Wikipedia:井戸端/subj/文中における箇条書きの是非

箇条書きはなくすべき?[編集]

人物の記事などによくみられる箇条書きについてですが、箇条書きをなくして普通の文章にしたりする人もいれば普通の文章を箇条書きにする人も見かけます。私は百科事典ですから箇条書きはなるべくなくして普通の文章にするほうがいいと思いますが皆さんは箇条書きについてどう思われますか?大谷まこと 2006年10月17日 (火) 07:02 (UTC)[返信]

ケースバイケースと考える。箇条書きが見やすい時も多いのではないかな?--133.1.90.160 2006年10月17日 (火) 07:33 (UTC)[返信]
項目が並列であれば箇条書きもアリだとは思います。ただ、全体として読みずらくならないように、キチンとした文章の構成が主であるほうが普通だし、読み物的な良さもあると思います。
ここで人物記は複雑で、年代ごとの活動や変化を箇条書きするか文章化するかはほとんど文才まかせにになってしまうでしょうね。 --M-Falcon (talk/hist) 2006年10月17日 (火) 08:12 (UTC)[返信]
やはり状況によりけりかと。各々の条文が等価であるなら、箇条書きが適するでしょうし、また見易いと思います。逆に人物略歴や歴史の記述で大きく転換点となっている山あり谷ありの事象を示す場合には文章で示す方がスマートでしょうし。人物の紹介にしても歴史にしても、年号と概略を箇条書きにし、それと重複させる形で各々の条文で注目すべき事象が細かく書いてあると判り易いかも…例えば夏目漱石の項目みたいに。これなら、彼がいつ「修善寺の大患」をしたのかも、それがどんな様子だったのかも判り易いし。--夜飛 2006年10月17日 (火) 08:46 (UTC)[返信]
適材適所。ただ、定義リストをもっと上手に利用するべきだと思う。箇条書きで書かれているものの多くは、リストアイテムの内容がダラダラ続いたり、妙なインデントのネスト化がされているが、定義リスト化するとスッキリするものも多い。--219.180.140.26 2006年10月17日 (火) 09:20 (UTC)[返信]

少なくとも、全文を箇条書きにするような編集はほとんどの場合は問題アリだと思います。 -- NiKe 2006年10月17日 (火) 09:03 (UTC)[返信]

そういえばありましたね、改行の代わりに“*”を使ってるような記事…これは流石に論外かも。--夜飛 2006年10月17日 (火) 09:30 (UTC)[返信]
逆に、箇条書きはNGの一言で、全てを片付けるのも止めて欲しいです。箇条書きのほうが分かりやすい場合も、多くあります。やはり、ケースバイケースかと…。--idea 2006年10月17日 (火) 09:21 (UTC)[返信]

Wikipedia:秀逸な記事とか読めばどのような形で使い分ければ見やすくなるのかわかるんじゃないですか。少なくとも箇条書きだからダメってことはないし、全文箇条書きなしで文章にしなければならないわけじゃないし。ただまぁすべての内容が箇条書きってのは見難い。59.147.26.179 2006年10月17日 (火) 09:34 (UTC)[返信]

ちわ。既に語られている通り、文章と箇条書き双方の利点を上手に活用する事が良いと考えます。全体を文章のみにする必要はないでしょう。それよりも読者の容易な理解に重点を置いて編集することに熱意を注ぐのがよいと思います。 ただ、上で指摘されている「リストアイテムの内容がダラダラ続いたり、妙なインデントのネスト化がされているが、定義リスト化するとスッキリする」等は、記事全体を考慮せずに細部のみの編集に着手するようなビギナー編集者による投稿が、修正されずに蓄積された場合に生じる現象であると思います。初心者への敷居が低いWikipedia故の弱点ですね。--Lan-Cruer 2006年10月17日 (火) 16:02 (UTC)[返信]

> そういえばありましたね、改行の代わりに“*”を使ってるような記事
NGなものについて、いくつか実例を挙げてもらえると、分かりやすいのですが…。よろしくお願いします。--idea 2006年10月17日 (火) 16:08 (UTC)[返信]
いや、小生が前にチョッカイ出した記事のどれか…なのですが、ただいつごろ手を出した記事かが思い出せなくて。思い出したりみかけたらリンクしておきます。--夜飛 2006年10月18日 (水) 13:38 (UTC)[返信]
だいぶ遅くなりましたが、別の所で見つけました(→「駄菓子屋」2006年10月23日 (月)11:01 (UTC)版)。その後、あちこち小生が弄って、必ずしもそうではなくなってますが。--以上の署名のないコメントは、Yatobi会話投稿記録)さんが 2006-10-29 10:41 (UTC) に投稿したものです。

実も蓋もない言い方かもしらんけどさー。

ある内容を、書き下しでも作れるし箇条書きもできるというひとが、どちらが良いかを考えて箇条書きにするというのはOK。しかし、ある内容を箇条書きにしかできないやつが箇条書きで書くのはNG。そういうこっちゃないかしらん。

正直なところ、「箇条書きを乱発するやつ」って「要するに箇条書きでしか書けないやつ」であり、箇条書きでしか書けないってことは内容をちゃんと理解しておらず、また全体の中での位置づけもできていないということとほとんど同じなんじゃないかと思う。ゆえに、箇条書きでしか書けないのならばそんなことは書くな、と言ってもいいような気がするんだよなあ。他人が書き下し文で書いたものを箇条書きに直すなんてのは、(もともとの文章がぐだぐだだったとかいう場合を除いて)論外。--Nekosuki600 2006年10月17日 (火) 16:45 (UTC)[返信]

Nekosuki600さんに同感。ちゃんとした文章を書けない人って、結局、内容の理解力もなくて、要するに複雑な「読み書き」をするスキルが欠けているような気がする。そういう人はあんまり歓迎したくないなあ。なんて書くと暴言かなあ…--ikedat76 2006年10月18日 (水) 13:05 (UTC)[返信]
しかし「箇条書きしか出来ないヒト」も、ウィキペディアのどこにも居場所がない訳ではないでしょう。なにもないところに箇条書きでかかれたら、「文章が書けるヒト」がそれを種として発展させるかもしれませんし(蒔かぬ種は種は生えぬ、と)。なんというかこう、排除する方向ではなく、うまく取り込んでいく方向で考えるべきではないでしょうか(とはいえ‥‥‥ というのも判りますけどね)。 By 健ちゃん 2006年10月18日 (水) 14:22 (UTC)[返信]
うーん、そうねえ。
箇条書きでしか書けないということは、情報の取捨選択ができていないということも意味するので、えーと。種まきとしてブレストレベルのものとして箇条書きを認めるにはやぶさかではないのだが、そのかわりあとで箇条書きに含まれていた要素が編集で削られるとかいうことも覚悟しといてくれるのならばという条件をつけたかったり。
現実には、箇条書きさんたちはそういう抑制がなく、ちょっとでも削ったらリバートするみたいな短慮な行動が多いような印象があるんですよねえ。まあ、箇条書きも短慮も表現形質にすぎず根っこはもっと深いところにあってそれが共通しているんでしょうから、しょうがないんですけど。
反論ってよりは愚痴だな。すまん(=^_^;=)。--Nekosuki600 2006年10月18日 (水) 15:57 (UTC)[返信]
(競合したけど、まあいいや)まあ、健ちゃんさんのおっしゃるとおりなんですけどね。この指針の後半の節に重心を置いている私個人の方針はどーでもいいとしても、箇条書きだらけの記事を見て、「あ、何とかしなきゃ」と思っちゃう善意の人のことが気にかかるのですよ。そういう人だって、Wikipediaに使える時間は有限だし、書きたいものが他にあるかもしれないし…と思ってみたり。「三人寄れば文殊の知恵」になるとは限らぬ人の世の難しさ、ってこりゃただの愚痴か…。--ikedat76 2006年10月18日 (水) 16:06 (UTC)[返信]