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Wikipedia:査読依頼/宮古島島民遭難事件 20110712

この事件は記事となるには十分の価値があると思われますが、日本語、編集、など問題があると思われます。査読をお願いします。--Ichiro Kikuchi 2011年7月12日 (火) 10:16 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
【その他】 ──表記・文体など
一つ一つの文が長く、全体的に読みづらい印象を受けます。他のFA、GA記事をお読みになり文章を初めから作り直した方がいいかもしれません。--Lime line 2011年7月12日 (火) 10:27 (UTC)[返信]
コメントご教示有難うございました。できましたら、どのFA,GAの記事を参考にすべきかお教えください。文章を短くしたいと存じます。--Ichiro Kikuchi 2011年7月12日 (火) 11:34 (UTC)[返信]
参考すべき記事くらいご自分で選別くらいしてほしいものですが。それに、文章を短くするのではなく、1つ1つの文を短くしてほしいと述べています。文章量を減らせとは申し上げていません。--Lime line 2011年7月12日 (火) 20:07 (UTC)[返信]
まずWikipedia:秀逸な記事の選考/宮古島島民遭難事件Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/宮古島島民遭難事件 20110627で指摘された点を改善してください。次々と選考・査読依頼を提出するのは意欲的でよいことだと思いますが、1つ1つの指摘を丁寧に受け止めて記事を改善しなければ、意味がありません。--Trca 2011年7月15日 (金) 03:36 (UTC)[返信]
すでに指摘した問題が改善するまでコメントは控えるつもりでしたが、急いで対応すべき点を確認したため追加でコメントします。脚注の37で書籍から引用した旨の記述がありますが、引用範囲が明記されておらず、引用部文と他の文章が区別できない状態のため、引用の要件を満たしません。Wikipedia:引用のガイドラインを参考に訂正してください。訂正後、問題のある版の版指定削除依頼を提出します。法的問題がありますので、数日待って対応をいただけない場合、訂正を待たずに削除依頼を提出します。--Trca 2011年7月15日 (金) 13:41 (UTC)[返信]
コメント大変興味深い内容であり、記事の健全な成長を望みますが、他の方々が指摘されているようにレイアウト、文体に改善の余地があります。こちらでも少し手を入れさせていただきましたが、まず全体的に改行が少なく、読む気が失せるように思われます。適切な改行をするだけでも随分印象が違って来ると思います。--Phenomenology 2011年7月15日 (金) 17:17 (UTC)[返信]
Phenomenologyさん。コメント有難うございます。改行をもっと頻繁に致します。原文からもっとわかりやすい文字に変えます。私は以前から原文を尊重しすぎると考えました。分かりにくいですね。Trcaさん 引用についても訂正いたします。何回も指導を受けた理由は、勉強の方法がわからなかったことと、以前ハンセン病の経験で勉強になったことで考えたわけです。--Ichiro Kikuchi 2011年7月15日 (金) 22:25 (UTC)[返信]
引用範囲を示す鍵括弧がつけられましたが、これは本当にもとの論文p.50からの逐語的な引用ですか?私には、この範囲を見つけることができませんでした。このままでは原文の改竄にあたり、より悪質です。引用文とそうでない文を明確に区別できる状態にしてください。--Trca 2011年7月16日 (土) 00:59 (UTC)[返信]
ごめんなさい、それ多分私の編集した部分です。内容と文体からみてそのまま引用したものであるように思えたものですから。必要な手当てをしておきました。後世の人間の論評に過ぎないので、正確な引用は不要で、要約だけで十分に思えるからです。ところで、この部分に限らず、事件の当事者でもない人名が太字強調付きで頻繁に本文に登場し、~~の書によると云々としばしば書かれていますが、百科事典の文章としては違和感を覚えるのですが、いかがでしょうか。--Phenomenology 2011年7月16日 (土) 02:02 (UTC
琉球大学教育学部の論文は今はつながりませんね。私が読んだ日を記録しましょうか。琉球大学へ往復はがきで問い合わせてみます。それから太字は考え直します。アンダーラインもあまり辞書にはみませんね。普通の学術論文での引用のしかたは心得ていますが、Wikipediaは違うのでほうか。文献をはっきりさせることと、引用は主文の三分の一を超えないことだと思いますが。--Ichiro Kikuchi 2011年7月16日 (土) 08:54 (UTC)[返信]
文献をはっきりさせることは、本文ではなく主に脚注においてすべきことです。もしカントはこのように評している、マルクスはこう指摘している、というような、何が言われたかということと同じ位に誰が言ったかが重要な文脈においては、本文中に人名を明示すべきでしょうが、そうでなければあまり本文中に後世のいち研究家に過ぎない人物を登場させるべきではない、と思われるのです。本稿には登場人物も多いですし、情報には優先順位を付けるべきではないでしょうか。穿った見方をすれば本の宣伝行為になってしまう、ということもできるでしょう。現に、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかにおいて「広告活動」は禁止されています。--Phenomenology 2011年7月16日 (土) 10:21 (UTC)[返信]
文献はあるようです。>Sinvaudjan(新保将)は牡丹村のパイワン族の原名である。牡丹社事件時には、Sinvaudjanは牡丹社・牡丹中社・女仍社という三つの部落に分かれていた。歴史上1871~74年にかけて台湾南部恒春半島でおこった一連のできごと及び牡丹と高士仏両社と日本軍との戦闘過程を牡丹社事件という。文献資料は日本語と中国語文献が主要なものであり、かつ牡丹社事件を牡丹社あるいは高士仏社の観点から論述されたものはない。文献研究と聞き取り調査によって、総体として整理比較研究を行い、Sinvaudjanから観た牡丹社事件の見解と結論を提起する。当時の社会環境と先住民の風俗習慣から看た場合、わけもなく部落の領地に進入してきた見知らぬ人は侵入者と見なされ、必ず部落法の制裁を受けることになっていた。遭難その後部落の領地に誤って入ってしまった琉球人は人数が多かったために部落の防衛を圧迫し、ついには族人との間に口論誤解が生まれ、ついには残念な事態を生み出した。この悲劇的なことは確かに人に遺憾と思わせるとは言うものの、現代的な観点で当時の行為を断罪すべきではない。以下略。勿論原文どうりでなく、要約して出しています。ということで、文献の所をもっと正確に書きます。--Ichiro Kikuchi 2011年7月16日 (土) 13:02 (UTC)[返信]
参考文献の順序は、著者がわかっている場合はいいですが、分らない場合は題でいいのでしょうか。なお、英文は Julia Boyd でなく Boyd Julia になりますが、間にハイフンは要りますか。Boyd J としてもいいのでしょうか。--Ichiro Kikuchi 2011年7月29日 (金) 18:14 (UTC)[返信]
著者が分からない場合・・著者名がわからない場合あるいは大人数の著者が少しずつ書いたような物は監修者、編集者、発行母体名になります。『沖縄大百科事典』 沖縄タイムス 沖縄大百科事典刊行事務局 1983は沖縄大百科事典刊行事務局 編となります。『平良市史 』は平良市史編纂委員会あるいは平良市史刊行会みたいな編集責任者の名前が奥付けかどこかに書いてあるはずです。『歴代詔勅全集 第5巻』 河出書房のものなら必ずどこかに編纂責任者が書いてあるはずです。多分編集者は河出書房編集部ではないでしょうか?まともな発行物で著者もしくは編纂者がまったく分からない物はないと思います。真に編纂者が分からないようなものは(資料の見方の問題じゃなくて)出典にはふさわしくない物です。しかし『沖縄大百科事典』『平良市史 』『歴代詔勅全集 第5巻』タイトルからしても編纂者が分からないような物ではないとおもいます。尚、監修者と編集者と執筆者は違う物ですが、執筆者の名が無く編集者あるいは監修者の名前だけ載ってる、あるいは発行団体名だけが載っている文献などいくらでもあります。著者、監修者、編集者名が奥付けにも表裏にもまったく無く発行団体名だけが載っている文献はその団体が編集者です。--ぱたごん 2011年8月14日 (日) 14:51 (UTC)[返信]
詳しいご説明有難うございました。--Ichiro Kikuchi 2011年8月15日 (月) 02:53 (UTC)[返信]