Wikipedia:井戸端/subj/対話拒否の裏技は問題だと思います
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対話拒否の裏技は問題だと思います
[編集]うかつにも数年ぶりにコメント依頼に応じてしまった為に危ない目にあっている者です。今回ベテラン利用者の方のやり方を間近で見て、一番びっくりしたことは対話を拒否する方法があるということです。
私のルール理解では対話拒否はWikipedia:投稿ブロックの方針にもある通りブロックだと思っていました。どうしても他の方・特定の方と対話したくない場合はウィキペディアをお休みして、家で頭を冷やすしかないと思っていました。ところが、とあるベテラン利用者の方はWikipedia:礼儀を忘れないを根拠に「ご返信は、一旦ここで打ち止めに致します」と宣言なさいました。また別のベテラン利用者の方はWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは強制ではありませんを根拠に「問いかけに答える義務も必要もありません」と仰いました。実際には時々は返信があるので対話拒否は起きていないのですが、ベテラン利用者お二人がそういう方法があると公言なさったことには驚きました。ウィキペディアで毎日旺盛に活動を続けながら、他の方・特定の方と対話を拒否してもブロックにならない方法があるのですね。
私にも同じ方法が使えるのか、それともベテラン利用者の方だけに許された方法なのかは分からないのですが、どちらにしてもそのような方法があるのは問題だと思います。ウィキペディアは対話重視のはずですし、対話拒否で沢山の方をブロックにして来た経緯がありますし、大半の利用者は対話拒否にならないように辛くてもお話しているのに、ルール運用に詳しい1%の方だけがそのような抜け道を使うことが出来るというのは不公平です。--MTWT2012(会話) 2016年8月25日 (木) 15:08 (UTC)
- コメント あくまで問題となる「対話拒否」というのは、「声掛けを無視して自分の思うような編集を続ける」、あるいは「自らの行動に対する注意に対応しない」といったものです。たとえば、「提案の取り下げをきちんと宣言して、実際に編集から手を引いたので、その旨を表明して対話を打ち切る」、もしくは「話が脱線してしまって、もはや記事の執筆と関係しないところへ突き進んでしまったので、適度なところで(相手に敬意を払うのは前提として)打ち切る」といった処置が問題となることはありません。
- そして、「会話には何が何でも対応しなければならない」というルールもありません。ウィキペディアはあくまで百科事典を作るプロジェクトですから、そこから外れてしまった会話に対して執拗に返答を求めることは、むしろ「嫌がらせ」に当たります。--Jkr2255 2016年8月26日 (金) 09:53 (UTC)
- Jkr2255さん、コメントありがとうございます。やはり数年のうちにルールの解釈がかなり違ってきているようです。現在のルール解釈では対話相手が嫌だと思うのなら、「話が脱線」したというように何か理由を付けて、敬語で文章を書いて「相手に敬意を払」ったような形を作れば対話しなくて済むし、その理由の適否について対話することも拒否できるということになります。それは共同作業の観点ではかなり危険なルール変更だと思いますが、どなたがどのような経緯で決めたのでしょうか?なぜ我々はそれに従わなければならないのですか?--MTWT2012(会話) 2016年8月26日 (金) 11:56 (UTC)
- 確かに、年をおいて方針解釈もうつりゆくものですが、2007年に立てられたとあるブロック依頼でも、「ただなぁ、「質問に答えなかったら対話拒否」ってのはないと思うぜ。あれは第三者的には根拠があっての疑いかどうかわからんし、根拠があってもなくても質問には答えよなんてことになったら困ったちゃんの相手をしているユーザやら管理者やらが軒並み「対話拒否」扱いにされちまう。やり方乱暴。」という発言があります。ある返信を拒否することが、「必要な質問に対する対話拒否」なのか、もしくは「つきまといの執拗な攻撃を避けているだけ」なのかは、最終的にはコミュニティの判断に任されることとなります。--Jkr2255 2016年8月27日 (土) 05:07 (UTC)
- Jkr2255さん、コメントありがとうございます。では現在のルール解釈では相手は対話を断ることが出来るが、相手が対話を断った場合はノートページで対話を促すのではなく、即座にコメント依頼を出すというルール解釈になっている訳ですね?
- 「年をおいて方針解釈もうつりゆくものですが」ということですが、2007年頃は「困ったちゃんの相手をしているユーザやら管理者」の方だけに適用されたルール解釈だと思います。そのルール解釈の適用が一般利用者にまで拡大したとなると、我々にとってもかなり大きな影響があると思うのですが、そういう変更の有無はどこで調べれば良いのでしょうか?いちいちブロック依頼のログを検索して調べなければいけないのでしょうか?--MTWT2012(会話) 2016年8月27日 (土) 14:33 (UTC)
- 確かに、年をおいて方針解釈もうつりゆくものですが、2007年に立てられたとあるブロック依頼でも、「ただなぁ、「質問に答えなかったら対話拒否」ってのはないと思うぜ。あれは第三者的には根拠があっての疑いかどうかわからんし、根拠があってもなくても質問には答えよなんてことになったら困ったちゃんの相手をしているユーザやら管理者やらが軒並み「対話拒否」扱いにされちまう。やり方乱暴。」という発言があります。ある返信を拒否することが、「必要な質問に対する対話拒否」なのか、もしくは「つきまといの執拗な攻撃を避けているだけ」なのかは、最終的にはコミュニティの判断に任されることとなります。--Jkr2255 2016年8月27日 (土) 05:07 (UTC)
- Jkr2255さん、コメントありがとうございます。やはり数年のうちにルールの解釈がかなり違ってきているようです。現在のルール解釈では対話相手が嫌だと思うのなら、「話が脱線」したというように何か理由を付けて、敬語で文章を書いて「相手に敬意を払」ったような形を作れば対話しなくて済むし、その理由の適否について対話することも拒否できるということになります。それは共同作業の観点ではかなり危険なルール変更だと思いますが、どなたがどのような経緯で決めたのでしょうか?なぜ我々はそれに従わなければならないのですか?--MTWT2012(会話) 2016年8月26日 (金) 11:56 (UTC)
- コメント 管理者がブロックの際に選択するブロック理由の内、「対話拒否」を使用出来るのは、Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者のみです。投稿ブロック依頼を対話拒否が理由に提出された場合、どの質問に答えていないのか見極め、その質問が果たして百科事典の質の向上に繋がるのかを判断する必要があると思います。百科事典を作るために他の利用者が質問したり、お願いをしているのに無視して編集を強行するのはダメですが、百科事典を作ることに関係があまりない、ただ単に編集が気にくわないから質問してみたものには答える必要は無いはずです。Wikipediaのプロジェクトの目標は「百科事典を作ること」であって、己の意見を記載することではないんです。なので、記事に直結する話題に対しては必ず回答しなければいけない事は無いはずです。Wikipedia:管理者への立候補#質疑と投票の形式でも、立候補者が答える必要がないと思えば答える必要が無いと明言されています。--Mirinano(会話) 2016年8月27日 (土) 15:00 (UTC)
- コメント もしかしてですが、初めての自身への名指しのコメント依頼となるWikipedia:コメント依頼/MTWT2012を他編集者に提出されたことで、「現時点の各種ルールに不慣れな自身がベテラン編集者に攻撃を受けている」という勘違いをされたが故に、昨今の井戸端への「ウィキペディア上で現在運用されている各種ルールのあり方について(なぜ自身が攻撃を受けねばならないのか、ルール理解を誤っているわけでない自身が不当な攻撃を受けているのだからルールが悪いのではないか、という強い他者への不信感が)連続的なサブページ作成」に繋がっておられるのではないですか? 上のJkr2255さん宛の返信コメントもそうですが、いろいろとびっくりしてしまって慌てておられ、「現時点で被っている自身への攻撃を躱すためにはどのように動けば良いのか」という疑念が下敷きにあるように感じました。
- その上で、コメント依頼はブロック依頼へ移行するための下準備ではありませんし、直接的な利害のない他編集者が寄ってたかってMTWT2012さんをウィキペディアから排除してやろう、などという意図の元での依頼ではないこと明白ですからMTWT2012さんご自身に非がないのであれば慌てる必要はありませんし、現在の記事執筆などの編集行動に関するコメント依頼でないのであれば執筆活動の一切を停止してコメント依頼のみに集中対応する必要もありません。既にWikipedia:コメント依頼/MTWT2012#MTWT2012さんのコメントにて返信していらっしゃいますから、今後更に全員のコメントに対し逐次返信をつける必要もなく、他編集者のコメントがある程度ついてある程度の意見が集約され「まとめ」に移行するまでこのコメント依頼は「経過を見守って」放置しておいて、最終的に「集約された第三者的立場の他編集者からのコメント内容まとめを現時点での自身の在り方への苦言と考え、真摯に受け入れる」だけで解決すると思います。
- これが恐らくMTWT2012さんがほんとうにお尋ねになりたい「コメント依頼は無視しても対話拒否にならないか?」という疑問への回答ではないかな、と思いました。
- ただ一点だけ、「昔と今でルール解釈が違っている」という疑問点、恐らく現時点の文書が200x年代に確認したときと内容が変化していること、以前は問題がないとされていた慣習が現在では問題とされていることに気づいて驚かれたのではないかと思うのですが、ウィキペディアのルールはそのように「何らかの不具合が発生したことなどの理由で提案があれば、議論を経てより良い内容へと変化して行く性質のある文書」でして、ここら辺、本当にMTWT2012さんがその変化そのものに不便を感じ、以前の内容に戻さなければならない、またはルール解釈が誤っている、と考えるのであれば誤った運用が為されている各文書ノートにて提案を発し、それに「現在のウィキペディアコミュニティが賛同すれば」誤った解釈による運用が為されないような文言を追加したり、文書を読んだ利用者が誤らないようにする内容の改訂を行うことが出来ます。これはウィキペディアを利用する上で200x年代の当時と現在で全く変化のないごく当たり前のことです。--Nami-ja(凪海) (会話 / 履歴) 2016年8月27日 (土) 22:36 (UTC)
- Nami-jaさん、コメントありがとうございます。いろいろご配慮いただき、ありがとうございます。たしかに仰る通り初めての体験ですので、とても心配しています。しかし自分自身の処遇の問題とは別に、皆さんにお伝えしたいことがあるのです。
- Nami-jaさんの仰る通り「何らかの不具合が発生したことなどの理由で提案があれば、議論を経てより良い内容へと変化して行く性質のある文書」という事は理解できます。しかし、いつ何がどういう経緯で変わって、どうしてそれを守らなければいけないのかという理由が全く分からないのでは、第三者はルールを守りたくても守りようが無いのです。少し前までは新ルールを調べるのは自己責任だと思っていたのですが、これほどウィキペディアの歴史が長くなってくると、どのように調べたらいいのか全く分からないです。まして論争に巻き込まれた時に、その論争に対応しながら相手にも分かるように変更点や解釈を示したり、相手が示した変更点や解釈が正しいのかどうかを確認するというようなことは私には出来ません。おそらくウィキペディアの利用者の大半も出来ないでしょう。
- ウィキペディアはルールが明示されていて、差分を明示することで成り立っている世界のはずなのに、現在は差分のハッキリしない・非明文的なルール解釈の世界になっているように感じます。よほどルール策定に詳しいベテラン利用者以外はルールを守りたくても守れない、利用者同士のルール解釈が違い過ぎて共同作業もままならない。意見の食い違った人と解釈を合わせたくてもマナーが高度化していて相手の解釈を聞くことが出来ない、コメント依頼にかけられ対話を拒否されてしまう。井戸端に書いても、井戸端の利用ルールが分からないので怒られてしまう。そういう事になっていると思いました。私としては百科事典を執筆するという実用的な観点からこれは無理だと思い、なんとか皆さんにお伝えしたいと思っているのです。
- ルールを変更する力を持っている方は変更するだけでなく、1年に1度くらいは影響の大きな変更点をまとめて広報してください。変更点が分かれば問題点を考えて「各文書ノートにて提案を発」することが出来るかもしれません。しかし何を変更したのか分からない状況では提案は出来ませんし、今回のように係争に巻き込まれている状況では真摯な提案だとは受け取って頂けないでしょう。
- 私としては皆さんを信じて、私が発見したと思っている問題点をお伝えしているつもりです。またこのような手に負えない変化に対する不安を抱えながらウィキペディアに参加しているという事も、ご理解いただければと思います。--MTWT2012(会話) 2016年8月29日 (月) 10:58 (UTC)
- 「いつ何がどういう経緯で変わって、どうしてそれを守らなければいけないのかという理由が全く分からないのでは、第三者はルールを守りたくても守りようが無い」、こちらの方がよほど難事ですよ。現在のルール文面を見て、書かれている内容に特に疑いを持たず反発するべき理由を見いだせないのであれば従えば良いし、そうでなければそのルールが書かれている文書のノートページを読み、それでも分からなければそのノートで意図を問えば良いでしょう。ウィキペディア日本語版上にある全文書の成立経緯と、大元であるウィキペディア英語版の原語英文書の成立に関連する議論内容を全て個人で追いかけて理解しようとするならば数年単位の時間が必要で、そのような行為をやっていたらとても通常の編集行動は行えず全く現実的ではないと思います。
- Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけに全文書へのリンクがありますけれども、方針、ガイドライン、私論全部合わせて258ページありますね。試案や草案、廃案も含めると300ページ超えるかもしれませんが。私もこれ、全部の成立経緯は知りません。たぶんウィキペディア創設者でも知らないと思います。--Nami-ja(凪海) (会話 / 履歴) 2016年8月29日 (月) 11:21 (UTC)
- Nami-jaさん、コメントありがとうございます。なにか根本的なことが分かっていないようなので、大変にご面倒をおかけしますがご指導ください。
- 例えば対話拒否については「現在のルール文面を見」るとすると、どこを見ればよいのでしょうか?ベテラン利用者の方に根拠として教えて頂いたWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは強制ではありませんを見ると「いつ編集を休み、またいつウィキペディアを離れるのも利用者の自由です」と書いてありますが、編集を休まずにウィキペディアから離れずに、特定の利用者との対話だけを拒否することが出来る自由はないように思います。ノートを見ても「問いかけに答える義務も必要もありません」というような解釈ができるような記載は見つかりません。Wikipedia:礼儀を忘れないには「不快なコメントには返事をしない」とありますが、コメント依頼のページでそれが使えるとは例示されていません。むしろ「その編集者を許す。争いを激化させない」に反して、ご自分でコメント依頼を提起しておいて、それにも関わらずこれから議論しようと言う時に私の投稿を不快なコメントであるとみなすのは「Wikipedia:礼儀を忘れない」とは真逆の解釈だと思います。しかしベテランお二人が上記のルールに言及なさったということは、Jkr2255さんに教えて頂いたとあるブロック依頼のような判例があって、そういう解釈が広まっているのではないかというのが私の問題意識です。もし投稿ブロック依頼のような所まで検索しないといけないとしたら、それは手に負えないと申し上げているのです。--MTWT2012(会話) 2016年8月29日 (月) 14:06 (UTC)
- そうまで仰るならもう私から申し上げることは何もありません。MTWT2012さんがウィキペディアの上で活動する以上はウィキメディア・プロジェクト利用規約に従うことが全利用者に求められておりますので、ルールの制定経緯やルールの在り方そのものに問題を感じるのであればもはや無償ボランティア編集者相手ではなくウィキメディア財団公式相談窓口の方が適切なのではないかな、と感じました。--Nami-ja(凪海) (会話 / 履歴) 2016年8月30日 (火) 03:52 (UTC)
Nami-jaさん、何度もコメントして頂きありがとうございます。「ウィキペディアの上で活動する以上はウィキメディア・プロジェクト利用規約に従うことが全利用者に求められております」という事ですが、私はウィキペディアのルールと利用規約は守っている筈です。全体としては「ルールの在り方そのものに問題を感じ」てはおりません。また私に不適切な点があれば、改善したいと願っています。しかしルール運用に詳しい1%の皆さんが玄人化し過ぎていて、ブロック依頼やWikipedia:管理者への立候補など様々な経験を取り入れつつ、複雑で非明文的な常識を発達させておられるので、そういう物に慣れていない一般の編集者にとっては荷が重いです。皆さんがお持ちになっている常識をもう少し明文化して共有化して頂かないと二極化が進み過ぎて、一般編集者は百科事典の作成や対話に支障をきたします。
またとりあえずルールを持ち出せば、ルールの内容とは無関係な主張や裏技を尤もらしく実現出来てしまう点も問題です。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんには「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください」と書いてあります。玄人の皆さんがご自分の主張を通すためにお使いになるコミュニケーションの技は驚嘆いたしますが、やり過ぎは良くないです。玄人の技を使って、そういう物に慣れていない一般の編集者を脅したり騙したりするようなことはしないで下さい。Wikipedia:新規参加者を苛めないでください、既存参加者を苛めないでください。Wikipedia:多重アカウントを口実に恐怖政治を行わないで下さい。
例えば井戸端に自分の意見や感想を書くことがWikipedia:腕ずくで解決しようとしないなのでしょうか?井戸端の利用方法に我々が知らされていない非明文的な常識があり、「このページ(井戸端)は、ウィキペディア日本語版について、運営や方針、新しいアイディアや作業の仕方、その他様々なことで質問や提案、議論、意見交換を行なう場所です」というルールの説明だけでは分からない場所になっているようです。Nami-jaさんは「無償ボランティア編集者相手ではなくウィキメディア財団公式相談窓口」と仰いますが、そういう非明文的な常識や文化をお作りになられているのは、ルール運用に詳しい1%の無償ボランティア編集者の皆さんだと思います。例えば私が井戸端にサブページを3つ作っただけで白眼視されてしまうというのは、ウィキメディア財団には理解不能だと思います。「ウィキメディア財団の基本指針」には「透明性」「説明責任」と書いてあります。私は皆さんに失礼なことは申し上げたくはありませんが、もう少し皆さんがお持ちの常識を明文化なさらないと我々部外者には分りません。政策提言には不慣れですが、例えば2016年は「ウィキペディア15周年」ですし、例えば井戸端の位置づけや歴史や作法について皆さんがお持ちの常識をWikipedia:私論などで公開なさったらどうでしょうか?私の投稿は不評だったようですが、たまには200x年代を懐かしんだり、将来の夢を語ったり、そういう明るいウィキペディア15周年であって貰いたいと私は思います。--MTWT2012(会話) 2016年8月30日 (火) 09:26 (UTC)
- 気になったことがあったので、何点かコメントします。
例えば井戸端に自分の意見や感想を書くことがWikipedia:腕ずくで解決しようとしないなのでしょうか?(中略)「このページ(井戸端)は、ウィキペディア日本語版について、運営や方針、新しいアイディアや作業の仕方、その他様々なことで質問や提案、議論、意見交換を行なう場所です」
- 別のページでも指摘されていたかと思いますが、「自分の意見や感想」をただ表明するだけで終わってしまっては「質問や提案、議論、意見交換」につながることもなく、「ああ、そうですか」以上の返事はできません。また、そのWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの例に以下の様なものがあります。
- もしあなたの主張する「中立的な観点」が多くの編集者から否定されたら……
- 良い例 ‐ 相手方の意見に配慮しても中立的な記述が行えることを、具体例を示すなど、適切な説明をする。
- 悪い例 ‐ 相手方全員が方針とガイドラインを理解していないから、相手の意見は間違いだと主張する。
- もっと悪い例 ‐ Wikipedia:中立的な観点を自分の意見に合うように、Wikipedia‐ノート:中立的な観点にまで議論を拡大する。
- 私から見ての感想ですが、状況は違えどMTWT2012さんの行動はこの「悪い例」「もっと悪い例」を自らなぞっていっているように見えます。個別のルールに問題があるのであれば、十分な合意形成のもとに、「ルール自体を変える」「そこだけ外れる」という選択はもちろんありうるものです。それは「自分が関係した問題について十分な議論をすることなく、いたずらに議論を拡散していく」という行動とは、もちろん異なるものです。--Jkr2255 2016年8月30日 (火) 10:49 (UTC)
- Jkr2255さん、何度もコメント頂き誠に有難うございます。Jkr2255さんは私が「「自分の意見や感想」をただ表明するだけで終わってしまって」いると仰いますが、2016年8月30日 (火) 09:26 (UTC)の投稿では提案もしております。「中立的な観点」が多くの編集者から否定されたら」とのことですが、私はJkr2255さんも含めた井戸端に集まる皆さんにとって耳が痛いことを言っているつもりですので、利害関係者である「多くの編集者から否定」されるのはむしろ自然な事だと思います。それは承知の上でたまには誰かが言わなければならない類の発言ではないかと思い、井戸端に投稿させて頂きました。
- 私は具体例を挙げて問題点を指摘し、改善方法についても拙いながらも提示致しました。あとは皆さんお一人お一人がどのようにお考えになるのかという問題です。私としては前向きな回答を期待したい所ですが、Jkr2255さんのお返事が「ああ、そうですか」ということでしたら、私の反応も「ああ、そうですか」です。私のような一介の編集者に腕ずくで解決する力などありません。8月末ですし、ボランティアとしての行動はここまでとしたいと思います。合意形成には至りませんでしたが、対話は楽しいものです。Nami-jaさんとJkr2255さんには本当にお世話になりました。ありがとうございました。--MTWT2012(会話) 2016年8月30日 (火) 17:18 (UTC)