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Wikipedia:井戸端/subj/以前問題があって書かれている文でも、出典がなければ削除しなければいけないでしょうか?

以前問題があって書かれている文でも、出典がなければ削除しなければいけないでしょうか?

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スピリチュアリティという記事で、冒頭の「自然界の法則を超えた神秘的・超常的なものごとである「超自然」(スーパーナチュラル)とスピリチュアリティは異なる概念である。人間の肉体が消滅しても霊魂は存在するとする思想・信仰「心霊主義」(スピリチュアリズム)とも異なる。」という記述を、IPユーザーの人が、出典がないものはすべてさ削除だと主張されて、ノートで合意を取らないで、削除されました。出典があるのが理想的なのはわかるんですけど、もともとこの記事は心霊主義やオカルト的ないろいろとすごく長い期間混同されていたことがあって、その経緯があって書かれている文です。そういったことがあっても、とにかくなんでも出典がなければ削除しなきゃダメなんでしょうか?たぶん、専門家にとっては当たり前すぎるので、スピリチュアリティはこれとは違う概念です、というような資料は、見つけられないような気がします。消すのがぜったい正しいんでしょうか?

あとスピリチュアリティはキリスト教神学用語でしたが、今はそれを超えて使われているのに、現状の記事は中立的でないといって、中立的な観点のテンプレートを張られてしまいました。今まではずっと、中立じゃないという人はいなかったし、偏った内容ではないし、足りないものがあったら書き足せばいいだけのことだと思います。現代では、神学以外でもいろんなジャンルでよくつかわれている言葉なので、キリスト教神学から見てはみ出している、独自研究というのは、そっちのほうが中立じゃないんじゃないかと思います。特定のジャンルの人の、すごく強い意見、自分の「正しい」見方を通そうとするやり方に、どうしていいかわかりません。ある立場から見て正しければ、それが通って仕方ないですか?ルールだからと、今のところ押し通されている感じです。これがどうしようもないなら、あきらめるしかないですが、そうでないなら、アドバイスをお願いします。それか、IPユーザーさんに一言説明をお願いしたいです。--ジャム・パンナ会話2016年2月26日 (金) 11:47 (UTC)[返信]

コメント はい。出典がなければ基本的には全除去で、削除されても記入した側が出典を示す義務を果たしていないことに原因が求められるものです。ですので「出典が見つからなければ、あなたがどんなに間違えようのない真実だと思っていても、ウィキペディア上には書かないで下さい」。これは公式方針「Wikipedia:検証可能性」に明記されてます。ウィキペディア上に既に存在するスピリチュアルな記事ですと千里眼事件御船千鶴子などがありますが、これらは情報源として専門書籍などが挙げられておりますので、「スピリチュアルやオカルトな事柄で検証しづらいから出典はなくて良い」ということにはなりません。出典がない文章は全て、どこの誰とも分からない匿名編集者が自分の研究成果を世に認めさせようとウィキペディアを利用して記述しているのか、専門書籍などの情報源から適切に要約して事柄を解説しているのか区別がつきませんので。
スピリチュアリティについても同様の考え方で、あなたも私も「どこの誰とも分からない、専門家かどうかすら判断不能な単なる匿名編集者」ですから「世界最大の記事数と高い信頼性のあるインターネット百科事典」に、あなたや私が個人的に思っていることや考え方を反映させることは著しく不適切です。そういったことは自身の自由に扱える個人ブログや日記上でやることで、ウィキペディアでは求められていない書き方となります。これは公式方針「Wikipedia:独自研究は載せない」に詳しく書いてありますので、参照してみて下さい。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年2月26日 (金) 12:28 (UTC)[返信]
コメント状況次第です。検証可能性の方針というのがありますから、まずはそれを確認ください。ただ、一方にWikipedia:編集方針という方針もありますから、批判的ではないもの、常識的に間違いではなさそうなものなら、出典がないこと以外に理由がなく、調査も行わないで除去しろ、という文書でもありません。それぞれに調査をしつつ、互いに合意できる書き方を探ってみてください。--Ks aka 98会話2016年2月26日 (金) 12:49 (UTC)[返信]
コメント非常にむずかしい記事ですね。ウィキペディア的には執筆の難しいタイプのテーマだと思います。ウィキペディアはその仕組上、「オカダンゴムシの第3歩脚」みたいな分化した狭いテーマほど書きやすく、「山」とか「熱」みたいな広くて一般的な概念ほど書きにくいです。
  • 冒頭文の中で「宗教学、社会学、文化人類学、心理学、人の幸せや生活の質(QQL)、医療、ターミナルケア(終末医療)などにおける重要な概念」とありますので、テクニック的には、「宗教学におけるスピリチュアリティ」「社会学におけるスピリチュアリティ」などのように細分化して記事化したほうが、出典に基づく記述は容易になり、記事としてまとめやすくなるはずです。そのうえで、スピリチュアリティの中では「○○については「○○のスピリチュアリティ」を参照」というふうにしてしまうのです。
  • 出典の取り扱いにも入念に気をつけるべきで、たとえば「スピリチュアリティの考察(長山正義 大阪市立大学看護学雑誌 第4巻)」という出典をスピリチュアリティを総合的に解説する文脈に使うというのは、本来は避けるべきでしょう。どこまで行ってもこの出典は「医療の観点からの」文献として取り扱うべきです。それが「中立的」というものです。福祉系の人物が「スピリチュアリティを網羅したよ」と言って書いていても、それはやっぱり「福祉系の人が見た『スピリチュアリティの全て』」だろうと。ざっと拝見すると、いま使われている文献は福祉系・医療系に偏っており、たしかに中立性が保証されているとは言い難いように見えます。(たとえばPortal:スピリチュアリティでは「スピリチュアリティに関する主要項目」としていろいろ列挙していますが、そのなかには自然哲学とか合気道とか平和主義なんかもあって、人によっては「ふざけんな」という方もいるでしょう。)--柒月例祭会話2016年2月26日 (金) 13:07 (UTC)[返信]
コメントこの記事に関しては、以前オカルトや心霊主義と混同されていたことがあって、そういったジャンルとしてカテゴリの「スピリチュアリティ」が使われてしまっているので、気が付いた方に修正してもらうためにも、スピリチュアリティの記事の冒頭に一言あってほしいんですよね。削除はどうかと思います。ポータルの方も、その影響があり、またポータル:宗教があるため、そちらと重複する部分はポータル:スピリチュアリティでは扱っていないので、人によっては「ポータル:スピリチュアリティはニューエイジ過ぎる!」と感じるだろうと思います。過去にあった問題が完全に解決しておらず、ネット上にも拡散されているため、四角四面に消してしまわないほうがいいのではないでしょうか。スピリチュアリティの記事に関しては、全ジャンルを扱った専門書がなく、「心霊主義との区別を明確にする」という問題の解決を目的に、入手しやすい資料を中心に整理したので、これも人によってはいろんな不満があると思います。とにかくややこしい記事なので、強硬に進めずに、なんとか折りあっていってほしいです。--やまさきなつこ会話2016年3月1日 (火) 12:15 (UTC)[返信]