Wikipedia:井戸端/subj/同姓同名かつ分野も同じ人物の記事名のルールは
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同姓同名かつ分野も同じ人物の記事名のルールは
[編集]作新学院大学の編集をしているときに気がついたのですが、現学長の渡邊弘氏(教育学)とは別人の教育学者の渡邊弘氏(鹿児島大学、[1])が存在するようです。通常であれば「(教育学)」あたりで曖昧さ回避をするところですが、分野まで同じとなると、どうしたものやら……。もし今後鹿児島大の渡邊氏の記事を立項する場合、どのように記事名を区別すれば良いかの基準が分かりません。生年で、とも考えたのですが、なかなか厳しいように思います。皆様のご意見をお願いします。--Doripoke(会話) 2017年12月6日 (水) 15:21 (UTC)
- 分野を細分できないなら、生没年が一般的では?
- ……とか。適当な例がすぐに思いつかないのでカテゴリ内おまかせで拾ってきましたけど、すぐに見つかる程度にはありましたし。--Hisagi(会話) 2017年12月6日 (水) 15:56 (UTC)
- 一般的にはHisagiさんの意見に賛成しますが、もし調べがつかないようであれば一時的にでも現状はっきりしている在籍地で分けるしかないのでは。--Hiroes(会話) 2017年12月6日 (水) 18:47 (UTC)
- リンク先を確認しましたが、鹿児島大学の方は「教育学修士」をもっているだけで専門は「法学」のようです。教育学と法学で曖昧さ回避できるでしょう。また、一般論でいうなら分野が重複した場合、さらに細かい分野分けでの曖昧さ回避をしてもよいかと思います。--SilverSpeech(会話) 2017年12月7日 (木) 00:34 (UTC)
- 今回は分野が違うということで決着しそうですが、大学の先生は別の大学に移ることがありますので在籍を曖昧さ回避にするのはマズいかもしれませんよ?--KAMUI(会話) 2017年12月8日 (金) 12:31 (UTC)
- 皆様、ご意見ありがとうございます。鹿児島大の渡邊先生は、法学というよりも法教育がメインのテーマになっているようで、執筆誌や過去の担当講座、講演可能なテーマや役職等を見ても、やっぱり大きな括りでは教育学者になるんじゃないかと思います。生年(or生没年)が第一の選択肢になるようですが、これはケースに応じて当てはめていくしかないんでしょうね。--Doripoke(会話) 2017年12月17日 (日) 13:58 (UTC)
- コメント 自分が思い出した例として、大島清 (法政大学)と大島清 (筑波大学)があります。両名とも「1913年生まれのマルクス経済学者」ということで、在職した大学ぐらいしか区別できる要素がないという、まさにイレギュラーケースです。--Jkr2255 2017年12月18日 (月) 09:28 (UTC)
- 没年は違うので、生没年で大島清 (1913-1984)と大島清 (1913-1994)で区別は可能だったのでは…? いやまぁjawpでは明確な規定もありませんし、没年まで1字違いでは紛らわしく、故人なら所属が変わる心配もなく、このままで問題ないとは思いますが。--Hisagi(会話) 2017年12月18日 (月) 11:11 (UTC)
ふと思ったのですが、出身地はどうでしょうか? 『東京都出身』『広島県出身』とか、『アメリカ出身』『イギリス出身』とか、そういうのです。国籍なら変わる可能性もあり、日本人が日系アメリカ人一世(言い回しが有ってるかは自信ないですが)となることは有っても、日本出身がアメリカ出身になることはない訳ですし。--ただのしかばね(話 / 歴 / 記) 2017年12月18日 (月) 13:37 (UTC)
- 追記 『没年が違う』場合もあるでしょうが、それは存命中のケースに対応出来ません。所属組織によって区別するのは、移籍する事も有るので、望ましくないかも知れません。その点出身地であれば、都道府県名(あるいは州名等の相当する地域名)位は公開しているケースが殆どだと思いますので、一考の価値程度は有ると思うのですが。(芸能人や作家などで有れば、出身地も非公開かも知れません。ですが、そういった方々で有れば、人と被らない『芸名』なり『筆名』を持っている筈です)--ただのしかばね(話 / 歴 / 記) 2017年12月18日 (月) 13:43 (UTC)
- 同姓同名を分けるのに生年を使うのはウィキペディア外でもよく見かける方法です。Web NDL Authoritiesも生没年で見分けられるようにしていますね[2]。むしろ、まず生年を使って、それでも同じなら他の方法を考えていいくらいでは。「なかなか厳しい」とおっしゃっていますが、逆に、生没年を使うことに具体的に何か問題があるのでしょうか?生没年不明のケースだとか? --202.214.231.80 2017年12月18日 (月) 13:59 (UTC)
- 今のところ規定がないのですから、出身地でも駄目ではありませんが……「出身地」なんてものの定義は曖昧でいい加減ですし、実際これまでにも出身地をめぐって不毛な議論がいくつもありましたから、「なるべく避けた方がよい」し「区別するそれぞれの人物が全員、まったく問題なく出身地が一つに特定できる場合」にのみ適用可能です。まぁ実質的には最期の手段ってところでしょう。「出生地」ならその定義の曖昧さはクリアできますが、本人のアイデンティティー的な問題があります。--Hisagi(会話) 2017年12月18日 (月) 14:10 (UTC)
- なるほど。例えばイギリスの場合では、『イギリスの国民は、自らの国民性を表現するのに多数の異なる用語を用い、自らをイギリス人であるか、イングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、北アイルランド人、アイルランド人であるか、又はその両方であると見なし得る』と有りますもんね。『イギリス出身』とするのか、『イングランド出身』『スコットランド出身』というようにするのか、もめる可能性が有るという事ですね。言われてみれば、何らかの理由で出身地の所属国名が変わった場合に、変更前の国名と、変更後の国名と、どちらを使うのかという問題が発生する可能性もありますね。都道府県名またはそれに類する地域名でも、自治体の再編により、所属する地域名が変わる事も有りますし。A県の町とB県の町を合併して一つの市とする場合、みたいな。
- 確かに、同一氏名かつ、専門分野や生没年での区別が出来ない場合に、『最後の手段としてなら、一考の価値がある』程度の案のようです。
- 尚、『出身地』を『出生した地』という意味で使っておりました。『誰誰はどこどこ出身だ』とは言っても、『誰誰はどこどこ出生だ』とは言いませんから。--ただのしかばね(話 / 歴 / 記) 2017年12月18日 (月) 14:32 (UTC)
- 「小口高」をご参照いただきたいのですが、教育学の中でもより細かい分野の違いを曖昧さ回避とするのが良いように思います。冒頭に挙例されているお二人の渡辺氏は明らかに世代が異なりますので、鹿児島大学の先生の成年が分かれば「渡邊弘 (yyyy年生の教育学者)」で良いと思いますし、「渡邊弘 (法教育者)」としておき、そちらと「渡邊弘」の、それぞれのページの冒頭に「Otheruses」なり「混同」のテンプレートを置けば良いように思います。また、「渡邊弘」、を平等な曖昧さ回避とするなら、「小口高」のような注意喚起をすることが望ましいでしょう。--山田晴通(会話) 2017年12月25日 (月) 12:22 (UTC)
- 言葉足らずでした、仮に平等な曖昧さ回避とするなら「渡邊弘 (文学教育者)」と「渡邊弘 (法教育者)」で良いように思います。--山田晴通(会話) 2017年12月25日 (月) 12:25 (UTC)
- そういえば、『Just Because!』と『JUST BECAUSE』のような例も有りましたね。>Template:Otheruses--ただのしかばね(話 / 歴 / 記) 2017年12月25日 (月) 13:04 (UTC)