Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアは百科事典ではないのか?

ウィキペディアって百科事典じゃないんですか?[編集]

上の世界の一体化の話を見てみて思った疑問です。別にその記事に対してどうこうってわっけじゃなくて、ウィキペディアに長い項目って必要なんでしょうか? たとえば歴史上重要な人がいたとして、百科事典っていうのはその人がなんで重要なのかってことを中心に書いてあればいいんじゃないですかね? そうじゃなくてその人が生まれてから死ぬまでを長ながとくわしく書いてあったら、それは百科事典の項目じゃなくて伝記だと思うんですよね。あと、歴史でも経済でも医学でもなんでもそうですけど、ある項目についてとにかくくわしく長く書いてあったら、それは専門書になっちゃうと思うんですよ。百科事典ってのはまあ辞書じゃないからあんまり短くても困るけど、なんかの事がらについて概要的なことを説明してくれるのが一番役に立つんじゃないですか? 上で全部読む気もしないみたいなことを言っておこられてた人がいましたけど、やっぱ読む気にもならないくらい長い項目ってのはちょっと問題あると思うんですよね。長くなったら分割するってのもなんかちがう気がするし。項目によっては参考文献とか書いてあるのがあるみたいですけど、ほんとにくわしく知りたい人はそういうのを見ればいいいんで。あと、アニメの記事とかでもやたら長いのがありますけど、そういうのもアニメの本や雑誌はいっぱい出てるんでそういうのを見ればいいんで。だらだら長く書くより簡潔にまとめるのが大事って気がします。とかいって自分もだらだら長くなってきたんでこのへんでやめますけど、これってまちがってます? --以上の署名のないコメントは、210.251.15.164会話/Whois)さんが 2008年3月11日 (火) 15:03 (UTC) に投稿したものです(青子守歌会話/履歴による付記)。[返信]

ノート:世界の一体化で話されている議論をよくお読みになったのでしょうか・・・?この件に関しては「世界の一体化」という現象(?)を正確に伝えるには、概要として簡潔にまとめるとしてもどうしてもそれだけの分量は必要になるということなのです。なので私は「分割提案」を行なっているわけです。WP:TRIVIAにもあるとおり「必要のないことまでだらだら書くこと」は決して勧められたものではないという点に関しては間違ってはいませんが、もし記事が「だらだらと書いてて内容が分かりづらい」と思うのなら、その記事で提案し削除を行なってください。まぁ、投稿履歴を見る限りそういうことされなさそうですけどね・・・。--青子守歌会話/履歴 2008年3月11日 (火) 07:35 (UTC)[返信]
私も特にフィクションについての項目で内容について必要以上に詳細に書いてあるものが多いのは気になっています。フィクション作品について解説する際、内容については必要最小限でよくて、そのジャンルの中での位置づけや社会での受容のされ方などに重点を置いて記述するべきなのですが、先ごろ漸く決着を見た削除依頼の審議を見てもそういうことを理解していない執筆者が多いようです。このあたりについてどこかのプロジェクトででも一度しっかりと議論していただけるといいのですけどね。
世界の一体化は私の低スペックマシンでは間違いなくブラウザが落ちるので中身は読んでいないのですが、アクセシビリティの観点からだけでも分割が必要だと結論づけるのに十分な気がします。--sergei 2008年3月11日 (火) 09:34 (UTC)[返信]
◆百科事典とひとくちにいっても、いろいろな編集方針のものがあります。術語としては「小項目主義」「大項目主義」「折衷主義」なんて分けたりします。小項目主義はひとつひとつの項目を短くして項目数を増やすという方針のことで、大項目主義は項目数が少なくなってもいいからひとつひとつの項目について詳しく記すという方針のことです。大項目主義を採用している百科辞典の場合、雑誌一冊分くらいの量でひとつの項目を記述することは、普通にあることです。
現状で、Wikipediaでは、記事サイズについてどのくらいが適切なのかという合意はありません。言語版別競争にもなっている項目数という点では小項目主義の方が有利なので、そういう方向を主張する方もおいでになりますが、それも合意されていません。
まあとりあえずなんだ。その手の意見を持つ前に、いろいろな百科事典を実際に手に取って読んでみるということが大事なんじゃないでしょうか。おれが最初に通読した百科事典は小項目主義のものだったんですが、しょーじきなところ、「無用の用」みたいなもんまで期待しての知的昂奮という観点からは、大項目主義の方がいいんじゃないかなあなんて、今では思うにいたっております。だからってWikipediaで大項目主義でいくべきとか主張する気もないわけですが。--Nekosuki600 2008年3月11日 (火) 13:13 (UTC)[返信]
Wikipedia では1記事の容量が多すぎると編集にいろいろ支障を来す場合があるため、その点ではある程度量が多くなったら必然的に分割するのは妥当だと思います。ただし、1記事にあった方が見通しがいい場合もありますし、その辺はケースバイケースで考えるべきでしょう。件の件が投稿された時点での世界の一体化記事はあまりの量にページが表示されるまでも全体を編集する際にも非常に時間がかかる状態でした(現在では減量されて遙かにスムーズになりました)。百科事典だからといって何でもかんでも記述してもいいというわけでもなく、百科事典だからこそ記述する内容はある程度考えた上でより分かりやすくより短くより重要なことだけを記述するようにつとめる必要があるなと思います。質の高い記事は必然的に量も多くなるものですがそれ以上に文章はよりキレイにまとまっていてより簡潔で分かりやすいながら重要なところはしっかりと押さえてるというのが本当に質が高い記事なんじゃないでしょうか(だらだらと不要なことを長々と記述しているのは悪い例<-って自分のコメントもそうですね)。 --Mzm5zbC3 2008年3月11日 (火) 14:06 (UTC)[返信]
まぁ、ねえ。別に異論はないので反論なわけじゃない。井戸端だし、だらだらと無駄に長いエッセイになるかしらんが、そういうの嫌いなひとは読まなくていいから(=^_^;=)(←攻撃的意図は全くない。留保ないしは韜晦だ)。
本の百科事典における量的制限とディジタルメディアにおける量的制限はかなり異なるとか、一目で見られる範囲にもいろいろ違いがあるとか、ディジタルメディアの場合には使ってるモニタの解像度で全然違うとか、そういうややこしい話がある。Wikipediaにおいて適切なサイズってのも、ナローバンドなひととブロードバンドなひとでは違うだろうし、640×480のモニタで見てる人(なんてもういないかしらんが)と1600×1200のモニタで見てるひと(これもまだたいしていないかしらんが。おれのモニタはこれ)では全然違う。さあ、どうバランスを取るかみたいな。
おれは、自分のサイトでは大項目主義を採用しているんだけども(えーと、サムネイル数が最大で500程度まで。なのでブロードバンドでないと閲覧が事実上困難)、それがいいかどうかは微妙だと思ってる。出先で自分で書いた情報が必要になってモバイルでアクセスして確かめたりするとき、オブラートをかぶせずに言うなら、おれは「このサイトの作成者、てめぇ首絞めてやろーかゴルァ!」とか思ったりするしね(って、おい(=^_^;=)>おれ)。
しかしなんだ。
小項目主義v.s.大項目主義みたいな話と、そぎ落としてコンパクトにまとめる努力が重要だという話は、かなり様相が異なってるように思うんだ。それは次元が違う話っていうか、共存できることだと思うし。あとは、誰がどこにどれだけの労力をかけるかって話なんじゃないだろうか。そこらへんで合意できるといいなあと思います。
念のためだけれども、トリビアな情報を構成もなんも考えずにだらだら付け加えるやつらに対して、おれは殺意に近い敵意を抱いていることを、確認のために表明しておきます。百科事典の作成ってのは、「智の交通整理をすること」が大事なんだ。その交通整理をする気がないままに書きなぐるやつらは、全員、即刻出て行ってほしいと思ってます(ま、出ていっていただくためにもそれなりの工数が必要でめんどくさいんだけども)。--Nekosuki600 2008年3月11日 (火) 14:25 (UTC)[返信]
情報を取捨選択する能力がない編集者だから無駄に長くなる。文章を足すのは考える能力が低くても出来る。--Nihonkokuban 2008年3月11日 (火) 15:37 (UTC)[返信]
Nihonkokubanさんへの反論では全然ないんですけれども、ここは井戸端なので思うところをつらつらと書いてみます。
自分は百科事典の機能として大切なのは、「物事を俯瞰して見ることができる」ということではないかと考えています。微に入り細を穿つほど詳しくなくても良いので、その事物について一通りのことを知ることができる。これが百科事典の持つ強みだと考えています。不必要なほど詳しい項目は、かえってよろしくないですが、反面、一通りのことを説明するだけで数万字を費やす必要のある事物・概念も一方で存在しているわけで、「哲学」や「社会」などはその一例でしょう。紙の百科事典を読むとそのことがよくわかります。長大な項目があってよいか否かは、それが紙の百科事典なのか、ネットの百科事典なのかということとは無関係な問題であって、一通り俯瞰するために必要な情報量が過不足なくあることが、まず重要なのではないかと自分は考えています。
例えば土木工学という項目があるのですけれど、これも書こうと思ったら果てしなく長く書ける項目です。「俯瞰する」という観点からすれば、土木工学という概念の全体像が見える程度には書くべきでしょう。しかし、かといって個別の工学分野にまで深く立ち入るのも見通しを悪くしてしまいますし、他に譲るべき内容は他の項目に譲るべきでしょう。反対に短すぎても俯瞰にはほど遠くなってしまいます。その当該項目ですが、土木工学を俯瞰するには少し物足りない。数倍の分量があっても良いだろうという印象です。長くても俯瞰ができるのであれば、読むのに苦ではないはずです(もちろん個人差はあるでしょうが)。その意味では世界の一体化は過不足なく俯瞰することができる適度な大きさの項目といえるように思いました。
「俯瞰装置としての百科事典」は自分の個人的な百科事典像に過ぎないわけですが、ウィキペディア執筆者の間である程度コンセンサスの得られた百科事典像が形成さるとよいのでしょうね。ただ、これを無理に求めてしまうとまた不要な混乱を招くような悪寒。(紙の百科事典は、まず統一した百科事典像が措定されて編纂が始まるものだと認識してるのですが、この辺りがウィキペディアとは真反対で興味深い気がします。)shimoxx 2008年3月11日 (火) 16:25 (UTC)[返信]
追記ですが、一通りのことを書くだけで相当の分量にならざるを得ない項目は、冒頭部分を読むだけでもある程度のことが理解できるようにしっかり書こう、それは全部読まない人への配慮として。という議論が昔あったように記憶してますが、どーでしたっけ?英語版での話でしたっけ?shimoxx 2008年3月11日 (火) 16:34 (UTC)[返信]
◆目的によっていろいろでしょ。「なるべくそぎ落として短くわかりやすいこと」が重要な編集方針てのはあり得るし、「出来る限り情報を盛り込み、短い文しか読めないような読者は切り捨てる」という編集方針もあるし。そこらへんは、どっちもありだよん。
んで、百科事典の執筆者としては、情報をある程度取捨選択できるだけの眼力が大事だ。構成もなんも考えずに気の向くままにトリビア付け加えるやつなんかいらん。
念のためだが、おれのサイトは百科事典なんか目指しておらず、一次情報をひたすら蓄積することを目標としているんで、もしサイト批判だったらお門違い。個人レベルで45000件の一次情報を蓄積したサイトなんて、そうそうないと思う。ただ、Wikipediaは「一次情報なんかいらないから」って宣言してるわけで、一次情報をWikipediaに持ち込もうとは思っていない(画像なんかについては悩ましいんだよな。写真てのは、基本的には一次情報以外ではあり得ませんから)。--Nekosuki600 2008年3月11日 (火) 18:08 (UTC)[返信]

マイナスイオンを読んでください。wikipediaは百科事典ではなく、主義主張の場かもしれませんよ。以上の署名の無いコメントは、221.60.168.26会話/whois)さんが[2008年4月17日 (木) 15:33 (UTC)]に投稿したものです(Broad-Skyによる付記)。[返信]