Wikipedia:井戸端/subj/wikipediaについての質問
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wikipediaについての質問
[編集]こんにちは。 私は大学で情報科学を学び、授業で Global Collaborationについて調べています。 大変お手数ではありますが、授業の参考にさせて頂きたいので、 いくつか質問に答えていただけないでしょうか?
1,なぜここまでwikipediaが有名になったと思いますか?
2,今後改善してほしいことはありますか?
3,誰でも編集できることいついてどう思いますか?
よろしくお願い致します。 --Ojsmbyc 2011年12月5日 (月) 02:59 (UTC)
- コメントなんというか…ここで質問しても「利用者(登録ユーザー)の視点」でしか答えが返ってこないように思いますが、設問はどちらかというと…な感じがしないでもなく、故に得られる回答は「無責任な放言(ないし便所の落書き的なもの)」を超えるものでもないような。ただ、それでもいいというなら、市井の暇人の私的な見解として。
1:規模(記事数と各々の記事に書かれた内容の量)の問題と世界規模のプロジェクトというネームバリュー、ついでに(ちょっと無責任な)マスメディアの便乗…とか?また、記事を構築するというのは実のところとして「娯楽(ないし趣味)として成立しうる」がために暇人の知的な遊びに供されているが故に「放っておいても内容は充実しうる」上に、WP:POL以下のガイドラインをまじめに解釈し本気で百科事典を有象無象のマンパワーで構築できると考える楽観主義者(たち)によって常に「記事を百科事典的たらしめようとする淘汰圧力」が働くことによって無制限に放埓な状態にならずに「一応実用的な内容」(いわゆる「信頼される百科事典」の水準・誰にとってかは議論の余地があるが)が維持されているためなんじゃないかなー…とか思うわけです。
2:現状では成長期から維持期に入った記事も多く、成長期では許容された「不確かだが妥当な内容であるために看過されてきた内容や利用者の行動・態度」が、維持期においてはマイナスに働く場合もあり、逆に成長期にある記事では維持期における処遇と同じ対応をすれば混乱しか招かず、少なからぬマンパワーを浪費しているように感じるのがなんとも。また、主要な記事(一般的な百科事典に掲載されているような項目)と通俗的な記事、あるいはメインカルチャー分野とサブカルチャー分野のそれぞれの記事、または国語辞典に載っているような言葉が示す概念と俗語における意味や概念を扱ったそれぞれの記事において、それぞれ前者はきっちりかっちり杓子定規にまとめられている必要があるのに不確かな・あるいは記述者の価値観を如実に反映した偏った記述が長々と放り込まれていて記事をスポイル(余事脱線が記事全体の大半を占める)していることも多々あるし、後者のような記事で狭量に(あるいはある利用者の価値観で受け入れられないがために)記事を批判的に弄り回して内容をスポイル(説明が断片化し記事主体の説明から逸脱した瑣末な箇所だけが残されるなど)、どちらにせよ百科事典として記事主題の説明を損なっている利用者が強行に排除しにくいことをもって若干名もぐりこんでのたうってんのも如何ともしがたく。まあ、「真に百科事典的な説明に何が必要なのか」を老成といわないまでも熟達した分別ある判断で記事に接する利用者が相対的に増えれば、いずれ改善されていく問題だとは思いますが、そこんところ志の高い有志を募り惹きつける要素が必要でしょうかねえ…(嘆息)
3:誰にでも編集は可能だけれども、百科事典を作るという意識(各々のガイドラインは「百科事典を作る」という趣旨に沿って構築されているわけですが)のない利用者がお断りされるのが常なので、「誰にでも編集はできるが誰でも記事を百科事典的足らしめられる訳ではない」(資質と志の問題か)との言葉を示したいところです。
以上、だらだら~っと。--夜飛(話/歴) 2011年12月5日 (月) 10:15 (UTC) - コメントGlobal Collaborationとやらに関して無知なのですが、語感から察するに、どうもWikipediaとはあまり関係の無い(≒関連性の薄い)概念のような気がします。Wikipediaは確かに世界各国語版が存在する「グローバルな」百科事典に見えるかも知れませんが、実際には各国語版別にほぼ独立して運営/編纂されている「各国語版ローカルな」百科事典の集合体です。またコラボレーションの中心たる「百科事典」という面では、ジミーウェルズとWikiMedia財団が牽引する五本の柱があってのものです。コラボレーションとして特筆するグローバル性があるわけではありません。その証左として、Wikipediaはコピーフリーなライセンスでありながら、その複製から派生した「ジミーウェルズとWikiMedia財団が牽引する五本の柱に拠らない」オンライン百科事典の編纂プロジェクトはぶっちゃけ上手くいっていません。Wikipediaの成功に於いて特筆すべきは五本の柱であって、その他の何者でもない(無論私にはバズワードにしか見えない概念に拠るものではない)と考えます。もう少し、WikipediaとGlobal Collaborationとやらとの関係について考えてからでなければ「有意な何か」を発見することは難しいのではないかと思います。
- 1. Googleの検索順位(到達可能性の高さ)と、内容の質(百科事典として適切/中立的な観点)と量(扱う分野の広さ)に拠るものと考えます。これは広告宣伝のAIDMAの最初のAに相当するものでしょう。
- 2. 特には。Wikipediaでは、改善して欲しいことは改善されていくものです。
- 3. 特に何も。敢えて言うなら試供品の無料配布同様、数を取る(=優勢になる)には悪くない戦略だと思います。試供品よりもコストが掛からないですしね。ですがこれはOjsmbyc氏が聞きたかった答えとは異なるのではないかと思います。もう少し授業を真面目に聞いて、質問すべき内容に関して再考した方が良いのではないでしょうか。例えば「専門知識を持たないス素人が専門家の振りして百科事典の編纂に参加しWikipediaの素晴らしい記事を穢していくことをどう思いますか」のような感じで。「誰でも編集できること」に関してだけでも、何通りもの主題(テーマ)が想定出来ます。もしも「グローバル=誰でも」と連想したのであれば、Wikipediaでの「誰でも」はグローバルとして語られる際の「誰でも」とは異なる概念であることに留意した方が良いと思います。グローバルとして語られる際の「誰でも」は、国家信教性別、或いは専門分野等の垣根を越えて、という意味での「誰でも」であり、Wikipediaでの「誰でも」は「荒らしや迷惑行為をするかも知れない身元不明の」です。前者はパスポートや特定分野の知識を必要とするかも知れませんが、後者はいづれも必要としないことの表明であるという差異があります。Global Collaborationとやらが「先ほど駅前を歩いていた買い物籠を提げたオバチャン」や「昨日アフリカでボランティアに助けられ餓死を免れた老人」を「誰でも」に含めているのでない限り、Wikipediaでの「誰でも」とは異なる概念です。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2011年12月6日 (火) 05:46 (UTC)
- 横文字が苦手な所為で長くなりましたが、Wikipediaでの「誰でも」はGlobalではなくAnonymousです、と言えば済む話だったかも知れません。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年12月6日 (火) 06:16 (UTC)
- コメントまずGlobalについていうと、ここではこれは「国/State」の対概念ではないですね。ここでは「日本語」が使われていますが、編集で注意されるのは、「日本国(民)のための記述」ではなく、世界でどこにいても「日本語がわかる人のための記述」です。規模でいえば、国家を形成していないカタルーニャ語は大きいコミュニティですし、エスペラントもそうですね。
- 1. 現実にはGoogle検索との親和性は大ですね。そして、wikiを使ったサイトは世間にいっぱいあるのに、wikiというとWikimedia財団のwikipediaを連想させてしまうという、トップにいる効果もあるでしょう。
- 2. 編集上は、検証可能性の源泉を、他言語版の記事の他言語の文献から楽にとれると良いと思います。(編集をされたことがないと分からないと思いますが、他言語版の記事を翻訳することは可能ですが、単に他言語版のウィキペディアにあるだけでは根拠は不十分です)。
- 3. インターネットによって初めて実現可能になったことです。まだ「壮大な実験」のフェーズでしょう。これによって、サブカルチャー的な記事の集積が本格的にできるようになったことは評価したいと思いますが、一方では、著作権無視の書き込み、根拠不十分なことがらの書き込みに対処する努力はちょっとむなしい気もします。--Sibazyun 2011年12月6日 (火) 07:02 (UTC)
- コメント 学校のレポートのネタをこんな場所で得るのは反則(モラルの問題)と思いますが、単にGlobal Collaborationという意味であれば、多くのオープンソースプロジェクトと同様、ウィキペディアはその典型例かとは思います。「各言語版」はありますが、「各国版」ではなく、各言語間で多くのガイドや記事が相互参照され、翻訳や他言語版への参加も推奨されています(日本語版では誤解も多いようですが)。ただCollaborationのレベルが適切どうかは、どうあるべきかの立場により、議論百出とは思います。--Rabit gti 2011年12月8日 (木) 15:15 (UTC)