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Wikipedia:井戸端/subj/海外のタブロイド紙は出典として有効なのかどうか

海外のタブロイド紙は出典として有効なのかどうか

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ノート:ジョージ・フロイドの死の議論を見て気になったのですが、イギリスのタブロイド紙デイリー・メールについて「記述すること自体は問題ないですが、デイリーメールは英語版で出典使用が禁止されているほど信頼性がありません。」という否定的意見がありました。日本語版においては現状どうなっているのかを試しに調べたところ、デイリー・メールからの引用がロジャー・ムーアコナー・ウィッカムなどで、デイリー・エクスプレスからの引用がスウェーデン民主党ポール・ポッツなどで見受けられます。

井戸端の議論をいくつか見るに、夕刊フジなどのタブロイド紙も出典として許容されているようですが、これら海外のタブロイド紙(申し訳ないのですが、実際に購読したことがないので信頼できるできないをまったく判断できません)についても出典として使うことが可能なのでしょうか。自分が主に編集する分野はこのあたりを情報源とすることが可能性も高いので、どこまで許容されるのか非常に気がかりです。ご意見ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。--(あ)会話2020年6月5日 (金) 19:25 (UTC)[返信]

  • コメント 「ジョージ・フロイド」の件の場合、最大の問題はウィキペディアは新聞ではないによって説明されるでしょう。昨日今日の話題を取り扱おうとしてタブロイドニュースに飛びつくのがダメなんですよ。この件はきっと、ロングスパンの研究対象になって、たとえば1年後ぐらいにじゅうぶん信頼できる総括的な文献や論文がでるでしょう。その時に書けばいいんですよ。
  • たとえば日本で大地震があると、情報が乏しい最初期には「(最大の被害地から遠く離れた場所で)驚いた老人が転んで怪我をした」みたいなニュースが繰り返し報じられたりします。しかしそんなのは歴史的な重要性が高いわけでもなんでもなくて、やがて被害の全貌が明らかになった頃には無視されます。
  • 一般論として「○○だから出典としては一律ダメ」みたいな考え方はできない。常に文脈と使用法によるでしょう。さまざまなこと、「信頼性」「存命人物(WP:BLP)」「中立性」「独自研究」「帰属化」「情報の無差別な収集」などを総合的に考慮する必要があるでしょう。
  • ほかの方が指摘している通り、類似の証言をしている別の情報源が見当たらないような場合には、ふつう、「事実」に関する情報源としては「信頼できない」として取り扱うのがいいでしょう。しかし「評価」に関する情報源としては、「タブロイド紙○○は『○○○○』と評した」のように帰属化して用いることは可。「可」というのは「ダメではない」ぐらいの感じです。帰属化したとしても評価についての記述がそれしかない、となると、ビミョーです。A紙は「これこれ」、B紙は「これこれ」、C紙は「これこれ」のように様々な評価を並べるようなかたちが望ましいと思います。
  • テーマが高いレベルで信頼できる情報源が大いに期待できる分野なのか、芸能人のゴシップみたいにどうせゴシップ誌しか情報源がなさそうな分野なのか、にもよるでしょう。あとはWP:BLPなんかも併せて考えることになります。
  • 使用法でいうと「M氏はXである[タブロイドD紙]」がNGとしても、「タブロイド紙DはM氏がXであると報じた[タブロイドD紙]」だと、「事実」の中身が変わります。ただしこの場合も「それは書くに値するのか」(WP:IINFO)や「執筆者が恣意的に情報源を取捨選択していないか」(独自研究・中立性)、BLPなどの課題は残ります。「タブロイド紙DはM氏がXであると報じた[論文S]」のように第三者言及があるのが理想的です。--柒月例祭会話2020年6月6日 (土) 04:31 (UTC)[返信]
  • コメント 皆様の指摘と同意見ですが蛇足です。Wikipedia:検証可能性の記載は「タブロイド紙は原則ダメ。しかし例外的には許容される場合もある。例えば明らかに事実で、重要性(特筆性)が高いのに、古い話で他の出典がなかなか発見できない場合に、無出典よりはマシなので暫定対応で仕方なく、あるいはタブロイド紙に超スクープ記事が載って、以後は信頼できる大手各紙も追随したという歴史の説明など。しかし原則ダメなのは変わらない。」というように私は理解しています。状況により、段階的なわけです。「タブロイド紙は一律OK、または一律NG」という発想自体がNGと思います。--Rabit gti会話2020年6月6日 (土) 05:07 (UTC)[返信]