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Wikipedia:井戸端/subj/列車記事のタイトル・内容について

列車記事のタイトル・内容について

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Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/列車というものが存在するのは知っていますが、プロジェクト外の方の感想も聞きたいので敢えてこちらに書かせていただきます。

Wikipediaの列車に関する記事は、列車の運行内容や時期がガラリと変わっても、同一記事内で扱う考えが強いようです。 例えば、現在九州新幹線の愛称である「つばめ」は、JR九州のサイト[1]では、過去4代にわたって使用された愛称だと整理しています。

他の記事であれば、つばめ (新幹線)とか、つばめ (5代)つばめ (2004-)等の項目になりそうなものですが、ノート:つばめ (列車)をご覧になっていただければわかるように、連続性を理解しない行為だの、分割提案に関してかなりの批判が上がりました。

名称としての扱いは同じように扱われるが、中身が変わる例というのはなかなか珍しいと思いますが(個人名であれば絶対に無い)、思い当たったところで次のようなものがあります。

  • 木村庄之助 - 相撲の行司。途中から自然に(X代)がの記事が生成されている。「位」とも取れなくない。
  • 引田天功 - マジシャン。途中で分割提案がありスムーズに分割している。
  • ライブドア - 会社名。別会社の記事が並立していたが、途中で分割している。
  • 若乃花 - 四股名。花田家以外に若ノ花がいたことを初めて知った...
  • 伊達杏子 - バーチャルアイドル。初代・2代とまとめて書いている。
  • マツダ・キャロル - 自動車。初代と2代で時代が大きく変わっているがすべて同一記事内に書いてある。
  • 民主党 - 政党。メンバーに共通人物がいるが、自由党合流後は別物で書かれている。

このような状況です。

伊達杏子に関しては情報が少ないという理由、マツダ・キャロルに関しては、章構成が「代」になっているので、構成上問題が無いということなのでしょう。

しかし、列車の記事に関しては伊達杏子の例で言えば、1つの記事内で「伊達杏子(初代)の祖先にあたる伊達●●および伊達杏子(2代目)の恋人となる△△正宗についても併せて標記する。」などと書かれ、併せて表記された方の内容が詳細に表記されたり、写真が貼られたりするようなことが普通に行われています。

同じ鉄道記事でも、東急5000系電車のように、数字の形式に関してはすんなりと代付けが行われるようです。愛称には、その言葉が持つ意味があり、それに関する思いいれが深い方も多いからこそこのような話になると思うのですが、他分野との項目と比較した場合、どのようにお感じになるか率直に回答いただければ、と思います。--野田オリックス 2009年11月18日 (水) 16:42 (UTC)[返信]

論点がどこにあるのかよくわかりませんが、対象の同一性と記事構成という問題点でしたら、記事の対象が個物なのか概念なのかで異なるでしょう。記述対象が個物であれば識別される個物ごとに異なる記事でしょうが、概念であるならその外延が異なっても内包を基準にひとまとまりにするということはあるでしょう。内包としてどの属性を採用するかはケースバイケースでしょう。エアフォースワンお召し列車といった記事もあります。--Jms 2009年11月18日 (水) 20:33 (UTC)[返信]
論点は、同じ名称で中身や定義が異なる個物(ソフトも含む)をどこまで同一項目で扱うか、という点です。エアフォースワンお召し列車は、どちらかというと概念なんでしょうね。あと、定義が単一ではっきりしています。--野田オリックス 2009年11月19日 (木) 15:52 (UTC)[返信]
例に色々と出してますが、一緒にしてはいけないと思います。それぞれの歴史が有りますから。若乃花ならPJ相撲、キャロルならPJ自動車で話し合えばいいと思います。朝潮や豊山とか、スカイラインやセリカなど、むしろそれが当たり前のような物も有ります。
強いて一般論を言えば記事の量が少なければ一本化、多ければ分割だと思います。--123.230.91.10 2009年11月19日 (木) 17:10 (UTC)[返信]
◆「同じ名称で中身や定義が異なる個物」が議論の対象なら、名前つき列車は個物とは考えられていない、ということでしょう。個物だと考えてしまうと、列車の運行区間が変わった、などという言明はできないことになります (運行区間が異なるのは別の個物なので「変わる」ことはありえない、個物はそれ自身だから)。個物の同一性とその時系列への言及に関する問題点については、野矢茂樹『同一性・変化・時間』ISBN 488679081X にわかりやすい解説があります。--Jms 2009年11月19日 (木) 18:43 (UTC)[返信]


お2方の意見を解釈して、以下のことではないかと思いました。鉄道の愛称とは漠然とした複数の概念を持つもので、そのパラダイムシフトも含めて歴史と称される存在ではないか、と。

つばめ (列車)の概念のイメージ(沿革より作成)
概念 使用車両 関連する列車 付随する運行沿革
1.東京-神戸間の特急列車 C51機関車 東海道本線
2.東京-大阪間の特急列車 C62機関車 はと 東海道本線
3.東京-大阪間の特急電車 151系電車 はと、こだま 東海道本線
4.新大阪-博多間の特急電車 481系電車 はと、しおじ 山陽本線
5.博多-西鹿児島間の特急電車 787系電車 有明 鹿児島本線
6.新八代-鹿児島中央間の新幹線 800系電車 リレーつばめ 九州新幹線

このような概念だと仮定した場合、現在のつばめ (列車)は6番の視点の解説から始まっています。また、表中で太字で示した「はと」と「リレーつばめ」が同じつばめ (列車)にリダイレクトされた場合、それらの項目が「つばめ」と共通だったときの概念がそれぞれ異なっているので、異質なものを読まなくてはいけないという違和感が発生するのかと思います。

で、これを避けるには概念毎に記事を分けるか、関連する項目の内容を説明しないかのどちらかになると思いますが、列車名の概念は漠然としたものだからその分け方に論争が起き、関連する項目の内容を入れるか否かは記事の分量に依存するため、すべての項目に対して理想的な記事の書き方にならないのかと思います。

野矢茂樹さんの本、面白そうな内容なので今度読んでみます。--野田オリックス 2009年11月20日 (金) 13:59 (UTC)[返信]

パラダイムシフトも含めて歴史と称される存在」というのは、『同一性・変化・時間』のエッセンスではあります。で、歴史と言われるような継時的存在であるなら、それ一体として記述する、という記事の書き方もあるわけです。つばめ (列車)を分割、というのは、江戸時代を将軍ごとに細かく分割しろというのとある意味で同様でしょう。記事つばめ (列車)に関する違和感の原因はむしろ、記述対象が継時的であるのに、冒頭文が現在の断面を中心に言及しているという点にあるのではないでしょうか。--Jms 2009年11月20日 (金) 17:12 (UTC)[返信]
まさに同じことを思ったので、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/列車に若干修正して提議してみました。興味があれば引き続きプロジェクトの議題にご参加いただけると幸いです。この度はお付き合いありがとうございました。--野田オリックス 2009年11月20日 (金) 17:37 (UTC)[返信]