Wikipedia:井戸端/subj/不公平な削除について
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不公平な削除について
[編集]Wikipediaで独自研究を見たとき、その記事が嫌いだったり、嫌いな著者が投稿したものならば、削除したり、要出典のタグを付けるなどの対応をすると思います。しかし、その記事が好きだったり、好きな著者が投稿したものならば、独自研究だとしても何もしないでしょう。
これは、公平ではなく、不公平であると考えます。
丸刈りがルールの野球部があり、佐藤君と鈴木君の2名が長髪だとする。監督はバリカンを持って佐藤君の手足を拘束し頭髪を刈り上げた。一方で、鈴木君には何もしない。すると、佐藤君は、「どうして鈴木君には何もしない?」と監督に問うた。ならば、監督には説明義務が発生すると思います。
しっかりと説明しなければ、それはすなわち、不公平です。「佐藤が長髪で、この野球部のルールを守っていないから、私の手で丸刈りにした」のような説明だと不十分です。それは、鈴木を丸刈りにしない理由を説明していません。佐藤君と鈴木君で、正当な理由なくルール適用に差を付けるのならば、それは不公平です。
不公平、それはすなわち、非道です。なので、不公平を公平にしていく努力が必要だと思います。
なので、
Aさんが独自研究を削除しようとして来たら、「この記事は独自研究かもしれないが、あっちの記事も同様に独自研究でしょ。Aさんは、あっちの記事も削除しようとするのか?」とBさんが問えば、Aさんはその問いに答える義務があると思うのです。そこで十分な説明が出来ないのならば、削除は不可ということにAさんは合意せざるを得なくなるのかと。--Wresler(会話) 2024年11月7日 (木) 14:10 (UTC)
- おっしゃっているのは記事の内容の除去ではなく記事自体の削除のことでしょうか? そうであれば、他に削除すべき記事があるとお考えなら削除依頼を提出してください。 --Kto2038(会話) 2024年11月7日 (木) 15:16 (UTC)
- 内容の除去でも、記事自体の削除でも、どちらでも構いません。--Wresler(会話) 2024年11月8日 (金) 08:38 (UTC)
- コメント おっしゃりたいことの論点がわかりにくいというのはあるのですが、要するに「Wikipedia:独自研究は載せない」の方針に基づき、Aさんによってある項目の記事に問題のあった記述部分が正しく除去されたということでしたら、それが誰によって書かれていたのかは全く関係ないことであって、Aさんの編集を問題視する点はないでしょう。Bさんは別の項目の独自研究部分を見つけて気づいたのでしたらば、Aさんに構うこと無く、方針に基づいてその独自研究記述を取り除いてあげれば済む話ではないでしょうか。例えが合っているかわかりませんが、独自研究を見つけておきながら、それを削除不可と主張する利用者のほうに大きな問題があります(Wikipedia:記事の所有権)。あくまで編集の心構えの話ですので、どなたも記事の内容そのものに集中して編集さえすれば、不公平だの何だのと他人の編集を気する必要もなくなるかと思います。--小石川人晃(会話) 2024年11月7日 (木) 16:58 (UTC)
- 論点は、「説明義務」でしょうか。
- 警察官は、パトロール中に暴力事件を見かけたら、加害者を制止して被害者を助ける義務があります。例え、加害者が警察官の好きな人で、被害者が警察官の嫌いな人だとしても。暴力事件を見て、何もしなかったことを問題視する人が「どうして何もしなかった?」と警察官に問うたならば、警察官には説明義務があるかと思います。
- >Bさんは別の項目の独自研究部分を見つけて気づいたのでしたらば、Aさんに構うこと無く、方針に基づいてその独自研究記述を取り除いてあげれば済む話ではないでしょうか。
- →取り除くには、合意が必要です。Wikipediaは合意形成を重視するコミュニティのようですので。つまり、人気の高い人が書いた独自研究は取り除くのが難しいと思われます。人気が高く、コミュニティは削除に合意しないので。独自研究は独自研究でも、人気で削除に関するルールの扱いが変わるのは、不公平です。
- 公平性は、やはり、重要ではないでしょうか。--Wresler(会話) 2024年11月8日 (金) 08:52 (UTC)
- Wikipediaは警察ではないので前半の話は無関係ですし、後半の話はWikipediaに対する偏見です。--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 08:58 (UTC)
- 「Wikipediaで独自研究を見たとき、その記事が嫌いだったり、嫌いな著者が投稿したものならば、削除したり、要出典のタグを付けるなどの対応をすると思います。しかし、その記事が好きだったり、好きな著者が投稿したものならば、独自研究だとしても何もしないでしょう。」というのは偏見です。Aさんに説明責任はあるかもしれませんが、その説明は「私は消すつもりはないのであなたが消してください。」で十分であり、不公平でもないし、「独自研究は消すべきではない」という主張に合意すべき理由はありません。独自研究のうちどれを消すかはAさんの自由です。なお野球部の話については監督の佐藤君への行為は暴行罪ですが、鈴木君に何もしないことは何ら問題ありません。--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 08:54 (UTC)
- >独自研究のうちどれを消すかはAさんの自由です。
- →本当に自由なのですか?独自研究は全て消さなきゃいけないのではないのですか?独自研究は、Wikipediaで一切認められていないようにも認識していましたが。
- >鈴木君に何もしないことは何ら問題ありません。
- →監督の役割を担う人が、部内のルール違反を黙認するのならば、それを問題視する人は多いと思います。--Wresler(会話) 2024年11月8日 (金) 10:15 (UTC)
- 独自研究は消さなければなりませんが、Aさんが全てを消す義務はありません。誰かが消せばよいのです。そもそもWreslerさんは当初独自研究は消すべきではないと主張されていたのに今は消すべきと主張しています。どういうことでしょうか?(なお野球部の話はルール自体が違法なので佐藤君への暴行のみが問題です)--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 11:30 (UTC)
- >Aさんが全てを消す義務はありません
- →Aさんに義務が無いのでしたらば、それを公平に展開すると、全ての利用者に義務が無いと言えるでしょう。ならば、独自研究は消さなくて良いということになります。何処かで矛盾していますよね、何だろう?
- >そもそもWreslerさんは当初独自研究は消すべきではないと主張されていたのに今は消すべきと主張しています。どういうことでしょうか?
- →私の主張と言うか疑問は、「消すなら公平に消すべきではないか?」です。これの対偶は、「不公平に消すなら消すべきでないよね?」で、同値の意味になるでしょうか。
- >なお野球部の話はルール自体が違法
- →そんなことないですよ。丸刈りはドレスコードのようなもの。結社内でドレスコードを自由に定めることは合法ですし、丸刈りをルールとする野球部は数多くあります。--Wresler(会話) 2024年11月8日 (金) 12:02 (UTC)
- 「Aさんに義務が無いのでしたらば、それを公平に展開すると、全ての利用者に義務が無いと言えるでしょう。ならば、独自研究は消さなくて良いということになります」→Wikipediaは強制ではないのでその通りです。独自研究は消されるべきですが、人がそれを消す義務はないということです。これは受動と能動の違いであり矛盾ではありません。例えるなら火事は消火されるべきですが、我々が危険を冒して消火する義務はないのと同じです。それと公平とは全てという意味ではありません。「「消すなら公平に消すべきではないか?」です。これの対偶は、「不公平に消すなら消すべきでないよね?」」というのは結局消すべきとも消すべきでないとも言っていない意味不明な主張です。消すべきだというならその人が消せばいいし、消すべきでないというなら何もしなければいいだけです。消すことも消さないことも他人に強制すべきではありません。--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 19:49 (UTC)
- と言うことは、全ての利用者は好きな独自研究を残し、嫌いな独自研究を消しますよね。明らかに不公平なのですが、本当にこれで良いの?
- 学校のテストに例えるなら、「日本一高い山は?」で、佐藤君と鈴木君は「筑波山」と解答した。先生は佐藤君が好きなので〇を付け、鈴木君が嫌いなので×を付けた。いやいや、これはダメでしょ。公平に採点しなければいけないと思います。ここで言う公平とは、先生の好き嫌いを排除して、富士山と解答すれば〇を付け、それ以外の解答に×を付けるということです。
- 火事が2件あった場合、消防署の消火能力は有限ですから、両者を公平に消火できないことは仕方ないと思います。ただ、2名の「筑波山」の解答に対しては、公平に採点して両者に×を付けることは出来るはずです。
- Aさんが独自研究を消そうとして、Bさんが別の同様の独自研究を提示して「両方消すのか?」と問うた場合に限定して考えると、そこで公平に対応する気が無いのならば、Aさんは独自研究を消すべきではないと、私は考えます。そもそも日本だと表現の自由があり独自研究の発信も自由で、独自研究そのものは害になるものではありません。好きな独自研究を残し、嫌いな独自研究だけを消そうとするAさんの姿勢は、何処か利己的な印象があり、公益性を感じません。--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 05:25 (UTC)
- テストは公平に採点しなければなりませんが、Wikipediaを公平に編集する必要はありません。ましてや「独自研究を消すべきではない」などということはあり得ません。利己的でも有害とは限りませんし、民間サイトであるWikipediaに公益性がないのは当たり前です。--フューチャー(会話) 2024年11月9日 (土) 19:17 (UTC)
- 「Aさんに義務が無いのでしたらば、それを公平に展開すると、全ての利用者に義務が無いと言えるでしょう。ならば、独自研究は消さなくて良いということになります」→Wikipediaは強制ではないのでその通りです。独自研究は消されるべきですが、人がそれを消す義務はないということです。これは受動と能動の違いであり矛盾ではありません。例えるなら火事は消火されるべきですが、我々が危険を冒して消火する義務はないのと同じです。それと公平とは全てという意味ではありません。「「消すなら公平に消すべきではないか?」です。これの対偶は、「不公平に消すなら消すべきでないよね?」」というのは結局消すべきとも消すべきでないとも言っていない意味不明な主張です。消すべきだというならその人が消せばいいし、消すべきでないというなら何もしなければいいだけです。消すことも消さないことも他人に強制すべきではありません。--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 19:49 (UTC)
- 独自研究は消さなければなりませんが、Aさんが全てを消す義務はありません。誰かが消せばよいのです。そもそもWreslerさんは当初独自研究は消すべきではないと主張されていたのに今は消すべきと主張しています。どういうことでしょうか?(なお野球部の話はルール自体が違法なので佐藤君への暴行のみが問題です)--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 11:30 (UTC)
単なるWP:SPEED(スピード違反の論理)でしょう。--FlatLanguage(会話 / 投稿) 2024年11月8日 (金) 01:40 (UTC)
- スピード違反の論理には、まだまだ議論の余地があるかと。これを稚拙の言い訳だと結論付けるのは早すぎであり、考察が浅く短絡的です。
- 司法は法の下の平等でなければいけませんが、ご提示の記事だと、その視点が抜けているように思います。--Wresler(会話) 2024年11月8日 (金) 08:53 (UTC)
- Wikipediaは司法ではありませんので平等でる必要はありませんし、一人で全ての記事を平等に編集することは不可能です。(そもそも法の下に平等なのも自国民だけで全人類ではありませんが)--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 11:34 (UTC)
- 「Wikipediaは不平等なコミュニティであり、それは問題でない」と、フューチャーさんはおっしゃっていらっしゃいますか?私は、平等や公平が重要だと勝手に思っていましたので、矛盾に衝撃を感じております。
- 「平等・公平」、Wikipediaだけでなく多くのコミュニティで大事な考え方だと思うのですが。--Wresler(会話) 2024年11月8日 (金) 12:10 (UTC)
- 編集者一人一人とコミュニティ全体を混同しないでください。--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 19:29 (UTC)
- どういう意味でしょうか?--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 05:26 (UTC)
- 編集者一人一人とコミュニティ全体を混同しないでください。--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 19:29 (UTC)
- Wikipediaは司法ではありませんので平等でる必要はありませんし、一人で全ての記事を平等に編集することは不可能です。(そもそも法の下に平等なのも自国民だけで全人類ではありませんが)--フューチャー(会話) 2024年11月8日 (金) 11:34 (UTC)
- コメント 横から失礼します。Wreslerさんのおっしゃることは理解できますし、Wikipediaのコミュニティとして方針やガイドラインを立項している以上、それは全て守られるべきではあると思います。しかし、それには限界があると思います。なぜなら、それぞれの利用者の活動への熱量は異なるからです。利用者の中には、管理者のように精力的に活動されてる人もいれば、たまに来て草取りだけしていく人もいます。また、Wikipediaの利用者は全員ボランティアですので、それぞれの実生活の中からリソースを割いて、コミュニティに参加しています。そういった状況の下で、ある記事に対して1つ編集しただけで、それと類似する記述を140万の記事から見つけてきて編集することを求めるのは酷ではないかと思います。
- ただ、そういった高い理想をお持ちになっているWreslerさんが少しずつそういった記述を修正してWikipediaに貢献されれば、「平等・公平なWikipedia」に近づくと私は思います。その中で、もし、自分の編集に異議を唱えてくる利用者がいれば、自分の説明責任を果たし、その都度合意を形成すればよい話です。私も微力ではありますが、お手伝いさせていただきたいです。--泳げないウミガメ(会話) 2024年11月8日 (金) 14:42 (UTC)
- 次のルールを、ウミガメさんはどう思いますか?
- ある独自研究の記事に要出典のタグをAさんが貼った。それを見たBさんは、別の同様の独自研究を提示して、「この記事にも要出典のタグを貼るか?」とAさんに問うた。そこでAさんが両独自研究に対して公平に扱う気が無いと判断されれば、Bさんを含めて誰でも要出典のタグを剝がしても良いとするルールです。--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 05:29 (UTC)
- 返信 Wreslerさんが挙げた状況においてはおそらく、「記述に疑問を持っておりあわよくば除去したいAさん」と「その記述に問題を持っていない、なんなら同様の記述で黙認されてるものがあると考えるBさん」という2者の意見対立があると思います。少なくとも、「ある独自研究の記事」においてはそうでしょう。そのような状況になったときには、ノートページなどでの合意形成が求められることになります。そこで、要出典タグを剥がすのか、あるいはその他の同様の記述にも要出典タグを貼るのか決めれば良いと思いますので、わざわざそのような細かいルールはいらないと思います。--泳げないウミガメ(会話) 2024年11月9日 (土) 08:08 (UTC)
- その場合Bさんがすべきことはタグを剥がすことでも他者に要求することでもなく、自ら他の独自研究にタグを貼ることです。--フューチャー(会話) 2024年11月9日 (土) 19:20 (UTC)
ウミガメさん、ご返信ありがとうございます。 現状ですと、Wikipediaでは公平性が軽視されているように思います。少なくとも、公平性を定めているルールを私は存知ません。 公平性を軽視するAさんと、公平性を重視するBさんが議論すると、建設的に合意形成されるでしょうか?私は、そうは思えません。「独自研究に要出典のタグを貼って何が悪い?」とAさんが言えば、その発言を援護する利用者も多く付き、Bさんは公平性を主張するのが難しいと思います。Bさんは不利なのが現状かと思いました。 Bさんに弁の立つ話力があれば形勢が変わるのかもしれませんが、このような議論は話力ではなく、正義や倫理性や公益性で結論を出すべきです。 そして、「公平」はあらゆるコミュニティで重要な考え方であり、それを主張するBさんはもっと有利であるべきように思いました。なので、Bさんも対等以上の立場で公平性を主張できるよう、何らかのルールがあると良いと思いました。 加えて、このルールがあっても、Aさんは両方に要出典のタグを貼るか、それとも、要出典のタグを剥がすかを選べます。嫌いな記事にだけタグを貼ると言うのは、不公平で、私は公益性を感じません。--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 12:18 (UTC)
- 返信 少なくとも、必ずしも多くがAさんに援護するとは言えないと思います。Aさんの主張に正当性があれば、Aさんを援護する人が多いでしょうし、Bさんの方に正当性があるならそうではなくなるはずです。それに編集合戦になってしまえばこそ、対話が求められますが、そうでなければ、Bさんにも要出典タグを付加除去をすることはできます。--泳げないウミガメ(会話) 2024年11月9日 (土) 13:00 (UTC)
- >少なくとも、必ずしも多くがAさんに援護するとは言えないと思います。
- →そうでしょうか?「独自研究に要出典のタグを貼って何が悪い?」という発言は、今のWikipediaでは非常に強力であり、ほぼ確実に形勢はAさん優勢になると私は思います。ウミガメさんのお考えが本当に浸透しているのならば、私としては安心できるところです。しかし、Aさんがあまりにも優勢な気がして、Bさんの公平性の主張はほぼ確実に受け入れられないと思うと、Wikipediaは不公平で非道なコミュニティなのかなと思い、この通り、井戸端に投稿した次第です。--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 13:36 (UTC)
- 返信 少なくとも、私の中には要出典タグの貼付という行為が何か強力な意味を持っているという認識はありません。ただ、その記述を独自研究だと思う人もいるということではあるので、これは受け止めなければならないでしょう。その上で、記述を独自研究と思われない形に修正したりすれば良いのではないでしょうか。修正する必要が無ければ、そのように至った理由を説明すればよいだけです。--泳げないウミガメ(会話) 2024年11月9日 (土) 13:55 (UTC)
- 少し違うでしょうか。
- Aさんは、嫌いな独自研究に要出典のタグを貼り、好きな独自研究にはそれをしないのです。私は、この不公平を疑問視しております。
- >記述を独自研究と思われない形に修正したりすれば良いのではないでしょうか。
- →Aさんの嫌いな記事には修正したりしなければいけないのに、Aさんの好きな記事にはそれが不要。どちらも同様の独自研究のはずなのに。そう思うと、どういう道理、どういう正義感に基づいてこの扱いの差が発生したのか、私には分かりません。--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 15:25 (UTC)
- Wikipediaの編集はそもそも正義感ではなく個人的な興味に基づいています。扱いの差も正義感ではなく個人的な興味に基づくものです。--フューチャー(会話) 2024年11月9日 (土) 19:42 (UTC)
- 返信 少なくとも、私の中には要出典タグの貼付という行為が何か強力な意味を持っているという認識はありません。ただ、その記述を独自研究だと思う人もいるということではあるので、これは受け止めなければならないでしょう。その上で、記述を独自研究と思われない形に修正したりすれば良いのではないでしょうか。修正する必要が無ければ、そのように至った理由を説明すればよいだけです。--泳げないウミガメ(会話) 2024年11月9日 (土) 13:55 (UTC)
- 返信 少なくとも、必ずしも多くがAさんに援護するとは言えないと思います。Aさんの主張に正当性があれば、Aさんを援護する人が多いでしょうし、Bさんの方に正当性があるならそうではなくなるはずです。それに編集合戦になってしまえばこそ、対話が求められますが、そうでなければ、Bさんにも要出典タグを付加除去をすることはできます。--泳げないウミガメ(会話) 2024年11月9日 (土) 13:00 (UTC)
- Bさんはそもそも何かを主張する必要すらなく、他の独自研究を除去するなり、修正するなり、タグを貼るなりすればいいだけです。議論が必要なのはそれに反対された時です。--フューチャー(会話) 2024年11月9日 (土) 19:38 (UTC)
ウィキペディアに「監督の役割を担う人」はいません。その意味で、野球部の喩えもパトロールの喩えもテストの喩えも不適切です。あえて喩えを用いるなら、ボランティアでゴミ拾いをしている人に対して、「向こうにもゴミがあるから拾ってこい」というようなものです。「いやあなたが拾えばいいでしょう」と言われるのは自然なことです(しかも、そうやって指しているものが実際にはゴミではないということもしばしばです)。他人のゴミは拾うが、自分のゴミはポイ捨てする人がいれば、それは問題かなあと思いますが、それで「拾ったゴミも元の場所にポイ捨てし直しておけ」ということにはならないと考えます。--FlatLanguage(会話 / 投稿) 2024年11月9日 (土) 06:26 (UTC)
- 出典のない記述の除去やタグ貼り付けが必ずしも適切というわけではないので、その意味ではこの喩えも完全ではありません(比喩を使う限り完全な説明というのはできないと考えます)。--FlatLanguage(会話 / 投稿) 2024年11月9日 (土) 06:39 (UTC)
- ボランティアでのゴミ拾いに、公平性は必要ない、、、ですよね?嫌いなゴミを拾い、好きなゴミは何もしなければ良いと思います。だから、この例えは違うかと。
- それに対し、Wikipediaでの独自研究削除だと、公平性が求められるのかと。Wikipediaでの百科事典制作活動には、利害や名誉が少しかかわりますから。加えて、好きな独自研究を残し、嫌いな独自研究を消す方針ならば、記事の内容に中立性をより損ねやすくなってしまうような気がします。--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 07:26 (UTC)
- Wikipediaもボランティアですので同じように公平性は必要ありません。中立性が損なわれたのなら、誰でもいいので修正すればいいだけです。--フューチャー(会話) 2024年11月9日 (土) 19:45 (UTC)
(今更ですが) コメントします。いくつか論点のズレや誤解があるように見受けられます。
- まず、特定の記事や執筆者に対する個人的な好き嫌いで独自研究的な記載が消されたり消されなかったりしているという話は、その実例をいくつか示していただかないと、それが本当にあった話なのか、ただWreslerさんが個人的な主観か空想でそのように思われているだけなのかが、他の利用者には判断が付かないと思います。
- 次に、Wikipedia:独自研究は載せないは記事の内容を縛る方針文書であって、利用者の行動を縛る方針文書ではありません。仮に独自研究的な記載を見つけた利用者が、それを是正する編集行動を取らなかったとしても、そのことで利用者個人が咎められることはありません。この方針は、Wreslerさんにも同様に適用されます。独自研究に限らず、記事の不適切な内容は、誰か直せる人が直せる限り直せばよいとされているのが、ウィキペディアの編集方針です。
- それから「独自研究は全て消さなきゃいけない」というのも、おそらく同方針に対する誤解だと思います。Wikipedia:独自研究は載せない方針は、いわばウィキペディアの基本理念を示したものですが、現実のウィキペディアは不完全な内容であることを公に認めています。しかしながら、完全な内容に限りなく近づけていくための日々の努力はもちろん必要です。そのための基本理念です。このとき、必ずしも問題のある記載を消すことが内容の改善につながるとは限りません。
- 内容の濃い記事を丹念に調べた上で執筆されたことがある方は経験的に知っていらっしゃると思いますが、独自研究が疑われる記載を正すには、主に中立性の観点から、時として途方もない文献調査を伴う検証をしなければなりません。それは通常の雑草とりのように容易い作業ではありません。きちんと検証をしないまま単に記載を消してしまうと、貴重な検証の機会が失われてしまいます(ただし、存命人物記事の権利侵害関係など、緊急性が高いものは即時削除が適切なケースが多々あります)。
- よって、修正は必要だが有益な内容に化ける可能性を秘めている独自研究的な記載は、問題含みなのを承知の上で、他の利用者による後々の調査検証と加筆修正に期待して、当面の間、あえて記載を残しておく場合があります。「当面の間」が1週間で終わるか数ヶ月かかるか、はたまた数年かかるかは、利用者の関心の高さと記載内容の検証可能性によります。
- 一例として、大州の記事は2016年10月に{{独自研究}}が貼られましたが、2024年3月に私が検証作業に着手して、大陸の記事と統合した改訂稿を投稿するまでに、テンプレートが貼られてから約8年、検証作業の開始時点からでも6ヶ月弱かかっています。この期間に大州の記事を読まれた方は、独自研究の記載が長年放置されたままなのに、なぜ是正されないのか?不公平だ!と疑問に思ったかもしれません。でも、Wreslerさんはきっと、この記事の歴史をご存知なかったでしょうから、不公平と感じることさえなかったはずです。
私に言わせれば、これは不公平性の問題ではなく、「不公平感」の問題、個人の主観の問題です。Wreslerさんをそう感じさせた記事の実例が示されない限り。以上、長文投稿につき、失礼しました。--Doraemonplus(会話) 2024年11月9日 (土) 08:49 (UTC)
- コメント 何よりもまず、Wreslerさんは妙な例えを出すのを控えてはどうですか。Doraemonplusさんが仰るとおり、実例を示していただかないと議論が進みません。--ホーリーブライト(会話) 2024年11月9日 (土) 11:14 (UTC)
- ホーリーブライトさんへ
- 妙な例えですか?不公平の例えですけど、妙でしたか?
- 百歩譲って妙な例えだとして、どうして妙な例えを控えるべきなのでしょうか?
- 私の他に、フューチャーさんは火事に例え、FlatLanguageさんはゴミ拾いに例えましたが、これは良いのですか?
- 実例をいくつか知っていて、それを提示しても構わないと言えば構わないのですが、あまり意味が無いかなと。好きな独自研究を残し嫌いな独自研究を削除できる現状をご認識いただけているのならば、議論が可能かと思います。--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 12:21 (UTC)
- もうあまりこの議論に参加したくないのですが、良いのかと聞かれれば、よくないでしょう。だから「あえて喩えを用いるなら」と前置きしましたし、「この喩えも完全ではありません」と追記しました。--FlatLanguage(会話 / 投稿) 2024年11月9日 (土) 13:06 (UTC)
- もしよろしければ、どうして喩えが良くないと思わられたのかを教えてください。私には、全く分かりません。
- (この議論に参加したくないということですので、無理はなさらないでください。任意回答で構いません。)--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 13:42 (UTC)
- 「比喩を使う限り完全な説明というのはできない」とすでに言いましたし、Doraemonplusさんとホーリーブライトさんが、実例を示さないと議論が進まない、としています。その上あえて付け加えるなら、Wreslerさんの言う「好きな独自研究 / 嫌いな独自研究」「公平な削除」が何を意味するのか、私には理解できません。--FlatLanguage(会話 / 投稿) 2024年11月10日 (日) 01:35 (UTC)
- >実例をいくつか知っていて、それを提示しても構わないと言えば構わない
- では、それを提示してください。議論を前進させる上で、重要な意味があります。--Doraemonplus(会話) 2024年11月10日 (日) 01:00 (UTC)
- もうあまりこの議論に参加したくないのですが、良いのかと聞かれれば、よくないでしょう。だから「あえて喩えを用いるなら」と前置きしましたし、「この喩えも完全ではありません」と追記しました。--FlatLanguage(会話 / 投稿) 2024年11月9日 (土) 13:06 (UTC)
- Doraemonplusさんへ
- >これは不公平性の問題ではなく、「不公平感」の問題、個人の主観の問題です。
- →いえ、個人の主観の問題ではなく、ルールの欠陥に問題があると、私は考えます。多人数で形成するコミュニティ内のルールは、ある程度自由に設定できますが、公平性に問題のあるルールは欠陥に当てはまる可能性があり、それは自由に設定してはいけないのかと。--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 12:20 (UTC)
- 訂正 最初のコメントで、不公平感、主観の問題と申し上げましたが、そのコメントを展開して導き出される答えは、対処に要する時間差の問題です。お詫びして訂正いたします。--Doraemonplus(会話) 2024年11月10日 (日) 01:21 (UTC)
- コメントWreslerさんが「公平性に問題のある」「欠陥がある」と考えるルールのノートページで、自分が考える問題を説明し、改善案を提示し、議論し、合意形成してください。--呉野(会話) 2024年11月9日 (土) 13:46 (UTC)
- 独自研究が複数あるのならば、その削除は公平に行ってください。あなたが独自研究の削除を行ったあとに、他者から「この記事も同様の独自研究ですが削除しますか?」と問われれば、記事を削除したあなたには説明義務が発生します。そこで、あなたの対処が公平であることの説明や、公平な削除が出来ない場合は、あなたの行った削除は不公平であると判断され、あなたの削除が取り消されて記事が復活しても文句言えません。
- こんな感じのルールを何処かに新設すれば良いのかなと、私は考えております。
- 特定のルールに欠陥があると言うよりは、足りないルールを何処かに追加すると良いと考えていますが、どうしましょうか?--Wresler(会話) 2024年11月9日 (土) 15:28 (UTC)
- それはWikipedia:検証可能性やWP:CHOICEに反するため受け入れられないでしょう。--フューチャー(会話) 2024年11月9日 (土) 19:12 (UTC)
- その削除が本当に「公平」に行われたかどうかを評定する評議員の役割を担う利用者グループがウィキペディアには存在しないので、ルール化したところで空文でしかないでしょう。ウィキペディアは規則主義ではありませんや法律家ごっこに該当する話かと存じます。--Doraemonplus(会話) 2024年11月10日 (日) 01:34 (UTC)
- Wreslerさん 記述の除去と記事の削除の区別、スピード違反の論理の無理解、記事の内容に関する方針と利用者の行動に関する方針の混同、それらを他の利用者から付いたコメントをお読みになっても未だ理解できていない現状では、貴殿にはルールの改定はおろか、議論のテーブルに就くことすら困難であると判断せざるを得ません。失礼ながら、貴殿が先ず行うべきは、他の利用者と議論することではなく、ウィキペディアの各種方針・ガイドラインを熟読し、ウィキペディアの既存のルールを人並みに正しく理解することではないでしょうか(ルールを改定しようとしているなら尚一層のこと)。私の経験上、ウィキペディアの方針・ガイドラインの内容は一朝一夕に完全理解できるものではないです。最後に一つ忠告しておきますが、ここで貴殿に返信してくれている他の利用者の方々も、各自の貴重なログイン時間を割いて返信してくれているわけです。「複数の別の利用者からたびたび説明されても理解しようとしない利用者」は、最悪の場合、コミュニティを消耗させる利用者として投稿ブロックの対象となります。これまでの貴殿と他の利用者との禅問答は、過去に投稿ブロックされた利用者と重なって見え、その懸念が頭をよぎります。十分お気をつけください。--Doraemonplus(会話) 2024年11月10日 (日) 00:33 (UTC)
- 投稿ブロックに気を付けることは、不可能、、、ではないでしょうか。
- 私がどれだけ気を付けようが、投稿ブロックするときは恣意的かつ一方的なのかと。死刑とは違い、投稿ブロックは命を奪うわけではないし、ペンを奪うだけ。しかも、投稿ブロックは単に嫌いな利用者だと理由で執行しても、検察審査会や国民審査のように執行側に責任を問う制度がWikipediaに無いですよね。それに、投稿ブロックは完全に合法ですし。
- 「複数の別の利用者からたびたび説明されても理解しようとしない利用者」とありますが、「Wikipediaが公平なのか不公平なのか?」という問いに、どなたか説明されていますでしょうか。何処かズレた説明になっていると思うのですよね。問いに対応した説明が無ければ、理解しようとしても難しいのかと。
- 推測すると、「Wikipediaは不公平なコミュニティだ」というのが皆さんの見解なのですかね。なぜならば、公平だとする理由をどなたも説明されていないですから。「Wikipediaは不公平なコミュニティだ。しかし、不公平で構わない。不公平が嫌なら、Wikipediaで百科事典制作活動をしなければ良い。Wikipediaは、公平性よりも、各利用者の好き嫌いを重視している。」
- 少し実体が見えて来ました。
- 多くのWikipedia利用者は、不公平が好きなのです。しかし、日本社会にある多くの場は公平性を重視していて、不公平が通用しにくく、不公平好きの自分からすれば居心地が悪いのが現状です。その中で、Wikipediaは不公平が優遇される貴重な場であり、これを公平にすると面白くないのです。Wikipediaは、見た目はキレイゴトや建前で盛って華やかに見えるけど、実際は不公平好きの人の為の利己的なコミュニティなんだなと思いました。
- 投稿ブロックを受けた人、何人居るんですかね?万単位だとは思うのですが。正確な人数は分かりませんよね。ホロコーストで命を失った人は約600万人と言われていますが、同じくらいでしょうか?
- 私は今後どうするかは分かりませんが、ブログを新設しようと思います。そして、Wikipediaの活動を半分にして、ブログの活動を増やし、そこに、少し、Wikipediaに書くと嫌われて削除される記事を投稿しようと思います。--Wresler(会話) 2024年11月10日 (日) 13:04 (UTC)
- コメント 結局、公平か不公平かはその場その場で変わっていくものです。「日本社会にある多くの場は公平性を重視している」とありますが、あくまで「多くの場」にすぎず、少なからず「公平性が重視されていない」場も存在するはずです。それはWikipediaにおいても同様で、Wreslerさんがお見かけになってきた現場は不公平な現場だったかもしれませんが、ウィキプロジェクトなどを通じて分野ごとに統一した見解を出し、それを基に統一的な執筆が行われている現場もあります。ただ、1万人以上のアクティブユーザーが存在し、140万以上の記事を持つ日本語版Wikipediaにおいて、それを徹底するのは現実問題として難しいです。このようなことから、多くの利用者はWreslerさんの問いに対して「Wikipediaは不公平なものだ」という結論を導くわけです。
- まとめると、「Wikipediaが公平なのか不公平なのか?」という問いの答えは、「不公平ではあるが、少しでも公平なものとなるような取り組みは行われている」ということになります。--泳げないウミガメ(会話) 2024年11月10日 (日) 14:31 (UTC)
- 質問 場が適切ではないかもしれませんが、1つだけWreslerさんに質問させてください。あなたはいつ何があったときにWikipediaが不公平なコミュニティだと感じて、この議論を立ち上げるに至ったのですか。具体的なページも挙げていただけると助かります。--泳げないウミガメ(会話) 2024年11月10日 (日) 14:43 (UTC)
- いくつか過去事例を提示するのは、構わないと言えば構わないのですが、あまり気乗りしません。
- 皆さんの発言を聞いて実態が見えて来たのですが、Aさんを優遇するのがWikipediaで、どうやらその勢力が優勢のようです。私はそれを不公平と評価しました。--Wresler(会話) 2024年11月11日 (月) 05:21 (UTC)
- >不公平好きの自分
- >これを公平にすると面白くない
- つまり、あなた自身は不公平を認めており、これを直す気はないと。それでいながら、他の編集者には公平性を要求すると。これこそ、あなたの仰る「不公平性」ではないのですか。それでは、あなたも「不公平好きの人の為の利己的なコミュニティ」の一員に仲間入りですね。ようこそ不公平なコミュニティへ。
- 私はこれまで、あなたが不公平な状態(これ自体、実体のある話なのかない話なのか不明ですが)を是正したくてコミュニティに問いかけられているのだと思っていましたが、実はそうではなかったのですね。ならば、それに関して私から申し上げることはもうございません。
- 普通は、独自研究的な記事Aを直してくれた人には、お礼するのが社会常識的に礼儀だと思うのですが、あなたはその人に対して、どうしてこっちの記事Bは直してくれないんだ!と文句を言うわけですか。ご自身は不公平を構わないのに。正直申し上げて、傍ら痛いですよ。嫌われますよ。コミュニティから相手にされなくなりますよ。--Doraemonplus(会話) 2024年11月11日 (月) 00:07 (UTC)
- どういう意味なのか分からなかった発言がいくつかあるのですが、分かった部分に返答します。
- 人間の好き嫌いは自然な感情で、仕方ありません。私が嫌われるのも、他人の感情は他人のもので私にはコントロールできませんから。しかし、あなた自身の好きな人にも嫌いな人にも公平に対応しようと努力するのが理性ある人間社会なのかと、私は思います。好きな人を優遇し嫌いな人を冷遇するのは不公平で、それは、本能むき出しでみっともないというのが私の感想です。Wikipediaは公平であって欲しいと思い、勇気を出して、この通り井戸端で発言しました。--Wresler(会話) 2024年11月11日 (月) 05:18 (UTC)
- コメントWreslerさんが「公平性に問題のある」「欠陥がある」と考えるルールのノートページで、自分が考える問題を説明し、改善案を提示し、議論し、合意形成してください。--呉野(会話) 2024年11月9日 (土) 13:46 (UTC)
(ChatGPTより、ご参考に) あなたが述べている「公平性」についての問題意識は、Wikipediaのような共同編集プロジェクトにおいて非常に重要なテーマです。Wikipediaは、中立的な視点で情報を提供することを目的としており、個人の感情や好みに左右されず、同じルールをすべての記事や編集者に適用するべきだとされています。ここでの基本的な考え方は、すべての編集者が公正かつ透明な方法で行動し、特定の人や記事に対して不当に優遇または冷遇しないことです。
Wikipediaでの「独自研究」と「公平性」の課題 Wikipediaでは、すべての記事が信頼できる第三者の情報源に基づき、客観的な立場で執筆されるべきだというガイドラインがあります。このルールを無視して自分の意見や未確認の情報を加える行為は「独自研究」と見なされ、通常は削除対象です。もしAさんが特定の記事だけに厳格に「独自研究」を指摘して削除しようとする一方で、同様の問題を抱える他の記事には同様の対応を行わないのであれば、それは不公平であり、結果としてWikipedia全体の信頼性を損ねることになります。
公平性を保つためのコミュニティの取り組み Wikipediaでは、「不公平」と感じられる編集について、他の編集者が問題提起を行うことが推奨されています。つまり、誰かが偏った基準で記事を扱っている場合、他の編集者がそれを指摘し、「あの記事も同じ基準で対応するのか?」と問うことは、正当な手続きの一部です。Wikipediaの「議論」ページでは、そのような意見の違いや編集方針の確認が行われており、そこにおいてAさんの対応が説明不足であれば、その対応を撤回することも考えられます。
さらに、Wikipediaは「監視」や「合意形成」といった仕組みを導入しており、特定の編集者が不公平な行動をとっている場合には、コミュニティ全体でのチェックが働きます。コミュニティでの議論の結果、独自研究として削除するかどうかは最終的に合意を基に決まることが理想的です。
結論 Wikipediaの運営において公平性は重要であり、不公平な扱いが見られた場合、他の編集者がそれを正すための行動をとることが奨励されています。Aさんが独自研究の削除を行おうとするならば、同様の基準を他の記事にも適用する必要があると他の編集者が主張するのは正当なことです。そして、Aさんが合理的な説明を行えない場合、削除を控えるか、基準を一貫させるべきだという合意が形成されるべきです。
公平さが守られなければ、最終的にはコミュニティの信頼が損なわれるため、Wikipediaを構成する一人ひとりが公平性を意識し、互いにチェックを行うことが大切です。--Wresler(会話) 2024年11月10日 (日) 13:05 (UTC)
- ChatGPTは間違うこともありますが、この発言は8割くらい正論だと、私は評価しております。--Wresler(会話) 2024年11月10日 (日) 13:15 (UTC)
- @Wresler
- 一Wikipediaで独自研究を見たとき、その記事が嫌いだったり、嫌いな著者が投稿したものならば、削除したり、要出典のタグを付けるなどの対応をすると思います。しかし、その記事が好きだったり、好きな著者が投稿したものならば、独自研究だとしても何もしないでしょう。
- 二これは、公平ではなく、不公平であると考えます。
- 三— 略 — しっかりと説明しなければ、それはすなわち、不公平です。— 中略 — 正当な理由なくルール適用に差を付けるのならば、それは不公平です。
- 四不公平、それはすなわち、非道です。なので、不公平を公平にしていく努力が必要だと思います。
- 五Aさんが独自研究を削除しようとして来たら、「この記事は独自研究かもしれないが、あっちの記事も同様に独自研究でしょ。Aさんは、あっちの記事も削除しようとするのか?」とBさんが問えば、Aさんはその問いに答える義務があると思うのです。
- 六そこで十分な説明が出来ないのならば、削除は不可ということにAさんは合意せざるを得なくなるのかと。
- 一、二、三、四について、
- 確かに、不公平だと考えるべきでしょう。しかし、ウィキペディアのコミュニティーは、不公平を取り除く義務や責任を負いません。
- ウィキペディアに対する編集として「いつか誰かがやるべきこと」であれば、正直なところウィキペディアのコミュニティーは、それを貢献として受け入れざるを得ません。
- なぜならば、とある貢献が「不純な動機によるもの」だとしても、それを調査する余力がないし、それを調査せずとも、フリーな百科事典を提供するという、このサイトで編集者がやりたい最も重要な根本的な機能に大した影響が出ないからです。
- 仮に、編集者の好き好みで、削除などの消極的な編集が行われたとしても、何もしないよりかはましです。
- そもそも、新規作成や加筆などの積極的な編集も、編集者の好き好みで行うものですから、どちらがより横暴だというわけではありません。
- 仮に「私は自分が好きでも何でもないものを編集している」というのならば、同じように「好きでたまらないのに、苦渋の決断で記事を削除している」という人もいるでしょう。
- そもそも、新規作成や加筆などの積極的な編集も、編集者の好き好みで行うものですから、どちらがより横暴だというわけではありません。
- 四、五について、
- 確かに「不公平はよくないこと」だと考えるべきでしょう。
- そこでウィキペディアでは「機会を均等にする」ことで、不公平を克服しています。ですから「あなたも公平性の維持に協力してください」。
- というのも、ウィキペディアでは、もっぱら自由に編集やそのほかの貢献ができるようになっています。
- このおかげで、誰しもが「ウィキペディアに載せるべきではないと合意した、ふさわしくない記述」を削除できます。
- つまるところ、あなたは「あっちの記事を独自研究として削除する」ことができるので、Aさんと平等なのです。
- そして「あっちの記事を独自研究として削除する」ために、あなたに特別な権限は必要ありません。
- 極端な話、削除申請を出せば、その申請が適切である限り、削除できる誰かが依頼に従って削除してくれます。
- とある特定の管理権限をもつ利用者が、特定の利用者からの申請のみ無視していたとしても、結果的にはほかの管理権限を持つ利用者が行うだけであり、誰がやったか、いつ行ったかはあまり関係ありません。
- すべての編集者及び利用者が持つ「均等な機会」を、活用するかしないかは「個人の自由」であり、少なくともウィキペディアのコミュニティーでは「結果の平等を保証しないし、フリーなウィキサイトという構造ゆえに保証できない」というのが答えであり、ウィキサイトの限界です。
- 五について、
- 確かに「Aさんは、その問いに答えたほうが好ましい」ですが「Aさんは、その問いに必ずしも答えずともよい」です。
- 今回のようにたまに、もめ事や不和、不快感の原因になるので、削除などの消極的な編集は「理想のうえでは懇切丁寧な回答のうえで行うほうが良い」ですが、それをすべてやるくらいならば、もめ事にならない確立に賭けて迅速に対応したほうが、結果的に作業の進みがよいです。
- 「こっち」と「あっち」で説明をせずに異なる対処を行うことは、してはならないことではありません。
- なぜならば、そもそも「あっちの記事」が存在することを、Aさんは知っておく責任がないからです。
- 仮に「あっちの記事」が存在することを、Aさんが知っていたとしても、単純に手が回らないだけかもしれないし、あるいは「こっち」の対応をした後でウィキブレイクに入ったのかもしれないし、いずれにせよ
- 繰り返しますが、Aさんがどういうつもりで「あっちの記事」を放置していたとしても、誰かが「こっちの記事」に適切な対応をしなければならないことには変わりません。
- また、ウィキペディアには「誰がどれだけの仕事をしなければならない」といった強制的な課題はありません。
- そんな契約を編集者は結んでいないので、とある記事でしか編集活動に参加しなかったとしても、責めることはできません。
- そもそも、削除されるような内容の大半は、加筆する際に他の編集者に意見を求めたほうがよい、物議をかもす内容か、単純に方針に沿わない内容がほとんどです。
- 削除の前に加筆があるので、もっぱら過失は加筆などの積極的な編集を行った人にあることがほとんどです。
- 私も短気かつ、包摂主義者のウィキメディアンなので、差し戻しなどをされると人のことを言えるほど冷静ではありませんが、経験上、差し戻しをしてくる人は、わざわざ編集履歴から差し戻すべき版を狙って編集するような几帳面な人たちなので、差し戻された側にたいてい非があります。
- 削除の前に加筆があるので、もっぱら過失は加筆などの積極的な編集を行った人にあることがほとんどです。
- 六について、
- ここまでを冷静にお読みになれば、あなたの主張がウィキペディアのコミュニティーにとって受け入れがたいことであることがわかると思います。
- 差し戻し程度の編集であれば、つぶさに合意形成をせずに実行しても構わないし、おっしゃるように「あっちの記事も同じような問題を抱えている」ならば、気づいた人がやりなさいということが。
- おそらく「あなたの編集は差し戻されました」という通知に驚いた、ともすれば「貢献を否定されたと感じた」というのが、あなたの心中だと察します。
- 安心してほしい、知ってほしいこととして「差し戻し」というのは「あまり大した問題ではない。恐れるに足らない通知である」ということです。
- 慢心してほしいわけではないですが「差し戻し」とは、ただ編集している分には「ふつうの編集の一つ」にすぎません。
- というのも「一段落加筆した編集を、差し戻し」と「一段落加筆した編集を、普通にキーボードで削除して編集」とは、編集結果はさほど異なりません。
- どちらがよりシステム的に、論理的に丁寧か程度の違いだとの理解で、普段の編集では差し支えありません。
- つまり、差し戻しする側は、そこまで深刻に厳密に精査して、差し戻しを行うわけではなく、たまたま差し戻しが行えたので行っているだけであって、ともすれば誰が行った編集であるかを確認していないかもしれません。
- 差し戻しをする人が、心から「この編集は差し戻すべきだ!と、ある種の確信して差し戻すとき」は、トークページにお知らせを貼ってくるものです。
- そうでもない場合は、あまり気にしないで、あなたの編集を続けてください。
- また、蛇足になりますが、姉妹プロジェクトのウィキバーシティーやウィキブックスなどでは、向こうの方針に適合する限りあなたの独自研究や、あなたの著作物を公開することができます。学問の自由を求めるのであれば、向こうのほうがあなたの希望に沿った方針と規約を備えているかもしれません。
- ぜひ、今後とも、金ももらえず、ないものは自分で作らなければならない、作業の進捗を確認してくれる監督なんかどこにもいやしない、ウィキペディア編集の参加者しか執筆してくれない百科事典の発展に、ともに協力しましょう。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2024年11月11日 (月) 04:45 (UTC)
- ありがとうございます。--Wresler(会話) 2024年11月11日 (月) 05:23 (UTC)