Wikipedia:井戸端/subj/インターネットスラング

Wikipediaにインターネットスラングなどは載せるべき?[編集]

Wikipedia:削除依頼/便所飯で便所飯というインターネットスラングが削除されました。他にもオイヨイ語や2ch関係のAAなどインターネットスラングはWikipediaにたくさんあると思われます。そのようなインターネットスラングは削除するべきでしょうか?それとも載せて構わないでしょうか?もし議論で載せると決まったなら便所飯を復帰依頼したいと思いますので。--大谷まこと 2006年11月2日 (木) 21:55 (UTC)[返信]

内容によりますので、単純にイエス・ノーとは言えないと思います。ただ、グーグルで検索して、最低1000件ヒットすれば検討すべき価値はあるでしょうし、5000件を超えているなら、強く記事にすることを勧めたいと思います。--idea 2006年11月2日 (木) 22:06 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキペディアは何でないか独自の調査結果の発表の場ではありません。もしあなたがその事柄についての独自の調査結果をお持ちなら、その結果を通常の査読制度のある雑誌に投稿し、出版してください。それが人類の知識の一部となった時、ウィキペディアはあなたの業績について報告することになるでしょう。もちろん、査読がきちんと行われない雑誌から情報を持ってきてはいけません。
グーグルの検索結果など全く関係ありません。 大体1000件って数字は何処から出てきたんですか?--Luilz 2006年11月10日 (金) 12:39 (UTC)[返信]
インターネットの外への広がり具合とか、言葉として確立されているかとか、様々な世情を考慮すべきですね。少なくともグーグルでウン件ヒットしたという理由だけで記事化というのは止めていただきたく思います。ヒット数は、あくまで参考程度に考えてほしいです。--Bellcricket 2006年11月2日 (木) 22:23 (UTC)[返信]
Googleで10件しかヒットしないスラングもすでに記事化されている。またヒット数が多いとしても2chなど特定掲示板ばかりヒットしては狭い世界のスラングと言えるのではなかろうか。個人的に便所飯は記事名が良くなかっただけで内容には不都合な部分はなかったと感じた。孤食という言葉に関連して書くことは出来ないだろうか。Preacher 2006年11月2日 (木) 23:11 (UTC)[返信]
「読者が必要とするか」も重要な要素だと思う。例えば社会問題化した現象に関連するバズワードとか。小生は最近、アニメ職人なる語を修正依頼を見掛けてチョッカイ出しているけど、これを如何に説明する上で色々考えさせられました。スラングを使用しているコミュニティ内部の視点から語るのは簡単かも知れないが、それを外部からどう見るべきかの立場が取りようの無い項目はどうしようもないと思う。せめて外部の事象に絡めて記述できない項目(外部よりの接点が存在しない内容)は作らない方が良いかと。--夜飛 2006年11月3日 (金) 06:15 (UTC)[返信]
個人によるインターネット配信だけしか確認できない言葉ではねえ・・・せめて、商業流通する雑誌媒体や放送局での言及、権威のある学会での使用例があれば、いいと思いますが。
グーグルの使用例による判断は、あくまで少なすぎるための削除対象としてとらえるべきで、多いからといって存続すべきだとは思いません。--経済準学士 2006年11月3日 (金) 13:52 (UTC)[返信]
めんどくさいが個別に判断するしかないことなんで。逆に言えば「インターネットスラングなどは」みたいな十把からげた言い方をしても話はじまんないと思う。
ついでなんだが、削除された「便所飯」の項目はインターネットスラングとして記述されたものではなかった。だから「便所飯」をインターネットスラングのひとつと受け止めて、それを他のインターネットスラングの削除をめぐる判断に反映させるというのは、そもそもの問題提起の立脚点がおかしいんじゃないだろうか。いまさら細かいことを論じてもあまり意味があるとは思えないが、「便所飯」は、現象を説明するための枠組みとしてのスジが悪すぎたと、おれは判断してます。--Nekosuki600 2006年11月3日 (金) 14:06 (UTC)[返信]
世の中で多く知られるようになってきた言葉は載せるべきだと。百科事典ですから様々な文化や記事が載っている姿がよいと思うのです。絶妙なニュアンスの言葉、皆に愛されている言葉は残していくべきだと思う。--河合ジュウザIP:220.10.68.116会話 / 投稿記録 2006年11月5日 (日) 15:19 (UTC) (偽署名修正)[返信]
おれは基本的に「存続厨」なんて言われてたりして削除派のみなさんには不倶戴天の敵みたいに扱われてるんですが、それをふまえていただいて、と。
世の中で多く知られるようになってきた言葉などは、確かにまあ、載せておいていいと思うんですよ。ただ、人間誰しも知見には限りがありまして。自分の周辺では一般的に使われている言葉が世界中で(いや、日本中で)一般的に使われているかどうかというあたりに無神経なひとが多すぎるという印象があるんです。自分のまわりでは一般的に使われているように見えても、それが「ごく限られた文化的集団(学校とか、クラスとか)で使われているにすぎない」とか、「ごく限られた年代で使われているにすぎない」とかいう場合には、その言葉はあなたが思っているほど一般的ではないということも、フツーにあるわけです。業界俗語なんかもそうですよね。「あ、それ、八百屋にして」という言い方がおれの業界にはあるんですが、これがどういう意味なのか、あなたにわかります?(おれと同じ業界のひとであった場合はわかって当然でありヒアリングの意味がないわけですが) たぶんわかんないと思います。それなりに歴史のある言葉だけど、んじゃ「八百屋にする」をどう扱うかというのはけっこうむずかしいです。まあ、文筆技術を駆使すれば「八百屋にする」もそれなりに書けるとは思うのですが、書く意味あるかなぁ。
んでさ。自分のまわりでは普通に使われている言葉であるとしましょう。意味も定まっているとしましょう。でもさ、それがごく狭い範囲でのみ通用している場合、別のところではその言葉が違う意味で使われている場合もあるわけでしょう。そういうことを逐一検証していかないと、それなりの百科事典的記述なんかできないわけですよ。「自分にとってはあたりまえのこの言葉が、果たして一般的な説明に耐えるものなのか」というあたりを検証した上で書かれた記事ならば、それほど邪険に扱われることはないだろうと思います(おれも目に付いたら存続票を入れます)。しかし、その水準まで達していない書きなぐりが多すぎるのだなぁ。
ローカルな書きなぐり、思いつきに等しいような記述には、好感は持てないんですよ。残しておく意味も見出しにくい。ある意味、Wikipediaというのはそのあたりの「知らないひとたちをどう説得し存続に持ち込めるか」みたいな勝負という側面があるわけ。その勝負に負けるような記述は、潔く取り下げてもらいたいなあと切実に思うんでありました。
かいつまんで言い直すと、こういうことだ。「へったくそで独善的な記述はいらん。そんな記述ではないと、残しておくだけの価値がある記述なのだと、記事そのものをもって証明できるように書きやがれ」って感じ。--Nekosuki600 2006年11月5日 (日) 16:05 (UTC)[返信]
Toki-hoです。ある項目が事象として成熟しているかどうかが、百科事典の項目としてふさわしいかどうかの分かれ目だと思うのです。ですので、理想をいえば、「インターネットスラング」という事象は項目にする価値があるが、提議者の大谷さんがおあげになっているような各語は、項目にする必要がないと私は思います。項目にあげたとしても、辞書的な記述しかできないと思うのです。せいぜい広辞苑なみの語義と簡単な由来と、用例でおわってしまうのではないでしょうか。一時の「萌え」のように百科事典的な記述になればラッキーですが、初版執筆者に百科事典的な記述にしようという責任感と目論見と、ある程度の構成力、調査力、文章力がない場合、安易に項目をあげるべきでないと私は考えます。でも、Wikipediaの仕組みはこれを実行するようにはできてませんので、この考えは百科事典執筆者としての良心に期待するというような、本来的な意味での「希望」なのですが。百科事典というのは、既存の百科事典をご覧になればおわかりのように、ある事象の「概説」をのべる器であり、その事象が「概ねこういうこと」と要約して200字にも満たないようなら、のせる必要はないのだと思います(200字というのは、平凡社の百科事典の項目の最低文字数ですが。)。また、トリビア(豆知識、余談)などは「概説」とはあいいれませんから、なるべく書かないでおくのが節度と品格のある百科事典執筆者である、などと私は思っております。ただ、現今のWikipediaは、こういった(私の)理想からはかけはなれているので、それをどうするかということになると非常に難しく、具体的な案も出せないのは非常につらいところです。以上少数意見かもしれませんが、こういった思いで日々Wikipediaを見ているものもいるということで、ご参考になれば幸いです。Toki-ho 2006年11月6日 (月) 08:21 (UTC)[返信]
性的俗語には非常に用法の難しい言葉がいくつかアップされている。私はそれらをすべて排除しようとは思わないが、せめて単なる猥談に終わらないような工夫は必要と考える。Wikipediaは誰でも編集できる百科事典なので載せるべきかどうかは個々の判断にまかせるしかないが、その基準は文言の長さやGoogleのヒット数ではなく標準化の努力ではないかと考える。身内にのみ通用する言葉ならばそう書くべきであるし、上記にあるように記事をもってその努力を証明出来るように書いてほしいとは思う。ただ下記のように自らが書いた記述が消されたことに憤慨する執筆者もいるために、大胆な編集が難しい。Wikipediaには性的なことに関わる記述はなじまないと考えている人々もいると思われるし、編集合戦で目立てば削除依頼に出されてしまうかもしれない。存続出来る編集方法は模索中であるが、現象・意味として存在するものを表すが、なじみの無い言葉、定義の定まってない言葉(上記の便所飯のように)は何らかの形で存続させることが望ましいとは思っている。あまりに狭い世界の符牒は個々の判断におまかせするが。Preacher 2006年11月6日 (月) 22:26 (UTC)[返信]

古舘語録の扱いも微妙?[編集]

※関連→伊能忠敬と余談

その点では古舘伊知郎の実況中継時の台詞も引っかかってくるような気がします。 というのは現在伊能忠敬の”余談”部分を巡って利用者:Nekosuki600氏と係争しかけており、編集合戦の手前まで来ています。ひょっとすると他の記事にまで削除の手が及ぶ危険があり、戦々恐々としています。詳しくはNekosuki600氏のノートを参照願いたいですが・・・--Comyu 2006年11月3日 (金) 13:31 (UTC)[返信]

古舘語録なんかを個々の項目に書かないでくださいよ。音速に「トリビア/古舘はアイルトン・セナを『音速の貴公子』と呼んだ」だの、納豆に「トリビア/古舘は○○(誰だったっけ)の走り方を『納豆走法』と呼んだ」だの書かれたらかないませんわ(って、調べてませんけど、あったりして・・・)。古舘の項目に書くにしても、箇条書きでべたべた書いていくのではなく、代表的なものを上手に選んで説明つきで書くのがせいぜいでしょう。位置づけも考えずに箇条書きで断片的な情報を載せても、そんなもんは説明に寄与しません。--Nekosuki600 2006年11月3日 (金) 13:58 (UTC)[返信]
そこまではやっていないでしょう?第三者のコメントを待っているところに自ら出てきて抗議しようとは・・・どうすればいいんだ!?--Comyu 2006年11月3日 (金) 14:09 (UTC)[返信]
第三者の意見を求めたいのならば双方の意見を並べて提示して判断を仰ぐ必要があるんじゃないでしょうか。自分の意見に説得力があると思うのならば、どっしり構えて「どこからでもかかってきなさい」と言ってればいいのじゃないだろうかと。--Nekosuki600 2006年11月3日 (金) 14:18 (UTC)[返信]
「余談」については何処かで議論されていたような気がしましたが、個人的な意見としては余談は余談にしか過ぎず、その項目の中心となる事項(記事名)の説明をするのに有意義かつ役立つものでなければ、結局それは蛇足にしかならないと思います。あと、あまり関係無いですが、要約欄に「~するな」とかいう文句を書くのはあまり芳しくないと思いますよ。(一瞬荒らしの類かと思いました)--Pippi 2006年11月3日 (金) 14:54 (UTC)[返信]
Nekosuki600さんのノート方が適当かもしれませんが、こちらにも第三者意見があった方が良さそうなので失礼します。
項目の記事として最も重要なのは、該当記事項目を理解する上で多くの閲覧者にとって有効であるのか否かであると考えます。
記事伊能忠敬の場合で言えば、伊能忠敬という人物を理解するのに余談の部分が閲覧者の役に立つか?という事になります。例えば歩き回って調べ物をする人物の事を「~の伊能忠敬」と称される事が多く見られるのであれば、その例を列挙する事は有益であろうと思います。
対して「サーキット伊能忠敬」が唯一の例であれば、それは発言者である古舘伊知郎の記事のみに記述する方が、古舘伊知郎という人物が他では見られない表現を使用している事が分かり有用であると思います。命名時に参考とされる場合でも同じです、創作物の人物として名が取られる事が多い場合であれば余談として例を列挙する事は有用でしょう、対して、一、二例であれば創作物の記事の方に記載するのが適当だと思います。--TEy 2006年11月3日 (金) 14:57 (UTC)[返信]
間違えてむこうに書き込んでしまいましたが、こちらの方がよかったですね…。--Calvero 2006年11月3日 (金) 14:59 (UTC)[返信]

形容詞として使われるコトも(云々)」の文脈で出るならまだしも、単に「○○は××に△△と呼ばれた」を△△に列記してあるがどうかと思う。それなら○○の項に「××は○○を△△と呼んだ」としたほうが、単に形容詞的に引用された側の記述としては、スマートかと…形容詞的に用いられるって事は、それが何かを大概の人は知ってるって意味だし。つまり形容詞的表現に用いられた側は、適用された側よりも普遍的に知られているっちゅうこつでしょ?ならばより知名度の低い方から、知名度の高い側を挙げて、その対象の性質をイメージさせる事はできても、その逆は人によって無理があるってなもんで。ともあれ古館さんはいろんな表現を使うだけに、その言を一々列記してたらキリありません。Wikipediaは著名人の語録じゃあないと思う…多分(古館語録DBでも古館記念碑でもないように)。--夜飛 2006年11月3日 (金) 15:03 (UTC)[返信]

見解ありがとうございます。今回の削除の件については了承しますが、一つだけ納得できなかったこと、それと僕が憤慨した理由の本音は別の部分、Nekosuki600氏の人を見下したような、ともすれば編集者の逆鱗に触れる口調(文体?)にありました。氏のノートでも主張しましたが、加筆が有効だったか無駄だったかは別として、もう少し適切な表現なり口調なりで指摘してくれていれば、今回のような事態に陥ることはなかったと感じています。--Comyu 2006年11月4日 (土) 02:49 (UTC)[返信]
正直こんなのはほっといてもいいような気がしていたのだが、なんかここだけ見て原典にあたらず暴言云々という話に一人歩きされても迷惑なんで。
おれが行った編集の要約欄は以下の通り。いずれも伊能忠敬の履歴より。
  • 古舘コメントの削除
    2006年11月3日 (金) 11:40 Nekosuki600 →余談 - 歩いて下見をするレーサーは珍しくもないんで。
  • アニメかなんかの登場人物の削除
    2006年11月3日 (金) 11:45 Nekosuki600 →余談 - いやあ。著名人の名前をヒントにした役名なんていっぱいありそうだし。
別に怒るのはかまいませんし、何に怒るかを選ぶのはそのひとの自由だと思います。しかしまあこちらとしては今回のRevertが不適切だったとは全く思いませんし、無言でRevertするのではなく理由を説明したのは親切の部類だとも思ってます。めんどくさいから今後は無言でRevertすることにしようかなあ、なんて(うそうそ。ちゃんと説明はしますよ)。--Nekosuki600 2006年11月4日 (土) 09:01 (UTC)[返信]
猫♪さんの文体は芸風のうちでしょう。また、そういう芸風の人たちは除くとしても、私などは、他の多くのみなさんが異様に丁寧な文体で書いているように感じてます(^_^;) By タト 健ちゃん 2006年11月4日 (土) 12:16 (UTC)[返信]