Wikipedia:査読依頼/蒋経国 20190721
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冷戦時代の中華民国の指導者の記事であり、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/蒋経国 20150911の選考で良質な記事に選出されていますが、内容、出典の充実さからして、秀逸な記事に近い出来であると考えます。つきまして、まずは査読依頼を提出して、現在の内容に何か大きな問題が存在するかを問いたいと思います。もしよろしければ、コメントをお願いします。--ネイ(会話) 2019年7月20日 (土) 17:32 (UTC)
- 【査読】 ──専門家の方による審査結果。
- 【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価。
- 【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
- 【感想】 ──専門外の方による感想。
- 以下はなんというか、基本的な百科事典観の違いに基づくもののような気がするので、あくまでも参考意見としてお読みいただければと。私としては、百科事典の人物記事は、その人物の業績や特徴を、いくつかの側面として簡潔にまとめたものだと考えています。より具体的にいえば、対象が政治家であれば、生涯よりもむしろその思想や主張、政策と政治手法、業績と評価、人物像などの切り口があるはずです。しかしこの項目では「概要」、「生涯」(節構造がおかしいですがそれは置いておきます)、「死去と残された課題」、「評価」、「家庭」の大きな節から成っているとはいえ、「概要」から「死去と残された課題」までは内容的にすべて生涯であり、「評価」といいつつ評価そのものは少なく、「家庭」の記述もわずかで、要するに全体が長大な生涯、いわば伝記そのものです。これでは、上に述べたような端的な側面というものは、記事を全部読まなければ把握できないことになります。30万バイトを超える容量の記事をものにするには大変な労力と努力が必要だったと思いますが、このような構成では、読む側に対しても相当な負担を強いることを知っていただきたいと思います。いかにページの制約を受けないウィキペディアといえども、常に簡潔にする努力は必要ではないでしょうか。以下、初めの方だけですが、節の内容についても具体的に触れておきます。
- 「概要」は概要になっていません。すでに述べたように、概要であれば、蒋経国という人物が果たした役割、業績、評価などが簡潔に述べられるべきです。現状はあとに続く長大な生涯のやや短縮版ですがこれでも長く、結局のところ読者は生涯を二度読まされることになるわけです。もし概要を置くことで、生涯をいくら長くしてもいいというようなお考えがあるのだとしたら、むしろ概要なしで成立するような記事構成を考えていただきたい。
- 「誕生」では、父親の蒋介石の方が中心となっています。しかし、蒋介石を読めばわかることは省略し、経国にとって必要な事柄に絞るべきでしょう。経国を中心にすれば、蒋一族代々の家業が経国が生まれたころにどうなっていたのか、誕生時に父親がなぜ(どういう意図で)日本にいたのか、どんな家庭だったのか、後に触れられる兄弟や叔父との関係などが重要ですが、これらについてはよくわかりません。
- 「伝統的な教育を受ける」では、段落と文章のつながり方に違和感があります。とくに蒋介石の教育方針は逆接の連続でとりとめがなく、途中で段落が別れているのも疑問です。父親の教育方針については、この節以外でも何度も出てくるキーワードであり、どこかでまとめておき、同じ表現を繰り返さないように配慮すべきでしょう。また、「2つの大きな出来事」とは、祖母の死と、それをきっかけにした父親の離婚・再婚のことかと思いますが、これで3つのようにも読めるし、そのあとに小学校入学、家庭教師の話もあるわけで、「2つ」って?となります。しかもその翌年に「人生の転機となる上海行き」があるわけですから、そもそも「2つの大きな出来事」などと強調するところなのかという疑問があります。同じ節内で表現の重複も目立つため、整理すべきでしょう。
- 「父・蒋介石からの思想的自立」では、経国が五・三〇事件への抗議デモに参加したことが書かれていますが、その理由や経緯が弱い。「新しい思想の洗礼を受け」とは具体的にどんな思想で、だれのどのような影響を受けて、経国がどのような意図でデモの隊長まで引き受けたのかがわかりません。これらが不明にもかかわらず、その行動のみをとって「思想的自立」というのは大言壮語的ではないでしょうか。このとき本当に思想的自立を果たしたのであれば、むしろ経国の生涯の中でもとくに重点を置いて詳述すべき箇所でしょう。また、上の節のところでも述べましたが、父親との関係については生涯ではくどく書かず、別に「人物」節を作って説明してはいかがでしょうか。
- 「希望に満ちた留学」もタイトルが大言壮語的です。このあとも物語あるいはノンフィクション風な記述・形容が散見されますが、百科事典記事として主人公目線のような語り口は避けた方がいいと思います。また、「留学初期」がなぜ分かれているのか疑問です。なぜなら「留学初期」とはモスクワに着くまでの話であって、そこだけ取り出す意義があるのでしょうか。モスクワ中山大学の説明は基本的に当該項目に任せるべきです。あと、乗った貨物船が悪臭を放った話などはどうでもよくないですか? 仮に「人物」節があって、そこで人柄を示すようなエピソードとして紹介するのであれば、まだわかりますが。
- 「モスクワ中山大学時代」でも大学そのものの説明が長い。スターリン派とトロツキー派の抗争については、これもあちこちにちりばめてありますが、まとめないと煩わしいです。恋愛について触れてありますが、「モスクワで勉学に励む蒋経国にまもなく恋が芽生えることになる」といった物語の予告編のような記述は不要でしょう。後半は父親の行動が中心的ですが、経国が在籍する大学に大きな影響を及ぼしたのは上海クーデターですから、それ以外の経国が関与しない細々とした経緯は省くべきです。
- この調子でやっていくと全然終わりません。まだ記事の1/4もカバーできていないわけですが、この先も必要ですか? 正直このような批判ばかりするのも心苦しいので、いったん切ります。--みっち(会話) 2019年8月10日 (土) 06:43 (UTC)
- 【その他】 ──表記・文体など