Wikipedia:井戸端/subj/超越瞑想への芸能人の称賛・肯定のコメントは掲載すべきでしょうか
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超越瞑想への芸能人の称賛・肯定のコメントは掲載すべきでしょうか
[編集]超越瞑想という記事で、支持者の方の大幅加筆が行われており、中立性の観点から関わっています。その加筆の中に、キャメロン・ディアスなど超越瞑想を行っている有名人の称賛や肯定的意見が書かれているのですが、こういったものを他の補完・代替医療などの記事で見たことがないので、ありなのかなしなのかご意見をいただけないでしょうか。有名人の影響は大きいので、そういった観点からは意味がある気もしますし、宣伝行為にも見えるのでよくないようにも思えます。
また、ありの場合、どの程度ならOKなのでしょうか?社会的な影響が確認される場合、ありという感じになりますか?超越瞑想自体が、カルトや宗教と言われたり、ストレス軽減のための有効な技術と言われたり、かなり微妙な項目なので、ご意見をいただけるとありがたいです。--やまさきなつこ(会話) 2015年7月28日 (火) 15:25 (UTC)
- もう一つ、テレビやニュースから実践している学校などを拾ったり、雑誌のエッセイの肯定的な意見を大きくピックアップされていて、そのあたりも少し違和感があるのですが、出典がある記述なので、問題なしということなのか判断しかねています。肯定ありきで加筆されているので、どこかで線を引く必要があるとは思うのですが。--やまさきなつこ(会話) 2015年7月28日 (火) 15:40 (UTC)
- コメント Wikipedia:信頼できる情報源に照らし合わせ、基準に満たない出典からの記述を削除すべきだと思います。例えばキャメロン・ディアスの記述はYouTubeを出典にしていますが、Wikipediaに掲載する価値のない情報と見受けます。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2015年7月29日 (水) 21:34 (UTC)
- コメント記事全体のバランスからみて、ことさら有名人や実践例を強調しているというものではなく、取り上げられている例も社会的な影響力を持つ有名さ、関わりの深さ、内容との関連性であると思いました。今の記事の「実践者」の節も、とりたてて問題を感じませんでした。ただそのへんは、人によって感覚が違うところなので、記事内でよほどバランスを崩してなければ、ノートで意見交換するのがいいと思います。社会学的な扱いや裁判などでは否定的な情報もあり、主張を事実として書かないような配慮もなされているように思います。超越瞑想は宗教的な側面もあるし、ビートルズやストーンズなども関する社会文化としても大きな影響力を持ったものなので、補完・代替医療とは基本的に別物と思う方がいいんじゃないかなあ。
- キャメロン・ディアスの情報源は、youtubeとはいえDavid Lynch Foundationのチャンネルのようですから、情報源として否定されるものではなく、しかしたとえば本文中に「David Lynch Foundationで公開されている動画の発言で」のような、当事者のメディアによる発信であることを明示するようなことをしたほうがいいかもしれません。情報源として広報・広告的なところに出てきているのか、第三者的情報源で本人の意思として話しているかという区別は必要だと思います。イーストウッドの情報源になってる動画は、出所としてどうかなってところもありますが、同じような発言は探せば違う情報源で出てくるんじゃないかなとも思います。——以上の署名の無いコメントは、Ks aka 98(ノート・履歴)さんが 2015年7月31日 (金) 11:44(UTC) に投稿したものです(禁樹なずな(会話) 2015年7月31日 (金) 11:49 (UTC)による付記)。
- ご意見ありがとうございます。バランスとしては多くないのですが、出典がどうなのかというのと、あと「効能&有名人のコメント」というのが、テレビショッピングっぽくて気になっていました。また、瞑想療法は、エビデンス的には研究はまだまだ途中なのですが、賛同者の方が、いい結果のもののみをどんどんピックアップして追加し続けていること、「超越瞑想はもうカルトではない」という記事をピックアップして、現在の評価の代表であるかのように書いていること、学校などでの採用を列挙していることも気になっています。あと加筆者から、「超越瞑想は、最近では疑似科学的なことは表に出さない宣伝戦略なので、それに合わないものは記事から消すべき。そもそも疑似科学をウィキペディアにのせる方がおかしい。誤解をまねく。」という苦言をいただいています。しかし、公式サイトにも、「超越瞑想をすれば自然の支援を受けてラッキーになる」などの疑似科学的な論がふつうに掲載されており、またある団体の宣伝戦略にウィキペディアの記事を合わせるべきという提案は受け入れがたいです。私としては、記事から疑似科学的な面を省く必要はなく、この提案はウィキペディアの理念に反するのではないかと考えています。現在加筆者と1回1のやり取りで、信者対懐疑論者の言い争いのようになってしまっているので(記事が正確・中立になれば、それでいいのですが)、お時間のある時にノートに多くの方のご意見をいただけるとありがたいです。--やまさきなつこ(会話) 2015年7月31日 (金) 12:32 (UTC)