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Wikipedia:井戸端/subj/外国語の読み書きスキルがないまま外国語文献を扱うことの是非

外国語の読み書きスキルがないまま外国語文献を扱うことの是非

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2011年10月13日 (木) 08:20 (UTC) に提起され、一定程度活発な議論が続いた『外国語の出典を日本語で読めるように提示することの是非について』の中で、非常に鮮明に意見が分かれた話題について、派生議題として独立させました。

一般的には、外国語文献を駆使して百科事典の項目を執筆する編集者は、当該言語とその言語の文化的背景や当該項目領域における位置付け等、一定のバックグラウンド知識を有しており、その上で参照した文献資料にから得た知見を取捨選択して、事典の記述に盛り込んでいるものと見なされていると思います。従って、ここに掲げた議題のような問題意識は、百科事典の編集というスコープ内では、そもそも想定の外だったかも知れません。ところが、現実には、そのような記事が存在し、それに対する意見も大きく分かれているように見受けられます。

1 肯定的な見解の代表
  • 『wikipedia執筆者に自己翻訳能力がなくても機械翻訳で意味が伝わる翻訳が出来ていれば出典は有効である。』(中略)『特に翻訳サイトで訳した結果、完璧に意味が通ってる場合は(単純な単語レベルの話ではなく)無理に誤訳の可能性を主張するほうが不自然で、出典の有効性は十分示せているといえるでしょう。』(SLIMHANNYAさんの会話における「意見表明」 2011年10月23日 (日) 08:10 (UTC)[返信]
2 否定的な見解の代表

これも、個別記事ごとに議論して決めるような性格のテーマではないので、井戸端の議題として提起し、皆様からの御意見を拝聴したいと考えます。執筆者の方々の中には、このような議題が登場すること自体が、予想外と思われる方もおられるかと思いますが、よろしくご検討の程お願いいたします。--J Stalin 2011年10月24日 (月) 03:41 (UTC)[返信]

「外国語文献を駆使して百科事典の項目を執筆する編集者は、当該言語とその言語の文化的背景や当該項目領域における位置付け等、一定のバックグラウンド知識を有しており、その上で参照した文献資料にから得た知見を取捨選択して、事典の記述に盛り込んでいるもの」と、ぼくは見なしてはいないし、誰でも編集できる「百科事典の編集」というスコープにおいては、そのように見なさなければいい、あらかじめそのように見なすべきではないという話だと思います。百科事典の編集に参加しているうちに、不慣れながらも日本語以外の文献にも手を出すことは、個々の執筆力の向上と記事の質的向上を継続的に行なうには好ましいことです。機械翻訳を、信じすぎてはいけないというような助言も、一方では必要かと思いますけれども。「外国語文献を駆使して百科事典の項目を執筆する編集者は、当該言語とその言語の文化的背景や当該項目領域における位置付け等、一定のバックグラウンド知識を有しており、その上で参照した文献資料にから得た知見を取捨選択して、事典の記述に盛り込んでいるもの」と考える人がいることが、ぼくには想定外でした。
翻訳ソフトを通じて得られた日本語が、どの程度の曖昧さや解釈の揺れを含んでいて、それを補う程度に、書かれている内容についての知識を持つか、単語や文法の知識を持つか(せめてその場で調べるか)というようなことが、その記述を採用する上での論点となり、それはその記事のノートで解決すべき問題でしょう。得られた日本語と原文から、記述するべきだと主張するのであれば、そのような根拠を述べればよいし、その記述を除去するべきだと主張するのであれば、その曖昧さを指摘し、あるいはその理解が間違いであることを示せばいい。--Ks aka 98 2011年10月24日 (月) 04:31 (UTC)[返信]
◆端的に言えば、Wikipediaは誰でも編集できるものなので、翻訳能力についてJ Stalinさんがおっしゃるようほどの「バックグラウンド知識」を有していなくともよいと思います。また、機械翻訳に頼り切りになるのは論外としても、機械翻訳を原文読解の参考にすることは問題ないと思います。あとは、その翻訳の精度がどの程度あるのかを個々のノートで論じればよいのだと思いますが。
例を挙げますと、高校卒業程度の英語力があっても、専門的な英語論文を読む際には語彙力が足りないでしょう。そんなとき、辞書代わりに機械翻訳を使うこと自体を咎めるべきではない。でも原文に当たって文法上意味が取れる文章にしなければ翻訳とは言えないでしょう。でも、その際に英語特有の慣用句などくらいは知っている必要があるかもしれませんが、決して英語の文化的背景まで必要とは思いません。
今回は、なまじ精度が高い日韓翻訳のため議論となったものでしょうが、一般論として機械翻訳に誤訳があった場合に判断できる程度の語学力がないことには、出典として提示するのは難しいとは思います。しかしながら、その辺も含めて個々のケースにおいては、ケース・バイ・ケースなので個々のノートで議論すべきです。--ろう(Law soma) D C 2011年10月24日 (月) 09:28 (UTC)[返信]
総論的にはWikipedia:井戸端/subj/外国語の出典を日本語で読めるように提示することの是非についてで回答した通りなので、同じ事を繰り返すのは止めておき、最近私が経験した実例を挙げます。
とあるサイトで私の知らない言語圏の人からメッセージを貰いました。それは「che a mi me gusta la china esa, y eso que no veo anime ni nada 」です。
オンライン翻訳で意味を調べようと試行錯誤した結果、まず分かったのはスペイン語か、又はそれに近い言語で有る事。しかし、機械翻訳一箇所だけの翻訳結果では、とても意味が通じる結果は得られませんでした。(←Sergei氏などはこの時点を論拠にしてる訳ですよね。)
そこで、多数の翻訳サイトを試したり、海外の翻訳サイトで英語に翻訳させるなど、又は単語単位でオンライン辞書で調べるなどして、最終的に「私はアニメを見る見ないに関わらず中国人が好きです」と言う訳でほぼ確信を得ました。(まぁ、結果的に、そう言う意味でメッセージを貰った前提で英語で返事して、その後の会話が成り立ったので、訳に間違いが無かった事の確認は取れました。)
この一連の私の行動は、一冊の書籍辞書で訳を求める事よりも更に精度が高いのでは無いかとさえ思っています。
編集者には上記の様な真摯な編集姿勢は当然必要だろうと思いますが、それは「機械翻訳に頼る事はNGだ」に結びつくとは到底思えませんし、また、その編集に疑問を持つ検証者もまた、上記の様な真摯な検証姿勢が求められるのでは無いでしょうか。
ノートキムテヒでは他にも・・・と言う論点は多数有りますが、ここでは一般論としての意見に止めておきます。
--Toshi999 2011年10月24日 (月) 10:10 (UTC) 追記等:--Toshi999 2011年10月24日 (月) 12:21 (UTC)[返信]
私も基本的にLaw soma氏の意見に賛成です。もちろん、物事は程度問題であって、一文字もその言語が分からない人が翻訳サイトなり辞書なりを引いて解決する単純なこともあるでしょうが、翻訳サイト自体がそれなりに精度があるとされる韓日のものですらそのままでは使い物にならないのが現状です。実際、日本語版Wikipediaでは韓国語ページから機械翻訳にかけてちょいと直した程度のものがたびたび削除申請に出されて削除されていますよね。
書籍版の韓国語(あくまで一例ですロシア語でもスワヒリ語でもいいです)の辞書も引けないような人が、新規項目を立ち上げたり議論のあるような話題に翻訳サイトを頼りに韓国語ソースを使って参入するのは一般的に言ってあまり生産的な効果を得られるようには思えません。--Nkymysnr 2011年10月24日 (月) 19:18 (UTC)[返信]
当該言語の翻訳能力で是非が決定されるものでもないでしょう。結局は程度問題とかケースバイケースとかだと思います。自身の翻訳能力の無さを自覚し、Toshi999氏が言うような真摯な姿勢と協力的な態度で事に当たるなら、特に問題視する程のものではないはずです。回りがサポートすれば済む話なわけですからね。逆を返せばNkymysnr氏の最終段落と同意見であり、そういった態度は「自身の翻訳能力の無さを自覚」している者の態度だとは思えません。また同様に、サポートする態度を見せない「回り」が問題の原因となっている可能性も多分に考えられます。やはりケースバイケースですよ。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年10月25日 (火) 10:33 (UTC)[返信]
そもそも最初の私の一般論・総論に対してのsergei氏の反論はキム・テヒにおける個別具体的反論であって、議論の場として一般論を語るこの井戸端にはふさわしくなく各記事でやるべきでしょう。一般論について議論のきっかけに個別具体論をだすと、ケースバイケースの議論を無視したものになりがちで、その個別具体例から導き出された結論が普遍的に適用できる結論として誤解される恐れがあり建設的な議論にはなりません。例えば私はキム・テヒの機械翻訳(特にノートで示したものの一部)は極めて正確に日本語の意味が通っていて逆に誤訳を主張するほうが不自然で出典の有効性はあると思うが、だからといって滅茶苦茶な翻訳に対しても普遍的に出典を有効と認めることはないです。まさにケースバイケースでしょう。--SLIMHANNYA 2011年10月25日 (火) 16:41 (UTC)[返信]
気になりましたが、たとえば(小生は韓国語に堪能ではないので)enのページで出典に「ハーバード大Ph.D.Smithによる論文」があったとします。これを日本語版wikipediaにページごと転載する際に問われるのは「論文読解能力」ではなく「出典部を読解し、それを転載できる程度に文章を作る能力」であります。いわば「中国人の部屋」と同じで、必ずしも専門用語への知識は必要ありません。よって「機械翻訳に頼らないページ」ではなく「機械翻訳を用い、専門用語をカタカナで書き、stubタグを付記したページ」でも代用できると思われます。
そして、もし上述肯定否定派の(機械翻訳文の存在についてのを)問題を解決するならば、新規にテンプレートを作る必要があると考えます。即ち、そのようなページに「このページは機械翻訳を用いた文章を含んでいます。」云々といったstubに類似するテンプレートを張り付けたり、該当部分に{{機械翻訳範囲}}を添えるなど。…まあ、他のテンプレートで代用できそうではありますが。——以上の署名の無いコメントは、力在領域ノート履歴)さんが 2011年10月30日 (日) 11:33‎ (UTC) に投稿したものです(禁樹なずな 2011年11月5日 (土) 03:03 (UTC)による付記)。[返信]