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Wikipedia:執筆コンテスト/第七回執筆コンテスト/コメント

第七回執筆コンテスト
第七回執筆コンテスト
第七回執筆コンテスト
第七回執筆コンテスト
第七回執筆コンテスト

ここは、第七回執筆コンテストにエントリーされた記事について、審査員、執筆者、コメンテーターが自由闊達に意見を交換する空間です。5月29日から6月11日(日本時間)の間、積極的な意見交換を期待したいと思います。なお、本コンテストにおけるコメント付与期間が過ぎた以降についても、コメントを思い立ちましたら随時、遠慮なく、コメントを追加してくださっても結構です。そのほうが記事の充実につながると思います。サロン的な場所として、ご利用ください。

分野A

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  • (審査員コメント) 古典的な司法制度についての貴重な項目だと思います。記事構成について、「概要」節は、その後に具体的・詳細な説明があるときに、ここだけ読んでもあらましを把握できるよう前段に置くもので、後に詳述しない場合は「概要」としない方がよいと思います。内容はコンパクトにまとまっていますが、全体に説明不足を感じます。いくつか挙げると、古代ギリシア時代とありますが、西暦で何年頃導入され、何年頃まで続いたのか、歴史的意義として、古代アテナイで果たした役割だけでなく、その後の司法制度にどのように影響したのか、「裁判の各段階」という記述があるのですが、実際にどのような段階があったのか、画像にある投票用具が実際にどのように活用されたかなど、述べてあるとわかりやすく、より面白くなると思います。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)概要自体はよく書けていて分かりやすかったです。ただ、みっちさんの指摘とも重なりますが、具体的な時期への言及が2箇所しかないのは、歴史的な用語の説明として少し漠然としすぎているように感じましたし、それが結局の所、興味がわいたことに対してちょっと物足りないというか、もう少し読みたかったと思うことにもつながりました。まあ、この点は百科事典の記事はあくまでも「入り口」であって、より詳しくは挙げられている文献を参照すべしというスタンスもあろうかとは思いますが。その掘り下げの話ともつながりますが、選出されるのが「素人同然」という話は、後の「問題点」の方と結びつく話だと思いますので、一言で片付けるのではなく、そこで膨らませるか、あるいは後の方に回してしまうほうが良いようには感じました。あと、個人的な要望みたいなものですが、英語版のようにソクラテスの事例などの有名な事例について、この記事でももう少し膨らませて紹介するようにすると、記事に幅が出るようになるとともに読者もより具体的な様子がつかみやすくなるのではないかと感じました。--Sumaru 2011年6月5日 (日) 04:03 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)古代ギリシャの司法制度の概要としてはポイントが抑えられていて分かりやすかったですが、題材が非常に面白く興味を掻き立てられるだけにもっと広く深い説明が欲しいかなと思いました。古代ギリシャの裁判制度に関連して、リュシアスら法廷弁論の代作を生業とする弁論家や弁論術に関する話題や、民衆裁判所と同じくアテナイ市民にとって裁判の両輪であった仲裁裁判などにも触れられるとよいのではないかと思いました。古代ギリシャに関する文献は日本語文献に限っても多くあるでしょうし、突き詰めればいくらでも書けることはある題材だと思います。さらなる加筆を期待しています。--重陽 2011年6月5日 (日) 05:47 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)おそらく、記事の加筆が途中で止まったことから、脚注や参考文献の整備に至らなかった点がもったいなかったと思います。今後の加筆の方向性としては、縦糸に古代ギリシアにおける陪審制度に対しての議論、横糸に古代ギリシアの社会・経済の歴史等を交えていくと深みを増す記事になるかと思います。問題は、どのような資料を渉猟するかという点にかかってくるかと思います。--Tantal 2011年6月5日 (日) 05:56 (UTC)[返信]
  • (コメント)面白い題材を選ばれたと思います。ただ皆さんのコメントにあるように、いかんせん掘り下げ不足の感は否めません。今後様々な視点からの参考文献を用いた加筆に期待したいと思います。--のりまき 2011年6月11日 (土) 10:03 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆お疲れ様でした。この記事を執筆するには単に民衆裁判所の仕組みについて理解するのみならず、古代ギリシアの法文化や社会情勢をも理解する必要があるはずで、かなり難しいテーマだと感じます。記事のサイズはまだ5000バイトを下回っていますので、よろしければ次回の再エントリーもご検討ください。--Pastern 2011年6月11日 (土) 16:51 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)執筆たいへんお疲れさまでした。「日本一愛知の会」は近年、党勢を急拡大してきた地域政党の中にあっても、一際注目を浴びているひとつであり、大いに興味を持って読ませていただきました。概略を簡潔にまとめられている点、他政党との関係を事実に即して列挙されている点が、当記事の大きな魅力でしょう。さて、「日本一愛知の会」は、同じ愛知県内の首長政党である「減税日本」と強固な結びつきがある一方、二つの団体が同様に受け入れられているわけではない点について注目しております。
    • 「2011年に行われた愛知県議会選挙(における結果が)名古屋市議会選挙で躍進した勢いを借りた減税日本とは対照的になった」そのポイントはどこにあったか。
    • 「減税日本とは政策を共有し、連携関係にある」のは、具体的にどういう点か。
    • 「あくまで大村支持であることを打ち出し、河村を賛同していない声もある」人がいるのはなぜか。
    • どういう観点から「中京都構想に関しては(両団体の間に)温度差があるとされている」のか。
ややもすれば独自研究に陥る恐れはあるものの、もう少しこのあたりの記述があれば「日本一愛知の会」独自の魅力が一層伝わるのではないかと思いました。ともあれ、文章が明瞭だったのは好印象です。今後の記事の展開に期待いたしたいと思います。--もかめーる 2011年6月1日 (水) 14:16 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 発足して間もない日本の地域政党の項目。時事問題を扱う場合は、出典となる報道の客観性と特筆性に注意する必要があると思いますが、この点ではあまり不満を感じませんでした。ただ、あちこちから引っ張ってきているためか、まとまりの点でもうひとつな感があります。構成としては、まだ歴史の浅い政党であることから、「歴史」の節をなくして概要と沿革に振り分けた方がいいのではないかと感じました。「政策」は、政党記事の場合とくに重要であり、党の主張だけでなく、位置づけや批判などについてもある程度言及して欲しいと思います。文章上、注意して欲しいのが議会の勢力図や各政党との関係で、「同党」、「党員」、「離反」、「歩み寄り」などの表現がどの党のことでどの党視点なのか判断に迷うところが数カ所あります。日本人以外が読んでもとまどうことのないよう、主語を明確にするとよいかもしれません。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆お疲れ様でした。文章が読みやすく、出典を丁寧に示している点に好印象を覚えました。まだできたばかりの政党で評価が定まっていないところがあり、その点で執筆できることにどうしても限界があるという点でなかなか難しいテーマだったのではないかと思います(歴史的な評価がある程度定まっている政党やグループについてアレックスさんが執筆された記事も読んでみたい気がします)。記事に対する要望としては、選挙絡みの話題ではやはり当落のことが気になります。たとえば筒井隆弥議員を巡る動き、選挙戦はどういう結果に終わったのか、という点について、(脚注で触れるなど)何らかのフォローがあればより楽しんで読めるのではないかと思いました。--Pastern 2011年6月3日 (金) 15:42 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)出典を元に丁寧に記述を積み上げられた記事であり、非常に丁寧に作られていると感じました。立ち上げられたばかりのまだ選挙も少ししか経験していない政党であり、難しい執筆だったのではなかったかと思いますが、良い記事に仕上がっていると思います。付け加えるならば、歴史節では、大村が自民党を除名となった辺りから政党結成に至るまでの前史があれば理解がより深まるのではないかと思いました。また、政党の核は政策であると思いますし、政策を箇条書きで並べるのではなく地の文で記述し、それに対する反応や評価等も記述されている方がよいように思いました。また、詳細として政党のマニフェストの外部リンクへ誘導するのは少し疑問に感じました。他では、主要な支持層・支持団体などの話題にも触れられると更なる理解につながるのではないでしょうか。--重陽 2011年6月5日 (日) 06:37 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)コメントを頂いた皆様には感謝申し上げます。政策については正直まとめられたものがない(公式サイトくらいしかない)ので、正直あそこまでが限界でした。あとは多岐にわたっているので、どれを抽出すべきかで迷ったので、とりあえずメインになっている物を抜き出して、詳細はリンクさせました。このあたりは正直力不足です。恐らく自民系の出身者が多いので保守政党の流れをくんでいるものと思いますが、決め手がありません。
  • 『「同党」、「党員」、「離反」、「歩み寄り」などの表現がどの党のことでどの党視点なのか判断に迷うところ』に関しては主語と対象相手を加えました。基本愛知の会を主にしたつもりでしたが、伝わっていなかったようです。申し訳ありません。
  • その他指摘された部分は自分なりに加えたりしましたが、独自研究・未来予測などでほとんど差し戻され、にっちもさっちもいかない状況です。政治的分野の書き込みには本当に神経を使わされるものだと改めて難儀しています。これだけ厳しいと、その分野の書き手が一定の人(ないしは思想)のみになってしまわないか不安でもあります。もう少し追記しようと思いますが、正直心が折れています。すいません、最後が愚痴っぽくなりました・・・。--アレックス 2011年6月6日 (月) 15:38 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)まずは執筆お疲れ様です。途中で東日本大震災があっただけに、なかなかまとめるのが難しかった時事問題だったと思います。そういった中で、出典を丁寧に確保していらっしゃる点は時事問題を取り扱う記事の中の見本になるかと思います。ただ、いかんせん、一定の評価がまだ、下せないだけに、コンテストに参加する記事としてはやや不向きな分野だったかもしれません。お疲れ様です。--Tantal 2011年6月7日 (火) 12:22 (UTC)[返信]
  • (コメント)良くまとまっていると思います。まんがかぞくもそうですが、アレックスさんはホットな事物を上手くまとめるのに長けていると感じました。私はどうも苦手で、やっぱり人には得手不得手があるものだなあと痛感します。ただ最近の事物はやはり客観的な評価を行なっている文献が不足してしまうため、Tantalさんもおっしゃられているようにコンテストにはあまり向いていないと思います。--のりまき 2011年6月11日 (土) 11:13 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 幅広い方面をカバーした構成・文章に加えて、多くの美しい画像により、華やかな印象を与える記事となっています。百科事典として十分な内容であり、個々の説明も簡潔ながら要を得ていると思います。あえていうならば、各分野の解説を横糸とすれば縦糸とでもいうのか、鎌倉文化の位置づけと推移が理解できるようなキーワードがもう少しあれば、と思います。具体的には、「概要」節の後半で触れられた内容を「特徴」として補強する、といった案が思い浮かびます。また、服飾などに一部記述があるものの、風俗など庶民生活のレベルへの言及が少ないようにも感じますが、無い物ねだりなのかもしれません。以下は個人的な質問です。思想的な動向として、平安後期の貴族社会から武家による支配への変遷は、末法思想から無常観へという経過と結びついているようにも思われるのですが、こうした歴史の流れ・ダイナミズムの観点からとらえた研究はあるでしょうか。あと、大陸との交流関係ではこのころも「移入」一辺倒だったのでしょうか。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)大学受験で日本史を選択したときの記憶から、「文化史」はとっつきにくく、理屈もへったくれもなく丸暗記するというイメージがよぎるのですが(笑)、そういうイメージからかけ離れた、読んで面白く、また分かりやすい概説だったと思います。最初に読んだ時に、仏教の動向、建築の一部、彫刻の一部など、仏教関係の量が多い割に散っている印象があり、もう少しまとめられないものかとも思ったのですが、もちろんそれだとバランスが崩れますし、具体的な対案がどうしても浮かばないので、構成自体もよく練られていると感じました。ただ、細かい点で一点だけ。手許の山川の『日本史小事典』では、武家造という建築様式は否定されており、武家造の記事でも独立した建築様式としての実在性について否定的に述べられています。しかし、記事にはその辺のフォローがなく、武家造の節には脚注自体も全くなかったのが、少し引っかかりました。私の場合、大学・大学院時代にやっていたのは西洋史でしたし、日本史研究の動向には疎いので、『日本史小事典』の記述が学会の主流を反映しているとは限らないのかもしれませんが、その辺、もう少し補足説明があると有難いかと思いました。--Sumaru 2011年6月5日 (日) 04:03 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)多数の画像と読みやすい文章によって、長大な記事でありながら理解しやすくスラスラと読める力作に感じました。ただ、全体のバランスとしてSumaruさんが述べられているように仏教関係の記述が重たいように感じました。例えば東大寺・興福寺の再建節などは、確かに重要なイベントなのでしょうが、鎌倉文化全体の文脈としては記事分量の配分的に偏重してるように感じますし、{{main}}などを使って詳細な説明は他の記事に譲って、本文自体はもう少し簡潔にしておくと読みやすいのではないかと思いました。また、彫刻や絵画の節では多数の作品が列挙されていますが、もう少し当時の作風を代表する数点に絞ってその分各作品に関して深く解説した方が、鎌倉文化に対する理解を深めるにはよりよいのではないかと感じました。文化という側面においてほぼ余すところなく網羅されているように感じますが、みっちさんも述べられていますが当時の食文化や庶民の生活などのいわゆる「俗」な文化にも触れられるともっと面白いものになるのではないかと思いました。--重陽 2011年6月5日 (日) 22:25 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)鎌倉時代の文化を丁寧に描写した記事であると思います。みっちさんや重陽さんの言うとおり、あとは食文化に関する言及がもう少しあればよかったか。日本料理、日本酒あたりにヒントがあるような気がします。『喫茶養生記』についての言及があったので、言及していないとは言いませんが。後、もう少し、刀剣についての言及がほしい。陶磁器や漆器などの工芸品と比較してもやや内容が薄い気がします。あと、脚注の使い方について。たとえば、『金槐和歌集』のところに、脚注をつけていますが、ここの脚注は、はっきり言って不要。実朝が書いた和歌集のタイトルがどうして、金槐となったのかはその該当記事を読めば分かるはずで、本当に必要な脚注と不要な脚注の区別ができていない感を受けます(鎌倉文化vs金槐和歌集の関係は、イスラーム建築vsアヤソフィアみたいなものでしょう)。文章中に盛り込めるのであれば、徹底的に盛り込んでしまったほうがいいです。--Tantal 2011年6月11日 (土) 10:52 (UTC)[返信]
  • (コメント)鎌倉時代の文化について、多方面から記述した意欲的な内容で、美しい写真も魅力的で基本的にレベルの高い記事であると思います。ただ他の方もコメントされていますが、バランスが悪い印象は否めません。特に私が気になったのが彫刻の慶派の記述は他の部分と比べて詳細に過ぎると思います。またこれは時間があるときに私が修正を行なうつもりですが、勅撰集の項のところで「定家のあとは、彼の歌風をまねるだけで、京都の歌壇は停滞を余儀なくされた。」とする記述は、土岐善麿折口信夫らによって京極為兼伏見天皇が主導した京極派の再評価が進められ、高く評価する意見がある点を無視しており、極めて守備範囲の広い記事なので困難なことはよくわかるのですが、どうも細かい面への気配りがおろそかになっている点が見られること気になります。--のりまき 2011年6月11日 (土) 11:30 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆お疲れさまでした。まずはこのような大きなテーマに挑まれたChokorinさんに敬意を表します。大きなテーマの記事ですと、本記事の中で触れるべき事柄と他の記事に譲るべき記述をどのようにして分けるかが非常に難しくなると思います。問題は他の記事に委ねようにもそれがあまりに品質の低い記事ですと、結局は本記事の中で記述せざるを得ない点ではないでしょうか。しかも本記事の記述を詳細にし過ぎるとバランスが悪くなってしまう恐れがあるでしょうし…関連記事も併せて整備するというのがベストなのでしょうが、その場合一つの記事を書くのに膨大な時間と手間がかかることになります。個人的には、記述が詳細・膨大過ぎるという批判を覚悟の上で本記事に記述せざるを得ないというのがWikipedia日本語版の現状ではないかと思います。文章は大変読みやすかったです。内容面では建築関連で難しさを感じました。建築について詳細にかつわかりやすく記述することの難しさは理解しているつもりですが、「大仏様」節の出だしから挿肘木、遊離尾垂木、皿斗といった馴染みのない用語が解説なしで立て続けに登場するのはやはり厳しいです。挿肘木については読み進むと東大寺南大門のところで解説されるのですが、やはり初めて登場した時に解説をした方がわかりやすいと思います。桟唐戸についても同様の感想を持ちました。また、~とされている、~とされる、考えられる、感じられるといった表現は独自研究ととられるおそれがあり、それを回避するために脚注を用いて出典を示したほうがいいと思います。--Pastern 2011年6月11日 (土) 16:09 (UTC)[返信]
(執筆者コメント)みなさま、たいへん丁寧にお読みくださり、ありがとうございました。御指摘の点は、みな肯ける点ばかりで、行き届かない点が多く、申し訳なく思います。追々修正していきたいと思っておりますが、時間はかかると思います。加筆修正してくださった方々には、この場をお借りして感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。--Chokorin 2011年6月12日 (日) 17:24 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)執筆たいへんお疲れさまでした。旧ポルトガル植民地であったモザンビーク共和国の歴史を捉える上で、当記事は必要不可欠なもの。当時における国内事情が詳細に記されており、興味深く熟読いたし、学ばせていただきました。内容そのものについては、私はただ勉強させていただいた限りです。ただ、大きな記事であるがゆえに、いくつかの手を加えれば、さらに読みやすくなるといえるかもしれません。以下に私の考えるままに列挙いたしました。ご参考いただければ幸いに存じます。
    • 1 概要3.3 エドゥアルド・モンドラーネの暗殺は、それぞれ一項目一段落で構成されています。ある程度の文章量だけに、改行を適宜入れられてはいかがでしょうか。
    • 3.1 モンドラーネの反乱 (1964–69)項目中の下記文章について、若干の推敲が必要かもしれません。
      • 「独立の可能性はポルトガル軍に対する軍事的勝利ではなく、住民によって交渉によるリスボンからの独立を勝ち取るにあると考えられていた。」
      • 「こうした紛争の形態はフランス軍やアメリカ軍に対するしてベトナムで行われた紛争(インドシナ戦争・ベトナム戦争)でも見られたものであり、反乱勢力は地雷を併用してポルトガル軍の被害を大きく拡げ、部隊の施設に機能障害を与え、兵員の士気を低下させた。」
    • 3.4 戦争の継続 (1969–74)は、項目中の「アリアガ准将による戦略」「特殊部隊の説明」「FRELIMOのゲリラ展開」「ポルトガル軍の作戦行動と、戦略の転換、苦戦への流れ」について、必要に応じ小項目を立てるなどして情報を整理されると、より分かりやすくなるのではないかと感じました。
--もかめーる 2011年6月2日 (木) 13:41 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 構成的には必要な事項が整備されていると感じます。画像も現地の雰囲気が伝わるものでした。しかし、いかんせん日本語の文章として非常に読みにくく、このことが項目全体に影響しています。アップの際に一度音読してみる、というような手はいかがでしょうか。「概要」節を例に取ると、個々の文章の問題に加え、戦争の経過はわずかで、バランス的に背景やポルトガル本国の「カーネーション革命」に関する記述の方が多いため、モザンビークというよりむしろ「ポルトガルの植民地戦争」の概要になってしまっているということがあります。以下、質問・疑問箇所です。テンプレート内の数値について、解放戦線側の「被害者数」が「戦力」より多いのはどう解釈するものでしょうか。「ポルトガル植民地戦争期間中の軍事費の増大を表すグラフ」については、ポルトガルのデータかと思いますが、国名がなく発表元・掲載元の表示もほしいところです。また、同グラフ中の通常軍事費、「特別」軍事費の違いがわかりません。ウェブサイトについて閲覧日が記載されていますが、翻訳ではなく外国語文献やサイトに直接当たって書き起こされたということでしょうか。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)執筆お疲れ様でした。モザンビークがいかに独立を勝ち取っていったかを時代順に上手く追いかけていると思います。ただ他の方も仰っているとおり、どうしても文章に硬さが垣間見えます(国際情勢(世界史)を語る上で仕方のない部分ではありますが・・・)。この手の分野は嫌いじゃない(むしろ好物)な私でも理解に苦しむところがありました。ゲリラ戦の起こったところや侵攻ルート、経緯を図面や年表にまとめてくれるとありがたいです。詳細は以下の通りです。
    • 独立までの簡単な経緯・年表
    • モザンビーク解放戦線の主な侵攻ルート・ゲリラ活動場所(あれば図面掲載希望)
    • カホラ・バッサダムの場所(あれば地図掲載希望)←英語版のリンクでも構いません(場所はそこから調べました)
  • もう一つは、モザンビーク共和国#歴史では第二次世界大戦後~モザンビーク解放戦線結成までの間に、様々な事象(表向きは対等で積極的な開発が行われていたものの、実質は宗主国であるポルトガルの地位が極めて高く、かつ国内労働者ではなく出稼ぎ労働者で国内経済を回していたこと)が起こっており、(恐らく)それらの件がきっかけでモザンビーク解放戦線が結成されたような書かれ方がなされていますが、この記事ではそれが触れられていないのはなぜなのかが気になります。
  • あとは多くの血を流されたのにもかかわらず、なぜまた血みどろの内戦になったのかの経緯ももう少し踏み込んでもらえるとよかったかもしれません(欲を言えば、次のモザンビーク内戦に繋がるふうにすると面白いかもしれません)。急激な社会主義政策の失敗と宗主国の培ったシステムや人材を有効利用しなかった(できなかった)のが大きな原因だと思いますが、いかがなところなんでしょう。なお、軍事面に関しては専門外なのでノーコメントで。--アレックス 2011年6月3日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆お疲れさまでした。テーマに関してまったく知識がなくても理解しやすい記事でした。ただ、ところどころ理解しにくい文章がありました。とりわけ「ポルトガルにおけるグラディオ機構(イタリア語: Organizzazione Gladio)のような並列部隊(英語: Stay-behind)であるアギンター・プレス」(「エドゥアルド・モンドラーネの暗殺」節)は意味がよくわからなかったです。また、「戦略の転換 (1972–74)」という節名や同節の「報告によれば、1972年12月16日、テテから約30km離れたウィリヤム(Wiriyamu)村の村民を殺害されている。」という表現は、ポルトガル側に立っており、中立性を欠くところがあるように感じました。最後に内容に関連して質問ですが、この戦争では多くの地雷が使用されたようです。終戦後、地中に残された地雷による被害に国民が苦しめられるということはなかったでしょうか?--Pastern 2011年6月10日 (金) 17:38 (UTC)[返信]
  • (コメント)日本ではあまり注目されているとは言い難いモザンビークの歴史について、ここまで深耕された記事を読むことができて大変に嬉しく思いました。良く調べられまとまっていると思うのですが、気になった点としてはポルトガルのサラザール首相、そしてサラザールの後継者であるカエターノ首相による保守権威主義的な(というよりファシズムとの親和性が強い)エスタド・ノヴォ体制が植民地維持に固執したという、ポルトガル側の事情についてももう少し触れた方が良いのかなという印象を持ちました。そのあたりの事情はポルトガルの植民地戦争で紹介されていますが、当記事でももう少し記述があって良いような気がします。ご検討いただければ幸いです。--のりまき 2011年6月11日 (土) 09:53 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)文章については特段、不満はなく、モザンビーク独立までを丁寧に追いかけている記事だと思います。今後の期待は、現在、赤リンクになっているモザンビーク内戦の執筆です。よろしくお願いします。あと、脚注で使われている日本語文献が参考文献に載っていないようですので、脚注・参考文献の再整備をしてください。--Tantal 2011年6月11日 (土) 11:11 (UTC)[返信]
  • (執筆者回答)
    • (もかめーるさんへのご回答)ご指摘ありがとうございます。推敲が必要とご指摘の文章について、修正を加えました。また、「戦争の継続」節を複数の節に分割しました。
    • (みっちさんへのご回答)ご指導ありがとうございます。厳然たる締切があり、校正者の存在しない作業のため、至らぬところがあったことをお詫びいたします。、解放戦線側の「被害者数」が「戦力」を上回っている点ですが、被害者数は10年以上に及ぶ紛争中の延べ人数です。また、ウェブサイトの閲覧日ですが、これは記述を確認した年月日になります。英語版にあるものについては私が確認した日であり、追加したものについては(外国語であっても)直接あたって書き起こしたものになります。
    • (アレックスさんへのご回答)ねぎらっていただきありがとうございます。英語版で目立った流れを分断する軍事・兵器マニア的記述を別置し、POVの強い記述について除去したり、前提を付記したりすることで手いっぱいになってしまいました。「ポルトガルの地位が極めて高く、かつ国内労働者ではなく出稼ぎ労働者で国内経済を回していた」件についてですが、モザンビーク人の多くが西洋型の高等教育を受けておらず、全く違う文化習慣のため接点がなく、英領等でイギリス式の教育を受けたアフリカ人の方が雇用側にとって使いやすかったためという点は否めません。多くのモザンビーク人はこうした状況に対して政治的無関心であり、政治的自覚をもった層はほどなく国外に追放され、この国外での追放モザンビーク人コミュニティからFRELIMOが生まれたと考えます。アフリカ式社会主義を強力に推し進めたタンザニアで結成されたのも象徴的と言えるでしょう。こうして国外で培われた解放分子がモザンビーク国内で宣伝活動を行った結果、国内の労働者層に浸透したと考えています。モザンビーク内戦については御迷惑でなければいずれ執筆するかもしれません。
    • (Pasternさんへのご回答)ご指摘ありがとうございます。よもやグラディオ機構並列部隊といった項目が赤リンクだとは思わなかったものですから、残り時間不足でそこまで手が回りませんでした。お詫び申し上げます。「報告によれば、1972年12月16日、テテから約30km離れたウィリヤム(Wiriyamu)村の村民を殺害されている。」という表現がポルトガル寄りとのご指摘ですが、この殺害行為はポルトガル兵によるものと言われており、むしろ解放勢力寄りの表現であると考えています。ポルトガル側の資料については時間内に探し当てられませんでした。お詫びいたします。また地雷関係ですが、この後に引き続きモザンビーク内戦が起き、そこでも地雷が多く使用されていたため、地雷問題についてはこの項目で語ることは難しいと考えています。いずれモザンビーク内戦等の記事を執筆する際に調査を行うかもしれません。
    • (のりまきさんへご回答)コメントありがとうございます。どちらかというとカーネーション革命後スピノラ大統領が植民地の保持を模索した点を加筆しようと考えていましたが、いずれも時間切れのため加筆なりませんでした、いずれゆっくり加筆しようと考えています。
    • (Tantalさんへご回答)コメントありがとうございます。参考文献ですが、モザンビーク独立戦争を主題としていない文献を含めてもよろしいのでしたら、追記させていただきます。モザンビーク内戦につきましては、いずれ機会を設けて執筆させていただきたいと考えています。

以上ご回答させていただきました。--Himetv 2011年6月26日 (日) 05:02 (UTC)[返信]

  • (審査員コメント) 項目としてはおよそ網羅され尽くした感があります。画像も豊富かつ「ヤーデブーゼンの形成アニメーション」のような凝ったグラフィックも見られ、ドイツ語版で「秀逸」となっていることに納得します。日本語の文章としても平易でよくこなれていて、見事だと思います。参考文献については、日本語版作成に際し直接参照していないことを該当節に明記されており、翻訳に当たっての公正かつ良心的な姿勢に敬意を表します。以下、2点気になった箇所。冒頭文ですが、なぜオランダ語読みがあるのでしょうか? 「ミッテルヴェーザー沿いの最大の街はペータースハーゲン、ニーンブルク、フェルデン、アヒムである。」は、4つの街とも「最大」ということはなさそうに思います。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
    • (主筆者回答)みっちさん、コメントありがとうございます。丁寧に読んで戴き嬉しく思います。オランダ語については、自分が投稿する前にあった記事を活かしたために残っていたものです。低ザクセン語については語源との関連で残す必要があるのですが、オランダ語は必要ないですよね。削除させて戴きます。4つ最大の街があるというご指摘ですが、ドイツ語の「Die größten Städte」という最大級で複数形というのをそのまま訳した結果です。おそらくは大きい方から4つ挙げたという意味でしょうから、「大きな街」と修正させて戴きます。ご指摘ありがとうございました。 --汲平 2011年6月3日 (金) 11:44 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)地理的な説明にとどまらず、周辺情報を幅広く網羅されていて非常に読みごたえがありました。特に水運や経済に関する記述では、ヴェーザー川がその流域の経済的な大動脈である事がよくわかり、また川を下る物品と昇る物品から当時の産業形態がうっすらと見えたりして、読んでて面白かったです。気になった点としては、地理の項目ですし、記事中の解説とリンクした地図がもう少し多ければもっと理解が深まるのではないかと思います。今ある地図の画像中の地名表記がドイツ語のままなのもあり、また地名の内部リンクも赤リンクのものが多いのも合わさって、ドイツの地理が頭に入っていない門外漢から見ると、記事中に山のように出てくる地名のどこがどこなのかいまいちイメージしにくかったです。また、文化と観光節以降の記述について、箇条書きで各史跡や施設を列挙する形が多く、雑多な箇条書きの連続となってしまっているように感じました。--重陽 2011年6月6日 (月) 13:06 (UTC)[返信]
    • (主筆者コメント)重陽さん、コメントありがとうございます。ご指摘戴いた点は、まさに私も気になっていた点です。以前に執筆したマイン川では日本語版の地図を作成したのですが、今回は根気が足りませんでした(笑)。また、マイン川では流路の中に名所旧跡や発電所が盛り込まれていて、分量もあり、地図にこれを盛り込むのも楽しかったのですが、ヴェーザー川では流路が簡潔だったので、地図を入れるとレイアウトが上手くできないのがネックになりました。また、「南北に流れているので縦向きに配置しなければ」と先入観で考えたのもレイアウトしにくくなった一因です。--汲平 2011年6月6日 (月) 14:34 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 兵器関連の知識をほとんど持ちませんが、文章が読みやすく、用語もかみ砕いてあってわかりやすいものでした。構成については、「背景」から船歴の終わりまでほとんどの内容が「概要」節に含まれているのは奇異に感じます。「民衆裁判所」でも述べましたが、概要は、その後につづく説明のあらましであり、冒頭分の2行目以降がむしろ概要にふさわしいと思います。したがって、「概要」節を設けるなら冒頭の後半部分とするか、あるいは「概要」をなくして「背景」以降はそれぞれ独立した節としてもよいのではないでしょうか。当艦は直接戦闘参加の実績はなかったようですが、冒頭文あたりにそのことが書いてあるとよいと思います。関連して、装甲巡洋艦の成立までの事情は詳しいのですが、その中で当艦がどういう役割を果たし、その結果どういう形で引き継がれたかが述べてあると、次も読んでみようという興味がわきそうです。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆おつかれさまでした。まず素直に凄いなと思うのが、ロシア語の文献が参考文献に挙げられながら翻訳記事ではなくオリジナルの記事で、しかも一見してロシア語版をはるかに凌駕する出来栄えに仕上がっているということです。私もいつの日かそういう記事を書いてみたいものだと感嘆いたしました。主題について詳細に記述されていて、関係者の試行錯誤する様子がよく伝わってくる、品質の高い記事だと思います。要望としては、「バルト海実習艦隊の旗艦」節においてバルト海実習艦隊の旗艦に任命され、1884年にアレクサンドル3世の御前で催された観艦式で、旗艦を務めたという記述がされてから、「1892年に 1 等巡洋艦に類別を変更されたが、すでに軍事的な存在意義は薄れていた」となるまでがややあっさりしている感があり、いかにしてこの艦が技術的に時代遅れなものとなっていったのか、当時の技術的な発展についての簡単な解説なども交えつつ記述がされていればなお良いのではないかと感じました(可能であれば「ロシア海軍の発展における位置付け」といった感じの独立した節を設けて、場合によっては重複を厭わずにこの艦の歴史を追ってみるのも一つの手法かもしれません)。最後に一点疑問に感じた点ですが、「設計」節に「船体は全長に対する幅の比率は 5.58 に拡大され、より細長い形状になった」という記述があります。形状がより細長くなるのは、全長に対する幅の比率が拡大ではなく縮小した場合ではないかと思いました(私はこの手の計算があまり得意ではないので、何か勘違いをしているのかもしれませんが)。--Pastern 2011年6月4日 (土) 08:27 (UTC)[返信]
  • (コメント)Pasternさんも書いておられますが、主にロシア語文献からここまでの記事を作り上げた点に敬意を表します。内容的には軍事面は苦手分野なのでコメントはあまり出来ませんが、気になった点としてはあまり赤リンクを気にしない私でも当記事の赤リンクは少々多いような気がしました。特に艦名の由来となった「ロシアでは救国の英雄として知られる D・M・ポジャールスキー公」は、まずはスタブでも良いので項目が欲しいと思います。--のりまき 2011年6月11日 (土) 12:17 (UTC)[返信]
  • コメント ご意見いただきながらコメントせず、すみませんでした。当該期間、多忙につき活動していなかったためです。みっちさんのご指摘、「概要」節に関しましては、私がウィキペディアに参加してからの癖だったりするので深い意味はありませんが、基本的には当時、概説ばかりだったため「概要」を用いていました。もし概説じゃなくて詳説だということであれば、「艦暦」とかに置き換えてもいいかもしれません。「直接戦闘参加の実績はなかった」については、そういう軍艦は数え切れないほどありますから(例えば護衛艦)特に記す必要はないと思いますが、あった方がよければ書くことには反対しません。「装甲巡洋艦の成立までの事情は詳しいのですが、その中で当艦がどういう役割を果たし、その結果どういう形で引き継がれたか」については、今後の課題とさせていただきます。自分、文系だもんで工学はよくわかっておらず、「装甲巡洋艦(大洋巡洋艦)」というのが「思想的にどう受け継がれたか」はだいたいわかるんですが、技術的にどうかはちょっと説明できません。時間が取れれば、ロシア海軍の19世紀を一望できる「大洋巡洋艦」か何かのページを作ってみたいとは思っています。もしご関心がありましたら、ゲネラール=アドミラール級装甲巡洋艦辺りもご覧下さい。Pasternさんのご指摘「バルト海実習艦隊の旗艦」節において〜〜以下「いかにしてこの艦が技術的に時代遅れなものとなっていったのか、当時の技術的な発展についての簡単な解説」のご指摘についても同様です。「1892年に 1 等巡洋艦に類別を変更されたが、すでに軍事的な存在意義は薄れていた」の一事象に限って言えば、兵器にせよ機械にせよさすがに作って20年以上経てば自ずと旧式化する、ということができますが、お求めの説明はそのようなものではなくて具体的に「いかにして」とのことですので、今後の課題とさせて下さい。「最後に一点疑問に感じた点」のご指摘、ありがとうございます。誤訳です(汗)。原文 Но в русском проекте для увеличения скорости увеличено до 5,58 отношение длины к ширине. ですので、「全長に対する幅」じゃなくて「幅に対する長さ」でした。のりまきさんのご指摘「赤リンク」についてですが、まず他言語版にページの存在が確認されたものについては、「仮リンク」付きでリンクを作成しました。それ以外に、潜在的作成可能性のある固有名詞(艦名とか)についてもリンクを作成しました。私も「自分の作ったページは何でいつも赤いんだろう」と思っているんですが、やっぱ赤すぎますでしょうか?--PRUSAKiN 2011年6月29日 (水) 07:48 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 主要な参考文献が自伝であることも関係していると思いますが、人物伝として大変詳しく、かつ面白い記事です。画像も若いころのものから適切に配置されています。ただ、百科事典の項目として考えた場合、はたして生涯が「伝記」のように詳しい必要があるのだろうか、むしろ簡潔にして業績やその意義・評価を中心に記述するのが本来のあり方ではないか、との疑問があります。現状では、長い「生涯」節を最後まで読み通さないとそのあたりが把握できないように思います。読み物としての魅力は否めないので難しいところではあるのですが。以下は、単純な疑問です。敬勝館とは教育施設のようですが、簡単にでも説明があるとよいと思います。留学先のドイツ工場の場所がノイハルデンスレーベンなのかハルデンスレーベンなのかわかりませんでした。「明治製菓設立」節では、東京菓子が後の明治製菓であることを説明しておく必要があると思います(次の節まで読まないとわからない)。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)丁寧なコメント、ありがとうございます。非常に参考になります。「業績やその意義・評価を中心に記述するのが本来のあり方ではないか」というのは全くその通りだと思うのですが、この方の場合、私が調べた限りでは、残されている記録のほとんどが自伝か明治グループ関係者の著作のみなので、客観的な業績・後世評価の紹介が難しい対象でした。(明治製糖株式会社の多角的経営方針--相馬半治のリ-ダ-シップと「後発企業効果」という論文もあったのですが、相馬の自伝抜粋を除けば明治製糖に関しての記述がほとんどでした。)その他の点については時間を見つけて直したいと思います。--Freetrashbox 2011年6月4日 (土) 14:13 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆お疲れさまでした。明治製菓の創業者が学者出身とは知らず、どのような経緯で企業家として大成していったのだろうかと、冒頭部から興味を引かれつつ拝見いたしました。私も(これほど大きな記事ではありませんが)製菓会社の創業者の記事をいくつか手がけたことがありますが、伝記やその人物に近い人間の著作をもとに記述していくと、人物像が非常に強く伝わる一方、企業家としての業績や評価が手薄になる傾向があるように思います。記事に明らかな課題が見えることも確かですが、クセのありそうな文献をもとにここまでの記事を仕上げたFreetrashboxさんの手腕は素晴らしいと感じました。記事を読んでの感想ですが、最後に内容について、明治製糖設立の際に純民間の製糖会社を作るのは時期尚早と難色を示されたとのことですが、なぜ相馬は官営ではなく民営の製糖会社設立を目指したのか、可能であれば事情を知りたいと思いました(官営であっても、その気になれば重要な役職に就けそうな気もします)。また「海外留学」節において、1899年5月26日に、文部省より海外留学を命じられるよりも前の同年1月にドイツ・ブラウンシュヴァイク高等工業学校へ留学と記述されていることに違和感を覚えたのですが、経緯として正しいでしょうか?最後は感想というよりも質問ですが、脚注を使って出典を示すかどうかの判断基準は存在しますか?具体的には、「海外留学」節の植村澄三郎のエピソードについて、脚注を使って出典を示すことは考えられなかったでしょうか?--Pastern 2011年6月5日 (日) 07:48 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)詳しいコメント、ありがとうございます。相馬がなぜ準官営の台湾製糖に就職しなかったかについては、私には分かりません。ただ、台湾製糖は準官営であるため稼いだ金で別分野に進出するのが難しかったのに対し、相馬は稼いだ金で自分が見込みがあると思った分野にどんどん進出していますので、結果としては民間企業を創って正解だったようです。また、相馬は台湾製糖が小規模な設備でちまちまやっているのに批判的だったようで、自分のアイディアを自分で実践してみたいと思ったのかもしれません。ブラウンシュヴァイク高等工業学校入学の年は、誤記でした。出典の示し方に関して、この記事は相馬の自伝をベースに別の出典で肉付けしたものですが、節の前後を入れ替えたりしているうちに出典が消えてしまったようです。この箇所は、確か『還暦小記』に基づいていたように思うのですが、ちょっと調べなおしてみないとわかりません。--Freetrashbox 2011年6月9日 (木) 13:26 (UTC)[返信]
  • (コメント)まとまった資料が得やすいテーマではありますが、大変きっちりとまとめられており、文体、脚注や出典、写真の用い方など他の記事の模範となる良記事であると思います。唯一気になる点はほとんどの参考文献が社史や自伝であるため、どうしても記述の中立性という面において疑問が残ってしまう点くらいです。--のりまき 2011年6月11日 (土) 11:52 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 法律・制度的内容で説明が難しそうな項目ですが、文章が読みやすく、かつよく整理されていると思います。気になった点を挙げると、法務局の1979年調査と2002年調査との比較で、地域数がかなり減っているのに逆に面積は増えているのはどうしてなのかと思いました。また、「地図の訂正」節の段落分けの関係で、地図訂正後も改めて未同意者に道路寄付承諾を得なければならない場合の説明(段落3)が、集団和解したケースにも当てはまるように読めるため、段落1を段落2の最初の行までとした方がよいと思います。というわけで、ちょっとやってみましたのでご確認ください。あと、これはこの項目の説明の域を出ていることかもしれませんが、地図混乱の直接の責任は住人や地権者にはなく、基本的に行政の責任で解決を図るべきことのように思われるのですが、地籍調査が遅々としてすすまない原因も含めて、そういう言及や指摘はないのでしょうか。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)このような事例はもはやそんなに多くないだろうと根拠もなく思い込んでいたので、個人的には意外性が強く、また文章のまとまりも良いのでテンポよく読めました。ただ、あくまでも個人的な印象ですが、節の構成について「時代背景」の節が少し浮いているというか、後の「地図と公図」の節にまとめるか、「地図の訂正」よりも前におくかなどの方がよいように感じました。
    それと具体的に問題を抱えている地域の写真2枚がどちらも同じ地区のもので、これは関連項目の節にあるように有名な事例ということもあるのだと思いますが、どこの地区なのかなどキャプションで説明を入れるなり、本文で少し説明するなりの方が良いようにも思えました(その辺は実際に住んでいらっしゃる方達の感情を考慮すると難しい部分もあるのかもしれませんし、あえて詳述しなかった理由もあるのかもしれませんが)。--Sumaru 2011年6月5日 (日) 04:03 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆お疲れ様でした。まずはこの問題に関する感想ですが、土地の問題はこじれると恐ろしいということを実感するとともに、いかに私的な領域の問題とはいえ、地図の訂正のために利害関係者全員の合意が必要であるなどあまりにも当事者の負担が重いように感じられ、立法による救済を図る余地はないのかと疑問を覚えました。やはり出だしが重要で、そこでいい加減な手順を踏んでしまうと解決に莫大な時間と労力を要する問題に発展するということなのでしょう。もかめーるさんご指摘のように、東日本大震災の被災地において問題が多発しないことを祈るばかりです。とかく難しいイメージのある法律分野の記事であるにもかかわらず、こうして予備知識に乏しい者でも一応の見解が述べられるほど理解しやすい仕上がりになっています。ただ一点だけ、「調査図素図作成と各筆測量」節にある「払い下げ承諾」という言葉(法律用語でしょうか)の意味がイメージしにくかったです。一応、「現存しない里道、水路や畦畔」を地図から抹消することへの承諾と解釈しましたが、合っているでしょうか?--Pastern 2011年6月5日 (日) 05:44 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)みっちさん、Sumaruさん、Pasternさん。記事に対する査読をいただけ、貴重なコメントとアドバイスを下さいましたこと、大変ありがたく厚く御礼申し上げます。また、ご返答にお時間を頂戴し、失礼いたしました。当記事加筆編集にあたっては、何度となく推敲を行い、自分なりに完成度を高めたつもりでおりました。しかし、こうして自身の見落としていたポイントをご指摘いただけたことに感謝いたし、これらの内容を踏まえて記事の改善を図ることで、さらなるブラッシュアップを図れたらと考えております。何卒よろしくお願い申し上げます。では、さっそくご意見を賜った点について、具体的に検討してまいります。
    • 調査比較で、地域数減少にもかかわらず面積が増加している理由」について。まず、私の知る限りの資料をノートページに列記してみました。基本的に「減少」要因は、問題そのものの解決しかありえません。「“地区・地域”の捉え方を変えたため」、「複数地区をまとめてカウントしたため」など、いくつか要因は考えられますが、これはあくまで私の推測にすぎません。したがって、閲覧される方の混乱防止のために、具体的な情報が提供できる説明できる材料が揃うまで、最新の情報でないものについてはコメントアウトさせていただきたく存じます。
    • 地図混乱の直接の責任は住人や地権者にはなく、基本的に行政の責任で解決を図るべき旨の言及」について。確かに問題の所在は、一義的には必要な届け出や登記を怠った造成業者にあるものです。しかし、間違った登記申請を確認不十分で受理した行政側にも少なからず落ち度があり、一方で、住人や地権者に直接の責任はありません。全くご指摘の通りで、この点の記述は必要不可欠であります。国会議事録での政府関係者の発言を基に、文章を加筆いたしました。
    • 時代背景節の構成と配置場所」について。上述した登記機関の確認手抜かりと、国会での議論についての内容を足して、さらにアドバイスをいただいた通り「地図の訂正」節の前に置き、加えて写真画像の配置を変えてみました。
    • 地域の写真2枚についての該当地区の説明」について。これらの画像は私が撮影したもので、以前住吉台 (大津市)を立項した際に用いなかったものを使いました。この地区の地図混乱問題はテレビ番組での報道[1]や地元協議会のサイト[2]で一般に周知されており、具体的な地名を出しても問題はないと考えましたので、ご指摘の通りキャプションの説明を加筆いたしました。
    • 現存しない里道や水路の払い下げ承諾」について。おっしゃる通り、地図から抹消することへの承諾です。但し、市町村の財産として登録管理されている以上、抹消に当たっては一定の手続きが求められ、かつ金銭にて買い取る(つまり、払い下げを受ける)必要がございます。この内容は、記事注釈において説明を加えさせていただきました。--もかめーる 2011年6月6日 (月) 05:03 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) このような項目を読むと、伝えられる事実の重さに心が塞がれ、審査などという観点が吹き飛んでしまいそうで、あえて客観的に見るように努力しなければなりません。扱う人物が多く、一度読んだだけではなかなか頭に入りにくいですが、その割にはよくまとまっていると思います。事件前後についても取材が行き届いています。経過について、「相馬半治」の項でも問題意識を述べたところですが、描写的な箇所についてどのくらいの克明さが必要かは意見が分かれそうです。個人的には百科事典とジャーナリズムの違いはやはり押さえておくべきだろうと思いますが、「紙製ではない」ウィキペディアの特長として積極的に評価すべきという見解もあるかもしれません。関連して、救助された人たちのリストが折りたたみになっていることについては、事典として事件の概要や結果から示すべきという観点からは、折りたたみでなく最初から明示した方がよいと思います。翻訳については、日本語の文章としてかなりこなれています。ところどころに体言止めを含む言い回しに違和感があります(体言止めがダメということでなく、描写と合わせてルポ的に読めてしまう)が、意味が通らないところはありませんでした。あえていえば、「遺産」節でスチュアートやジョンソンという名がいきなり登場して面食らいます。ここでは直前で映画「シャイニング」について触れているので、一瞬、映画の登場人物かとも思いました。また、この事件が「あらゆるエンターテインメントの根底を確立している」ことについては、アメリカでは常識なのかもしれませんが、例示が「シャイニング」だけなのはもの足りません。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)

コメントをいただきありがとうございます。当「ドナー隊」は、元の英語版の記事を逐一翻訳した上、日本語として読みやすく書き改めた作品ですが、元々私は文章のテンポを良くするために数行に一回の割合で体言止めを用いるクセがあり、 なおかつ臨場感を求めたためこのような文体になりました。これが「百科事典」としての役割から逸脱しているとのご指摘も受け止め、今後に生かしたく存じます。なお「スチュアート」や「ジョンソン」は参考文献の執筆者です。ドナー隊事件が登場するエンターテインメントとしましては、シャイニング以外にも数々のホラー映画、ある子供向けアニメの中に登場する「ドナーさんが主催するパーティーには出席したくない」との台詞、あるいは「ザ・ドナー・パーティー」の語が「悲惨な運命共同体」の意味で使われている事例などがありますが、これらは追々書き足していこうと考えております。--タクナワン 2011年6月4日 (土) 18:32 (UTC)[返信]

  • (審査員コメント)何かで聞きかじる程度の知識しかなかったため、勉強になるとともに、主題が主題なだけにいろいろ考えさせられました。ついつい特定の人物に肩入れしたり、強い不快感を覚えたりしましたが、記事そのものはそのあたり十分に中立的に書かれていたように思います。ただ、みっちさんとも重なりますが、膨大な人名についていくのが大変でした(笑)。
    登場人物はある程度仕方ないと思いますが、審査時点の記事構成の場合、研究者やジャーナリストと思しき人名のいくらかは削っても差し支えなかったと思います。どういう経歴・評価の人物か分からないのなら、読者にとっては個人名が出されていようと「(ある研究者からは)~とも指摘されている」などで済まされていようと変わりませんし、脚注でしっかりフォローされているので、正確性にも響かないと思います。逆に、冒頭で「歴史家は~と位置づけている」とあるだけに、研究史というか、評価の歴史のようなものももう少し詳しく見てみたかったとも思いました。あと、これは私個人の語感の問題ですが、「遺産」という節の名前は内容からすると少し違和感がありました。--Sumaru 2011年6月5日 (日) 04:03 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆お疲れ様でした。記事の主題については全く存じていませんでしたが、色々と考えさせられる内容でした。とりわけ、隊の中で評判が悪く追放されたジェームズ・リードに、自分の家族を案じた面も多分にあったのでしょうが救援に奔走し自らも危険を冒して救援隊に参加、さらにドナー家の遺児を引き取るなど情に厚い面がうかがえる点が印象的です。登場人物や地名の確認に少々手間取るところもありましたが、文章が読みやすく、かなり長い記事であるにもかかわらず一息に読むことができました。文章については、読みやすさに支障をきたすまでのものではありませんが、「それ」という言葉の使い方(「それは恐るべき皮肉であり、希望は幻滅だった。」、「そして1934年、それはカリフォルニア州の歴史的建造物と認定された。」)に違和感を覚えることもありました。また、「ジョージ・ドナーは穏やかな慈悲深いアメリカ人であり、歳を重ねることで人生経験を積み、賢さが滲み出ている。」(「参加者たち」節)という文は、「滲み出ていた」としたほうが自然ではないかと感じました。それからブリッジャー砦のあるブラックフォークがブラックホークとも記述されている点は、地名や人名を確認するために他に登場する箇所を検索することもあるため、表記を統一して頂けるとありがたいです。いずれも重大な問題ではなく、全体的な文章のレベルは高いと思います。体言止めについては、私は問題を感じませんでした。内容については一点質問があります。隊を追放されたジェームズ・リードがウォルター・ハロランと合流しています(「隊の崩壊」節)が、これはハロランも何らかの理由で隊を離れていたという理解でよろしいでしょうか?最後に個人的な意見ですが、隊の参加者について、生死および救出の経緯または死亡の経緯、生存者については事件後の人生にも簡潔に触れる内容の一覧記事を作成すると、参加者についてより理解しやすくなるのではと思いました。--Pastern 2011年6月6日 (月) 09:27 (UTC) (加筆)--Pastern 2011年6月6日 (月) 09:56 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)

Sumaruさま、Pasternさま、読んで頂きありがとうございます。読むにつられて受けたという「不快感」や「ある人物への思いいれ」(ジェームズ・リード?)も、ある意味で記事の醍醐味でしょう。隊の名前が「ドナー隊」ながらジェームズ・リードの方が一層やり手で魅力的なのも、この事件の面白さであります。 さてSumaruさまからのご指摘の件ですが、まず登場人物の多さゆえに読みにくいという点に関してはや外部リンクを元に「生存者・死亡者一覧」のようなものを作成して読みやすくしようと考えておりますが、事件の研究史の編集となるとなかなか難しそうです。なお、節の名前「遺産」は英語版の「Legacy」をそのまま訳したものですが、「現代に伝えられたもの」とでもしたほうがいいでしょうか。

Pasternさま。「それ」の使用方法ですが、指しているものがはっきりしているものは、その物の名に書き換えるべきですね。ただ、「それは恐るべき皮肉であり、希望は幻滅だった」については、言葉に含みを持たせる意味で「それ」のままにすべきではないかと考えております。ちなみにこの文は原文ではこうなっています。

"a dreadful irony that hopes of prosperity, health, and a new life in California's fertile valleys led many only to misery, hunger, and death on her stony threshold" 「her stony threshold」という言葉はどうも訳しきれませんでした。

地名、人名の表記は至急、統一します。

そしてジェームズ・リードとウォルター・ハロランが落ち合ったいきさつについて、Donner Partyでは

"Meanwhile Reed caught up with the Donners and went on with one of his teamsters, Walter Herron. Although the two shared a horse, they were able to cover 25–40 miles (40–64 km) per day."

Donner Party timelineでは、

"Reed heads west. The following day he overtakes the Donners, who have moved ahead of the rest of the party. One of Reed's teamsters, Walter Herron, has been traveling with the Donners; he decides to accompany Reed to California."

外部リンク

When James F. Reed was banished in October his teamster Walter Herron accompanied him to California

これらを見るに、ウォルター・ハロランはドナー隊と行動を共にしていたものの、追放されたリードを案じるか何かで隊を離れ、彼と行動を共にしたとうかがえます。そのように解るよう、書き改めます。 --タクナワン 2011年6月6日 (月) 16:35 (UTC)[返信]

  • (コメント)実に面白い記事ですね!一気に読んでしまいました。事件の経過が丹念に述べられており、基本的に質の高い記事であると思います。気になった点はまず他の方のコメントにもあったように、文体がやや小説的で百科事典的なものとは少し異なる印象を持ちました。あとやや小説的な印象を持った点とも関係するのですが、時代背景や事故の起きた原因についての記述もされていますが、時代背景では例えば当時のアメリカ合衆国の西部移民の数の増加傾向を数字で示すとか、事故の原因については同様の事故との比較などによる事故原因の詳細な分析を知りたいと感じました(記事を読む限り、出発前の情報収集、隊の構成、装備、あと隊長らのリーダーシップについて事故の原因となるものがありそうですが、そのような面の分析が知りたいところです)。そのような文献を見い出すのは難しいとは思いますが、ご検討いただければ幸いです。--のりまき 2011年6月11日 (土) 11:03 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)

のりまき様。コメントありがとうございます。アメリカ西部移民の増加状況は、カリフォルニア・トレイルの項に詳しい表があります。ドナー隊の悲劇の原因は、ひとえに不慣れな新道の選択とインディアンの襲撃による家畜(動力)の消耗がもたらした旅程の遅れ、さらに早い冬の訪れでしょう。積雪があと1週間も遅ければ、一行は満身創痍ながらもカリフォルニアにたどり着けたと思われます。なお、同様な事件としては1856年に発生した「ウィリー中隊」と「マーティン中隊」の遭難事件があります。人力で手押し車を牽く旅で西部に新天地を求めていたモルモン教徒の移民団が吹雪に巻き込まれ、一行900人あまりのうち200人が餓死、凍死した事件であります。詳細はMormon handcart pioneersに載っておりますが、いずれにせよ移民団の遭難は「予想外の雪」が事件の鍵を握っております。--タクナワン 2011年6月12日 (日) 16:48 (UTC)[返信]

  • (審査員コメント)バルカン半島の歴史は入り組んでいて、わかりやすく書くのは大変だろうと思うのですが、平易な表現に努めてあることが伝わってきます。ただ、構成・文章ともに練る時間が足りなかったようで、全体を通じて「執筆半ば」という印象があります。構成では、いくつか座りの悪い節があります。とくに「その後」は、ひとつ飛んで「ブルガリアへの影響」につながる内容で、これと統合するか、さらに細分化するかの整理がつかないまま取り残されています。また、「背景」が必要以上に長く、項目の中心となるべき蜂起そのものの記述より充実しているためにバランスを欠いています。文章面では、「圧政」や「暴政」、「腐敗」、「重要でない」など抽象的な表現が目立ち、いささか精度が低い印象を与えます。「そして」「しかし」などの接続詞についても、あまり適切でなく、むしろない方が意味が通る箇所が散見できます。とはいえ、このあたりは昨年のコンテストでも途中経過を拝見したときに感じたことなので、おそらく今後の改稿によってブラッシュアップされる予定であろうことは疑っていません。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
    • (主筆者コメント)まず、コメントに感謝いたします。また、コンテストに関わっている皆様にも感謝いたします。今回、完成してない記事を投稿するのは苦渋の決断ではありましたが、図書館等に行く時間が無いもので時間的余裕のあった昨年、投稿予定であった記事に少しだけ触った程度で投稿いたしました。このコンテストにエントリーしたこの記事を中心に第一次セルビア蜂起、第二次セルビア蜂起という記事を作成する予定で、この記事においてセルビア蜂起の背景、その後の影響について詳しく記述し、蜂起自体は今後作成する予定の記事で細かく記述するつもりでいます。そのため、蜂起のこと自体は記述を少なめにしています。また、その影響を受けたギリシャ、ルーアニア、オスマン帝国など周辺諸国の記述も行わなければならないのですが、時間が足り無いという私的問題のために中途半端な記事にしてしまったことを深く悔いております。本来ならばエントリーを取り消すべきなのですが、枯れ木も山の賑わいということでそのままエントリーを続けさせていただきました。みっち様の言われることは私が問題点と考えていることばかりですので、今後、GA化を視野にブラッシュアップを図ろうと考えています。--Hideokun 2011年6月4日 (土) 13:58 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆お疲れ様でした。まずはHideokunさんが前年に引き続きコンテストに参加されたことをうれしく思います。すでに未完成とコメントされている通り、記事の前後半の完成度に相当の差を感じるなど課題は少なからずある印象です。Hideokunさんの実力を考えれば大部分は加筆が進むにつれて自然に解消されていくと思いますが、用語の解説を丁寧にして頂きたいというのが一応の要望です。ミレット制、スメデレヴォ・サンジャクなど赤リンクになってるものはもちろんですが、記事のあるものについても例えば「オスマン帝国の襲来」節に登場する中世セルビア王国と中世セルビア公国について、両記事を見ると記事の中には登場しないセルビア帝国という用語が登場するため、少し戸惑いました。どうやら中世セルビア王国→セルビア帝国→中世セルビア公国という流れのようなので、記事の中でもその流れに沿った解説をして頂けるとより理解しやすくなるのではと思いました。今後この記事の加筆はもちろん、第一次セルビア蜂起、第二次セルビア蜂起などの執筆にも期待しています。--Pastern 2011年6月9日 (木) 15:16 (UTC)[返信]
    • (主筆者コメント)コメントありがとうございます。加筆については現在、資料については読み終わっており、大体の構成は以前のコメントで書いたとおり頭の中では出来上がっております。確かにセルビアの呼称については理解しにくい部分がありますし、その元記事であるセルビア帝国などはまだまだ充実する余地があることから脚注、加筆などを行い整理していくつもりです。オスマン帝国関連は以前のオスマン帝国記事の加筆の復習状態であったため、多少なりとも軽視したことはあると思います。今後、加筆する際の課題にさせていただきます。近世のバルカン半島史についてはまだまだ記事作成の余地がありますし、もう少しの間、Wikipediaの末席に座らせていただこうと思います。--Hideokun 2011年6月10日 (金) 17:59 (UTC)[返信]
  • (コメント)全体としてまとまっていて良い記事だと思います。ただみっちさん、Pasternさんのコメントでも述べられていますが、正直、記事の前半と後半で完成度の差を感じました。例えば確か第一次セルビア蜂起で活躍した指導者がセルビア公国のカラジョルジェビッチ家の祖となり、第二次セルビア蜂起で活躍した指導者はやはりセルビア公国のオブレノヴィッチ家の祖となったのですよね。セルビア蜂起の時期のカラジョルジェビッチ家とオブレノヴィッチ家の関係等、もっと書けることがありそうな気がするのですがいかがでしょうか?--のりまき 2011年6月11日 (土) 09:33 (UTC)[返信]
    • (主筆者コメント)コメントありがとうございます。蜂起中における両家の対立はほとんど資料に見ることができませんでしたが、この点はワラキア蜂起において記載した部分があるのでもう一度、資料を図書館で確認する必要があると考えています。のりまき様の言われるように記事の前半と後半の完成度の差がかなり生じていますが、これは時間のあった時となかった時の差が如実に現れております。なかなか纏まった休みもなく、また、資料を借りに行くにも勤務時間の関係で難しいというのが正直なお話です。セルビア蜂起に関しては近代バルカン史における重要な出来事であることからワラキア蜂起、ギリシャ独立戦争レベルまで高めることを考えていますので、今、しばらくお時間をいただければと思います。--Hideokun 2011年6月13日 (月) 14:58 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 大変長い項目で、読み通すのにほぼ1日かかりました。優に1冊の本なみの分量があるでしょう。しかし、その内容は冗長さや過剰を感じさせないもので、この長さが必然であることが納得できます。構成もただ時系列を追っていくのでなく、「19世紀後半から20世紀始めにかけて」において特筆的なトピックを取り上げて集中的に述べており、ここでサービスや労働問題などに目を向けることで、鉄道史の重層的な理解に役立っています。こうした構成は、長い項目の書き方としてよい例になるでしょう。個人的にも、アメリカ開拓史と一体となった歴史そのものが興味深く、いくつかの映画の場面が目に浮かんだりしました。また、「同一労働同一賃金の原則」が女性や黒人からではなく、むしろ処遇のよい男性白人労働者が自己保身のために要求した、というあたりは歴史の皮肉を感じさせて印象に残ります。ともあれ、素晴らしい記事をありがとうございます。1点確認したいのは、「蒸気機関車牽引による鉄道」節では「1840年には鉄道の総延長が4,500 kmに達した」とされていますが、その下の「年代・地域別の鉄道延長距離」表では1840年の合計距離が2,755kmとなっており、この数字の違いはなんでしょうか。--みっち 2011年6月3日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
    • (主筆者回答) 丁重に読んでいただき、ありがとうございました。ご指摘の「年代・地域別の鉄道延長距離」の表ですが、これはアメリカの国勢調査資料から持ってきた関係で、単位がマイルになっています。2,755マイルは約4,408 kmですので、多少の差はありますが「蒸気機関車牽引による鉄道」節の記述とおおむね一致しているものかと思います。アメリカに関する記事なので単位にフィートやマイルが多く、できるだけ本文中はメートル法による併記をこころがけましたが、表となるとなかなか難しいです。この表もキロメートルに換算するか検討しましたが、やはり原資料をそのまま出すべきではないかと考えてこのようにしてあります。よろしくお願いいたします。--Tam0031 2011年6月3日 (金) 15:23 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)内容を読む前から、経済史的なトピックとしても重要だろうという程度の見通しは立てていましたが、それにとどまらず、社会史、労働史といったトピックとも深く関わることを理解しつつ、ある時期にはアメリカの象徴として、またある時はアメリカ社会の縮図として機能していた鉄道の歴史について、興味深く読み進むことができました。
    さながら「アメリカ合衆国の鉄道史」という豪奢な列車に揺られつつ、車窓から経済史や社会史の大平原を眺めて長い旅をした感じでしょうか(意味不明な喩えですみません)。
    以下、何点か疑問や要望を挙げておきますが、なにぶん長大な記事であり、数日に分けて読み進めたので、見落としや誤解に立脚するものがありうることをあらかじめ申し添えておきます。
    • まず要望ですが、「概要」はぜひともほしいところです。これだけ長い記事であり、尚且つ分野横断的に開かれたトピックであるだけに、より多くの読者を招きいれようとする時に、冒頭で全体の見通しを立てられないのは個人的にはきつかったです。
    • いくつかの時期に、技術だけでまとめた節を作っていたのは良い工夫だと思います。正直言って、鉄道に詳しくない私などはその辺の話がつかみづらいのですが、「流れ」と「技術」が分かれていれば、「流れ」の方を特に重点的に読もうというような選択的な読みが可能になりますし、便利だと感じました。ただ、できれば前史に当たる部分でもその辺の区分けがされているともっと読みやすかったかとは感じました。
    • 「蒸気機関車牽引による鉄道」の節の「(運河は)馬車との積み替えがどうしても発生することなど、鉄道の方が有利な点が数多くあり」がよく分かりませんでした。鉄道を利用しても積み替えは発生するのではないかと感じましたし、路線が少ない時代ならなおさらではないかと思えたからです。それとも「どうしても」に力点があって、鉄道は路線によっては積み替えがいらないこともあったから、その区間では有利だったという話なのでしょうか。
    • 「鉄道網の拡大」の節の「1871年の時点では実に23種類の軌間が存在しており、主要な鉄道が標準軌に統一されたのは1887年になってからであった」は統一された理由が直接的に述べられておらず、よく分かりませんでした。サービスを向上させることが利益追求にも結びついた、合併によって社内問題になっていった、南北戦争などで軍事的に規制されたなど、後の内容では、これが理由かなと思えることはいくつも出ていましたが、つながりがはっきりとは掴めませんでした。
    • 単純な文章表現についてですが、「南北戦争と鉄道」の節の「これは第一次世界大戦のさきがけとなり」は違和感がありました(「第一次大戦で(広く)用いられる塹壕戦のさきがけとなり」なら分かるのですが)。同様に、「機関車が、従来の戦争に不可欠であった馬匹を置き換えたことが明確になった」も、少し文章が不自然に感じられました(「馬匹にかわってその地位を占めた」とか、そんな感じの方が良いのではないかと)。
    • 「第二次世界大戦」の節の「1945年時点で鉄道で働いていた約140万人のうちおよそ半数は、戦前には鉄道で働いたことがなかった人になっていた」について。初期には事故の多さが示されていましたが、この時期にはこれほど不熟練労働者が増えて事故などが増えたりはしなかったのでしょうか。
    • 戦後の話で「1957年には航空機の旅客輸送量が鉄道を上回った」について。鉄道と比較した時、航空機は運賃がネックになりそうなものですが、その辺どうだったのでしょうか。新しく大きな航空機が就航するようになった以外の優位性が示されていなかったので、少し気になりました。
以上です。--Sumaru 2011年6月10日 (金) 03:06 (UTC)[返信]
  • (主筆者回答) コメントありがとうございます。
    • まず「概要」説は取り急ぎ書いてみました。どの程度の分量がよいかちょっと迷うところですが、かなり簡潔にしてあります。
    • 「流れ」と「技術」の分割ですか。創業期の鉄道は本当に原始的な技術で運行されていたので、それほど難しいということも無く、また鉄道の発展の流れと一体となっていると考えてあのようにしてあります。後の時代になると技術的なトピックだけをまとめる必要があると考えて、今のような記事構成になっています。
    • 運河との比較は、「平地にしか建設できず支線網を伸ばすことが困難で、馬車との積み替えがどうしても発生することなど」が一体になっているもので、句点を抜いた方がよかったかもしれません。運河は勾配をつけることが不可能ではないにせよ、鉄道にくらべてずっと苦手なので、高いところにある鉱山や工場などに支線を延ばすことができません。鉄道は、荷があるのであればトンネルを掘るなり勾配線を造るなりしてそこまで線路を敷くことができますので、積み替えなしにすることができる、ということです。
    • 軌間統一の理由ですが、やはり乗換や積み替えの不便が問題視されて、標準化が進んだようです。1830年代の最初から、軌間を統一しておかないと後で大変だと業界雑誌で指摘されていたようなのですが。簡単ですが加筆しておきました。
    • 南北戦争関連の文章表現は、ご指摘のように修正しておきました。
    • 第二次世界大戦の戦時輸送ですが、これだけの輸送量でも特に大きな事故はあまり発生しなかったと手元の文献にはあります。ただ、未熟練労働者の増加との関係について示唆する記述はありませんでした。初期の鉄道では安全を守るための技術が整わなかったために事故が続発していたのですが、第二次世界大戦頃には保安技術は確立しており、熟練していない労働者が扱ってもそれほど問題にはならなかったのではないかと個人的には考えますが、加筆できるだけの出典がないです。同時期の日本では事故が続発していますが、これは不慣れな鉄道員によるミスというよりは、深刻な物資の欠如による保守の不足や設備更新の遅れなどが大きく影響しており、きちんと必要な部品は供給されていたアメリカの鉄道ではそれほど問題ではなかったのではないかと思います。
    • 航空機の運賃についても、短時間では明確な文献を見つけられませんでした。一般論として、航空機は大型化すればするほど座席単価を急速に下げていくことができるので、ジェット化した頃には、特に全盛期のアメリカ国民にとっては特に問題にならない運賃に低下していたのだと思われます。一方、それでも運賃が問題になる層は鉄道や高速バス利用になり、それが鉄道の治安問題の原因にもなっていたようです。
十分な返答になっていないかもしれませんが、読んでいただきありがとうございました。--Tam0031 2011年6月10日 (金) 16:57 (UTC)[返信]
  • (コメント)私が昨年のコンテストに参加した日立鉱山も大きな記事になってしまいましたが、それを上回る大きさの記事がエントリーされたことにまずびっくりしました。しかも様々な見地からアメリカ合衆国の鉄道の歴史について紹介されており、単に長いだけでなく内容的にも極めて充実しており、まさに執筆コンテストの醍醐味を感じさせる記事です。本当に執筆お疲れ様でした!--のりまき 2011年6月11日 (土) 09:21 (UTC)[返信]
  • (コメント)B分野の執筆者Miya.Mです。先日は日本の鉄道史の統合でお世話になりありがとうございました。私も鉄道ファンでして、楽しく読まさせていただきました。社会的な影響も含めたアメリカの鉄道史という非常に広範囲の内容を分かり易くまとめている良い記事と感じました。ただ読後に「読み足りないなー」という気分が残りました。重要と思う2点ほど列記してみます。
    • 本項目には 都市間の鉄道が詳述されていますが、アメリカには都市内の地下鉄もたくさんあります。後者の記述が殆どありません。
    • そのため地下鉄電車などに使われた先進的な技術面が弱いです。WN駆動方式電磁直通ブレーキなど、現在の電車王国日本の基礎となっている20世紀中頃のアメリカの電車技術が抜けているのはちょっと残念です。

あるいは地下鉄は別の項目を立てたほうがいいのかな。Miya.M 2011年6月12日 (日) 11:50 (UTC)[返信]

  • (主筆者回答) ありがとうございます。ご指摘の点は、まさに弱いと認識しているところです。参考文献として使った資料が主にメインライン系のものを中心に触れている関係です。特に今回取り寄せて使った"Trains across the Continent"は、メインライン系ではないものには一切触れていないので、地下鉄のちの字も出てきません。あちらでは、そういった都市内電車と都市間鉄道は明確に違うものとして意識されていることが大きいように思います。そのため、とりあえず重要と思ったインターアーバンについては"The Electric Interurban Railways in America"という専門の本を手に入れて書きましたが、これだけでは電車技術、特に後期のものの説明が難しいところです。できればそういったところを広範に扱っている本を入手できたらと思っているのですが、今のところどういう本があるかすら見当がついていないというところです。もし手に入るなら、それもこの記事に盛り込みたいところです。--Tam0031 2011年6月12日 (日) 16:59 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆お疲れさまでした。私も20万バイト超えの加筆をしたことがありますが…色々と大変な思いもされたと思います。コンテストなので締切もありますし。単に鉄道の歴史を追うだけでなく、アメリカ合衆国の歴史も一緒に追う形になっているのが素晴らしいと感じました。とくに前半の部分に言えることですが、読んでいて躍動感が伝わってきました。読み終わった今、記事の中に出てきた「アメリカは鉄道を創り、鉄道はアメリカを創った」という言葉に心から納得がいきます。一点細かい質問かもしれませんが、「サービスの発展」節にある「葬送列車のために主要路線が拡大補強された」とは、レールが重量の大きい車両の運行に耐えられるほど頑丈になったという意味にとって問題ないでしょうか?「拡大」という言葉をどう解釈するか少し迷いました。--Pastern 2011年6月13日 (月) 15:50 (UTC)[返信]
  • (主筆者回答)コメントありがとうございます。葬送列車の件ですが、パイオニア号は車体がそれまでより大きい客車だったので、そのままでは鉄橋のトラスやトンネル、プラットホームなどに車体が接触してしまうという問題がありました。このため、通せるようにするために抵触部分を撤去・拡大する工事をしたようです。専門的に言えば、車両限界の拡大工事をしたということです。重さのほうでは客車以前に機関車の方が問題になると思うので、直接的には強化されていないのではないかと思います。補強という言葉がそういう意味に取れてしまうかもしれませんね。なお、特定の列車に対して車両限界の拡大工事をした例では、日本でも1988年のオリエント急行来日の事例があります。--Tam0031 2011年6月13日 (月) 16:18 (UTC)[返信]

分野B

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  • (ライバルコメント)扱う範囲も広く、まとめるのが大変な記事であったとお見受けしますが、必要なことを過不足無くまとめられており、日本の高山植物についての理解が深まる非常に素晴らしい記事と思います。わざわざ粗探しをすることもないとは思いましたが、一応気づいた点として(1)日本の高山植物が日本文化の中でどのように扱われてきたのか、(2)日本の高山植物として具体的にどんな種があるのかの一覧が欲しい、という2点をあげさせていただきます。いずれも贅沢な要望であると思いますが(特に後者については、もし可能であれば「日本の高山植物の一覧」といった記事を立項するほうが良いと思います)、本記事が充実しているからこそさらに知りたくなった、という内容であり、必ずなければいけないという性質のものではないと思います。--蒋龍 2011年6月4日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)高く評価していただき、本当にどうもありがとうございます。文化との関わりですか…佐々成政クロユリに関する逸話や近年の高山植物への関心の高まりから考えれば、追求する必要がある面だと感じておりました。鋭いご指摘ありがとうございます。ただ正直研究文献があるかどうかが大きな問題です。あと「高山植物の一覧」は確かに必要性が高い記事であると思いますが、現在の段階では分類学的位置づけが混乱している種が少なくなさそうなので、今後の検討課題とさせてください。--のりまき 2011年6月4日 (土) 23:32 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)Miya.Mです。一口に「高山植物」と言っても非常に範囲の広い内容ですが、読者に伝えるべき内容は網羅されているうえ、丁寧に説明されているすばらしい記事だと思います。こういう広範囲の記事を書くときに頭を悩ますのが「どういう風に構成するか」という点ですが、この点もかなり配慮されていると感じました。それでも対象が大きすぎるためにちょっと整理しずらかった点もあるようですね。たとえば高山植物の分布については、標高(もしくは気温)による分布域、乾燥か湿潤か花崗岩質か流紋岩質か石灰岩質かなどの地質による分布、先祖はどこから来てどのように定着したか、の3つのパラメーターを書かれていますが、これらの点の記事中の構成についてはもう少し考慮の余地があるかなと感じました(ただし 今のままでも十分な説明がされているので、修正する必要があるというわけではありません。)。最後に私も高山植物は大好きです、しかも私のつたない写真を2点も使っていただき大変感謝しています。こういうすばらしい記事に使ってもらえてうれしいです。Miya.M 2011年6月5日 (日) 09:55 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)様々な優れた記事を手がけておられるMiya.Mさんに高い評価を頂き光栄です。私の課題は記事構成力に難がある点だと思っていまして、今回はあえて大き目の課題に取り組み、必要な項目を詳述することに主眼を置いて“色々と書きすぎない”ように気を配ってみましたが、結局かなりごちゃごちゃした記事になってしまい汗顔の至りです。“何を書いて何を書かないか”ということは難しいものだと改めて感じております。写真についてはこちらこそ素敵な写真を使わせていただき、本当にどうもありがとうございます!特に大雪山系旭岳の写真は素晴らしいと思います。実を言いますと今回の記事の執筆動機の一つが、Wikipedia日本語版には多くの素敵な高山植物の写真が投稿されているのを見て、それらの写真を生かせる記事を書いてみるのはどうだろうかと感じたことにありました。この場を借りて素晴らしい高山植物などの写真を使わせていただいた方々にお礼を申し上げます。--のりまき 2011年6月5日 (日) 10:32 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)多くの写真が使われていて見た目に綺麗であり、また記事の内容としても広い範囲にわたって扱われていてよくできていると感じました。かつての植生の状況について推定されているところがありますが、これはたとえば花粉が化石化して残っていたとか、そういうところから推定されているものなのでしょうか。あるいは気候変動から考えてこうなっているはずという理論推定なのでしょうか。また可能ならば、地図の上に高山植物の分布を示した図を用意できるとよいかなと思いました。山ごとに大きく植生が異なるのが日本の特徴だそうなので、それを再現するとなると大変なことになるかとは思いますが。--Tam0031 2011年6月6日 (月) 13:20 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)評価どうもありがとうございました。かつての植生についての推定ですが、実は参考文献内ではあまりはっきりとは書かれていないのです。ただ花粉が残りやすい高層湿原は花粉試料などから過去の植生についての推定がなされているようです。その他にも温暖化に伴いグイマツが北海道から絶滅した時期について知られていることなどから、花粉による推定も行なわれていることは想定されます。ただ過去の植生もそうなのですが、高山植物の分類などもこれまでの気候変動や現在の分布状況、あと形態などから類推されて語られている面も大きいようで、本文中でも紹介しましたが分子生物学的なアプローチをもっと増やしていくことが望まれているようです。分布図ですか…確かにあると分かりよいですね。ただおっしゃられているように狭い範囲で分布状態が大きく変わるのが日本の高山植物相の特徴であるため、作るのは困難であるとともに、お恥ずかしながら私自身のパソコンのスキルが高くないので、作図は今後の課題としたいと考えています。--のりまき 2011年6月9日 (木) 11:12 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)多くの総説的書籍と学術文献などから丹念に調べられている記事であることが感じられました。また、写真によって視覚的にも非常に楽しめました。執筆歴の長いのりまきさんには失礼とは思いつつも、以下にいくつかの質問と私見を列記します。
    • 「日本の高山地形、地質と高山植物」の節では、地質と高山植物の植生の関係はよく読みとれるのですが、地形と植生の関係が示されているようには読みとれませんでした。私の読みとり方が浅いのだとは思うのですが、節タイトルのイメージから入りすぎでしょうか。
    • 中盤の「熱帯の高山に分布する高山植物と日本の高山植物との差異」節と最終節の「日本の高山植物相の特徴」は、現状の文章であればどちらかというと不要な節に感じられました。前者は、本項を説明する上で地理的にも地形的にも全く異なる熱帯の高山と比較する意図が一読者としては見出せませんでした。後者は、これまでの「まとめ」というか概要的な内容がほとんどであり、最後の食害等の内容を他の節に移すことで十分ではないかとも感じました。執筆者としては何か意図がありますでしょうか。
    • 一部を除き、概ね一つの段落に一つの出典番号をひも付け、一つの出典番号に多くの場合複数の出典が列記されているというスタイルを採用されています。好みの問題もありますが、自然科学の分野ではあまり見受けないスタイルのような気がするのですが、私の勉強不足でしょうか。検証可能性がないとは思いませんが、読みたい元資料に行きつくまでに3つ4つの資料を確認しなければならない場合もあるというのは、読み手にとっては手間な作業です。
    • 何箇所かに「最近の研究」や「最新の研究」といった記載をされていますが、発行日などが明確な学術文献や書籍ならいざ知らず、ウィキペディア上に当該文章が書かれた時期を特定するのが単なる読者には困難である以上、「**年のAらによる研究」などと記載すべきではないでしょうか。--Tatsundo h 2011年6月10日 (金) 17:09 (UTC)[返信]
      • (執筆者コメント)丁寧に読んでいただき、どうもありがとうございます。まず「日本の高山地形、地質と高山植物」ですが、鋭い指摘だと思います。確かに実際の内容は、「日本の高山地形の特徴と、高山地形によって生み出される地質の特徴と高山植物の植生の関係」ですね。ただこれでは長くなりすぎますので、「日本の高山地形による地質の特徴と高山植生」という節名にしたいと思います。
      • 「熱帯の高山に分布する高山植物と日本の高山植物との差異」は、これは私としては日本の高山植物相を世界各地の高山で見られる高山植物相との比較を通して、その特徴を明らかにすることを目的として作った節で、理想を言えば「世界の高山植物相における日本の高山植物相の特徴について」という節名にしたかったところでした。熱帯の高山帯に限らず、世界各地の高山植物相との比較が出来ればよいと思うのですが、現実には日本の高山植物相との関連が深いアジアや北極、そしてロッキー山脈等の環太平洋地域、そして研究が進んでいるヨーロッパアルプス以外では、アフリカの高地、そして少しですがアンデスとの比較しか文献がなかったので(というより世界各地の高山植物相の比較についてはあまり研究が進んでなさそうです)、やむなく熱帯の高山帯の高山植物との比較のみを取り上げた形を取りました。高山植物の専門書の多くはアフリカの高山帯の高山植物相との比較を取り上げており、どうも北半球の温帯から寒帯にかけての高山植物相である日本やヒマラヤ、ロッキー山脈やヨーロッパアルプスなどの高山植物相同士の比較では、世界的な視野に欠けるという意識が働いているように読み取れました。本当に出来ることならば南半球の温帯の高山帯であるニュージーランドや南アフリカ周辺、同じ熱帯でもニューギニアあたりの高山帯との比較も書ければ、真の意味で日本の高山植物相を世界全体の高山植物相の中で位置づけていくことが出来ると考えています。この点は今後の課題とさせていただければと思います。
      • 「日本の高山植物相の特徴」ですね…これは専門書で時々見られる、様々な見地からの説明を行い、最後に結論的なまとめを行なうという形式をまねたものです(本記事の参考文献でも「北海道高山植生誌」はそのような形式を取っています)。私としてはむしろ「概要」節とか記事冒頭の内容紹介に当たる部分の必要性の方が薄いと考えてしまうタイプなのですが、読者からすれば冒頭からいきなり説明を始められるよりも、概要やそれに当たる部分があった方が良いと考えるのは当然のことなので、このような形式を取らせていただきました。
      • 出典の標示方法は私の鬼門です(苦笑)。私は自然科学ばかりではなく、歴史や文化関連の記事も基本的に節ごとに出典を標示する方法を取っていまして、まあ「一文ごとに出典を標示するよりも節ごとくらいのほうがすっきりするのでは?」というくらいの感じでやっていました。この点は皆さんのご意見をお聞かせいただき、出典の標示方法を考えていきたいと思います。
      • まずすぐに古くなる「最新の研究」という表現は確かにまずいですね。修正いたします。あと「最近の研究」とした内容は、藤井(2008)などのDNA解析による高山植物の系統についての研究内容を指します。藤井・池田・瀬戸口(2009)自体が『近年、生物のもつ遺伝情報であるDNAの解析技術が飛躍的に発達した。それは生物学の様々な分野に大きな影響を与え、新たな知見が次々と得られつつある…高山植生の起源に関しても、遺伝子解析により盛んに研究が進められつつある』と書いてあるくらいなので、研究名を明示せずに「最近の研究」という言葉を使ってしまいました。「藤井(2008)などの最近の研究によれば」というように、研究名を明示するように改めたいと思います。--のりまき 2011年6月11日 (土) 00:14 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)今回C分野でエントリーした記事の中で、テーマ的に最も小さく、正直「他の大きなテーマを題材にしたエントリー記事にどうやって対抗するのだろう?」と思いながら見ておりましたが、必要な項目を見事にまとめられた素晴らしい記事と思います。私としては特に注文をつける点はなく、完成度の高さからいえば今回コンテストにエントリーした24記事の中でも一番ではないでしょうか。あえて難を言うとすれば、やはり他のC分野のエントリー記事が大きなテーマを題材としているため、どうしても面白さ、興味深さという面からすれば及ばないという点くらいでしょう。ただこれはあくまでテーマ的な制約によるものなので、記事の素晴らしさにいささかも影響を与えるものではありません。--のりまき 2011年6月3日 (金) 22:58 (UTC)[返信]
    • すいません、後から思い出したのですがニ点要望です。アカウキクサ属がどのような植物から進化したのかについての進化の過程と、あと進化の過程とも関連するのですが、アカウキクサ属はどのような属と近縁であるのかについて説明を入れた方がより理解が深まると考えます。資料等があれば記述をご検討いただければありがたいです。--のりまき 2011年6月4日 (土) 00:46 (UTC)[返信]
      • (執筆者コメント)過分なお褒めの言葉をいただき、恐縮しております。ひとまず新たに資料を探して、簡単ではありますがご指摘の点について加筆を施しました。進化の観点は見落としておりました。貴重なご意見感謝いたします。--蒋龍 2011年6月4日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
        • 加筆部分拝読いたしました。とても良い内容でアカウキクサ属についての理解を更に高めることができるようになったと思います。どうもありがとうございました。--のりまき 2011年6月4日 (土) 23:32 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)Miya.Mです。浮き草というのは、幼いころ田んぼの表面でよく見ていたんですが、あれはアカウキクサだったのか他の浮き草だったのかと考えながら読ませていただきました。アカウキクサについて非常に丁寧に良く書かれていると感じました。「顕生代」にアカウキクサ・イベントがあったという説には、驚くとともに「おもしろいなー」と思いました。あとお願いですが、私のような植物の素人にとってウキクサの写真に「葉の大きさ○cm」などを説明いただければもっとわかりやすいです。Miya.M 2011年6月5日 (日) 09:55 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。顕生代の出来事のほんの一角を占めるに過ぎないアカウキクサ・イベントについて記述するだけでもなかなか手間取りましたので、さらに膨大な出来事をまとめなければいけない顕生代全部の記事を執筆することの大変さが、改めて感じられたように思っています。たしかに写真だけでは大きさのイメージがつかみにくいと思いましたので、最初の方の写真を、スケール有りの写真に差し替えてみました。ご指摘ありがとうございます。--蒋龍 2011年6月7日 (火) 16:40 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)あの水面を覆いつくすように広がっている浮き草に、このような背景があると知り、大変楽しく読めました。ところで、「分布」の節に「1990年代から稲作の緑肥として用いられ始めた」とある一方で、「飼料、緑肥としての利用」の節では「中国やベトナムでは数百年間の間、水田緑肥として用いられていた」「1980年代頃からは徐々に使用されることが少なくなっている」とあるのは矛盾しているように感じられます。1990年代から利用されるようになったのは、アイガモ農法との関連でしょうか? 「アカウキクサ・イベント」は、仮説であるということですが、それはどの程度確証があると今のところ評価されているのでしょうか。二酸化炭素が3500ppmから650ppmまで減少したのがすべてアカウキクサの働きによるものなら、膨大な炭素を固定したことになり、その炭素はどこへ行ったのだろうかと思いました。また、「1日の日照時間は20時間」というのは、一体どういうことなのでしょうか。北極圏で夏季に極めて日照時間が長くなるのは確かですが、冬季には逆にほとんどなくなるはずで、この時代は地軸の傾きとかの関係で北極圏にほぼ常時日照が得られていたとか、そういうことがあるのでしょうか。ちょっと常識的には考えづらく思うのですが。アカウキクサ・イベントの独立記事で扱う範囲なのかもしれませんが、そういうところを疑問に感じました。--Tam0031 2011年6月5日 (日) 15:05 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)丁寧に読んで下さり、ありがとうございます。ご指摘の点についてですが、「1990年代から」については、アイガモ農法の記述と混同があった可能性があるため除去しました。また「アカウキクサ・イベント」については、仮説に対する反対意見の加筆や日照についての記述の不備を訂正し、膨大な炭素についての予測を加筆いたしました。アカウキクサ・イベントが科学者にどの程度支持されているかについては、文献が見当たりませんでしたので保留いたしました。大変であるとは存じますが、公平な審査をよろしくお願いいたします。--蒋龍 2011年6月7日 (火) 16:40 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)おそらく専門家もそうは多くないと思われるテーマでありますが、いろいろな領域から集められた資料を丹念にまとめられた良い記事だと感じました。お願いと質問を1点ずつ記載します。
    • 「繁殖」の節の第1段落最終文(現状では第2段落最終文)、第3段落最終文、「ラン藻との共生」の節の第2段落最終文の3か所は、もし適切な出典がありお示しいただけるとより良いものになると思われますのでお願いします。
    • 「化石種」の節で、「記載された化石種は…」と「…も記載されている」との記載がありますが、何に記載されたということを表しているのでしょうか。知識がないものですから、お教えください。--Tatsundo h 2011年6月10日 (金) 17:44 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)細部まで読み込んでいただきありがとうございます。ご指摘の点についてですが、出典のなかった点については出典の付記、あるいは記述の変更によって検証可能性を満たすように致しました。また「記載」というのは、生物学において「論文において新種として記録される」ことを意味していましたが、分かりづらいかと思いますので「記録」に修正いたしました。ご確認ください。ご指摘感謝いたします。--蒋龍 2011年6月11日 (土) 04:17 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)どうもMiya.mさんとは興味、関心がかぶる面があるようで(笑)。私も大いに興味を持つ分野であったこともあり、大変興味深く読ませていただきました。約5億5000万年の顕生代を実に上手くまとめておられ、質的に高くかつ面白い記事であると思います。気になった点としては、極めて守備範囲が広い内容なのでまだ見落としがあるかも知れませんが、ざっと読んだ中ではまず巨大な山脈形成に関しての記述が弱い点(アパラチア山脈など、古生代に出来たと考えられる山脈の形成など)、あと動物面の記述の充実ぶりに比べて、植物や昆虫などについての記述がやや弱い点が気になりましたが、もちろん記事の大きな瑕疵と言うものではなく、素晴らしい記事であることは言うまでもありません。--のりまき 2011年6月3日 (金) 22:58 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)約5億5000万年という長いスパンの中で起こったことを概観でき、個人的にも大変関心深く読むことができました。特に大きな書き落としなどがあるようには見受けられませんでしたが、古生物学的な観点からの記述が全体の分量からみて少々多く、地質学的な観点や研究史などの分量が少なめであるように感じ、ややバランスが偏っているような気もいたしました。あと細かい点ではありますが、例えば「中央大西洋マグマ区w:Central Atlantic Magmatic Province」(「顕生代の地球環境」節)など、文章スタイルを整えきれていない部分が若干あるように感じましたので、お手すきの時にでも修正していただければ、よりストレス無く読むことが出来ると思います。--蒋龍 2011年6月4日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)この手の知識はほとんどなかったのですが、非常に長い年代にわたる説明がよくできていると感じました。やはり、研究史的な側面は弱いのかなと思われましたが、長い時代区分に対する記事なので、さらに細かい時代区分の個別の記事に譲った方がよいのかもしれず、この分野に詳しくない人間には判断が難しいです。少なくとも、なぜこのような時代区分に分割されているのかについての説明は必要ではないでしょうか。たとえば、オルドビス紀とシルル紀は読む限りでは気候は似たようなもののようですが、間に大量絶滅事件があるから区分されていると考えてよいでしょうか。エディトリアルな点では、1つの段落が長めなので見た目的に文字がどさっとまとまっており、読む人間にややストレスを与える感があります。段落をもう少し分けた方がよいのではないかと思います。それから曖昧さ回避にリンクされてしまっているところがあり、とりあえずウィリアム・スミスは直しましたが、ジョン・フィリップスはまだ記事が無いようで、ジョン・フィリップス (イングランド人地質学者)でよいのでしょうか。アルフレッド・ウェーゲナーはアルフレート・ヴェーゲナーへのリダイレクトですし、長鼻類はゾウ目へのリダイレクトなのですが(他にも類似のものがある)、これはこうすべきとのお考えでしょうか。--Tam0031 2011年6月5日 (日) 09:00 (UTC) 少し修正--Tam0031 2011年6月5日 (日) 09:01 (UTC)[返信]
    • (お返事)執筆者Miya.Mです。長い記事を丁寧にお読みいただきありがとうございます。広い範囲の長い記事ですので、何を書いて何を書かずに置くか、どのように表現するか悩みました。のりまきさんの「アパラチア山脈」のご指摘については、写真の解説の中に取り入れさせていただきました。蒋龍さんの文章スタイルの件、見苦しい英語版へのリンクはできる限り整理しました。Tam0031さんの「年代区分」は、説をひとつ設けて表にしてみました。リンク先について、私の確認ミスです、すみません。生物名は全部英語版まで言って探しましたが、人物名がお留守になっていました。長鼻類かゾウ目かについては私も悩みましたが、古生物学で参考にした書籍のほとんどが「長鼻類」で表現されているので、それを採用しています。文章の分量がでかくて読みづらくなるだろうことは予想していましたので、今回は各紀ごとに生物の写真をギャラリーで入れてリズムを付けるようにしてみましたが、まだ要改良ですね。Miya.M 2011年6月5日 (日) 12:03 (UTC)[返信]
  • (追加コメント)コメントするのを忘れていたことがありました。「アントロポセン」の節で、「パウル・クルッツェンが約10年前に提唱し」というのはいかにもまずいです。具体的な年次に直す必要があります。何億年前とかいうのは、これから10年や100年人類の歴史が進んだところで変化しないでしょうからあまり問題はないかと思いますが、約10年はすぐ変化してしまいますから。Anthropoceneは、アンスロポセンではなくアントロポセンと読むものなのでしょうか?--Tam0031 2011年6月5日 (日) 14:58 (UTC)[返信]
    • (お返事)約10年前というのは、「アントロポセン」の脚注に上げた文献の表現です。手元の資料では年代は分かりませんので一応英語版の表記を元に修正しました。「アントロポセン」という表記も脚注に挙げた文献に従った表現です。本項目に記述した日本語表記については「アルフレッド・ウェーゲナー」などを含めてできる限り検証可能性のある表記にしてあります。その影響もあって脚注が200近くにまで増えています。日本語読みについて判明しなかったものについては「ペルム紀の双弓類w:Coelurosauravus」のようにローマ字綴りをそのまま残しています。Miya.M 2011年6月5日 (日) 16:00 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)長大な期間をテーマとした記事ですが、分かりやすくまとめられており、専門知識のない私でも読みやすい記事でした(長文ではありますが…)。質問とお願い・私見をいくつか記載します。
    • 「オルドビス紀は約5億年前から約4億4千万年前までの期間」とされている一方「約4億3900万年前のオルドビス紀末に原因不明の急激な寒冷化…」との記載があり、「ペルム紀は約3億年前からから約2億5100万年前までの間」とされている一方「ペルム紀の末の約2億5000万年前に史上最大規模の生物大量絶滅事件が…」と記載され、「三畳紀は約2億5100万年前から約2億年前までの時代」とされている一方「三畳紀の終わり約1億9900万年前に大量絶滅事件が」と記載されているなど三者ともちょうど100万年その時代から外れています。これはこの分野では100万年の差異はどうでも良いと扱われていることによるのか、あるいは、出典の著者の見解の相違によるのか、または別の要因なのでしょうか。「約」との記載とはいえ、100万年のずれはどうも気になるのでお教えください。
    • 脚注の中で、純粋に脚注的に内容の補足説明をする文章と、出典を表すものは分けられた方が読みやすいのではないかと感じました。脚注番号の多い本項では、特に対応が必要ではないでしょうか。
    • (脚注番号は多い一方、書籍としての参考文献はそう多くないので読み進めると慣れるのですが、)脚注には書籍名とページ数しか記載されておらず、参考文献の順番にも特段の規則性がないため、目視で探すのは(当初は)苦労します。脚注に著者名か発行年を入れ、参考文献を著者名順か発行年順に並びかえると可読性が増すと思われます。または、{{Cite book}}の引数「ref=」の機能を使うのも有効ではないでしょうか。是非、ご検討ください。
    • ところどころで出典が示されていない箇所が散見されました(例:石炭紀の最後、白亜紀の複数の段落の後半部分など)。概論的部分では後述される場合もあるのでそれほど気になりませんが、各論的部分の文章に出典が示されていない箇所が散見されるのは若干気になりました(私のくせですが、自然科学の分野の記事では何に基づいて書かれているのかは、いつも気にしながら読んでいます)。--Tatsundo h 2011年6月10日 (金) 19:03 (UTC)[返信]
    • (お返事)執筆者Miya.Mです。長い文章を丁寧にお読みいただきありがとうございます。まず100万年程度の年代の振れですが、基の資料によるものです。この点文中にも『地質学的な年代の具体的な数字が従来よりも正確に測定されるようになり、年代値の見直しが頻繁に行われている』と書いてありましたが、注釈に「資料によって年代値が異なる旨」を付け加えておきました。2番目の件、脚注と注釈を分けました。3番目の件、とりあえず参考文献を年代順に並べ替えました。あとで個々の脚注についても手を入れます。4番目の件、石炭紀の記述については「石炭」の項目に書いてありますので、その旨脚注で誘導しました。個人的考えですが、こういう大きな項目では個々に詳しく知りたい場合はリンク先の方も読んで頂くことを前提としています。Miya.M 2011年6月12日 (日) 04:55 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)化学は苦手分野なのですが、面白い記事ですね!一気に読んでしまいました。上手くまとまっていて、特に科学というものが様々な試行錯誤を経ながら進歩をしてきたのかが感じられる大変興味深い記事です。化学は苦手分野なので注文等は特につけられないのですが、基本的に文系人間の私としてはフロギストン説“評価”の項目、特にもっと広い意味での科学史的な位置づけについて「もっと知りたい!もっと読みたい!」と感じました。--のりまき 2011年6月3日 (金) 23:24 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)お誉めの言葉をいただき光栄です。実のところ、私も化学に関してそれほど詳しいわけではありませんでしたので、自分でも勉強しながらの執筆作業でした。評価に関しては重要な箇所だと思いますので、今後も文献をもう少し読み込んで、加筆できるようであれば手を加えていきたいと思います(詳細は蒋龍さんに対する回答にて)。--アリオト 2011年6月6日 (月) 15:04 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)真理を追求していく中で科学が辿ってきた道のひとつを、わかりやすく学ぶことが出来る良記事と感じました。簡単な数式が随所に配備されているのも理解を助ける上で大変有用であったと思います。瑕疵のないまとまった記事であると感じましたが、研究者によってフロギストンの定義が異なるため、それぞれの研究者が主張したフロギストンの定義を概説した節などがあると、さらに理解の助けになるのではないかと感じました。あと、のりまきさんも仰っているように、評価節をもう少し拡充していただくことが出来れば、フロギストン説に対する周囲の反応なども想像でき、さらに理解が深まるものと思います。資料があるかどうかはわかりませんが、もし加筆されたらぜひ再読してみたいと思います。--蒋龍 2011年6月4日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。研究者によるフロギストンの概念の違いに関しては、書いている自分でも少し混乱しているくらいですので、まとめるためにもあった方がよさそうですね。さて評価についてですが、フロギストン説に対抗するような有力な説は、ラヴォアジエ以前にはほとんどなかったので、フロギストン説は16世紀後半から17世紀の途中までは科学界で完全に認知された学説でした(この時代を「フロギストン時代」と表現している書籍もあります)。しかし…、地動説錬金術もおそらくそうだと思うのですが、こういった学説というのは、否定された後だと、科学史的には軽視されるか、悪者扱いされる傾向にあるようです。そんな訳で、現在ではフロギストン説(およびその支持者)は、「こんな風に、実験結果を無視して古い理論にこだわっているようだと科学は進歩しないよ」と、反面教師的な役割で描かれたりもしています。しかしその一方で、「いやいやフロギストン説は言われているほど非科学的でもないし、科学の進歩にも十分貢献しているよ」という意見も出てきています。…と、このような流れで、もう少し詳しく書ければと思います。--アリオト 2011年6月6日 (月) 15:04 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)とても順序よくフロギストン説の流れが説明されていて面白いです。「フロギストン空気の発見」の説では、キャヴェンディッシュは水素をフロギストンではないかといい、ラザフォードは酸素がなくなった空気をフロギストン空気ではないかと言っているようですが、これはまったく別に研究して出てきた対立した説だということでよいでしょうか。既に蒋龍さんも述べられているように、どういうものをフロギストンだと考えていたのか、考えた人と考えたもの、時期、などをまとめた表などにすると分かりやすいのかもしれません。--Tam0031 2011年6月5日 (日) 05:54 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。ご指摘のキャヴェンディッシュとラザフォードの研究は、おっしゃる通り、まったく別のものととらえていただいて結構です。ここの箇所は文章量が少なかったので同じ節にしてしまっていたのですが、やっぱり同じ節だと混乱しそうですので分割いたしました。また、少しややこしいですが、フロギストン空気とはあくまで(フロギストンで飽和した)「空気」でして、フロギストンとは別物です。ですので、フロギストン=水素説と対立しているわけではなさそうです。ラザフォードのフロギストン空気という概念は当時広く受け入れられたようで、キャヴェンディッシュやプリーストリーも、フロギストン空気という表現を(ラザフォードと同じ意味合いで)使用しています。各々のフロギストンの違いについては、表にするかどうかは未定ですが、私の出来る範囲でまとめたいと思います。--アリオト 2011年6月7日 (火) 15:53 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)Miya.Mです。いちおう化学専攻でしたのでフロギストンのことは知っていましたが、このような議論の流れがあったことは知りませんでした。面白かったです。「科学の理論の正当性というのは、目の前に起こっている事象をどれだけ正確に説明できるか、あるいは次に起こる現象をどれだけ正確に予想できるか、なんですよ」という恩師の言葉を思い出しました。Miya.M 2011年6月5日 (日) 09:55 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。Miya.Mさんの恩師の言葉には含蓄がありますね。科学史は専門家が少なく(日本で数十人しかいないらしい[3]。もちろん私も専門家ではありません)、そのせいもあってかwikipediaの記事も大部分が発展途上の段階です。何しろ、記事の重要度ではトップクラスであろう物理学の歴史が、つい先月まで未執筆でした(笑)。いや、笑っている場合じゃないか。まあ、科学史は専門雑誌もあり、とっつきやすい本(科学者の伝記など)もそれなりにあったので、私のような専門外の人間が記事を書く分野としては、割と良かったのではないかなと思っています。--アリオト 2011年6月7日 (火) 15:53 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)とても読みやすくまとめられている文章だと思いました。また、適切に出典が示されており、かつ、その出典も日本語によるものに基づき執筆されていることも「ウィキペディア日本語版」としてWikipedia:検証可能性#情報源/ソースの観点からとても好感が持てる記事でした。若干でも記事の向上に資すればと考え、私見を以下に述べます。
    • ジョゼフ・ブラックによる二酸化炭素の発見に関するくだりは、発見年(または年代)が記載されていた方が歴史の流れとして読みやすいと感じました。
    • 1802年のプリーストリーの手紙部分と評価の節のハーバート・バターフィールドの発言部分の2箇所は、これらの原文自体に対する著作権保護期間は既に経過しているものの二次的著作物である日本語訳の保護期間は過ぎていますでしょうか。あるいは、いずれかの他言語版のWikipediaから執筆者が翻訳したものであれば問題ありませんがいかがでしょうか。参考文献とされた日本の書籍からの引用であるのであれば、ラヴォアジエの1785年の論文同様 {{Quotation}} を用いて引用であることを明確化しておく必要があるように考えます。--Tatsundo h 2011年6月7日 (火) 17:33 (UTC)[返信]
      • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。ブラックの二酸化炭素の発見の箇所に年号を付記いたしました。どうも私は年号をおろそかにしてしまいがちなので、今後気をつけたいところです。また、ご指摘いただいた引用箇所に関しては、日本語訳された参考文献からのそのままの引用です。引用箇所をかぎかっこでくくって、出典をつけておけば引用であることが分かるだろうからこれでいいかなあ、と思って書いていたのですが、{{Quotation}}を使わない大きな理由もございませんし、確かに使用した方が明確ですので、修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。--アリオト 2011年6月9日 (木) 15:04 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)数学は最も苦手な分野の一つなので清々しいくらいにわかりません(苦笑)。ただ詳細かつ丁寧な説明がなされ、形式的にも整った質の高い記事であろうことは想像できます。ただ数学記事は全く分野外なので場違いな注文であったら申しわけないのですが…当記事はほぼ徹頭徹尾内容の詳細な説明であり、これまでどのような研究がなされてきたのか、そして社会生活上でどのような応用がなされているのか等、項目の内容について理解をより深められる面の記述が、他のC分野エントリー記事に比べて薄いように感じましたがいかがでしょうか?--のりまき 2011年6月3日 (金) 23:35 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)集合や計算複雑性理論の基礎をそこまで身につけていないため、内容を完全に理解できた自信はありませんが、マトロイドについて調べたいと思う人にとって知りたい内容は網羅されているのではないかという風に感じました。ただおそらく初学者にとってはとっつきにくいものと感じましたので、もし可能であれば、具体的な例などを交えて簡単な解説があると、マトロイドを全く知らない人の理解の助けにもなるのではと思います。少し調べてみましたら、マトロイドという概念は電気回路網の構築や大規模システム解析などにも応用されているらしいということでしたので、その辺りについての記述があれば、さらに興味深い記事になるものと思います。--蒋龍 2011年6月4日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)きわめて抽象性の高い数学の話で、集合の集合というようなメタな議論が出てくるので読解に大変苦労しました。まだおおまかな感じを掴んだだけで、詳細には理解できていませんが、組み合わせ最適化問題への応用の話のところでどれだけ重要な概念なのかが分かりました。ただ、数学の教科書としてならこれで大変よく書けているのかもしれませんが、のりまきさんもおっしゃっておられるように、百科事典の記事としては不足ではないかと思います。ちょうどベクトルマトロイドのところで、筑波大学のウェブサイトへの外部リンクがありますが、そこにあるように誰が最初に発案してどのように考えを展開したのか、そういう歴史的な経緯についても触れなければ、百科事典の記事ではないと思います。フェルマーの最終定理の記事は、定義とワイルズの証明を示せばことたれりなのではなく、歴史的にどのように取り組まれてきたのかの方が大きなトピックになっているのと同様だと思います。教科書的と思われるのは他にもあり、たとえば定義の節で「マトロイド及び独立性システムの定義を与えたが、ひどく抽象的で理解しづらいかもしれない」とあったり、最良選択貪欲法の節で「独立性システム(E,F)とに対する最大化問題を解こう。」とあったり、講義を採録したような口調になっているところがあり、記事としてはやや違和感があります。数学の教科書ではこういう書き方もあるのでしょうけど。その他、箇条書きで疑問点などを示します。--Tam0031 2011年6月4日 (土) 17:47 (UTC)[返信]
    • 参考文献の節と出典の節が使い分けられていますが、一方がgeneral citationで他方がinline citationの関係にあるわけではないようです。どのような使い分けでしょうか。
    • 定義のところでマトロイドについては例を挙げてありますが、グリードイドと独立性システムも例を挙げてはどうでしょうか。グリードイドは特に必要性が高くないかもしれませんが、独立性システムは後でかなり一般論として触れられているので、うまい例があれば理解しやすいと思います。
    • グラフ的マトロイドの説明で、F={f⊆E2,|f|≦2}とありますけど、E2とは何でしょう? 2Eなら納得するのですけど。
    • ランクは独立次元がどれだけあるかということなのだと思いますが、閉包とランク商はどういう意味を持つのか、直感的に理解が難しいです。何かいい説明はないでしょうか。
    • ランク商の節、ρ(X)の定義で集合定義を閉じるカッコがありません。
    • 「族」と「オラクル」が曖昧さ回避にリンクされていますが、妥当なリンク先がまだ無いなどの理由で故意にそうしているのでしょうか。
    • 全体として、論理展開の上で証明が必要なときにその証明が載っている論文などを示すような形で出典付与が行われているように思われます。これは数学の記事としては一般的なのでしょうか。数学の教科書ならこれで十分なのは分かりますが、ウィキペディアの記事は論理の合成とかをかなり嫌うので、何でもべたべたに出典を貼り付けるのが一般的に思われます。
  • (ライバルコメント)数学の苦手な化学系出身のMiya.Mです。非常に良くまとまってよく説明されているのだろうと感じますが、何が書いてあるのか分かりませんでした。他の方もおっしゃれているように、初学者が興味が持てるような手がかりがあれば、もっと良いのではと感じました。Miya.M 2011年6月5日 (日) 09:55 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)数学分野の記事としては比較的多くの出典が示されている点は好感を持ちました。欲を言えば、参考文献に示されているような日本語による総説などが文中の出典と紐付いているとより良いと思いました。また、Tam0031さん言われているように歴史的な側面からも記載されると百科事典の記事としてより良い記事になると私も思います。--Tatsundo h 2011年6月11日 (土) 14:30 (UTC)[返信]

分野C

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  • (審査員コメント)正直とってもコメントしにくいのですが…現在の版について簡単にコメントいたします。絵画の内容についてざっと知るためには現在の内容である程度満足することが出来ると思います。ただ極めて破天荒な傑作である本作品についての説明としては物足りない印象は否めません。またこの作品が与えた影響についても、もっともっと書くべきことがあると思います。またあまり形式的なことは言いたくないのですが、「参考文献」ではなく「参考資料」となっていて、脚注が「参考資料」に基づいて記されているものなのかはっきりせず、現状では記事の検証可能性に問題がある状態であると思います。--のりまき 2011年6月6日 (月) 11:54 (UTC)[返信]
    • コメント、ありがとうございます。履歴をご覧になればお分かりのように、元々は秀逸な記事に選ばれている英語版からの翻訳でしたが、鈴木早智子さんにより大幅に改訂されたものです。翻訳能力は別にして、改訂前の版ならば物足りなさは幾分なりとも解消されたのではないかと残念に思います。--Bletilla 2011年6月6日 (月) 15:19 (UTC)[返信]
      • (第三者コメント)当該記事のノートにも経緯を書きましたが、お二方のコメントを拝見して、勝手ながら英語版から冒頭文と外装に関する記述を訳出し、現在の構成に合わせる形で加筆しました。少しでもこの「問題作」の説明に寄与できているといいのですが。ただ、これ以上英語版から加筆してしまうと鈴木早智子さんお書きの内容の全面置換となることもあり、以降の訳出、加筆の予定は現状考えていません。--光舟 2011年6月8日 (水) 14:14 (UTC)[返信]
        • 光舟さんどうもありがとうございました。記事の見通しが良くなったと思います。Wikipedia日本語版には多くの方が参加していますので、今後の記事強化を待つのも良いかと思います。--のりまき 2011年6月9日 (木) 10:52 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)絵画の内容を知るという点で、きれいにまとめ上げられていると思います。こじんまりとまとまっているという感じでしょうか。当初目的は十分に達成されていると思います。今後どのように記事を成長させるのかうまく合意を形成しながらよりよい記事に仕上げていっていただければと存じます。パッと見て、まず、この絵は何だろうか非常に興味をそそられる記事で、導入もスムーズです。今回は執筆コンテストということでお疲れ様でございました。今後も合意形成のもと、皆さんで継続執筆されることを望みます。--御門桜 2011年6月9日 (木) 11:01 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)一読した印象は「バランスが良い記事だな~」です。文化面の記事に必要な内容が、コンパクトかつわかりやすい言葉でまとめられており、今回の8エントリー記事の中で最も良くまとまった良記事と思います。特に歴史面の記述は文化記事の模範となりうる質の高さであると感じました。ただ私としては例えて言うなら美味しいコース料理なのだけれども「もっと食べたい!」という感じがするのが否めません。例えば関連項目の中にはロシアの偉大な作曲家らがスコモーロフを題材に取り上げていることが記載されていますが、スコモーロフがロシアの文化にどのような影響を与えていったのかをもっと知りたいと感じるなど、全体的に見てスコモーロフが文化に与えた影響面に関する記述が弱いです。あとこれはたぶん研究が少ないと思いますので難しいとは思いますが、“漂白の芸人”といった存在は世界各地に認められますが、世界各地に見られた漂白の芸人という存在の中でのスコモーロフの特徴のようなものを記述できれば、より記事の内容が深くなると感じました。--のりまき 2011年6月3日 (金) 22:27 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)どうもありがとうございます。スコモローフは、クラシック音楽でちらちら名前が登場して、謎な存在だと思っていたのが執筆の背景にあります。ようやく形になったかな、というところでして、のりまきさんのご指摘は、まったくそのとおり、私がまだ書けていないと思っていたところそのままです。前者については、資料をあさりましたが、簡単には得られない情報のようです。また、昨年あたりからロシア物に手を出すようになったのですが、基礎知識のなさを痛感しています。後者については、Peccaflyさんに相談した時にも同様の助言を受けており、念頭にはあるものの、漂泊芸人の文化を横断するような研究が必要だと思います。すぐには無理ですが、今後も気にかけていきます。--みっち 2011年6月3日 (金) 23:20 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)まず概要から始まり、歴史、文化、現在の研究などしっかり記載されている記事です。出典もしっかりしております。どうも百科事典と言えば堅苦しい言い回しになりがちですが、ぱっと見て分かるそんな記事に仕上がっています。特に楽器とか具体的な写真があり「このようなものか」というのがよく分かるようになっているのはすばらしいと感じます。しかし、もっと調べたい人にとっては記事が物足りないと思います。その点につきましては、上記コメント拝読致しまして、ご自身の書けてない部分がおわかりになっていらっしゃるようですので、是非今後記事の発展に努めて頂ければと思います。お疲れ様でございました。--御門桜 2011年6月5日 (日) 15:44 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。「物足りない」点について、少し言い訳させてください。スコモローフの影響が大きかったといわれているものに演劇と音楽があるのですが、例えばフランシス・マースの『ロシア音楽史』では、中世までのロシア音楽について、スコモローフへの言及がまったくありません。唯一、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『狐』の項で、この曲にツィンバロムが使用されている理由としてスコモローフに触れているのですが、ここでなにが書かれているかというと、「演劇史の研究者たちはしばしばこれ(スコモローフの芸のこと)をロシア演劇の前身と捉える。だがこの見解がどんなにもっともらしく見えても、彼らが物語を演じたという証拠は史料に残っていない」(p.453)。これがマースだけの見解なのか判然としないのですが、中世スコモローフの記録の多くはロシア正教によるいわば弾圧側の記録であること、また、彼らの芸が口承で民衆儀式や民謡と同化してしまったために、台本や楽譜として伝わらず、史料的に一種の断絶状態があるのではないか、「キルシャ・ダニーロフ集」はその希少な例外? などと推測しているところです。以上は独自研究にすぎませんので、今後も加筆できそうな文献がないか、気をつけたいと思います。--みっち 2011年6月6日 (月) 10:07 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)「来歴」はとてもよくまとまっていて、マックス・ローチというジャズミュージシャンについてよく知ることが出来る内容だと思います。反面「評価」はちょっと寂しいですね。これだけのミュージシャンであるならば、他のジャズミュージシャンに与えた影響等、もっと書けることがあるような気がします。またジャズという音楽ジャンルにおけるマックス・ローチの位置づけについても、出来ることならばもう少し知りたいと感じました。--のりまき 2011年6月4日 (土) 10:11 (UTC)誤字訂正--のりまき 2011年6月4日 (土) 10:14 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)よく調べてありますね。写真もあり、テンプレートもしっかり埋まっております。マックス・ローチというミュージシャンについて、どういう人物なのか、調べごとをするには十分な記事です。まあ当初23言語に有りながら日本語版記事はしっかりしていないということで執筆されており、今英語版を見ましたが、英語版の方も「評価」の項目があまり記載がないようですし、確かに物足りない感じは致しますが、少なくとも英語版と比べても遜色のない記事に仕上がっていると思います。もしそのような評価、影響が分かりましたら、是非加筆をお願い致します。お疲れ様でした。--御門桜 2011年6月5日 (日) 15:30 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)評価ありがとうございます。ここしばらく、多忙につきログインもままならず、御礼が遅れてしまいすみませんでした。ミュージシャンの評価に関しては、日本語版・英語版問わず、しばしば独自研究やエッセイの類にまみれていることが多いため、評価については特に「出典を明記する」「ちゃんとしたプロのミュージシャンやジャーナリストの意見のみ取り上げる」ことを重視しました。日本語版のジャズ関連記事は、まだまだ質・量ともに改善すべき状況なので、今後も自分のペースで貢献していければ…と思います。--Ikespirit 2011年6月25日 (土) 00:23 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)よくまとまった記事と思います。特に“作品概要”の項で説明されている、漫画作者の本作品に対する思いの部分については読ませる内容であると感じました。難点は、当作品が“漫画”という文化ジャンルにおいてどのような位置づけにあるものなのかなど、作品の客観的評価についての分析が欠けている点であると思います。--のりまき 2011年6月4日 (土) 09:56 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)評価ありがとうございます。難点の後者の部分ですが、ドラえもんのような有名作の評価に当たる部分を読んで、自分なりに検索にかけて探して付け加えてみました。仰りたかったことというのは追記したような感じでしょうか?まだ出版されて日が浅いのもあってそうはないのと、どうしてもネット上に挙がるブロガーの評価になってしまうんですねぇ・・・。それゆえにウィキで引っ掛かる人や店舗の行った作品評価を参照にして載せてみました(直接的な引用はなるべく避け、繋いだ文章にしてはありますが)。前者の部分(“漫画”という文化ジャンル)に関しては、いまいちよくわからないのですが・・・。エッセイコミックやノンフィクションマンガという位置付けのことではないかと思っていましたが・・・。--アレックス 2011年6月4日 (土) 18:55 (UTC)[返信]
    • 確かに出版後日が浅い作品の場合、客観的評価について文献も揃っておらず書くが困難であるという事情は理解できます。難しい注文をつけてしまったようで申しわけありません。あと文化ジャンルの位置づけについて、説明不足であったようで申しわけありません。私は、「まんがかぞく」の漫画としてのジャンルのことはばかりではなく、芸術作品は制作時点の社会情勢に影響を受けているものなので、「まんがかぞく」はどのような現在の社会情勢に影響を受けている作品なのか、また「まんがかぞく」という作品はどのような先輩漫画家(漫画家に限らないのかもしれませんが)の影響を受けているのか、そしてことに優れた芸術作品は他の芸術家の作品に大きな影響を与えていくものですので、もしあれば「まんがかぞく」が他の漫画家の作品にどのような影響を与えているのか等の記載があれば、より作品の位置づけについての理解が高まると考えコメントをさせていただきました。繰り返しになりますが出版されて日が浅い作品なので限界はあると思います。ご検討いただければ幸いです。--のりまき 2011年6月4日 (土) 23:48 (UTC)[返信]
      • (執筆者コメント)詳細な説明ありがとうございます。「先輩漫画家(漫画家に限らないのかもしれませんが)の影響」に関しては本文中でも触れていますね。筆者はブログ内で『「編集王」の影響を受けた』とあったので、記載してあったかと思います。他作品の影響はまだ図りかねますね。恐らくもう何年してから・・・なんてことになるんでしょうか(苦笑)?あと、評価に関しては1巻の帯にコメントを寄せたちばてつやさんと里中満智子さんのコメントを追記しておきます。--アレックス 2011年6月6日 (月) 15:29 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)拝読させて戴きました。1年弱のしかも現在進行中の作品で、興味深い作品、ちょっと(漫画を)読んでみようかな、という感じにさせる記事です。個人的には連載期間の割にできるだけまとまった記事だと評価します。確かに作品の客観的評価とかはまだまだつけようがないですので、この記事はこれからの発展性に期待できるのではないかと思います。現在連載中ですので、これからが勝負の記事でしょう。是非継続して戴ければと存じます。--御門桜 2011年6月5日 (日) 15:16 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)評価ありがとうございます。そこまで評価を頂けると書いたかいがありました。「現在連載中ですので、これからが勝負の記事」に関しては今は答えないで、反省会のあたりで話そうかと思います(もったいぶってるだけで、言いたくないわけではないです(笑))。--アレックス 2011年6月6日 (月) 15:29 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)興味深く読ませていただきました。読みやすくわかりやすい表現で書かれており、エログロ系の写真は中には苦手な人もいるかと思いますが、写真も効果的に利用されていて理解を助けており。私としては今回C分野にエントリーした8記事の中で最も面白い記事と感じました。ただどのようにインプラントという文化が発生し、広まっていったのか、また現代文化における位置づけ等、文化的な面の記述が弱いところが難点だと思います。この点が強化されれば記事により深みが加わり、更に良い記事になると思います。--のりまき 2011年6月3日 (金) 21:59 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)先日、とあるテレビ番組で、トラに人体を改造した人を取り上げていたのを思い出しました。写真が多用されており、すぐにイメージがわきやすく、且つ読みやすい記事であると思います。恐らくこのように身体を改造するようなものは(歴史的に行われている身体改造の記事とは違い)ごく最近始まった物であろうと考えられますから、もう少し歴史面に触れても良かったかと思いますが、如何でしょうか。それはさておき、個人的な疑問ですが、この記事にあるような、妖精の耳のように(エルフ耳)人体改造するのはこの項目に該当するのでしょうか?興味深い記事でありました。お疲れ様でした。--御門桜 2011年6月4日 (土) 05:08 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)レベルの高い良記事であると思います。内容的には様々な視点から的確な記述をされており、また図版も上手く使用していて、その点からも高評価を与えられます。気になったところとしてはいわゆる“偽書”というのは洋の東西を問わずこれまで多く作られてきましたが、偽書の歴史のようなものの中で、シビュラの託宣がどのような位置づけにあるものなのかについての記述が欲しい点と、シビュラの託宣が果たしていつの時代から“偽書”と見なされるようになったものなのかなど、文献学的な研究史についての記述が欲しいと感じました。--のりまき 2011年6月4日 (土) 10:39 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。前者は手持ちの範囲内では見たことがありません(外典の中での位置づけでなら、アーマン『キリスト教成立の謎を解く』2010年、の中で、敵である異教徒すらも預言しているということがキリスト教の権威を持ち上げることにつながったという形で説明されていますが)。後者も分かりませんが、本文にあるように学術的に意義のある版は19世紀以降とされているので、当然それ以降なのだろうとは思います。思い切り言い訳じみた物言いになりますが、私にとって大きなハンデなのは、評価の高いゲフケン版が主にドイツ語とギリシア語という私が読めない言語で書かれていて、ほとんど利用できないことです(脚注でゲフケン版を数箇所使ったのは、ラテン語で書かれているなどかろうじて参照可能だった箇所です)。日本語文献の蓄積もきわめて限定的ですし、今後加筆できるかは分かりません。ただ、言われてみて確かにあった方がよい話だと思いました。--Sumaru 2011年6月5日 (日) 04:03 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)履歴を拝見させていただきました。まず短時間にこれだけまとめ上げられており、いくら元が英語版の記事から一部移入したとはいっても、大変ご苦労なさったのではないでしょうか。内容的にもしっかりと出典を明記されており、図版の効果的な利用が栄える記事になっていると感じます。巻数は写本に書かれていたものがそのまま踏襲され、第9巻と第10巻は欠番として扱われるのが普通である。との記載がありますが、なぜ欠番にする理由があったのか(推測ですが、例えば9巻・10巻は存在しなかったのか、実際には存在したが行方不明なのか、等)想像力がかき立てられます(上記コメントを見るとかなり文献が限定されているとのことなので、不明確なのでしょう)。短期間にこれだけ良質な記事を書き上げられたことに敬意を表します。おつかれさまでした。--御門桜 2011年6月5日 (日) 14:52 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。11巻以降は日本語文献ではひとこと触れられていれば良い方というくらいに言及が乏しく、テクストの日本語訳も存在しません。そのため、今回の執筆で一番苦しんだところで、正直申し上げてまだ分からないことがいくつもあります。頂いたコメントとも関連しますが、現存する12種の写本それぞれに何巻分の内容が含まれているのか、それらは巻の番号が全部共通しているのかなども知りたいのですが、集めている範囲の(自分で読める)資料では分かりません。
      英語圏の新しい研究もかなり限られるようですが、その中では評価が高い(らしい)J.J.Collinsという方の文献を今取り寄せ中なので、そこにのりまきさんや御門桜さんからお寄せいただいた点にもお答えできる内容が含まれているとよいのだけれど、と思っております。--Sumaru 2011年6月6日 (月) 13:42 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)執筆お疲れ様でした。壮絶な生涯やその唄の素晴らしさ、何より人として非常に芯の強い方というのがまざまざと感じられ、涙を禁じずにはいられませんでした。数多くの資料をまとめ上げるのも苦労されたと思います。
    • それゆえに、簡単にどういう人となりかを知るうえで、「概要」が必要ではなかったかと思います。私の考えで恐縮ですが、概要には2種類あって、各項目に書き加えにくい点をまとめ上げる意味と様々な項目を簡単にまとめ上げる要旨の意味のどちらかと思っています。今回の場合、後者の部分で必要なのではないかと思います。彼女がいかなる個性を持った人物で、いかなる生涯を送りかついかなる唄を唄っていたかなど、各目次の部分を読書感想文で言うところの原稿用紙×枚でまとめたものがあると親切なのかなと思います。そこから興味を持った人がさらに読んでいく・・・というふうにすれば、要旨の言いたかった部分を補完できるのではないかと今回の記事の場合思います。
  • ともあれ、内容に関しては感服するばかりです。自分の書いてるのがいかに薄っぺらいんじゃないかと苦悩しております(苦笑)。--アレックス 2011年5月31日 (火) 16:09 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)ありがとうございます。そこまで感銘を受けて下さって、執筆した甲斐があったというものです。ご指摘の概要についてですが、概要節を設けるか冒頭部をもう少し大きくするか、方法は色々とあるかもしれませんがおっしゃる通りもう少し充実したまとめがあるとより良いかもしれませんね。コンテストの期間内にできるかどうかわかりませんが、チャレンジしてみます。--Pastern 2011年6月3日 (金) 14:59 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)参りました、地味だけれども味わい深い…まさに私が好んで執筆するようなテーマです(笑)。出典、整理、読みやすさ等、とりたてて大きな問題は見当たらず、質の高い記事であると思います。ただ記事のテーマ的に難しいのかもしれませんが、記事はほぼ徹頭徹尾本人の伝記的内容になっていて、ご本人が与えた社会的影響などの記述が(あれば)欲しいものだと感じました。あと欲を言えば写真はやはり厳しかったでしょうか?--のりまき 2011年6月3日 (金) 15:07 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)ありがとうございます。社会的影響についてはどうしようか迷っていた部分で、鋭いご指摘です(笑)。とりあえず、ハルの教えを受けた弟子の手で、死後もその芸が継承されているという点について記述してみました。本当は独立した節ができるくらいに書きたいのですが、資料不足です(1970年代に瞽女唄のブームが起こったようなのですが、残念ながらその中で小林ハルがどう位置づけられるのかまではわかりませんでした)。写真も悩みどころです。せめてご本人に関連する画像があればいいのですが適当なものが見当たらず、居住地から遠く離れた地方の方ですので自分で撮影に行くこともできませんでした。--Pastern 2011年6月3日 (金) 18:18 (UTC) (加筆)--Pastern 2011年6月4日 (土) 01:25 (UTC)[返信]
  • (追加コメント)コメントを読み返していて、のりまきさんがアウトサイダー・アーティストの記事を手がけられていることを思い出しました。この記事を気に入っていただけたのでしたらとても光栄です。--Pastern 2011年6月4日 (土) 01:25 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)まず単に記事分量ですが、履歴を拝見させていただきましたところ、5月8日の時点で3,236バイト、その後ずいぶん執筆をされて6月4日の版では94,148バイト、1ヶ月弱の間に約90,000バイトという、大きな記事にされた点、大変お疲れ様でございました。また出典もしっかりされ、全く知らない人が読んでもある程度人物像が分かる記事に仕上がっていると思います。写真ですが遠隔地で撮影に行けず、適切な写真も見当たらないと云うことで、残念ではありますが、致し方ない事情かと思います(勿論写真はあった方が良いと思います)。伝記に主点を置かれたのでしょうか、「黄綬褒章授与」「無形文化財」という評価はありますが、一般的な人物評価に触れていただければ良かったかと思います(そのような資料はある物でしょうか?)。短期間で大変すばらしい記事をお寄せ頂きありがとうございます。--御門桜 2011年6月4日 (土) 04:08 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)労いのお言葉ありがとうございます。一般的な人物評価ですか…これは難しいですね。何しろ伝記の著者たちがハルさんを取材し始めた時、すでに世間から隔絶されたと言ってもいい環境に身を置いていましたし、親族とは絶縁に近い状態、おまけにご本人が自己主張をしない性格、ということで周囲のごく限られた人々の証言をもとに人物像を紡いでいくしか方法がありませんでした。写真は本当に1枚でいいのでご本人が写ったものを掲載したいところですが…そもそも写真を撮影できた方が限定されているというのがネックです。--Pastern 2011年6月5日 (日) 04:21 (UTC)[返信]
  • (追加コメント)なるほど、そういう隔絶されていたという点がありましたね。おまけに親族とほぼ絶縁、要するに資料がない、一般的な評価は難しいでしょうね。ありがとうございます。--御門桜 2011年6月5日 (日) 15:02 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆たいへんお疲れさまでした。今まで小林ハルさんについて存じていなかった私、記事を拝読して、彼女に対する周囲の辛い仕打ちや、それにもめげず生き抜く力強さに思いをめぐらすと、一晩眠ることができませんでした。小林ハルさんを思うと、私自身が平素からいかに取るに足らぬことに不平や不満を並べているか、心から情けなく感じる次第です。「今のような世情だからこそ、この記事を書くことに意味がある」とのPasternさんのお言葉には、ただただ意を同じくするものです。分かりやすい文章で、ひとりの人間像を精緻に表現されたことに、敬意と感謝を表したく存じます。--もかめーる 2011年6月7日 (火) 03:24 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)ありがとうございます。そこまで言って頂けると、本当に執筆者冥利に尽きるというものです。私も最近はストレスを感じるような場面でも、この程度のことはハルさんの苦労に比べれば何でもないと思うようになりました。--Pastern 2011年6月7日 (火) 11:45 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)執筆お疲れ様でした。この手の記事は「一個人の思い入れ」が非常に滲みやすいので、いかに中立性を保つかで苦労されたのではないかと思います。その点において、周囲に意見を求めたのは非常に賢明な判断だったと思います。
    • ただ、いくつかの点で気になるところがありました。執筆コンテスト終了後に直したいなと個人的に思った点でもあります。以下の通りになります。
  1. 主要・複合・派生それぞれのジャンルの基準
  2. 主な作品が日本での視点に偏りがちになっている部分
  • (審査員コメント)私個人としてはあまり出典についてうるさく言いたいタイプではないのですが…やはり出典が全くないことは今後極めて大きな改善を要する点で、正直なところ現在の記事ではあまり高評価は与えられません。しかしアレックスさんもおっしゃられていますが、当記事の強化に着目し、まとめに努力されたことは私も高く評価します。それは記事のテーマ的に、今回C分野にエントリーした8記事の中では、今後当記事が最も発展性を有する記事であると感じますし、まさに様々な視点からいかようにも深くなりうる記事であると思うからです。今後とも当記事の強化を楽しみにしております!--のりまき 2011年6月3日 (金) 14:49 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)ここまでまとめ上げられましたことは敬意を称します。これからこの記事は恐らく良く参照されてくる記事になることでしょう。以下に気になった点を記載します。
  1. アクションパズルに該当する代表作が記載されておりませんが、他の項目と同様に2〜3例示をされたほうがぱっと見て「ああ、このゲームか」というのが分かりよいと思われますが、この点如何でしょうか?
  2. 「アクションアドベンチャー」として「ゼルダの伝説」とありますが、「ゼルダの伝説」の項目には「アクションRPG」とも併記されています。どちらかという点で気になります。任天堂の公式では「アクションアドベンチャー」に分類しているようなことがもし出典で分かるようなものであれば、出典として明記した方が良いと思います。

個人的には良くまとまった記事だと思いますが、まだまだ発展する記事だと思います。記事の強化に期待しております。--御門桜 2011年6月4日 (土) 03:42 (UTC)[返信]

コメント 今回の記事を製作した者ではありませんが、私が横やりながらお答えします。
  1. のアクションパズルの代表作ですが、実はパズルゲームの代表作で上がっている作品が全てアクションパズルの代表作だったりします(アクションパズル参照)。この中で挙がっているもの以外では、世界的に知られている作品でもある「ロードランナー」(ブローダーバンド社の代表作)がその一つとしても挙げられるでしょう。逆に言えば、純粋なパズルゲームの代表作がコンピュータゲームでは出てこなかったということが言えるのかもしれません(マイナーどころだと、私の思い浮かぶ限り、倉庫番上海 (ゲーム)きね子くらい)。これは既にコンピュータゲームになっていなくても有名ないしはプレイできるという点ではないかと考えられます。
  2. に関しては、最新作兼リメイク作になるゼルダの伝説 時のオカリナの公式サイトを見ると、アクションアドベンチャーとの表記があります(「ゼルダの伝説 時のオカリナ3D」公式サイト)。初期の頃(主にファミコン・スーパーファミコン・ゲームボーイ)のゼルダシリーズは技術的限界から平面構成な作品に終始しており、その点でアクションRPGに分類されていたものと考えられます。しかしグラフィックなどの技術面の向上が進むに従って、TPS(サードパーソン・シューティング)ライクな立体構成が組めるようになり、次第にアクションRPGだけでなくアドベンチャー的要素が加わっていったものと思っています。同様の経緯はメタルギアシリーズでも言えることです。
以上になります。ご参考までによろしくお願い致します。--アレックス 2011年6月4日 (土) 09:22 (UTC)[返信]
先日アレックスさんにご指摘いただいた「主要・複合・派生のそれぞれのジャンルの基準」ですが、これは今週のランキング|メディアクリエイトを参考にしました。ジャンルの項目に「ETC」と書かれていないものを主要ジャンルとして挙げています。また、同じような分類法の例として[4]があります。
この2つは外部リンクに加えるべきでしょうか?--Newgreen 2011年6月4日 (土) 13:13 (UTC)[返信]
早速いろいろとご教示賜りありがとうございます。アレックスさんに横やりを入れて頂きましてこちらも勉強になります。
  1. 「他のジャンルの説明には具体的なゲームの名前が挙がっているのにここだけ上がっていないのはなぜ?」と思ったので、「2〜3例示を」と書かせて戴きました。なるほど、純粋なパズルゲームという物が少なくて、ほとんどアクションパズルになってしまうのですね。この点は理解できます。かといってここだけ代表作的な具体的作品名がないと、「あれっ?」という違和感が生じたのです。
  2. 「ゼルダの伝説」に関しましては、アレックスさんの説明が非常にわかりやすい解説です。これなら納得できます。ただジャンルの紹介にこれだけ書いておくのは酷ですので、「ゼルダの伝説 時のオカリナ3D」公式サイトのリンクがあれば、検証可能性の観点からしても、出典の明記の観点からしても、よりすばらしい記事になるのではないか、と思います。
最後にこのように良い横やり(ライバルコメントに対してフォローコメントのような)ものが入るということは、非常に良い傾向ではないか、ますます発展する記事ではないか、そのように抱かされます。すばらしいことです。これからのさらなる執筆に期待します。ありがとうございました。--御門桜 2011年6月4日 (土) 15:24 (UTC)[返信]