Wikipedia:井戸端/subj/余談について
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「余談だが~」の記事を削除することについて
[編集]7月23日にいろんなページの記事の中の「余談だが、何々は~」に続く文章を片っ端から削除している方がいるのですが、「余談だが~」のような、その記事ではあまり役に立たないような豆知識を載せることはウィキペディアでは推奨されないのでしょうか?よしだまさこ 2006年7月23日 (日) 07:39 (UTC)
- 「余談」とは、余分な話、本筋からはずれた話のことですよね?
- 逆に言えば、「余談だが」と書くことで、「削除してもらって結構です」と自ら宣言しているように見えます。ウィキペディアに載せるべき文章だと思われるのでしたら、あえて「余談だが」と書く必要はないと思うのですが、いかがでしょう。--ikaxer 2006年7月23日 (日) 07:47 (UTC)
- 必要ない情報であれば削った方がいいでしょうし、必要な情報ならわざわざ「余談」とせずに書き加えればいいだけの話だと思います。正直なところ、私は「余談だが」「ちなみに」というのは文章を稚拙に見せる魔法の言葉だと思っているので極力使って欲しくはありません。参考: google検索 余談だが|余談ではあるが--cpro 2006年7月23日 (日) 08:02 (UTC)
- 僕もそういう、いかにも自分の知識を披露して満足するような書き方は嫌いです。Wikipediaはトリビアの泉ではないので、不要でしょう。--ゆきち 2006年7月23日 (日) 08:09 (UTC)
- >Wikipediaはトリビアの泉ではないので
- 不毛な発想ですね。世間一般的に認知されている誤解であるなら、それを記述することを憚る理由はないでしょう。
- 言葉遣いが幼稚・・・というのは、同意。202.233.244.13 2006年7月23日 (日) 08:57 (UTC)
- ひとつだけ。ここで話題になっている「瑣末な情報を記載すること」と「世間の誤解を解くこと」は話の方向性が違いますよ。--ゆきち 2006年7月23日 (日) 09:13 (UTC)
- 余談と書かれている多くの内容が推量で書かれていることは興味がありますね。これを残す価値など果たしてあるのでしょうか。--夏が来た具合 2006年7月23日 (日) 12:30 (UTC)
余談が「本筋から外れた関係ない話」なら削除すべきなのでしょうが、今ある記事の中には“余談”とは言えない有益な情報が含まれている場合もあります。そんな情報まですぐ削除するのは、大きな損失です。削除する前に編集で対応する余地が無いか、考慮すべきです。--Bellcricket 2006年7月23日 (日) 13:03 (UTC)
- 機械的に「余談」を削除するのは、大変に困ります。北アメリカ航空宇宙防衛司令部では、重要な部分も削られてしまいました。まずは、文の編集で対応すべきです。--Los688 2006年7月23日 (日) 14:15 (UTC)
- 「余談」という言葉のみをとらえて内容を吟味もせず削除してしまうのはどうかと思います。「俺は内容についてはわからないけど、これはいらないと思う」というのは矛盾しています。--Etoa 2006年7月23日 (日) 14:32 (UTC)
- 書いた本人が余談だと認識するような文章は要らない!という判断基準というのもありえるのではありませんか?
- 大事な記事で書いたって削除されるのに、消されて悔しがるような内容を余談と括る真剣が私には理解できません211.125.13.156 2006年7月23日 (日) 15:16 (UTC)
- 「余談」とした人が悔しがるかどうかはどうでもいいんですが、内容次第では上手いことサルベージしてやれば有用な記述に化ける可能性もあります。機械的に一律で削除してしまってそれらを潰してしまうのは百科事典的に結構な損失になるのではないかと思いますよ。その辺を見極めた上でなら削除しても文句は出ないことでしょう。--cpro 2006年7月24日 (月) 04:31 (UTC)
削除すべきかすべきでないかは、内容で判断すべきものだと思います。しかし、余談は蛇足と同じで話の本筋とは本来関係のないものを付け加える際に言う言葉です。ですから極力「余談」を使うのは避けるべきでしょう。代わりの表現が必要だという人は、その人の日本語表現能力に応じて言葉を探すしかありません。--寒波星人 2006年7月23日 (日) 15:51 (UTC)
- 削除すべきか、すべきでないかを判断する方法として、
- 当該文の「余談だが」「余談であるが」の語を削る。
- 文章のつながりにより「また」「そのほか」「さらに」あるいは「特筆すべきは」などの接続語を適宜挿入する。
- これで違和感がなければ残し、やはり不要と思えれば削除。
- こんな感じで判断できますよ。--ikaxer 2006年7月24日 (月) 03:32 (UTC)
百科事典は、「余談」を書くような場所ではありません。コラムではないし、雑誌の記事でもない。誰の余談なのですか?ここの執筆は、みな匿名(氏素性を明らかにしていない)で書かれています。どこの誰だかわからない人の余談などは、百科事典に持ち込まないでいただきたい。そもそも「余談」とは「余計・余分な」ものだというのであり、それだけで私も削除することを検討しますし、実際いままでしてきています。また「余談」とは、「談」(談話の談)であり、「談」を百科事典に持ち込むこと自体、非常に異質なことです。余談はコラムや井戸端、会話で行うべきものです。そうした性質に鑑みて、余談ならすべて削除されるべきです。また、その内容を言い回しを変えて書き加えるかどうかは、全記述者に任されるわけが、だいたい余計なものだといっているのだから、百科事典に記載するほどのことではないのでしょう。繰り返しますが、ここは百科事典です。重要なことなら、そのように書けばよいだけ。議論するまでもないでしょう。--PeachLover 2006年7月24日 (月) 07:48 (UTC)
- >「余談」という言葉のみをとらえて →重要ならば、余談として書かなければよいことだと思いますよ。--PeachLover 2006年7月24日 (月) 07:50 (UTC)
- PeachLoverさんの御意見に賛同します。「余談」という項目名が不適切であるならば、先ずは「余談」となっている項目を査読し、必要と思わしき記事を残した上で「余談」から項目名を変更するのが妥当と思いますが、如何ですか。--Sandra-horn 2006年7月24日 (月) 09:03 (UTC)
- PeachLoverの上記の意見には反対。「余談だが」と書かれた箇所が、本当に蛇足で不必要な記述か、中身を判断することもなく、機械的に編集すること自体が不適切。情報の取捨選択を放棄するような行為を推奨するようにしか見えない。早い話、ただの荒らし推奨宣言にしか見えん。詭弁。--yfuruhata 2006年7月24日 (月) 09:21 (UTC)
- Yfuruhataさんのご意見に強く同意します。「余談」「豆知識」などの節であっても、投稿されたご本人は、記事中に書くべき内容だと思うからこそ書いているわけで、名前の挙がった北アメリカ航空宇宙防衛司令部のように、実際には余談でも豆知識でもない重要な内容が書かれていることもあります。そのような記事を査読、推敲することは大いに推奨されるべきですが、節名だけをとらえて片っ端から機械的に削除する行為は荒らし行為とみなされても仕方ないように思えます。--B級へたれ 2006年7月24日 (月) 10:02 (UTC)
- とんでもないですよ。荒らし推奨だなんて。私にしたって、機械的に何が何でも消す、ということをしているわけではなく(もっとも、消す対象のようなトリビアや瑣末なことが少なくないが)、残す場合には残していますよ、編集対応で。消去されたくなければ、「余談」などという断りをいれないことです。余談だなんていうから問題が起きる。なんどもいうが、百科事典は会話をしたり余談を述べたりする場ではありませんからね。書くべき内容なら、ちゃんと書けばよい。もちろん、ブロックの被依頼者のような、あまりにも機械的・無差別的な行為はもちろん望まれないわけですが、百科事典に「余談」(豆知識と余談は違う。同義ではない)を持ち込むことこそ、このような編集や荒らし的な行為を呼んでいるんです。余談じゃないなら余談とかかなければよい。--PeachLover 2006年7月24日 (月) 10:34 (UTC)
- Sandra-hornさんのご提案に概ね賛成します。--PeachLover 2006年7月24日 (月) 10:46 (UTC)
余談に続く文章を一律に削除しているのなら荒しと変わらないでしょう。余談と書いてあろうが無かろうが、内容的にその項目に必要の無いものであれば、削るべきであり、内容が関連していて余談では無いと思えば「余談だが」の部分を書き換えれば良いだけです。 Zorac 2006年7月24日 (月) 11:08 (UTC)
話の流れを読むと、論点が噛みあっていない。「余談の削除」についての話であるのに、「余談を削除した人のやり方」について文句を垂れているだけの人がいるようだ。論点を整理して、相手の主張に的確に反論しなければ議論にならない。--論点 2006年7月24日 (月) 11:52 (UTC)
- 「余談」に違和感を持ちつつも、既存の記事にかなり使われているので、「そういうものか」と思って記事執筆などをしてきました。使ってはいけない言葉なら、そうしたガイドラインを作ったほうがいいでしょう。ビギナーは他の記事にその語(項目など)があれば、それを参考に作ると思います。220.254.0.4 2006年7月24日 (月) 12:12 (UTC)
Miya.mです。「余談」という表現は(一般的に)百科事典として推奨されない表現ですね、より具体的な表示が望ましいと考えます。しかし現在のWikipedia日本語版に「余談は削除すべし」という方針はありません。
ところで 今回の余談騒ぎは利用者:夏が来た具合氏が(JST)7月23日12:30~13:09の39分間に約80項目について「余談」を削除したものですね。時間と投稿数から判断して、十分内容を吟味した上で削除したとは思えず単純に「余談」でヒットした内容を機械的に削除したと思われます。「余談」を削除すべしという提案は上記のようにWikipedia内でオーソライズされていません。従ってこのような機械的・集中的削除が目の前で行われた場合、私ならば「荒らし」と判断するでしょう。もちろん無駄な内容を削除するのに躊躇する必要はありませんが、B級へたれ氏の御指摘にもあるように本来重要なデータまで「余談」=「不要」として消す行為は歓迎されません。Miya.m 2006年7月24日 (月) 13:03 (UTC)
まぁ、「余談」という字面に囚われすぎですね。改変したいと思う方は内容もよく読んでからにしましょうね。その方が問題適する際に余計な軋轢も無くスムーズに行くと思いますよ。 58.188.67.145 2006年7月24日 (月) 14:43 (UTC)
- Miya.mさんとZoracさん、58.188.67.145の御意見は私の申し上げたかった内容そのものであります。PeachLoverさん、ありがとうございます。
- 項目が「余談」と題されているだけで全削除されてしまったことがこの度の混乱を招いたように感じます。記事と関係の無い投稿を整理・削除することは必須であると思いますが、「余談」と題された項目の中に有益な内容の投稿が存在するケースも見受けられます。記事の整理が行われること自体に異議があるのではなく、「余談」と題された項目とそちらへの投稿記事を発見され次第「余談だから全消去なさる」方針について問題提起が為されているのが現状ではないかと考えます。
- 今回の論点とは“「余談」項目中に投稿された記事の全てが「不要」であると見做すべきではない”で纏まる筈です。 私自身も「余談」は項目名として適切ではないと思いますが、「余談」と銘打たれていることを理由に記事消去をなさる前に、先ずノート欄やコメント依頼などで御意見を提示されることが望ましい手続きでありルールにも即す対応ではありますまいか。(但し、記事と無関係な記述や顕かな荒らし行為と推察される記事の削除については例外でしょう。)
- 記事削除を行おうとする前に、再度当該記事の査読を行うことは必須であり記事を編集する上でのマナーではないかと考えます。--Sandra-horn 2006年7月24日 (月) 16:52 (UTC)
- Sandra-hornさんのご意見に、根本的に同意します。「余談」「ちなみに」以下に記述されている内容について、百科事典として相応しくない瑣末事項である場合が多いのは確かですが、記載箇所の考慮が足りなかったり、表現が拙いだけという場合も多いようです。個人的感想ですが、瑣末事項を記載する場合の編集者の心情として、「取り合えず、知っていることは何でもを書いてみよう」という、いわば試行的・悦楽的行動であることも往々にしてあるように思われます。万一それが削除された場合に、多少の失望感は避けられないかもしれませんが、その記述が不可欠だとして丸ごと復帰されたりした例は、これまで編集経験の中ではなかったように存じます。
- 大胆に編集して、記事全体の構成を整え、その結果が大多数の納得を得られるものになれば大きな問題にはならないのではないでしょうか。「余談」以下の内容を吟味し、残す価値のある内容は、表現を変えるなり、他の見出し以下に移動するなりして相応しい形で残し、事典的でない瑣末事項なら遠慮なく削除して構わないと思います。以上のように、吟味された方法で編集・整理・削除するなら、特に「ノートページでの問題提起が必須」とは思いません(但し要約欄で編集意図を明らかにすることは必要でしょう)。--Bossa 2006年7月24日 (月) 18:26 (UTC)(一部修正)--Bossa 2006年7月24日 (月) 19:37 (UTC)
- 「余談」と冠された部分を機械的に削除することを認めると、自分にとって都合の悪いところに「余談だが~」と冠した編集をしておいて、他人に削除させる荒らしが(&その手法を使った3rr逃れが)成立します。ですので、そういった方針はよろしくないかと考えます。Wikipedia:削除依頼/ポルトガルの歴史の問題ともリンクするのですが、不適切な文体を改める(内容を削るのではなく)のは立派な編集作業だと思うのですけれども、余談を削りたがる皆さんはバンバン削る方が立派だと考えているんでしょうか。Himetv 2006年7月25日 (火) 03:17 (UTC)
- 思うに、
- 仮にも百科事典に書き込まれるべき内容だと思うなら、それを「余談」などと称することが失礼(「豆知識」は「余談」とは違います)。
- どんなものであれ「機械的」な削除は己の脳髄のしわの少なさを豪語するような行為である。
- いわゆる削除厨についてはアレなので略。
- --NekoJaNekoJa 2006年7月25日 (火) 03:44 (UTC)
収束しつつあるところで今更かも知れませんが、ちょっとまとめてみます。大きく分けて、
- 「余談だが」として情報を記述すべきではない。字義通り余分な話で削除されて構わないとの意思表示とも取れるし、重要なことならば「余談」とせず普通に書けばよい。そんな記述は削除されても仕方ない。
- 「余談だが」として記述されているだけで、その部分を機械的に削除してしまうのは損失が大きく、荒らし行為とも判断されかねない。編集対応の余地がないか検討すべき。
というふたつの意見に分けられると思います。これらは決して矛盾しないと思うのですが、思うに前者は執筆者の、後者は編集者の態度に対する是非を問うものですよね。これらをごっちゃにして語ってしまったことが前半の噛み合わなさの原因のように見えます(PeachLoverさんとyfuruhataさんの対立が顕著)。で、今のところは
- 執筆者としては、「余談」のような百科事典的ではない記述はしないよう心がける。
- 編集者としては、機械的に削除するのは論外。それぞれ吟味し、残すべきものは適切に編集し、些末なものは削除する。
といったところがおおむね統一見解と考えていいでしょうか。--cpro 2006年7月25日 (火) 04:24 (UTC)
cproさんの意見に賛同します。Himetv 2006年7月25日 (火) 04:51 (UTC)
わざわざまとめていただき、ありがとうございます。cproさんの意見に賛同します。--Etoa 2006年7月25日 (火) 05:39 (UTC)
- 英語版にも死ぬほどtriviaってついてる項目ありますがね?向日葵三十郎 2006年7月25日 (火) 18:01 (UTC)
- 全体の文章量にもよるでしょうし、その余談の内容にもよると思いますので、一概に全削除するのは、適当ではないと思います。--idea 2006年7月28日 (金) 16:40 (UTC)
- 英語に疎い私に教えていただきたいのですが、英語版のtriviaっていうのはここで言う「豆知識」と「余談」のどちらに入るのですか?--水野白楓 2006年7月28日 (金) 16:47 (UTC)
>「余談だが」として情報を記述すべきではない。字義通り余分な話で削除されて構わないとの意思表示とも取れるし、重要なことならば「余談」とせず普通に書けばよい。そんな記述は削除されても仕方ない。
仰る事は尤もなれど、そこがまた日本人的な「謙譲の美徳」だと思って付けている人も少なくないような気がする(個人的な意見ですが)。--水野白楓 2006年7月28日 (金) 16:47 (UTC)
- >「謙譲の美徳」だと思って付けている
- そう思って付けたら結果的に知識の過剰なひけらかしを予告する「接続語」になってしまっているわけなんですが。58.87.173.38 2006年7月30日 (日) 07:19 (UTC)
それほど重要ではないけど興味深いエピソードについて「余談だが」に続けて書いているのではないかと思います。「余談だが」は随筆的表現で、百科事典には馴染みません。他にも上で挙がっている「豆知識」や「その他」「アラカルト」といった節がある記事もありますが、どうもしっくりきません。特に「アラカルト」は表現としておかしいので、何か別の表現がほしいところです。開き直って「トリビア」としちゃってもいいんじゃないかと思いますが。--mochi 2006年8月1日 (火) 16:58 (UTC)
- 基本的には記事本文に。どこにも書けないなという場合には備考欄を設ければ良いと思いますが、いかがでしょうか。実際のところ「余談だが」などを付けずに文章を書いてみると、意外と問題なかったりしますので、本文に記載しても良いと思います。一度節に分けてしまう(備考欄を作ってしまう)と、本文に統合され難くなると思いますし。他には、その興味深い情報について、適切な節名を使うことが考えられます。一意見として。--草薙 2006年8月3日 (木) 01:20 (UTC)
- 「余談だが」という言い出しを無意識に使ってしまっている人が多いと思います。それに対して、改めてそのような人々に本来の意味を認識させるのは少々大変なことと思われますが --char 2006年8月21日(月) 02:02 (UTC)