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新聞記事と当事者発表との「ウィキペディア上での優位性」
[編集]新聞記事と当事者発表情報との「ウィキペディア上での優位性」をお尋ねします。
事実関係
- この記事で、「亀岡のスタジアムはJリーグ専用ではありません」との理由で、「専用」とは書いていないのに、「サッカーJリーグ」の言葉を削った(仮称)Kさんがいました。
- それをわたしが産経新聞の報道に基づき、「京都府がサッカーJリーグの京都サンガにホームグラウンドとして使用してもらう目的は新聞に報道された事実です」と記事を編集しました。各新聞社の報道は京都府知事がマスコミに語った昔の会見がもとになっていると推測されますが、マスコミがこぞって報じているので信憑性は高いと判断しました。
- 次に、Kさんは、亀岡市役所のwebから、亀岡市長さんのコメント(当事者発表)を持ってきて、「京都府のスタジアムは「多種の球技に利用できる目的で建設されること」は京都府や亀岡市といった行政機関のリリースから事実関係は明白です」と主張され、Jリーグに関する言葉は全て除去されました。
- しかしながら、複数の新聞報道で、府知事が公言した「亀岡に誘致」はよく知られた事実ですので(亀岡市民の中には誘致に熱心な多数の市民の方々もおられ、また「誘致を目的とした会」もあるとする報道もあります)、次の編集では毎日新聞も用いて、「ウィキペディアでは当事者発表よりも新聞社掲載情報のほうが信憑性のある情報源です」と、更に詳しく記述しました。
- 次に、Kさんは、「「ウィキペディアでは当事者発表よりも新聞社掲載情報のほうが信憑性のある情報源です。」というルールはwikipediaのどの項目に基づいたものなんでしょうか。」(太字は原文まま)と、わたしの会話ページに、投稿なされました。
ウィキペディアでは、(当事者発表よりも、)「信頼できる情報源とされる新聞社の報道のほうが一般に信憑性(信頼性)が高い」と考えられているようなコメントを井戸端で見たこともありますが、それは(わたしなりに解釈すると)、情報が公表されるまでの手順に、大手の新聞社では複数の人の目を通っているからなのですけれども、この手の(暗黙の?)ルールをご存じではない方もおられるので、この事象を説明できる方はおられますでしょうか。みなさまのご回答をお待ちしております。 --べあぱーく(Bearpark)(会話) 2013年3月10日 (日) 05:40 (UTC)。
- 京都スタジアムならばともかく、生物記事であるアユモドキに、そもそもスタジアム建設についての記述が必要かどうかについても含めて、ノートで議論されるべきかなと思います。--Tiyoringo(会話) 2013年3月10日 (日) 06:12 (UTC)
- 何が主たる原因で、生息や生息地が脅かされているのかは「(学会が動いた以上は)書くべきこと」と考察しています。学術的に正しい場合が多いからです。
- 例えば、世界ではフクロオオカミの絶滅の原因がいろいろ言われていて[1]、最近になって決定打がでたのかどうか(わたしには)わかりません[2]が、それらがまとまり次第、記述変更箇所があるならば、「もちろん記述すべき」なのは言うまでもありません。
- この際は、「絶滅の原因は○○と推定される」と書かれ、その○○は、百科事典レベルで詳しく記述されるべきであると思慮します。つまり「Aという牧羊業者(又は別業種)は、××haの、カンガルー(または別生物種)の土地を、ヒツジ(または別家畜)のための牧場(又は別業態)とした」、「Aは、Bというハンター(又は別業態)に依頼し、Bは△△頭のフクロオオカミを仕留めた(或いは、A本人が狩猟した)」ということが、歴史的事実として確定しているのであれば、もう80年も経過しているので、主たる原因者として名が出てくるのは、致し方ありません。ただし、フクロオオカミについては、多くの人々が狩猟をしましたので、主たる原因者が特定できないのではないか、と推察しています。
- 「アユモドキ」については、「拙速な記述ではないか?」というご意見なら、そのとおりかもしれません。--べあぱーく(Bearpark)(会話) 2013年3月10日 (日) 07:32 (UTC)
本論に戻してまして、新聞記事と当事者発表との「ウィキペディア上での優位性」はまったく差が無いのでしょうか? いくらか差があるとみなしていいでしょうか。--べあぱーく(Bearpark)(会話) 2013年3月10日 (日) 13:14 (UTC)
- 一般的には新聞記事などに基づくべきです。ただ評価などが含まれない単なる事実である場合、差は小さくなると考えられます。今回出典が付けられたのは「京都府が発表した、スタジアムの目的」というシンプルな点で、両方の出典で共通しています[3][4]。
- お二人が行き違いになってしまったのは、べあぱーくさんが産経ニュースの「ホームグラウンドとして活用してもらう方向で交渉している」を「ホームグラウンドとして使用してもらう目的で球場を作る」と読み替えてしまっているためです。その後の編集でアユモドキでは必要性の薄いスタジアムの情報が除去されているので、話は収めてよいのではないかと思います。--NNMM(会話) 2013年3月10日 (日) 14:46 (UTC)
- コメント新聞記事は第三者情報源としての意義があり、当事者発表は当事者意思として、また当事者によって発せられる一次情報としての価値があります。これらは、互いに補完しあう別のものであって、どちらかが優位ということはなく、しかし情報源として用いる場合には、その目的によって重要さが変わります。Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイト、Wikipedia:信頼できる情報源#独立した二次資料とは?やWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源が参考になるでしょう。これらからは、どっちかというと、新聞のほうが優位であると受け取られるんじゃないかな。
- いずれにしても、問題となっているのは、新聞か当事者情報かということよりも、単に記事の中で、得られた情報を元にして、主題との関係からどう書くのがよいか、という話ではないかと考えます。--Ks aka 98(会話) 2013年3月10日 (日) 15:27 (UTC)
- 普通は新聞記事のほうが記事の出典としてふさわしいでしょう。記者さんは当然、当事者によるプレスリリースを踏まえて記事を書いているでしょうから。プレスリリースにはないことが書いてあるとしたら、別の取材源からの情報などを総合的に勘案して、そういう書き方になっているということでしょう。それで、「アユモドキ」に関しては、NNMMさんが指摘している通り、新聞記事から読み取れる以上のことをウィキペディア記事に書いてしまったせいで揉めてしまったように見えます。--Bugandhoney(会話) 2013年3月11日 (月) 15:00 (UTC)
- コメント蛇足ですが、個人的にはKs aka 98さんの「互いに補完しあう別のもの」で「目的によって重要さが変わります」と同意見です。例えば私は最近は、政治的事件などで客観的事実を強調したい場合は書籍・新聞等を出典として優先使用しますが、これは「当事者の言い分より、信頼できる第三者の記事の方が信用できる(という可能性が高い)」という趣旨です。しかし逆に、例えば国連決議、各政党の綱領、新製品の正確なスペックなどは、報道よりも当事者(国連、政党、メーカー)のサイトの原文(プレスリリース等)を引用する事が多いですが、これは「この場合は当事者による原文の方が正確で、報道機関による報道の方が間違いや解釈による偏りが多い」という趣旨からですが、この使い分けは当然個人差も大きいと思います。少なくとも、当事者と新聞の片方が、常に適切とは思えません。なお「当事者による発表と、第三者による報道」の2出典を各脚注にすると信頼性は増しますが、2出典併記の趣旨を考慮してくれずに「過剰」と判断されて片方が削除される場合もあり、それを防ぐには2出典を1つの脚注の中に趣旨を含めて併記する(脚注を入れ子に)手もありますが、別の意味(記述上)で複雑になるので私は滅多に使いません。まとめると、単一の結論は無く、毎回悩んだり議論したりヒントを得たりして、蛇行しながら改善(?)して行くしか無い世界だと思います(人間社会の大半の分野と同様に)。--Rabit gti(会話) 2013年3月13日 (水) 14:43 (UTC)
- 専門的な訓練・経験を積んだ記者でも取り扱いを誤ってしまうというような素材は、なおさらウィキペディア編集者が直接取り扱うのは避けるべきでは。新聞記者の場合は所属とか記名記事であれば経歴とかを調べればいかほどの専門性のある人かめぼしはつきますけど、無名のウィキペディア編集者の場合はそうはいかないです。今までの経験でいうと、一番厄介なのは、二次資料にある解釈や引用の仕方が間違っているのであって、俺の解釈・引用の方が正しい、というようなタイプの人です(Rabit gtiさんがそういう人だという意味ではないです、念のため)。ある報道で間違いやバイアスに気付くというのは、他の報道と読み比べるからじゃないですかね。そういう場合は、出典としてより信頼性の高そうな、たとえばもっと大手の媒体だとか、専門誌・学術誌を持ってくるのが筋かなと思います。--Bugandhoney(会話) 2013年3月13日 (水) 20:21 (UTC)
- 皆さんの意見と微妙に違うかもしれませんが、私は新聞記事と当事者発表とを比較して、執筆者が「優位性」を判断しようとすること自体がナンセンスだと思います。新聞記事と当事者発表の内容に差異があるのだとすれば、差異があることを並立して書けばいいだけ(「新聞記事はAと報じているが、当事者はBとの見解を明らかにしている」のような表現)と考えます。そもそもWikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価にも「権威ある情報源の間での不一致は、それが信頼できる情報源に基づくかぎり許容されます。しかしその不一致については明白な形で記事中で示されるべきです。」と明記してありますし、「どちらが事実か」を判定できる客観材料がない以上は、そこに優劣を付けようとすることが独自研究に相当する行為ではないかと思うのですが。--Bsx(会話) 2013年3月13日 (水) 22:15 (UTC)
- 今回のケースで具体的に申し上げますと、【報道では、「A.サッカーJリーグのチームの新しい誘致先のスタジアム」は、「B.絶滅危惧種のアユモドキの生息地で開発反対が唱えられている」と報道されているが、首長のコメントはそれにはふれず、「C.大規模スポーツが誘致でき、まちおこしができること」のみを語った。】という事実構成となりますが、全部を書かれたら都合が悪い方もいるようなので、そのようないらぬ軋轢を生まないためには、「なるべく多くの事実を網羅する出典を最優先にする(今回は、報道のほうが事実を網羅している)」という考え方が優れているわけです。
- わたしがKさんに注文を付けたのは、C.のみしか書かれていない出典から、報道されている「Jリーグ用の球場」という記述を除去して、「サッカー、ラグビー、アメリカンフットボールなどに対応できる専用球技場」という説明を書き(Kさんの記述は、出典には未記載な独自研究でもあるのですが、おそらく出典の選び間違いでしょうけれども)、この行為は、A.やB.などの特筆性の高い重大な事実を含んでいないため、(網羅されていない)当事者発表を報道に優先して用いるべきではない、という話になります。
- 今回のケースでは、「事実の網羅」で優劣ははっきりしていますが、この判断は独自研究とはいえないでしょう。「事実の網羅」は、百科事典の生命線でして、報道を補う形で、首長のコメントが関連情報として使用されるのは、より多角的な事実の網羅の点で「のみ」有意義ですが、Kさんが実際にやっていることは、報道機関の取材(情報まとめ→「アユモドキの絶滅を招く球場建設はJリーグの誘致先だった」という特筆性の高いもの)を、人口9万の首長のコメント(実際には首長はコメントしてませんけれども。ちなみに、サッカー場をラグビーやアメフトに使用できるようにするのは普通に行われている行為で、特記性の低い説明)に差し替える行為です。
- Kさんが、わたしの会話ページにルールがあるのかと書いてきたため、井戸端に提起しております。なお井戸端に提起したあとに、Kさんは、他の項目「京都スタジアム」において、<!--出典無き記述のため、コメントアウト(府が[[京都サンガF.C.]]を誘致中)-->と、その時点で事実と出典をKさん自身が既知にも関わらず、記述をコメントアウトにしておられ、Kさんは特定の主張のために動いているような気もしています。--べあぱーく(Bearpark)(会話) 2013年3月14日 (木) 07:41 (UTC)
- NNMMさん、「べあぱーくさんが産経ニュースの「ホームグラウンドとして活用してもらう方向で交渉している」を「ホームグラウンドとして使用してもらう目的で球場を作る」と読み替えてしまっているためです」と書いてらっしゃいますが、産経?は出典に用いられておりません。また、「読み替え」ではなく、「同じことを書いているだけ」でして、そのように読み取れませんか? 単に、Jリーグや京都サンガと書かれたくないKさんが過剰反応しただけなのではないでしょうか。(様々な報道がなされている事実ですが、常識的、現実的に考えても、Jリーグにでも使用してもらわないと、人口9万の地方自治体が、大規模スポーツ施設に土地無償提供する気になりませんが、理解できますか?) --べあぱーく(Bearpark)(会話) 2013年3月14日 (木) 07:41 (UTC)
- コメントこの記事は、スタジアムの記事でもJリーグの記事でもありません。記事の主題である魚の生息地のうちのひとつが開発される計画があるということが、重要です。開発は、何が作られるのかというとスタジアムであり、そのスタジアムの簡略な修飾としてどのようなものが適切なのか、どの程度のものが必要なのかを考え、間違いではない表現で記述するのが、百科事典の執筆者に求められることです。
- もともと記事にあった「京都府がサッカーJリーグ用の球場(京都スタジアム)を作るために、」は毎日新聞を情報源としています。そこでの記載は「スタジアムはサッカーJリーグの試合が可能な2万5000人規模で、」であり、「サッカーJリーグ用の球場」ではありません。「Jリーグに使用できる」というのは、Jリーグで使用するための条件をクリアしている施設であるということを示しているだけであって、用途をJリーグに限定しませんし、Jリーグでの使用を目的とするのでもありません。「Jリーグ用」という表現は、用途や目的でありJリーグに限定するものと読めます。
- Kanko3131さんが「亀岡のスタジアムはJリーグ専用ではありません。」と要約欄に書いて修正しているのは、そういう意味です。そして、用途をJリーグに限定せず、Jリーグでの使用を目的とするのでもないということを亀岡市公式HPを根拠に「サッカー、ラグビー、アメリカンフットボールなどに対応できる専用球技場」と改めています。
- べあぱーくさんがその後用いている産経新聞は、「サッカーやラグビーなどの球技専用スタジアム」「京都サンガにホームグラウンドとして活用してもらう方向で交渉している」と書いています。「京都府がサッカーJリーグの京都サンガにホームグラウンドとして使用してもらう目的」もあるのでしょうけれど、それだけのために作られたのではないことは明らかです。交渉の段階であるなら、実際に京都サンガが使うかどうかはまだ決まっていないのだと思われます。
- ですから、最初の「サッカーJリーグ用の球場」は方針も優劣も関係なく、単に間違いです。Bearparkさんが要約欄で書かれた「京都府がサッカーJリーグの京都サンガにホームグラウンドとして使用してもらう目的は新聞に報道された事実です」というのも、流れからいえば適切じゃない。
- この編集(Kanko3131さん)は適切であり、この編集(Bearparkさん)は、編集自体は適切ですが要約欄の指摘は正確ではない。この編集(Kanko3131さん)の要約欄の指摘は妥当です。ここでの要約欄も根拠としては正確ではない。
- 記述としては、Kanko3131さんのものも、Bearparkさんのものも、Ksさんのものも、方針を逸脱していたり、間違ってたりするものではないので、あとは、どういう記述が適切かを考えて合意に至ってもらえばいいのです。
- 既に挙げられている情報源では、「京都府亀岡市の球技スタジアム」(毎日・冒頭部)、「サッカーやラグビーなどの球技専用スタジアム」(産経・冒頭部)、「大規模スポーツ施設~京都府の専用球技場」(亀岡市)と書かれているのですから、これらの表現を用いてもよいでしょう。Jリーグと、どうしても関連付けたいのならば、「Jリーグで使用可能な球場」「Jリーグでの使用が検討されている球場」と書くべきです。ただし、「Jリーグ」の名前を出す意味は、おおよその規模を伝えるとか、建設の経緯を説明する以上にはさほどないはずです。Jリーグが使うから強行される可能性が高いというような危惧も表明されておらず、また実際に使うかどうかもはっきりしていないのですから、無理に書く必要はありません。かえって、Jリーグないしは京都サンガを悪者に見立てているように受け取られるかもしれませんし。
- なお、全部を書かれたら困るかもしれないけれど、それが百科事典として重要な情報なら、軋轢が生じたとしても、その軋轢を解決して記述することが好ましいです。--Ks aka 98(会話) 2013年3月14日 (木) 09:00 (UTC)
- あららすいません。読み飛ばして差し戻しと要約欄でのやり取りなのかと思っていました。よそでも同じようなことをやらかしてますので猛省します。ks aka 98さんがもう詳細に説明されていますけど、今回の件については新聞記事と当事者発表の優劣ではなく、アユモドキにおいてJリーグの情報が重要かどうかという話ですね。--NNMM(会話) 2013年3月15日 (金) 12:33 (UTC)
(インデント戻し)違います。NNMMさんは他の話題にずらそうとし続けないで戴きたいのですが、、、今回のケースの、首長Aの当事者発表をみても明らかなように、首長Aは、「府知事がサンガを誘致する交渉中であること」も、「府知事がサンガのために新球場を作ること」も「府知事が各自治体にサンガのために土地を無償提供するよう呼びかけ、Aの自治体がそれに応じたこと」も、「報道で市民も知っていること」も理解したうえで、もちろんKさんも既知のことですけれども、まだ誘致が確定していない段階なので、(数万人の人を収容できる意味で)「大規模スポーツ施設」と「だけ」言い、胸を張れるのです。このことは、当事者発表は、「話題の事実を知りながらコメントしない情報源」(オブラートに包んでいる情報源、若しくは大本営発表)でしかなく、「今起きている出来事」を正確に・網羅して示す情報源ではないようなのです。この手の大本営発表(当事者発表)が新聞記事と同列に扱っていいわけがありません。この当事者発表は、当事者AはBのように考えている、というAの主張の紹介の文節でしか、「危険なので」用いれないものではないでしょうか。つまり「首長Aは“大規模スポーツ施設”Bと言っている」という両論併記によくありそうな文節でしか、「危険なので」用いれない情報源ではないでしょうか。新聞よりもはるかに「事実を含まない」危険な情報源と認識しています、政治家の自主発表は。これが命題です。--べあぱーく(Bearpark)(会話) 2013年3月15日 (金) 23:12 (UTC)
一般論的に。公式発表と、それを元にした報道。どちらかを絶対優先させなければならない物ではないと思います。公式発表は一次資料とされる場合が多いですが、役所の発表であれば、一定の信頼はあると思います。公式・報道の共通する部分のみを書く。相違する部分を両論併記にする。などしていけば良いのではないでしょうか。その上で、内容の読み違えをしないように配慮して。結局、両方ともWikipedia:検証可能性を満たすのです。役所の発表は排除する必要は無いと思います。--Taisyo(会話) 2013年3月16日 (土) 01:36 (UTC)
- コメント べあぱーく(Bearpark)さんへ。恐れ入りますが、具体的な事例に絞って議論を続けるのであればノート:京都スタジアムやノート:アユモドキあたりで続けて頂くのが筋だろうと思いますが…
- Taisyoさんとコメントが若干被ってしまいますが、一般論として話を戻すと、いわゆる『大本営発表』を「話題の事実を知りながらコメントしない情報源」とべあぱーく(Bearpark)さんがおっしゃっているのと同様に、新聞などのメディア報道もまた「話題の特定の事実を誇張して伝える(ことが多い)情報源」であることは念頭に置いておく必要があるだろうと思います(同じ事象に対する朝日新聞と産経新聞の論調がほぼ正反対なように、メディアが社として特定の視点寄りに立って報道を行うというのは往々にしてある事実だ、と言うことです)。
- 「信頼できる情報源とされる新聞社の報道のほうが一般に信憑性(信頼性)が高い」という意見がよく見られるのは、『Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」』に照らして、検証が不可能な個人的情報収集(第三者のブログや電子掲示板など)と異なって、新聞社内部で(新聞社としての)査読制度が行われているからと言うことに他ならず、査読を経て公表された新聞記事が「客観的材料を正確に網羅して事実であるかどうか」とは別次元の話である、ということです。もっと言えば、新聞社やマスコミは一部の関係者の発言のみで伝えられた「強い推測」であってもそのことを報道することがよくある、ということです(いわゆる飛ばし記事)。
- 以上のこと、並びに「Wikipedia:信頼できる情報源」に照らすと、繰り返しになりますが、『大本営発表』と『新聞報道』が食い違っているときに、どちらが正しいかを執筆者が判断することじたいが極めてナンセンスな話であり、Wikipedia:中立的な観点#偏った記述は帰属化・明確化するに準じて「Aはこう述べているがBはこう述べている(あるいは述べていない)」と両論を記述するのが適切だと考えますが、いかがでしょうか。--Bsx(会話) 2013年3月16日 (土) 01:52 (UTC)
- コメント多くの方と同じ事を書く気がしますが、中立的な観点では、仮に「複数の出典の間で、事実の記述が異なる場合」は、その相違がその記事の主題に特筆性(重要性)が高いならば「記事中で両論併記」すべきです。ただし特筆性の低い些細な相違まで全て併記すると情報の無差別収集になります。なお私が前回書いたのは「本文の記述は争いがなく、単に出典が多数のある場合、どの出典を優先的に選ぶか」の話で、「記事中で客観性が問われる内容(例えば、ある製品がヒットしたかどうか)ならば大手新聞など、正確性が問われる内容(例えば、ある製品の製品仕様や、国連決議の用語など)ならば当事者資料を優先した方が妥当」という趣旨です。仮に本文の記述に争いがあれば(かつ特筆性があれば)、Bsxさんもコメントされている通り、当然併記すべきと思います。--Rabit gti(会話) 2013年3月16日 (土) 12:24 (UTC)
- コメント私自身、もっと極端な例を知っております。そのような事もありますのでWikipedia:報道が先行し企業発表と食い違う場合のガイドラインとか作ったりしています(絶対とは言い切りませんが、「両論併記」とWikipedia:検証可能性を満たす文章を構築したときに、そのような文章になると思います)。
- 例えば、3DS LLの日本経済新聞の飛ばし記事と任天堂の否定。そして、その後の3DS LLの販売です(参考)。そのような場合は、飛ばし記事の時点では任天堂は否定しているので、もし書くとしたら『3DS LLが発売されると日経報道であったが、任天堂は否定している』と書く形になると思います。そのような場合では、報道を絶対の正として扱うのは問題あります。しかし、現時点ではそれを踏まえた形で書いていく方法もあると思います。時系列構築文章の中で、公式と報道をバランス良く触れていけば、記事の広がりも出てくると思います。まあ結局は、日経の誇張報道と、任天堂の大本営発表が悪い意味で作用してしまったと言えるのかも知れません。
- さらに、わたしが問題提起をしたわけではありませんが、広島電鉄の『広島バスを傘下に置いた日』でノート:広島電鉄#2012-03-11 22:32:27(JST)で行った編集についてで色々やっておりました。内容は『広電と広島バスの公式資料の日が異なる』で、さらに調べたら中国新聞の報道日まで異なっていたことがありました。広島バスの資料が9月8日、広島電鉄の資料が9月10日、中国新聞の報道では9月9日だったのですが、その全てが立場の違いによる、日にちの違いだったということでした。ある意味、大本営発表が食い違っていた例であります。さらに補足すると、検証可能性を満たす資料で、その全てを書ききれなかったりします。
- 両方に、良い点も悪い点もあるのです。どちらかを排除するよりかは、両方を取り入れていく努力をしていくこと。役所の公式発表を元に、各種報道で補足していくだけでも十分大本営発表臭さは消えると思います。その上で、公式発表の正確さにより、内容の正確性も増すと思います。--Taisyo(会話) 2013年3月16日 (土) 13:16 (UTC)
- コメント一般論じゃなくて、この京都スタジアムという具体例で言うと、産経の記事と亀岡市長からのメッセージは食い違ってなんかないでしょ?産経の記事は、京都府知事の会見の様子を伝えているだけであって、要するに「大本営発表」を伝えているだけです。それで、サンガを誘致しているのは亀岡市ではなくて京都府ということのようですから、亀岡市長からのメッセージにサンガへの言及がないのは何もおかしなことではないでしょう。一方で、亀岡市の資料[5]や京都府の資料[6]にはサンガやJリーグへの言及が何度もありますので、産経の記者さんが独自の取材源を使って暴露したとか、独自の解析を披露したなどとというようなことではないと思いますけど。--Bugandhoney(会話) 2013年3月18日 (月) 21:26 (UTC)