削除されてもいないし。個人が必要としているものと、周囲が妥当と理解しているものが異るだけです。適切なコラボレーションの例でしょう。「初心者がルールどおりにはつくれるわけない」からこそ、いろいろ周囲が修正したり誘導があったりするのではないでしょうか。--ゆきち 2007年2月20日 (火) 09:01 (UTC)[返信]
指導が無かったことに不満を持っている者に対して「誘導があったりするのではないでしょうか」という答えは如何なものか。そのNinomyとやらはまさに編集をしただけで後はほったらかしてるじゃないか。58.188.69.61 2007年2月20日 (火) 16:58 (UTC)[返信]

まぁ、「単純な悪戯」でさえ編集対応という削除方針になっているのに字引的というだけで削除させようとするのは、ルールと照らし合わせると恐ろしい飛躍だと思える。58.188.69.61 2007年2月20日 (火) 16:58 (UTC)[返信]

ゆきちさん、なるほど、そういう見方もありますね。でもそういう全体枠がわからない中でも、あるものを記したいと思ったときにどこに記したらいいのかということで最初に決めないといけません。私の場合、「ペリメーターフレーム:シャーシ・フレームをボディフロアの下ではなく周囲につけたもの。」という記述と、および、ペリメーターという用語が辞書の意味だけでなく、自動車の意味だけでもなくさまざまな業界分野で使われていることを一覧参照できる場所がどこかにほしかったのです。派生語としてのペリメーターフレームだけでなくそれに関するブリーフィングがかける場所がほしかったのです。私の場合Wikipediaはある程度知っていたので、これだけでは、自分自身でもスタブ未満になることがわかっていました。ということで、よく、Wikipediaで「字引的」とテンプレート付けされるとWiktionaryに書いたら?みたいに書いてあるのでWiktionaryにいってみようかと思ったわけです。しかし、Wiktionaryでは、編集の手によって、ペリメーターフレームの解説が削除されてしまいました。解説がないのでどの業界でどのようにつかわれているのかはWiktionaryではわかりません。現在のこっているものは、わたしが引用できるものではなくなったのです。つまり、私がほしかったのはWiktionaryとWikipediaの狭間に落ちてしまうのだなということがわかりました。この経験から専門用語集のような形のものはWikipediaに記すべきものだと理解しているのですが、この経験がなければわかりませんでした。Wikipediaの字引的テンプレートがWiktionaryを指すようになっていたのが、わたしがWiktionaryに書いてみようかなとおもったきっかけですから、初心者が字引的なものを書いた時に単に字引的テンプレートを張るのではなく、Wikipediaできちんとした記事になるようにもうちょっとがんばって的なテンプレート(つまりスタブですけど)をはらないと、ミスガイドしてしまうことがあるなとおもうのです。これが単に字引的テンプレートをはられたら、WikipediaとWiktionaryのはざまに追いやってしまうことになるかもしれないのです。--Pararinpooh 2007年2月20日 (火) 17:17 (UTC)[返信]

こうなったらいっそのこと、Template:字引を廃止する方向に持っていったらどうだろうかと思います。あのテンプレートが、いろいろな勘違いを引き起こす諸悪の原因になっているような気がします。--春野秋葉ウィキダス計画準備中 2007年2月21日 (水) 01:22 (UTC)[返信]

廃止という方向もありますが、もうひとつの考え方もあります。このテンプレートを張ったものは、その内容を責任をもってWiktionaryが引き受けるという前提とするという考え方です。つまり、廃止というのは、このスタブ未満的内容をWikipedia内で解決しようという方向です。もうひとつは、このWikipediaではスタブ未満的内容だが、Wiktionaryが受け入れることを保障するというものです。つまり、これらのいずれかによって形式的には記述された「情報(意味内容)」が、Wikipedia/Wiktionaryのどちらかが引き受けるということが保障されます。当然、内容的に受け入れられない内容のものはこの範疇ではないでしょうけれども、意味内容に問題なければ、「形式」としては、どちらかに当座は所属できることが保障されます。
ちなみに、Template:字引の英語はen:Template:Copy to Wiktionaryです。より直接的ですね。こちらは名前はこうですが、あくまで候補であるという意味ですけど。
たとえば現在のTemplate:字引の代わりにTemplate:Wiktionaryにコピーとすることよって、そのテンプレートを貼る者に対して責任を持たせることができます。Template:KaimeiTemplate:記事分割とかはその後、撤回もふくめて終了アクションまで引き受けないと貼れません。同様の責任がこのテンプレートにないことがおかしい現象を生んでいるのだと思います。責任を持たせるということは、たとえば「分割」では合意のとりまとめと実際に分割するというアクションをおこなうということが必要とされます。かなり面倒なだけにそれを貼るときの決意も貼る側に要求されます。同様に、字引的にも貼るユーザーに合意の取りまとめと実際のコピーのアクションが求められるのではないでしょうか。これがスタブであれば、貼る側もそれほど決意はいらないですね。一方、Wiktionaryにコピー(旧字引)をはられても貼られたユーザーには肩の荷がすこしは軽くなることでしょう。字引なのかスタブなのか貼るユーザーにある程度の責任をもらせることが貼っていいのかを事前に考えされることにつながるとおもいます。
ここに書き込んでから知りましたが、わたしを狭間に立たせた(とわたしが感じた)ユーザーは、Wiktionaryの管理者で、Wikipedia側でもCopy to Wiktionaryについて今後導入するような対応を練られているような方だったんですね。その方が、あのような対応と受け取られる行動にみえるのは、たぶんですね、Template:字引のメッセージとその運用方法がわるいんですよ。スタブにしてくれれば、メッセージは伝わったんだとおもいますが、それが字引的をはってしまった。たぶん貼った方にはその立場上自身にとってはフレンドリーなテンプレートなのでしょう。しかし、貼られるほうは、そのテンプレートに書いてある文字列と張られた状況から文脈を推測する以外にないですね。あちらとこちらの間に立たせるようなメッセージがテンプレートになっていることがまず第一にある。そして、そのメッセージを受け取る側の対応を考えずに、ユーザーがぺたぺた貼ってしまえる運用になっている~ということが問題を複雑にしています。そして最後に、Wiktionary側では、Wikipediaでは少ないとされた内容までもが削除されてしまうという、もっと冷たい仕打ちがまっていたとしたら、悲劇です。だから、Wiktonaryにコピー(字引)を貼るユーザーが内容をそのまま移動できないのであれば、貼ったユーザーは元にもどさなければならないようにすれば、他のテンプレートと同様、添付者の責任まっとうとして受け入れられる運用だと思います。このくらい考えられていないと、ああ陥れられた、Wikipediaはなにをいっているのかわからない、と感じるユーザーを今後も、生み出すことになるとおもいます。
他のテンプレートの場合、たとえば「削除」にしても何かあったら、Wikipedia内のここなどで議論が可能です。だれかが相談に乗ってくれます。しかしながら、WiktionaryになったとたんWikipedaでは面倒みないですから相談の場所がないのですよ。記事が狭間におかれるだけでなく、相談する場所も狭間におかれることが、問題をいっそう深くします。だから、字引的をはるときには、そこまでの責任を規則として埋め込んでおかないといけないのではないでしょうか。--Pararinpooh 2007年2月23日 (金) 05:53 (UTC)[返信]