Wikipedia:井戸端/subj/すでに投稿しているコメントを修正したときの署名について
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すでに投稿しているコメントを修正したときの署名について
[編集]- はじめて投稿させていただきます。よろしくお願いいたします。
- ノート:山村竜也において、すでに投稿されたコメントを修正される方がいらっしゃるのですが、それが内容的に改変量が微少ではないことで、Wikipedia:署名に基づかないで注釈を入れたことで以下のご意見をいただきました。
- わざわざ「…この内容はオクラ煎餅さんが2010年10月13日 (水) 04:13の編集によって02:52で述べたことと内容が変わっています」と追記されていますが、これとて私の善意に基づいた文章の推敲であって、注意を受ける筋合いのものではありません。
- 確かにWikipedia:署名の記載方式を誤った点については私に非があることはじゅうぶんに承知をしております。ただ、後で修正された内容が変わっていた場合はそのことをノート記事であれば署名をすることになると考えるのですが、上記のようなご意見を賜り戸惑っております。「署名」の項を読んでも拡大解釈となってはいけないと思い、皆さまにご意見を賜れれば幸いです。--Suttokodokkoi 2010年10月14日 (木) 06:46 (UTC)
- ルールを厳格に解釈する姿勢は素晴らしいものですが、ルールは世界をより良くする為にあるのであり、必要以上に厳しくルールルール連呼するべきものではありません。量の多寡や武士に二言が云々とか、そういう話より大事なものがあるのではないでしょうか。内容を修正したことで問題が起こるわけではなく、むしろ問題を起こさない(無駄な軋轢を避ける)為に行なわれた修正と見受けました。もしも件の修正により、Suttokodokkoi氏がしようとしていた何かが出来なくなるなどの不利益があったのであれば、それはSuttokodokkoi氏の戦略がwikipediaにふさわしくないことを示しています。もしかしたらそれは、wikipediaにとってSuttokodokkoi氏が害を為す問題児であることを示しているのかも知れません。何であれ、大切なことはルールでも武士道でもなく、wikipediaを素晴らしい百科事典にすることであり、その為の共同作業を円滑に進めることです。Suttokodokkoi氏の理念に反し戸惑うかも知れませんが、wikipediaにとってSuttokodokkoi氏の理念は大切なことではないのです。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月14日 (木) 07:31 (UTC)
- Maddestmagicianさん、コメントありがとうございます。実は善意、悪意という意味ではなく、きっかけは偶然、記事作成時と同時に記事の修正行為にあたられており、修正前のコメントを前提にコメントしたら、変わってしまった、ということが起因しています。個人的には中身、というよりは、大きな修正があった場合(善意・悪意を問わず)は署名を残すべきと考えたからなのです。もちろん、それがふさわしくなく、修正された場合は修正時刻は入れない方が好ましい、と言われればルールに従うつもりです。--Suttokodokkoi 2010年10月14日 (木) 07:41 (UTC)
- 修正時に修正署名を残すべきだ、という考え方は素晴らしいものであり、是非実践するべきです。また多くの人が、たった一文字の修正でも修正署名を入れています。ですがそれを他者に「押し付け」ることで共同作業を円滑に進めることを阻害するのであれば困った話です。自分に厳しく他人に甘く。それによって問題が起きた時に、他の人がどのように解決しているのかを見て学ぶことも重要です。世の中には色々な人が居るので、小手先の技だけで解決出来るものではありませんからね。もしも私からSuttokodokkoi氏に進言することがあるとすれば、今回のように他人に聞かなくても問題の起きないように解決が出来るようになるまでは、「大人しくしている」のが宜しいかと。大人しく問題が起きない程度に控え目に活動しつつ他人の行動を観察し学んでいくことは、あらゆる世界で共通する、受け入れられる為の方法です。つまり、その「世界」の常識を学ぶまでは自分の理念や主張にこだわらず、他人の反応からその「世界」の常識を少しづつ学んでいく、ということです。人生に於いて社会に参入する時と同じ手法です。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月14日 (木) 08:55 (UTC)
- Maddestmagicianさん、再度のご回答ありがとうございます。ただひとつ勘違いされておりますので申しますが、「ノート等でいったん書いた記事を修正した場合は最初に記事を書いた履歴のみでよかったかどうか」が一番知りたい主目的であり、たぶん、懸念されている相手云々の話はここでもし「実践するべき」という回答があったとしても是正する気持ちはないと解釈しております。なのでこれは私自身にかかる場合であって、ご懸念の材料とは無縁とご解釈ください(実際に是正勧告しても相手との議論とはまったく無関係な話なので)。私自身も微少なコメント修正を行うので、このような形で修正していてよいのか、強制項目なのか任意の項目なのかを確認したかったのです。助かりましたありがとうございます。あとおひとり程度のご意見を賜りまして了としたいと思います。--Suttokodokkoi 2010年10月14日 (木) 10:34 (UTC)
- 一般論としては、相手がカッカとしているうちは、本当の親切心からのたった一字の誤字修正でも挑発行為になりかねないので、そういう人の発言は誤字のまま放置しといたほうが良いでしょうね。 原理原則というよりは相手を見てから判断すべきでしょう。 修正しても問題がなさそうな場合は、修正して署名するのが一番無難ですね。--Gyulfox 2010年10月15日 (金) 13:46 (UTC)
- ノートでの議論に日付入りの署名をするのは、後から議論の流れ(時系列)を追えるようにという配慮だと理解しています。従って、ここで問題提起されているような例(投稿後、他の人の次の投稿がなされない前に自分の直近の発言を修正する場合)では、いちいち何度も署名をしなくても、特に問題はないと考えます。(もっとも、発言日時が特に重要な意味を持つ場合には、後の日時を表示するように署名をやりなおした方がよいかもしれません)
- 「修正前のコメントを前提にコメントしたら、変わってしまった」のであれば、相手の発言の方に手を加えるのではなく、修正後のコメントに基づいて自分のコメントを取消し線等で修正することを考える方が、穏やかな対応だったと思います。例えば、「直近のコメントはどうかと思う。」を、「
直近のコメントはどうかと思う。上記コメントは○○さんのX月X日xx:xxの発言に基づくもの。○○さんが発言を取消されたので、こちらのコメントも取消し」に修正するような感じです。--Dwy 2010年10月15日 (金) 16:11 (UTC) - みなさま、どうもありがとうございます。私がこれからコメント記事を書くときに参考にいたしたいと思います。--Suttokodokkoi 2010年10月16日 (土) 11:47 (UTC)