Wikipedia:井戸端/subj/架空の事物・人物記事の存在基準
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架空の事物・人物の存在価値の基準を提案したい。
[編集]架空のキャラクターその他の記事に関して、その存在価値を測る術が無い所為か無碍な統合の憂き目にあう記事も多い。更にはその分割の基準も単に文量本位がコンセンサスとなっており、初めからスタブ状態で生み出すことが憚られる雰囲気が出来てしまっている。だが一寸待って欲しい、記事として本質的な存在価値というものは文量や議論に興味のある利用者の心持など、カオス的に移り変わる要素の応じ変わり得るものでは無いのではないだろうか。
そこで絶対的な著名性の基準として商品の流通を挙げたい。これはその事物・人物を模るなりプリントするなりした製品が現実に存在していることを記事として存在の許容基準とする。例えば人物ならフィギュアなど、メカならばそのプラモデルなど、もちろんオマケのシールやカードなどという顛末なものもあるため一概に絶対視できるものではないが、少なくとも投稿された時点でスタブ状態のキャラクター記事をむやみな統合から引き止める理由にはなりうる。
架空と現実との間のインターフェイス、俗に言う2.5次元の存在を基準にすることは、実際の出来事からのリンクから必要な情報のスムーズな取捨択一にも繋がる。賛成していただけようか。Sionnach 2007年5月13日 (日) 17:15 (UTC)
- たいていのキャラクターは何かしら商品化されているものですし、スタブ記事でも商品化されていれば可、という基準は寛容すぎるかと。いまのところ、翻訳中かつ草案ですがWikipedia:著名性というのがあります。正式な方針として提案されるのでしたら、議論はそちらでした方が良いかもしれません。--氷鷺 2007年5月13日 (日) 19:33 (UTC) 修正--氷鷺 2007年5月14日 (月) 04:06 (UTC)
- 安易な「キャラクター」個別記事の作成は推奨されません。通常は、そのキャラクターが登場する作品の記事に「登場人物」といった節を設け、その中に書く場合がほとんどです。
- かなり有名な作品となり、登場人物の説明だけで量が増え、記事のバランスを崩すようになったら「~の登場人物」という記事に分割する場合があります。
- さらに有名な作品となり、登場人物の記事でも膨大となった場合、初めてキャラクター個々の記事とすることが検討されます。しかし、これはかなり例外的なものです。
- たとえば、日本人ならほぼ誰もが知っている「サザエさん」でも、「サザエさんの登場人物」までで、個別キャラの記事はありません(個別キャラの項目は、登場人物記事へのリダイレクトです)。
- 多くの場合、キャラ別の記事を作成しても、作品記事か登場人物の記事に統合されることになります。いきなりキャラ個別記事を作るのではなく、まず「作品ありき」で始めるべきでしょう。--218.226.8.239 2007年5月14日 (月) 01:16 (UTC)
- Sionnachさんが言ってるのは単独のキャラクターとしての商品だと思います。あと野比のび太などの記事はあります。--ソレナンテ・エ・ロゲ 2007年5月14日 (月) 05:11 (UTC)
- 「単独のキャラクター」というのが、はたしてどれほどあるでしょうか。すぐに実例が思いつきません。それこそ記事にする必要すらないような気がします。あと、野比のび太については「例外的な場合」に当たるほどの超有名作品の有名キャラクターで、1記事にしても十分な記述がある、きわめて特徴があるキャラと考えられます(逆に言えば、野比のび太ぐらいの有名キャラではないキャラの単独記事を作るべきではありません)。--218.226.8.239 2007年5月14日 (月) 08:53 (UTC)
- 野比のび太の記事を立てるべきか立てざるべきかは別として、彼の名は相当に有名だと思いますが(彼はドラえもんの世界に於いては、至上最速の熟睡モードにして、宇宙一のガンマンですぜ旦那)。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年5月14日 (月) 10:23 (UTC)
- 「単独のキャラクター」というのが、はたしてどれほどあるでしょうか。すぐに実例が思いつきません。それこそ記事にする必要すらないような気がします。あと、野比のび太については「例外的な場合」に当たるほどの超有名作品の有名キャラクターで、1記事にしても十分な記述がある、きわめて特徴があるキャラと考えられます(逆に言えば、野比のび太ぐらいの有名キャラではないキャラの単独記事を作るべきではありません)。--218.226.8.239 2007年5月14日 (月) 08:53 (UTC)
- Sionnachさんが言ってるのは単独のキャラクターとしての商品だと思います。あと野比のび太などの記事はあります。--ソレナンテ・エ・ロゲ 2007年5月14日 (月) 05:11 (UTC)
- 商品化だけではキャラクターの価値ははかれないのではないかな、と思います。制作者の権利関係で商品化が難しいケースがありますし、商品化されたところでちっとも売れずに消えていく商品もあるからです。
- 具体的にどのような記事が「無碍な統合の憂き目」にあっているのかはわかりませんが、作品記事に統合すべきと判断されるほどのスタブ(極端に短いとか)なら統合されても仕方がないのではないでしょうか。そのキャラクターに興味がない読者の目から見ても、中立的で十分に単独の記事としてまとまった量と内容があれば統合はしづらいように思います。
- そのキャラクターを知らない人に、そのキャラクターが単独の記事で扱われるだけの価値をもっていること、その記事が必要であることを納得させるのは、○○からフィギュアが販売されている、ということよりも、記事のテキストそのものであるべきなのではないでしょうか。それだけ価値のある内容ならば、記事の分量、内容の質にもそれは反映されると考えるからです。--HannaLi 2007年5月14日 (月) 06:58 (UTC)
誰も商品の存在だけで判断しろとは言っておらん。だがあまりにも「現実に及ばした影響」の実際について鑑みる者が居な過ぎるということが問題なのだ。ある有名人物の言動や現実の事件で採り上げられるレベルならば作品内でそれと同列かそれ以上の位置づけのモノに対しては独立した情報である必要性に資する。考慮対象として意識はするべきである。Sionnach 2007年5月14日 (月) 09:49 (UTC)
- ある架空のキャラクターや事物が、現実世界に何らかの影響を与えたにしても、それは「キャラクターや事物の説明」(作品記事の中や、「登場人物」記事の中などの1項目)に書けばいいだけの話で、それだけを理由にして「そのキャラクターや事物の記事を1つ独立して作成すべきである」というのは、極めて説得力に欠けると思います。
- もちろん、現実世界に何らかの影響を与えたかどうかに関係なく、そのキャラクターや事物について記述されるべきことが量・質ともに1記事分にふさわしい(1記事を立てなければ書ききれない)のであれば、まず1記事にするかを検討すべきですが、それは極めてまれなことであり、その必要が生じた(と誰かが思った)時に、個別に議論すればよいことです。キャラ別の記事を作るべきかどうかという基準を作る必要は、今のところまったくないと思います(原則としてキャラ別の記事は作らない、というのが現在のWikipedia日本語版の決まりごとと認識しています)。--218.226.8.239 2007年5月14日 (月) 12:25 (UTC)
- その通り。唯一の指標とは述べてはいない。親項目の指すものの状況で最終的な判断は変わり得る。極めて稀と言うが、それだけの記事を作ることを億劫とする利用者ばかりな事は哀しい。一度にまとまった文章を書かないのは日本語版創作物関連における病理だと感じている。Sionnach 2007年5月14日 (月) 19:53 (UTC)
- 「それだけの記事を作ることを億劫とする利用者ばかり」とか「一度にまとまった文章を書かない」というのは違うと思います。単に、独立した1記事とするのがふさわしいキャラクターの存在自体が非常に少ないのと、それに該当するキャラの独立記事は、ほとんどがすでに作られている、ということでしょう。作品単位の記事(あるいは他の一般的な記事全般)であれば、最初から十分な量や質で作成されることは少なくありません(私自身もいくつか新規記事を作っていますが、スタブ未満の記事とはしないよう注意しています……というか、いきなり記事サイズが大きいという注意が出たこともあるほどです)。
- また、「まずキャラの記事を作る」ということも間違いです。まず作品の記事が作られ、次いで必要なら登場人物の記事が分割され、さらに必要なら(という場合は極めてまれ)初めてキャラごとの記事が分割される、というのがあるべき順序です。従って、いきなりキャラ個別の記事が作られたら、ほとんどの場合は作品の記事に統合される、ということになっているわけです。--218.226.8.239 2007年5月16日 (水) 03:13 (UTC)
- そういう決め付けはよくないかと。実際にはさまざまな記事を作る人がいます。自分のやりかたを押し付けて間違いとするのはウィキペディアンとして他人を尊重していくことにはなりません。キャラクターの記事を作ることを許さないという思想を井戸端で布教するつもりでしたらお断りします。--122.24.148.80 2007年5月16日 (水) 03:36 (UTC)
- わたしのような利用者の存在も尊重するべきです。わたしのやりかたは極々一部の人が反対はしましたが、最終的に多数の利用者の間で受け入れられています。実のところ執筆者の基本的人権のひとつ「表現の自由」を侵害している自覚のない人間がいることは忌忌しき事態なのです。各々の記事の是非は各々の条件を考慮して最終的に判断が下されるべきであり、架空の存在に関する記事を作る人をいじめたり差別したりすることは立派に犯罪といって過言ではないのです。互いが互いを尊重しあい、誰も傷つけることがないコミュニティーの姿を尊ぶべきです。--ソレナンテ・エ・ロゲ 2007年5月16日 (水) 05:34 (UTC)
- 架空の事物・人物記事が存在することにもサブカルチャー記事を充実させることにも異存はない。しかし、ちょい役まで商品化されているような現状ではフィギュア等の商品展開をもとに基準を定めることは現実問題困難ではないか。現状で分割の基準が単に文量本位がコンセンサスになっているのは、それが最善の方法となっているため。特にこの項目は現在進行形のものも多く、スタブで項目だけ立てて記事を充実させる手段をとると、結果として記事が成立しないこともありえる。記事量により分割する手段であれば記事が成立しないことはありえない。それだけのこと。--シャルル 2007年5月17日 (木) 14:30 (UTC)
- wikipedia:著名性 (フィクション)を翻訳中なので参考までに―。Sionnach 2007年5月18日 (金) 00:02 (UTC)