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Wikipedia:井戸端/subj/出典文書に基づいて略地図を作成しアップすることは「独自研究に該当するか?」

出典文書に基づいて略地図を作成しアップすることは「独自研究に該当するか?」

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現在、岐阜県板取川上流に有る川浦渓谷記事を作成中です。内容は以下の通りです。

このまま出典してもおそらく地元民でないと国土地理院の地図表記と従来の定説の違いが全く分からないと思います。そこで、パワーポイントで出典文書に基づき略地図を作成し、アップすることは独自研究に該当するでしょうか?

ご意見、ご見解をお教えください。

また、本記事アップの際に節立てを考えずにアップしたため、記事を削除し再びアップしております。混乱を招き申し訳ありません。——以上の署名の無いコメントは、Earthboud1960ノート履歴)さんが 2016年10月2日 (日) 01:03 (UTC) に投稿したものです(Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴による付記)。[返信]

毎度毎度申し訳ありません。皆様のフォローが無ければWikipediaで生きていけません。感謝の言葉もありません。--Earthboud1960会話2016年10月2日 (日) 01:21 (UTC)[返信]

所在地情報

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板取川分岐点南に位置する旧杉原村の北西上流部、門原川との合流地点までを川浦谷と呼ぶ[1]。合流点以降を板取川とよぶ。しかし、国土地理院地図によると滝波谷と門原川の合流点までを板取川と記載している。

国土地理院の記載が正しいとすると、板取川水源は定説[2]左門岳ではなく滝波山が水源になるため矛盾が生じる。しかし、濃陽徇行記の「此山より流来れる渓水杉原前にて板取川に落合なり」[3]との記載とは合致する。ただし、濃陽徇行記では「谷々はアケシ谷、西ヶ洞、小ツケ、千川原、ハコ洞、大ダイラ、ヂゾウ洞、水洞、ウチハミ、小谷、海水谷とわかれ、此水落合て板取川と云うなり[3]」とも記述されており合流については曖昧になっている。このため理由については不明である。

ゼンリン住宅地図によると門原川は滝波谷と合流して滝波川(岐阜県)になり、川浦谷川と合流して板取川になると記載されている[4]

また、川浦ダムと川浦谷川の関係は、西ヶ洞の上流に川浦ダムが造られており、川浦谷川の本流は川浦ダムより北の銚子滝上流の左門岳で有り、川浦ダムが川浦渓谷の源流では無い[5]

引用・参考文献

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  • 竹内理三(編)『角川日本地名大辞典』(初)角川書店〈21 岐阜県〉、1980年9月20日。 
  • 樋口好古、平塚正雄(編)『濃州徇行記 濃陽志略』(復刻再版)大衆書房、1988年3月20日。 
  • 平凡社地方資料センター(編)『日本歴史地名体系 第二一巻』(初)平凡社〈岐阜県の地名〉、1989年7月14日。 
  • ゼンリン『ゼンリン住宅地図』ゼンリン〈関市3(洞戸・板取・武芸川)〉、2015年10月。ISBN 978-4-432-39397-8 
  • 島田靖、堀井啓介『新・分県登山ガイド20』山と渓谷社〈岐阜県の山〉、2010年1月1日。ISBN 978-4-635-02370-2 
  • 渡邉賢雄『板取村史』(初)板取村教育委員会、1982年5月。 

脚注

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  1. ^ 平凡社 1989, p. 573.
  2. ^ 島田・堀井 2010, p. 106.
  3. ^ a b 樋口 1988, p. 495.
  4. ^ ゼンリン 2015, p. 4.
  5. ^ ゼンリン 2015, p. 2.
  • コメント WP:OIをご参照下さい。基本的に、出典がある(独自研究ではない)記述を説明するためにオリジナルの画像を作成することは、認められています。
だだ、上の記述については、「矛盾が生じる」「曖昧になっている」「理由については不明である」等が、出典に基づかない、ウィキペディアの編集者自身の分析であり、独自研究であるように見えます。--Dwy会話2016年10月2日 (日) 04:18 (UTC)[返信]
  • コメント  河川の水路や名称は、時代や地域によって違いが見られます。水路や名称に関わる説明を求めても一定の結論が求められないことは十分にあり得ます。公的な現在の河川の状況を基本とするのであれば、公的機関の情報に基づいた説明をすればよく、他資料の説明から異なる情報も確認できるのであれば公的機関とは異なる出典に基づいた情報を付随すればよいものと考えます。
例えば、利根川の流路はご存知の通り歴史的に大きな変化が見られたわけで、一定の水路が説明できるものではありません。ある時代に利根川はどこを流れていたかなど、詳細に説明することは困難です。
小生は、現在の岐阜県の板取川について存じませんが、公的機関による情報と所謂「定説」とされる情報に相違がみられるのであれば、両者の情報を提示し、その相違を説明すれば良いとするのが、小生の意見になります。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月2日 (日) 06:03 (UTC)[返信]


河川の流路が歴史的に一定であるとは限らない、という点については湖紫陽(koshi2016)のご説明のとおりで、年代の相違する情報源で異なる説明があったとしても、それぞれの年代ではそれぞれに正しかった可能性はあるでしょうね、としか申しようがありません。それよりもDwyさんご指摘のとおり、「矛盾が生じる」「曖昧になっている」「理由については不明である」等の命題がどこから出てきたのか、という点のほうが問題であるように感じられます。これらの「矛盾している」「曖昧だ」「理由が不明だ」といった命題を「誰が」言っているのかを明記できない(もしくはウィキペディアの利用者自身であるなら)WP:NOR#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成を疑う余地が生じるように見受けられます。

もうひとつ。WP:OIでオリジナル画像を作ることは問題ないようですが、問題の川の合流点とはこの辺りの地域でよいでしょうか。だとするとTemplate:Coordにこの近辺の座標をしていすると北緯35度45分57秒 東経136度47分45秒 / 北緯35.765910度 東経136.795771度 / 35.765910; 136.795771のようにリンクが生成され、リンク先で各種のオンライン地図サービス上の当該座標へのリンクが生成されますが、そのなかに地理院地図とゼンリンのサービス(いつもNAVI)が両方とも含まれています。何を言いたいのかというとがんばって作る必要ある?ってことです。--ikedat76会話2016年10月2日 (日) 08:17 (UTC)[返信]

コメント 追加 小生の意見を追加させていただきます。 出典文書に基づいて略地図を作成する事、そのものに問題があるとは思えません。無理(問題)を生じさせるているのは、参考資料の情報すべてを統一させようとすることにあるのではと思います。その原因は下記の、

  1. 公的機関に拠る情報と所謂「定説」による情報では相違があること。
  2. 『濃州徇行記 濃陽志略』 は合流地点について説明がない。

2点があると思います。 資料を確認しているわけではないので現状はわかりませんが、Earthboud1960氏による説明に則して考えれば、 1の公的機関の情報と所謂「定説」に相違があるため、流路は同一と言えない(つまり「矛盾している」)。 2の『濃州徇行記 濃陽志略』に説明がないから、合流地点を求めるのが困難(つまり「曖昧だ」)。 そして、氏は収集した資料より統一した結論が得られない「理由が不明だ」と発言している。 と考えていると推測しています。

しかし、小生は氏の発言に対し、いくつかの疑義を持たざるを得ません。 一つ目に、定説とされる意見が説明されているとされる出典( 『新・分県登山ガイド20』 )に対する信憑性です。学術的な文献や大辞典等に拠る説明であれば「定説」との説明は納得できるのですが、いかがでしょうか。 二つ目に、『濃州徇行記 濃陽志略』はどのような性格の書籍であるのかということです。例えば、「新編相模国風土記稿」や「新編武蔵国風土記稿」などの地誌取調書であれば、明確な合流地点の記載を求められると思います。(不勉強な小生からは、書名を見るところでは旅行記なのではと。もし、旅行記であるのなら、例え合流地点が「曖昧」であってもおかしくはないのではと思います)。 三つ目に、なぜ流路に関する意見の相違を統一した地図を作る必要があるのかということです。

まずは公的に指定されていている着地点、流路、名称を説明すればよく、他の有効な情報があるのであれば、諸説として出典に基づき地図を作成しアップすればよいとするのが、小生の意見になります。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月2日 (日) 10:07 (UTC)[返信]


『新・分県登山ガイド20』自体は山と渓谷社が発行している書籍なので、それなりの信憑性はあると思いますが、確かに所詮一般書籍ですから、国土地理院と比較すると、信憑性という意味では劣るかも知れません。一番手近にあった資料を引用したところに間違いの発端があります。
旧板取村の南に位置する旧洞戸村村史によると『板取川 越美山脈の左門岳に源をなし(洞戸村史 上巻 p3)』との記載が有ります。また、
角川日本地名大辞典 21岐阜県によると『長良川支流の板取川最上流部の渓谷。福井県境の左門岳に発し、p216』とあります。
また『濃州徇行記 濃陽志略』は本来記事にすべきところ、まだ記事にできていないのですが根道神社の記事の最後に少し記載しておりますが、単なる旅行記では無く岐阜県を調べるには一級の文献です。また、『濃州徇行記 濃陽志略』には合流地点の説明が無いのではなく、合流地点についての記載が2つある。が正しいです。
最後になりますが、私の編集方針は『両論併記』です。べつに、どちらかに決めたいわけではありませんが、河川の源流は河川について記事を書く際には重要な事項で有ると思います。
このため、文章で書くとわかりにくいので、図で示すのが一番かと思い御相談させていただいております。--Earthboud1960会話2016年10月2日 (日) 11:59 (UTC)[返信]
ikedat76会話)様、便利な機能をご教授頂きありがとうございます。この機能を採用させていただきます。--Earthboud1960会話2016年10月2日 (日) 13:47 (UTC)[返信]

インデント戻します。ikedat76会話)様、実際にやってみました。

私の作りたい物が正確な地図として表示出来ました。ありがとうございました。『聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥』ですね。

また、Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴)様、Dwy会話)様、湖紫陽(koshi2016)会話)様、ikedat76会話)様、ご支援・アドバイスありがとうございます。御指摘いただいた部分については記事に反映したいと思います。

今後ともよろしくお願いします。--Earthboud1960会話2016年10月2日 (日) 21:31 (UTC)[返信]

コメント川浦渓谷で本文章は使うつもりでしたが、板取川でも源流に関して私が記載しておりますので、板取川で今回ご指導いただいた成果を発表しております。まだ、板取川については書き足りない部分もありますが、お暇なときにでもご一読ください。--Earthboud1960会話2016年10月4日 (火) 13:15 (UTC)[返信]