Wikipedia:井戸端/subj/コメント依頼の運用法や終わる判断について

コメント依頼の運用法や終わる判断について[編集]

コメント依頼において、被依頼者が依頼者や第三者の質問を無視し続け、被依頼者による同じ質問が何度答えても繰り返す状況にあります。被依頼者の言い分としては、依頼者の意図を理解したいということですが、コメント依頼の内容は「出典を求めても提示しないこと」なので、検証可能性の方針を引用して出典の提示を求めているという単純なものです。本当に理解していないのか、私や第三者の説明が悪いのかは判断できませんが、私から見れば関係ないと思われる質問を何度こちらが答えても繰り返すばかりで、出典を提示する様子がありません。また、第三者(と言っても同じ記事の編集で論争の可能性がある利用者)によって、出典の提示ではなく、出典の運用法という今は関係ないと思われるコメント(将来的にその第三者と論争になりうる問題)が続き、コメント依頼は長文化・複雑化し、新規のコメントが入りにくい状況となってしまいました。そこで質問です。
  • コメント依頼が依頼した問題以外の話に脱線した場合、誰かそれを制止した方がいいのか、このような状況を避ける方法。コメント依頼をまとめるコツ。
  • コメント依頼には、ブロック依頼に移行してもいいかもしれないというコメントもあります。ただ、まだ議論を継続する意思のある人もいるのですが、関係ないと思われる話題の継続や無視され続ける質問といった膠着状態にあり、コメント依頼を閉じてブロック依頼に移るタイミングがわかりません。

こちらの点にアドバイスをお願いします。--Jack.51会話2018年6月4日 (月) 08:58 (UTC)[返信]

  • コメント Wikipedia:コメント依頼/Ishutyのことですね。拝見しましたが、第三者のコメントを求める場であるはずなのに、依頼者・被依頼者の応酬の場になっており、コメント依頼の体をなしていません。私も経験しましたが、このような状況では「依頼者・被依頼者の双方ともお引き取りください」という結果になるのが常です。実際問題、このコメント依頼は「収拾がつかないので終了とさせて頂きます。必要に応じて他の方が再提出することは妨げません。」とするしかないように思います。原因となった記事については、出典をたくさん用意して大規模加筆を行えば誰も何も言わないでしょう。Wikipedia:免責事項にもありますが、記事内容は閲覧者に対して何も保証しません。急いで直したり、解決をさせたりする必要はありません。ゆっくり焦らずやってけばいいんです。--切干大根会話2018年6月4日 (月) 13:40 (UTC)[返信]
    • (追記)コメント依頼の長期化・複雑化を避けるためには、依頼者が被依頼者または第三者のコメントに逐一反応しないことです。 「コメント依頼を閉じてブロック依頼に移るタイミングがわかりません」とのことですが、ブロック依頼は本当に最後の手段です。ブロックを回避して解決させることが第一です。そこのところお間違いないようお願いします。現在、BfDXjJtUZv6qさんが尽力してくださっているので、このコメント依頼については無理に終了させようとせず、「見守る」という手段を取られるのが最善かと思います。--切干大根会話2018年6月4日 (月) 13:52 (UTC)[返信]
返信 アドバイスありがとうございます。しばらく様子を見ることにします。しかし、問題の大艦巨砲主義の記事の参考文献の節を見てもらえばわかりますが、BfDXjJtUZv6qさんも100巻ほどある戦史叢書やシリーズの書籍を一括して記載して加筆を行っており(Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方に反する)、話した感じでは出典の扱いに関して将来的に論争になると思います。もし、出典を要求した際にそれらの参考文献の具体的な箇所を提示しないというのは認められるのでしょうか。
続けて質問して申し訳ないですが、出典を求めても提示せず、除去も差し戻す方にはどのように対応したらいいのでしょうか?おそらく、出典をたくさん用意して大規模加筆を行う場合も出典不明記述を削除した場合はまた差し戻されることになります。Wikipedia:検証可能性には「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」とありますが、方針は意味をなしてないのでしょうか。--Jack.51会話2018年6月4日 (月) 14:54 (UTC)[返信]
コメント Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方に明示されている通り本文中に注釈を入れる方式(inline citation)が推奨されていますが、同じ節内説明で「末尾に記事全体に関する参考文献として一覧で挙げる方法(general reference)があります。(中略)末尾での一覧は参考文献の閲覧に便利です。」と書かれておりますよね? ですから文末出典の方のみが正式で参考文献方式が全否定されているという意味ではないですし、出典の求めに応じて参考文献節に文献資料を追加する方法でも公式三大方針Wikipedia:検証可能性に照らし間違いではないです。◆ただ現在は問題の記事には{{参照方法}}が追記されておりますので、求められておられるのは『出典の明記ではなく各記述部分と各出典文献との結びつきを明らかにし、より内容記述各部分の正確性を向上させること(Wikipedia:正確性に疑問がある記事)』で、そこのところで議論参加者の他の方と問題点に関する意識が共有できず、すれ違いが発生している状況かと考えます。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年6月4日 (月) 18:52 (UTC)[返信]
 追記 参考文献節の文献一覧を維持したまま、本文脚注によって脚注に各出典文献へのリンクを示し本文と結びつける専用テンプレートとしてはWikipedia:出典テンプレート#短縮脚注参照が用意されています。こういった記述形式はハーバード方式と呼ばれます。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年6月4日 (月) 19:03 (UTC)[返信]
返信 末尾の形式を否定しているわけではなく、「記事末尾に参考文献を記載する」の注意点にあるように「3.参照すべき場所、範囲を明確に示す。通常はページ番号を付記する。」が守られていない点で反しているということです。他の記事でもあまり守られていないので私も通常は問題にしていませんが、さすがに100巻をまとめて記載して出典というのは検証可能性の点で問題があるように感じます。この点は相手とまだ確認の取れていない話なので忘れてください。続けて質問するべきでなければ改めて質問しますが。
  • 出典を要求した際に無数に列挙した参考文献から具体的な箇所を提示しない場合の対応
  • 出典を要求しても提示せず、除去も差し戻される場合の対応
この点のWikipediaにおける一般的な解決方法を教えてください。--Jack.51会話2018年6月4日 (月) 22:22 (UTC)[返信]
  • コメント この節はコメント依頼の扱い方についての質問だったかと思いますが、別件についての質問・議論であれば別に新しく議論場所を用意してそちらに移るべきかと思います。Wikipedia:コメント依頼/Ishutyのことであれば、先に申し上げた通りしばらくの間は「見守る」ことに徹するべきかと思います。ここでJack.51さんが相手方の名前を隠して告げ口のようなことをすることが得策であるようには思いません。--切干大根会話2018年6月4日 (月) 22:43 (UTC)[返信]
返信 議論したいわけじゃなく、一般的な解決法を知りたいので、利用案内のほうに移って改めて質問することとします。--Jack.51会話2018年6月4日 (月) 22:51 (UTC)[返信]
  • コメント 「100巻をまとめて記載して出典と言い張っている時点で執筆者本人もどこにどういう内容が記述されているのか全く把握していない証」ではないですかね、それは(つまり執筆者本人ですら範囲明示不能状況に陥っている=記述の多くが執筆者の脳内記憶に基づく読書感想文になっている)。似たような前例として「参考文献として提示された出典文献全てがほとんど完全に虚偽出典と判明し記事が削除された」という経歴を持つWikipedia:削除依頼/昌妙寺(検証記録:ノート:えびの教会#参考文献の検証)がありました。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年6月5日 (火) 04:41 (UTC)[返信]
  • (コメント)以前は参考文献を並べるだけだったのを脚注化して書くようになって久しいですが、個人的な経験から言えば文献が5冊越えたあたりになると「脚注化をやり直す」のは甚だ困難になります。それでもその書籍にちゃんと目を通していたならば、目次などから「この辺に記述がある・あった筈」とか類推できる場合もありますけど。--KAMUI会話2018年6月5日 (火) 21:31 (UTC)[返信]