Wikipedia:井戸端/subj/方針の試験運用中にユーザーが従うべき規定のありか

方針の試験運用中にユーザーが従うべき規定のありか[編集]

こんにちは。ある投稿ブロックの案件に関連して管理者伝言板にて質問したのですが、3日たってもどなたも答えてくださらなかったので井戸端に移りました。

質問したいのは、見出しの通り、公式の方針の改定案が試験運用されている時に、ユーザーが従うべき規定はどこにあるのか、ということです。具体的にこの疑問をもったのは「投稿ブロックの方針」に関して読んでいてですが、今ここで伺いたいのは、一般論として、公式な方針の改定手続きとして、どうなっているのか、ということです。参照すべき規定や先行議論がありましたら、教えていただけますでしょうか。(隅々まで探したわけではないので、もしすぐ見つかるところにあったらすみません。)

一応、私の疑問を説明しておきます。「投稿ブロックの方針」を例に取ると、「Wikipedia:投稿ブロックの方針」には、これは「公式な方針」で「すべての利用者が従うべきだと考えられています」という、公式な方針のテンプレートが貼られています。しかし、その下に改定案の案内が貼られていて、「改定案の試験運用」が行われている、とあります。実際問題としても、現在の投稿ブロック手続きは「公式な方針」に従って行われてはいないように見受けられます。ということは、どこにもそういうことは書いていないように見えるけれど、このルールは「すべての利用者が従うべき」ものではなくなっているわけですよね?

そこで改定案の方を見ると、こんどは、これは「公式な方針あるいはガイドラインの草案」で「この文書には拘束力はありません」という説明のテンプレートが貼られています。となると、管理者をはじめ、ユーザーはこの草案に従う必要はないということになります。拘束力を持っている公式な方針は停止していて、代わりとなる方針は拘束力がない、となると、結局なにをやってもいい、ということになってしまうと思うのですが、そこをカバーするようなルールというのはどこにあるのでしょうか?Aotake 2006年9月17日 (日) 17:10 (UTC)[返信]

直接的にではありませんが ignore all rules にしたがって、常識的に判断し、この穴を埋めるための議論を持って、その結果新しいルールとして明文化することになると思います。そもそもウィキペディアは完成され固定されたルールのもとに存在するものではなく、逆に実態に合わせてルールを構築し、運用して内容をフィードバックしながらルールを成長させて運営に還元するという開いたルールの上に成り立っています。「拘束力のある方針」の「改定案」が「試験運用」の段階に入ったならば、(改定案単独では拘束力を持っていなくとも)試験運用としての拘束力が「公式方針の拘束力」から生じると考えていいとおもいます。それはつまり、改訂方針の中に穴があったのであれば、それは方針の不備として再考するという前提での拘束力だということになります。一方、方針として不備がある部分に掛からないのであればそれは公式方針と同様の拘束力を生じているはずです。
ウィキペディア本来の姿としては、参加者が全て運営者であり、参加者全てが監督者であり、参加者全てが開拓者なのですから、拘束力がどうこうといって「なにをやってもいい」と自分に不利に跳ね返ってくるような結論を持ち出すこともないかな、とおもうのですが、いかがなもんでしょう。--Lem 2006年9月17日 (日) 18:54 (UTC)[返信]
横から失礼いたします。私もこの問題には同様の疑問を持っていました。Lemさんの説明はある一面からは非常にリーズナブルではあると思います。たしかに常識的に、とか、参加者すべてが運営者で、とかいうことはウィキペディアの誇るべき理想なのだとは思いますが、いろんな考えを持った多数の人間が集まってくる空間では「常識」というのはその範囲が非常に曖昧であるがゆえにあまりにも脆弱で、その常識こそが対立の原因になり得るのではないでしょうか?これは各所で編集合戦が発生したりする事からも容易に伺えます。
一方、一部の編集者はWikipedia:中立的な観点とかWikipedia:検証可能性とかを理由に他の編集者の記述を削除したりします。私自身はウィキペディアの所謂3大方針は非常にリーズナブルなものだと思いますが、これらと相いれない編集をする人も、彼らなりの「常識」や「良心」に従って非中立的な記述や、検証不能な記述を書き込んでいるのであり、ウィキペディアの水準を保つという観点からこれらを排除しようとすれば、見解の相違が生じている以上ルールを振りかざさざるをえないではないでしょうか。そして、残念ながら現実にそういう事態は無数に発生しています。性善説が機能しない以上、ルールは明確に規定されていなければいけないのではないでしょうか。
例に挙がっている「投稿ブロック」は「ルールを振りかざす」行為の最たるものなのですから、その機能をどう運用するかという基準が明確にされていなければ、ブロックされた人はどうやってその事実を納得すれば良いのでしょう?投稿ブロック規定改訂案の「試験運用」はブロック規定の改訂に携わってる方々の良心や慎重さの表れである事はわかります。ですが、すくなくともこのような重大な管理者権限に関する規定が確定していない(ように見える)状況では、ルールに厳格な運用は不可能であり、結果的に「なにをやってもいい」印象を与えるので、既に各所でいやというほどなされている、ウィキペディアは「一部の者に私有されてる」とか「恣意的に運用されてる」といった誹りに反論しえないと思います。……もっともこの案件に関しては、「試験運用中、すなわち改訂案を暫定的に公式方針として運用中です。投稿ブロックに関しては現行方針でなく改訂案を参照してください」と明示しさえすればLemさんの見解で全く問題ないとは思いますが。--Pugnari 2006年9月17日 (日) 21:35 (UTC)[返信]
誤解があるような感じもするので補足しておきますが、わたしは必要なことはちゃんと議論を持って明文化すべきだと言っています。ウィキペディアのルールは(記事と同じで)常に発展途上で穴だらけであり、またそういった穴だらけのルールは育てて直していくべきものだ、というのがウィキペディアの本質的な部分だろうと言っているにすぎません(そういったルールの穴あるいはルールの罠に抗するためのルールが ignore all rules だろうと言っているのです)。また、誰かに訊くのではなくて自分で調べて、おかしいと思ったことにはまず対案やたたき台を提示しつつ、賛同を集めるとか議論を深めるとかそういう方向に向かってくれないと、結局誰かが面倒を負わされることにしかならないんじゃないかというようなことを、「みなが運営者である」という言葉に込めました。--Lem 2006年9月17日 (日) 21:53 (UTC)[返信]
おっしゃる通りですね。当該ノートページで提案してきました。しかし、私の疑義(おそらくはAotakeさんも)はそのような個別的な問題だけではない事ももう一度書かせてください。私が疑問を提出しているのは、ルールを改変しようとしている途上であるとはいえ、ルールが曖昧になったり解釈次第でどうともとれる状況になるような文面にしてしまったのは何故かという事です。こういうところは瞬く間に問題になる事は誰の目からも明らかであるのに、なぜあえてただ「試験運用」とだけ書いて、その意味や試験運用が合意とされた経緯を詳しく説明しなかったのかなぁ、と首をかしげているわけです。もしかして、ルールは完全なものじゃないばかりか、ブロックされる側にとっては重大な問題でも、ブロックする側からは便宜的なものだと考えられているのではないかと、ふと邪推したりしてしまいます。--Pugnari 2006年9月17日 (日) 22:43 (UTC)[返信]

実は管理者のひとりとしても、現在の状態はいささかややこしくて閉口しています。この際、改定案を正式化してはどうかと思うのですが、いかがでしょう。なにか大きな問題がありますでしょうか。(小さな問題は運営しながら修正していけば良いと思いますし、「改定案で不足部分があれば、旧版を準用してください」と但し書きを入れておけばどうかと思います。)--miya 2006年9月17日 (日) 23:16 (UTC)[返信]

いろいろとコメントありがとうございました。先行する議論や規定はなさそうということで了解しました。それでは、ひとまず「投稿ブロックの方針」に関して、当該ノートページで「試験運用中」の規定の所在について議論をし、うまく話がまとまれば、それを方針の制定や改訂の際の一般的なルールとして格上げすることを提案するのがよさそうですね。そちらに移って議論したいとおもいます。(蛇足ですが、私はもちろん建設的な議論にもっていきたいと思って話題を井戸端に持ち込みました。先行議論や規定があるかを最初に確認したのは、新参者としてまずは現状について他の人にも確認するのが妥当だろうと思ってのことです。それともいきなり、「ここはおかしいからこう変えるべきだ!」と議論をはじめた方がよかったというのでしょうか。「誰かに訊くのではなくて自分で調べて」云々と言われると、そういうことになってしまいますが…)Aotake 2006年9月18日 (月) 04:28 (UTC)[返信]

現状の確認をするのは問題ないとは思いますよ。知らないものは聞けばいいのだし、当然今までの蓄積だってあるのですから。ただ、肝心なのは「○○は××である」というところで話を終わらせないことです。--ゆきち 2006年9月18日 (月) 04:47 (UTC)[返信]

確認される側が「○○は××である」というところで話を終わらせないことです。ということですね。(203.112.53.40さん 2006年9月18日 (月) 10:42)署名なかったので、履歴からすぐりが補足

ルール改定に関しては、多分Lemさんと同じ意見なのですが。例えば、「今の削除方針はおかしい!変えるべきだ!」とだけ言うのはやめてくださいということだと思います。ウィキペディアのルールは皆で変えていくものですから、「削除方針の何項目がこういう理由でおかしいと思うので、こう変えましょう」という形で提案して欲しいのです。
Aotakeさんがそうだというわけではなく、過去に何人も「これはおかしい!変えろ!」とだけ騒いで、自分では何も対案をあげてくれなかったということがあって、ある程度以上ウィキペディアにいるユーザーの中には、私も含めてうんざりしてしまっている人が一定以上いるのです。というだけの事情ですので、Aotakeさんは、安心してこの議論を続けて大丈夫だと思いますよ。--すぐり 2006年9月18日 (月) 17:44 (UTC)[返信]

<チラシの裏>いきなり今の方針を書き換えて草案を作るんじゃなくて、今の項目の下に「Wikipedia:投稿ブロックの方針/議論中の草案」みたいな感じにページを切って、そっちに今のを転載して、それを編集してってコンセンサスが得られたら差し替え…みたいにすれば手続き上の問題とかが発生しないような気がします。</チラシの裏>--coq(L/M) 2006年9月19日 (火) 16:07 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針にて、テンプレートの案を出しました。議論の手順についていただいたコメントについてはいろいろと思うところもありますが、生産性の低い議論になるので、感謝の辞を述べるにとどめておきます。ありがとうございました。

Coqさんのご意見ですが、今の「投稿ブロックの方針」の改定もそういう手続きで行われていると思うのですが、ちがいますでしょうか。問題は「試験運用」という段階の存在だと思うのです。試験運用はよいことと思いますが、そのフェーズの間にユーザーがどの方針に従うべきなのかを明示するべきだと思うのです。Aotake 2006年9月20日 (水) 03:03 (UTC)[返信]