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Wikipedia:井戸端/subj/利用者会話ページの編集について

利用者会話ページの編集について

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一部の利用者が会話ページを大幅に自身で編集しており(他の利用者のコメントの書き換え・削除など)、私はどの程度まで編集が許されるのか、ということについて疑問を持っています。「Wikipedia:ノートページのガイドライン#利用者の会話ページ」では「利用者自身のより幅広い自由裁量が認められており、コメントの除去も方針では禁止されていません。しかし、過去ログ化が推奨されています」とありますが、これは「他の利用者のコメントの除去をノートページの文章量がある程度になるまでは禁ずる、という向きの意味が述べられている」との解釈で間違いないでしょうか?

Wikipedia:利用者ページ#会話ページでできること」や「Help:ノートページ#投稿済のコメントへの修正など」では当該利用者の了解を得ずの書き換え・削除することを禁じていますが、「より幅広い自由裁量」のある利用者会話ページではどの程度の編集まで可能であるのか、いま一つ掴めないもので、ご意見を伺いたいです。

また、それとは違う疑問なのですが、方針は守るべき度合の位置付けとしては最も重要なものですが、helpについての守るべき度合の位置付を規則したものはあるのでしょうか。方針に等しい認識で良いのではと思いますが、実際はどうなのでしょう。--V-gamma 2011年10月22日 (土) 14:24 (UTC)[返信]

会話ページについては、コメントの除去ならある程度までは容認、コメントの書き換え(改ざん)は警告対象という慣習が有るように感じています。特に悪意のある恣意的な除去と判断されれば投稿ブロックの材料ともなりえるようです。「コメントの除去が禁止されていないだけで許可をされているわけでもない」という事なのですが、この辺の表現方法は原文が英語表記である事に由来しているのだと私は解釈しております。--219.105.121.88 2011年10月22日 (土) 19:02 (UTC)[返信]
失礼します。私も時々IPの会話ページで何か書いてあるのを見つけたりしますねぇ。改ざんは警告でいいと思いますが、明らかに第三者あてのものの除去なら(一ヶ月も経っていれば)次に見た人の笑い話ネタにならないよう消してあげてもいいのではないかと思いますね。もちろんその前のIPのページへの記入段階から、あくまで第三者の目に触れることも踏まえて「演説」はバツですし「対象アカウント者の苦笑やケンカ」のネタとならないよう配慮してあげるべきでしょうしね。--182.171.106.125 2011年10月23日 (日) 07:19 (UTC)[返信]
コメント文章量によらず、会話ページの内容を除去するのならばログとして他者が容易に確認できるように整理してくれ、というような感じで受け取っていただくのがよいと思います。
書き換えや削除が、ごく単純な誤字や書式の修正、やりとりの適切な整理、荒らしの書き込みの除去、警告や問題点の指摘ではない連絡・伝言の除去であれば、問題はないでしょうし、他者のコメントの意図を他者に誤認させたり、批判を隠したりというようなものならば、問題になります。
少量のやりとりでも、過去ログのためのサブページを作って、やりとりが終わったらそっちへ転記していくというようなやりかたや、煩雑になることを厭わなければ差分を使ったログ化でも文句はでないと思います。逆に、大量になってもログ化しないで除去することは、好ましいことではないとみなされるでしょう。
IPの会話ページの場合、そのIPから好ましくない編集が繰り返されているようなこともありますから、除去の際には編集履歴を確認して、その情報が今後不要になる可能性が高いかどうかを検討する必要があるでしょう。まっとうな編集者と、困った編集者が共有しているような場合、おれは荒らしじゃないと主張されるIP編集者もいらっしゃいますが、それは編集履歴を見ればわかるので、その後困った編集者がそのIPアドレスに割り当てられた時の対処のために、残しておく、あるいは整理しておいてもらえると助かります。
方針関係は、
  • 検証可能性とかの方針は、こういう方向で考えましょうというもの。
  • ブロックとか保護とかの方針は、決め事を作ったほうがよさそうなものについて、いまのところこうしたほうがいいってことにしてる、というもの。
  • ガイドラインは、そのためには、できればこういう風にやってもらえれば好ましいし、間違いが少ないですというもの。
  • ヘルプは、困ったらとりあえずこうしましょう、そのためにはこういう操作をしましょう、というもの。
と捉えるのがよいと思います。不慣れな人に対してとりあえずはこのくらいまでやっといてね、と甘めに書かれている場合もあるし、わからんかったらこれだけやっとけば間違いは生じないと厳しめに書かれていることもあるでしょうから、それぞれの間に微妙な齟齬があることもあります。これらの文書は、参加している人それぞれが、自分のこととして読むべき文書で、そこに書かれていることを他者に守ってもらうときには、その対象がインターネットや百科事典の執筆や共同作業というものにどの程度なれているかというようなことも考慮して助言していただけると、よりよいコミュニティとなるでしょう。--Ks aka 98 2011年10月24日 (月) 04:01 (UTC)[返信]
コメント いつのころからか会話ページの運用にまで細かいルールができて、「すわ、ルール違反!」とおおごとにされるようになりましたね。他の参加者を欺くようなことはもちろんよくないですが、そうでなければ、何をどうやったってウィキペディアに悪い影響なんか及ばないのではないかと思っています。のびのびできたほうがモチベーションも上がりますし、ウィキペディアのためですよね。わたしの会話ページなんかも一手間かけて過去ログリストなんかを作っていますけれども、それはわたしの性分なので置いておくとして、みなさんには省けるところでは手間を省いて百科事典の解説項目充実のほうに注力してもらうほうがよいですよね。
また、会話ページでのやり取りをどのあたりで消すかというのは文章量で決まるものではなく、そのやり取りが終わったかどうかで決まるのではないでしょうか。例えば、一方通行のメッセージでその利用者が読みさえすれば返答が必要ないようなやり取りもあれば、かなりの分量になってもやり取りが続いているようなものもあるでしょうし。
諸々のルールについて、それはどの程度の強さで守ら(せ)なければならないのか、などと気にしながら参加されているのなら、もう少し肩の力を抜かれたほうがよいような気がします。それが重大な問題なのなら、それに見合う形で処されるでしょう。--へのいち 2011年10月24日 (月) 09:26 (UTC)[返信]