Wikipedia:井戸端/subj/複数の文献で担保されていない歴史上の逸話の「○○によれば」はどこまで記述されるべきか。
|
複数の文献で担保されていない歴史上の逸話の「○○によれば」はどこまで記述されるべきか。
[編集]表題について、ウィキペディアでは一般的にどこまで記述すべきかの一般論をお伺いします。 記事はフォッケウルフ Fw190でして、これは私がちょっと前に大幅に加筆・修正したものですが、一部について私が出典を加え、こちらの版[1]までに
「爆弾さえ投棄すればFw190のほうが空戦性能に優れていたため、護衛する側にとっては馬鹿らしい任務だったと言ったエピソードが紹介された文献もあり」 と記述しました。もちろん出典はこの目で確認し、明記しています。ただしこのエピソード、私は記事末尾に示した文献の文献のおおよそ全てに目を通しておりますが、 他の文献で見かけた記憶が無く、ウィキペディアでは一般的に、「○○によれば」だの「・・・としている文献もある」と言う書き方がなされるべきケースと認識しており、が故に上記の様な文章を敢えて採用しました。もちろん「青木によれば・・・」でも全く構わないでしょう。また、もし他に1つでも2つでも情報源が出てくれば有名な逸話として紹介しても良いでしょう。現時点では「軍ヲタであれば常識である」とも「文献により事実であると高度に担保されている」とも言い難い状態であると考えております(それでも残しているのは、将来の加筆修正のためです。この記事はまだ完成していません。除去してしまうのは成長の芽を摘みすぎと思います)。
ところが、この部分、利用者:Gap1氏により書き換えられ、本日現在の版[2]では以下の様になっています。 「爆撃任務を行うF・G型にはBf109の護衛がつく事があったが、Fw190のほうが爆弾を積まない状態の低空性能に優れていたため、護衛する側にとっては馬鹿らしい任務だったという逸話がある」 つまり、「そういう逸話もあるとしている人もいるよ」と言う書き方であったものが、この逸話が事実存在していたと断言形に近いニュアンスに変更されています。私としてはこれは好ましく無い、危険な書き方であると考えています。ただし「特記無き場合信頼性は文献に丸投げ」と言うwikipediaの基礎原則から行けば、間違いとも言い難い。間違っていたら青木氏のせいとなります。なおこの青木茂氏、お名前がユニークではないため調査は難しいものの、複数の文献を上梓なさられている、相応の研究家であると見なしてよいと思います。
さて、Gap1氏の言い分はこうです。 「さらに言えば「そう紹介されている文献もある」形は、はっきり言って異常です。他に参考文献が示されている箇所において、あのような形で書かれているものは、他にありません。」[3]。
そのため私は、「私の書いた記事だけでも、そのジャンルの常識や複数の文献により確度高く事実であると担保されていない部分については○○によれば・・・は多用されており、ウィキペディア全体として特に珍しいものではない」、と言う主旨でご反論申し上げました。もちろん全部の部分にこんなことを書く必要は通常無いが、今回の様なケースは特別であるとも申し上げております。が、ノート:フォッケウルフ Fw190を含め、1週間近くお返事がありません。
この様な、歴史的?な「逸話」の存在や内容について、一般的にはどちらの記述を採用するべきでしょうか?
なお、「地上攻撃任務は通常低空で行われるため、原文において低空性能となっている部分を飛行性能とした所で出典を改竄したとは全く言えない」や「いくらFw190Fが高性能でも敵機に遭遇する度に爆弾を捨てて交戦していたのでは地上攻撃・支援と言う本来不可欠な主任務が果たせない、そのための護衛とみなすべきではないか?ミスリードを防ぐため慎重に書くべきだ」などと言う専門的なお話は、今回問わないものとします(それは、軍の中の人同士でやらないと仕方のない話ですから)。--Hman(会話) 2013年6月27日 (木) 10:00 (UTC)
- Hmanさんの言いたいことはよくわかりますし、考え方も妥当だと思います。
相手の方はWikipedia:言葉を濁さない#基本的ガイドラインを持ち出していますが、そこにも「曖昧なことを断言してはいけません」という注意がありますよね。しかし、一方で「~としている文献もある」という表現には違和感を感じます。「新紀元社が文献か?」という私個人の偏見や、問題部分の前の「任務だったと言った」という表記(私ですらここは平仮名だと思う)からそう思えるのかもしれませんが。学術論文で「文献もある」じゃあまりに大雑把でしょうし(「○○によれば~」ですよね)、かと言って砕いた書き方に「文献」というのもどうかと思います。オリジナルがどう書いてあるか知らないので適切ではないかもしれませんが、私が砕いた書き方にするなら「~馬鹿らしい任務だと考えられていたという説もある」とか「~という逸話もある」のようにすると思います。--uaa(会話) 2013年6月29日 (土) 15:14 (UTC)(修正)投稿ボタン押してから気がついたのですが、Wikipedia:言葉を濁さない#基本的ガイドラインを持ち出したのはHmanさんでしたね。失礼しました。--uaa(会話) 2013年6月29日 (土) 15:34 (UTC)- なるほど、○○によれば~は最も正確にせよ(私は、・・・としている文献もある、は、多分、他の記事でもそれなりに使っています。そんな記憶が・・・。もちろん誰の何と言う分権かは明記しています!)、砕いて書くならそういう感じになりますね。こういう所は、一人で考えていると気付かないものは本当に気付かないもので・・・。ご意見に深く感謝します(なかなかご意見が付かないのでどうしようかと思っていました!)。何分、リライト・構成変更に過ぎないとは言え、一人でがーーーーーーーーーーーーーーーっとやりました記事ですので、テンパっている部分も少なからずあると思います。私の方でも遠い将来に機を見て見直しを行うかもしれませんが、もしお時間とご興味がございましたら、uaa氏におかれましても、ざっと目を通して頂けますと、幸いです。個人的に許された時間内では最善を尽くしましたが、文献・調査・文章ともまだまだこれからの記事でございましょうから。私はもう身を退きましたが、私の書いた部分が不適切であればそれは私の責任。引き続き、よくよく考えてみます。--Hman(会話) 2013年6月29日 (土) 15:40 (UTC)
- 「言葉を濁さない」ようにするのなら、この場合「XXとしている文献もある」でなく、その文献の著者名を挙げて「YはXXと述べている」という形にしたほうがよいのではないでしょうか。このような話では、実際のところ「馬鹿らしい任務だった」と考えていたのが誰だったのか判然としません。フォッケウルフのパイロットだったのか、護衛機のパイロットだったのか、護衛を命じた者だったのか、あるいはその本の著者だったのか。「馬鹿らしい」というのは意見であり、意見を紹介するなら、それが誰のものなのか明らかにしておかなければなりません。従いまして「逸話がある」というのも、すでにおっしゃっているようにまずいですが、「文献もある」「説がある」「逸話もある」も、やはり「言葉を濁さない」ようにはできていないのではないかと思います。やはり元の文献にどのように書かれているのかわからないとなんともいえませんが、たとえば「護衛機のパイロットたちは馬鹿らしい任務であったと考えていた」「(軍事研究家?の)青木茂は、護衛機のパイロットにとっては馬鹿らしい任務であっただろうと述べている」といった文章のほうがよさそうに思います。
- あと本筋とは関係ないですけど、自分より強い・性能の良いモノを護衛することが「馬鹿らしい」とは、一概にはいえないと思います。--Calvero(会話) 2013年7月6日 (土) 06:33 (UTC)
- お返事ありがとうございます。この部分はCalvero氏の曰くところの「護衛機のパイロットたちは馬鹿らしい任務であったと考えていた」らしい、と言う逸話を、青木が紹介していると言うかたちになっております。確かに青木がそう考えているだけだ、との誤読の可能性が拭えませんので、少々改良させて頂きました。ご確認ください。少しは良くなっていると思いますが・・・。青木以外の文献が出てくれば、もう少々構文の選択肢も拡がるのですが、現時点ではこれはなかなか。まったく、モノカキと言うものは難しいものでございます・・・。--Hman(会話) 2013年7月6日 (土) 09:17 (UTC)