Wikipedia:秀逸な記事の選考/オトマール・スウィトナー 20220123
賛成/条件付賛成/保留/反対 0/0/0/0 この項目の選考期間は、2022年4月23日 (土) 07:42 (UTC)(2022年4月23日 (土) 16:42 (JST))までです。
- (推薦)自薦です。オーストリアの指揮者についての記事です。秀逸な記事の選考基準を満たしていると思うので推薦いたします。以下、選考基準を引用しつつ記事について詳述いたします。
良質な記事の選考の際にも申し上げましたが、適宜本人の言葉を引用しながら生涯について詳述しているほか、人物、顕彰歴、教育活動、評価についても一定量の記載があり、人物記事に必要な要素は十分カバーしているのではないかと思います。また、音楽家特有の音楽性についても「演奏スタイル」「レコーディング」の節で記述されているほか、スウィトナーを描いたドキュメンタリーについても記されています。参考文献の数もある程度あり(日英あわせて50以上です)、「高い完成度で文章や構成がよくまとめられている」とみなして問題ないかと思います。また、画像も何枚か用いられています。1. 高い完成度で文章や構成がよくまとめられている。(可能なら)図や画像や表なども使われ、説明を補助している。
文章に破綻はなく、特に支障なく読めるのではないか思います。また、節が比較的細かく設定されているぶん、「スウィトナーに関する情報が雑然と列挙されている」という事態は避けられているので、「わかりやすく書かれている」という条件はクリアしているかと思います。さらに、「ドレスデン国立歌劇場およびそのオーケストラであるシュターツカペレ・ドレスデン」という記述でドレスデン国立歌劇場とシュターツカペレ・ドレスデンの違いを明示するなど、専門用語や初心者の方にはわかりにくい用語が登場した際は適宜説明を加えているので、「詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている」とみなして問題ないかと思います。また、この記事を読むにあたって、目を通す必要がある関連記事は特にないかと思いますが、これは(主な部分の)執筆者、およびクラシック音楽愛好家ゆえの偏見かもしれませんので、ご意見があればお聞かせいただけますと幸甚です。2. 詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている。ただし、高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。
議論の見通しをよくするため、先に選考基準4について述べます。本記事は日英あわせて50以上の参考文献が用いられており、「専門的な資料から関連資料に至るまで、主題についてよく調査されている」とみなして問題ないかと思います。また、本記事はレファレンスブックとしても価値が高いと思います。たとえば、本記事の参考文献の多くはNDLサーチの検索結果に登場しません。なお、本記事を執筆するにあたっては、専門図書館、専門図書館のレファレンスサービス、かなり蔵書数の多い大学図書館、ウィキペディア図書館などを活用しております。4. 専門的な資料から関連資料に至るまで、主題についてよく調査されている。
上記の通り、50以上の資料に目を通しましたが、スウィトナーについてこれほどまとめた資料はありません。よって、「必ず説明されるべき点から主な関連事項までが含まれ、内容が充実している」とみなして問題ないかと思います。また、スウィトナーについての情報は大量にあるわけではないので、「他の記事との連携・分担関係」については考慮しなくて良いと思います。3. 必ず説明されるべき点から主な関連事項までが含まれ、内容が充実している。ただし、どこまでを含むかは他の記事との連携・分担関係にもよる。
スウィトナーに対する肯定的な意見と否定的な意見の両方が取り上げられています。また、評価関連の記述は基本的に発言者が明示されています。さらに、定評のあるレパートリーなど、人によって意見が割れることが想定される記述については、複数の資料を出典としています。よって「観点の中立性が保たれている」とみなして問題ないかと思います。5. 観点の中立性が保たれている。
全文に脚注が付与されています。6. 必要な出典が記事全体を通して十分に挙げられており、個々の記述の根拠が脚注や本文中で明らかにされている。特に、肯定的・否定的・主観的な表現については出典が付けられていることが望ましい。
上記のとおり、基準は全て満たしていると思います。余談ですが、本記事で取り上げられたオトマール・スウィトナーは「有名だが体系的な記述がない指揮者」の1人です。このような人物についての情報を集め、ひとつの記事にまとめることができたのは個人的にとても嬉しいですし、ウィキペディアの存在意義を示せたかなと思っています。以上、忌憚のない意見を頂けますと幸いです。よろしくお願いいたします。—Eugene Ormandy(会話) 2022年1月23日 (日) 07:42 (UTC) - スタイル修正。--Eugene Ormandy(会話) 2022年1月23日 (日) 11:29 (UTC)7. 以上の点が全て満たされている。
- コメント これが「良質」選考であれば文句はありませんが、「秀逸」となるとまだ不十分かと思います。もっとも気になるのは構成面で、どこになにを書くのか、工夫の余地がまだありそうです。もしかすると、先に節構成を決めて、テキストを当てはめていったのかもしれませんが、現状は「生涯」とその後に続く各節の境界があいまいで、うまく分かれていないように見受けます。例えば、「ドレスデン国立歌劇場時代」での小石忠男の文章は「レコーディング」節で述べた方がいいかもしれません。同様に、「人物」節で書かれるべきことが「晩年」の家族生活や「スウィトナーを描いたドキュメンタリー」に分散しており、「演奏スタイル」、「レコーディング」、「評価」でもコメントがばらけているように思います。ボリュームとしても少し足りない気がしますが、再構成されれば印象が変わるかもしれません。
- その他の疑問点は以下のとおりです。
- 1940年代にはポストが得られなかったスウィトナーが1952年にポストに付いてから8年後にはドレスデン歌劇場の音楽監督に就任したというのは、かなりの抜擢のように思われますが、このあたりの事情が知りたいところです。
- コンヴィチュニーについて、ドレスデンとベルリン歌劇場両方の前任としていますが、末尾のドレスデン音楽総監督リストではスウィトナーの前任はマタチッチとなっています。コンヴィチュニーがドレスデンからベルリンに移ったことはスウィトナーの経歴と共通している、それは確かとしても、二人の関係にそれ以上のつながりはありますか? コンヴィチュニーを大きな画像で紹介しているということは、クラウス同様に特別な関わりがあったことを読者に示唆するものなので、説明の文章だけでは内容が薄いと思います。
- バイロイト音楽祭への登場については、注釈でベームの代理だったことが述べられていますが、この経緯は重要であり、本文で説明すべきです。注釈は、本文では余計かもしれないがちょっと書いておきたい補足や編集者の註などにとどめるべきであり、ほかの注釈も本文に含めた方がいいものがあるように思います。
- 後半から「なお」書きが目立ってきますが、記事中ではこうした接続詞の多用は冗長さにつながるため、ない方がいい場合が多いです。
- 最後に個人的な体験ですが、スウィトナーがシュターツカペレ・ベルリンを率いて来日演奏したとき、地方公演で何曲もアンコール演奏をしてくれたことに感激した私は、控室でプログラムにサインをもらい握手した手のぬくもりが記憶に残っています。他の演奏会でこんなことをしたことはなく、特別な体験でした。そのスウィトナーについて、これだけまとまった記事を書いていただいたことに感謝します。--みっち(会話) 2022年1月29日 (土) 07:48 (UTC)
- みっち様、コメントありがとうございます。勉強になります。ご指摘に沿って後日修正してみようと思います。取り急ぎお返事まで。--Eugene Ormandy(会話) 2022年1月29日 (土) 12:43 (UTC)
- コメント(反対寄り)「 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/オトマール・スウィトナー 20220111」では賛成票を投じましたが、現状では「秀逸な記事」の基準にはまだ至っていないと考えます。その主な理由としては、次のとおりです。
- まずは文章や構成の完成度。例えば、「ドレスデン国立歌劇場時代」節では、最後の段落(小石忠男による、レコーディングに関するコメント)は、おそらく「スウィトナーはドレスデンを去ったが、その後もレコーディングが続けられた」からのつながりなのでしょうが、その間に全然違う話題が挿入されているのでとても唐突に感じます(ついでに言えば、時系列に沿って語られている生涯節に、いきなり2002年の話が出てくるのもかなり違和感があります)。次の「ベルリン国立歌劇場時代」においても同様で、ここでも最後の段落にある「人事面などで国家からの介入」「現代音楽をプログラムに組み込んだため、当局と揉めることもあった」は、最初の段落にある「西側の人材も登用した」「新たなレパートリーを開拓した」とそれぞれつながっているのでしょうが、やはり間に挿入されたエピソードによって分断されてしまっています。また、同じ段落でレパートリーに関する引用の後の段落は「この結果」で始まりますが、「この」が何を指すのか一読しただけでは分りませんでした。前に出てくる人事の刷新やレパートリーの拡大を指すのでしょうが、現在の文構成では、「日本で試みられているオペラの字幕を研究した結果」というように誤読されるおそれもあります。
- 次に内容面。スウィトナーの音楽は「○○に定評がある」という記述がありますが、どのような点で定評があるのか(旋律の歌わせ方なのか、構成力なのか、合奏の精度なのか)が知りたいところです。同様に、演奏スタイルでも具体性が乏しいです。「評価」節にある記述をここに移した上でさらに充実させると良いと考えます。また、冷戦時代における「東側の指揮者」というところは、なぜそう道に至ったのか、その時代に生活の拠点はどこにあったのか、などについても記述がほしいです(後者については、妻が東ベルリンにいたのだから東ベルリンに住んでいたのでしょうか。もしそうであれば、指揮者としてのキャリアを東ドイツで過ごしたことになり、導入部で「オーストリアの指揮者」という定義は「オーストリア出身の指揮者。キャリアの大半を旧東ドイツで過ごした。」といったように書くべきかも知れません)。
- 引用文については「引用を使うべきか本文に書くべきか」、「どこまで引用するか」といったことに対する精査が十分でないように感じます。例えば、「幼年期・学生時代」時代の、クラウスについてのコメントは必要でしょうか。この節では、「クラウスから何を学んだか、後のキャリアにどのような影響があったのか」を本文で記述すべきと思います(当時のスウィトナーに関する「クラウスのコメント」であれば意味があります)。「ベルリン国立歌劇場時代」節の、レパートリーに関するコメントは、「シュターツカペレ・ベルリンのレパートリー」について述べていないように感じます。本文で「もともとのレパートリーが何であって、新たにどのような作品がレパートリーとして取り入れられたのか」を明らかにすべきです。「世界各地での活躍」節の、演出家ヴィーラント・ワーグナーに関するコメントは、なぜここでわざわざ引用にしているのか、意味が分りませんでした。また、注釈5の諸井誠のコメントは、ここまで長く引用している必要はないと感じます。オーケストラ奏者や評論家のコメントはあって然るべきと思いますが、日本ばかりに偏っているのが気になるところです。海外の奏者や論評はもっとないのでしょうか。
細かい点まで挙げればきりがありませんが、とりあえずは以上です。--MTBM3(会話) 2022年1月30日 (日) 11:02 (UTC)
- MTBM3様、コメントありがとうございます。後日修正させていただきます。まずはお返事まで。--Eugene Ormandy(会話) 2022年1月30日 (日) 14:06 (UTC)
- コメント 私はこの指揮者のあまりよい聴きてではなく、ドレスデン以前の経歴についてはまったく知らなかったので、充実した記事を投稿いただいたことにまず感謝いたします。興味深く拝読いたしました。ただ「秀逸な記事」の現在の基準に照らすと難があるように思われ、上述のみっちさんやMTBM3さんのご意見に全面的に賛同いたします。細かく書くと上記お二人の記述と重複になりますので控えますが、構成、内容についてより充実した記事を期待します。--汲平(会話) 2022年1月31日 (月) 11:22 (UTC)
- 汲平様、コメントありがとうございます。まずは楽しんで読んでいただけたとのことで、嬉しく思います。--Eugene Ormandy(会話) 2022年1月31日 (月) 12:26 (UTC)
- コメント Eugene Ormandyです。みっち様、MTBM様、汲平様のご意見を反映した修正につきましては、2月14日までに行おうと思います。間に合わなさそうな場合、このページで改めて期限をお示しします。なお、上記の修正が行われていない段階であっても、本選考にコメントを残していただいて全く問題ない旨も併せて明記いたします。--Eugene Ormandy(会話) 2022年1月31日 (月) 12:29 (UTC)
2月14日の修正および推薦の取り消し
[編集]取り急ぎ下記のとおり修正いたしました。ただ正直なところ、そもそもスウィトナーについて記載した資料が不足しているぶん、秀逸な記事への選出は難しいだろうな...と思いましたので、推薦は取り消します(例えば幼年期の情報は見当たりませんでした)。ですが、本記事へのコメントがもし他にもあれば、こちらに書き込んでいただければと思います。よろしくお願いいたします。
(みっち様のご指摘1)「ドレスデン国立歌劇場時代」での小石忠男の文章は「レコーディング」節で述べた方がいいかもしれません
アドバイスしていただいたとおり、小石の文章をレコーディング節に移動いたしました。
(みっち様のご指摘2)「人物」節で書かれるべきことが「晩年」の家族生活や「スウィトナーを描いたドキュメンタリー」に分散しており、「演奏スタイル」、「レコーディング」、「評価」でもコメントがばらけているように思います。
アドバイスしていただいたとおり、「晩年」の家族生活や「スウィトナーを描いたドキュメンタリー」の記述を「人物」節に入れました。ただ、そもそも「人物」節にどのようなことを書けば良いのか、把握しかねております。もし関連議論などございましたら、ご教示いただけますと幸いです。
(みっち様のご指摘3)1940年代にはポストが得られなかったスウィトナーが1952年にポストに付いてから8年後にはドレスデン歌劇場の音楽監督に就任したというのは、かなりの抜擢のように思われますが、このあたりの事情が知りたいところです。
「何度かコンサートを指揮して好評だったので抜擢された」という旨の記述を追加しました。
(みっち様のご指摘4)コンヴィチュニーについて、ドレスデンとベルリン歌劇場両方の前任としていますが、末尾のドレスデン音楽総監督リストではスウィトナーの前任はマタチッチとなっています。コンヴィチュニーがドレスデンからベルリンに移ったことはスウィトナーの経歴と共通している、それは確かとしても、二人の関係にそれ以上のつながりはありますか? コンヴィチュニーを大きな画像で紹介しているということは、クラウス同様に特別な関わりがあったことを読者に示唆するものなので、説明の文章だけでは内容が薄いと思います。
画像付きで説明するほど強い関係があったわけではないので、コンヴィチュニーの画像を除去しました。
(みっち様のご指摘5)バイロイト音楽祭への登場については、注釈でベームの代理だったことが述べられていますが、この経緯は重要であり、本文で説明すべきです。注釈は、本文では余計かもしれないがちょっと書いておきたい補足や編集者の註などにとどめるべきであり、ほかの注釈も本文に含めた方がいいものがあるように思います。
ベームの記述を本文に組み込みました。
(みっち様のご指摘6)後半から「なお」書きが目立ってきますが、記事中ではこうした接続詞の多用は冗長さにつながるため、ない方がいい場合が多いです。
いくつか除去いたしました。
(MTBM3様のご指摘1)「ドレスデン国立歌劇場時代」節では、最後の段落(小石忠男による、レコーディングに関するコメント)は、おそらく「スウィトナーはドレスデンを去ったが、その後もレコーディングが続けられた」からのつながりなのでしょうが、その間に全然違う話題が挿入されているのでとても唐突に感じます(ついでに言えば、時系列に沿って語られている生涯節に、いきなり2002年の話が出てくるのもかなり違和感があります)。
当該記述をレコーディング節に移動いたしました。
(MTBM3様のご指摘2)次の「ベルリン国立歌劇場時代」においても同様で、ここでも最後の段落にある「人事面などで国家からの介入」「現代音楽をプログラムに組み込んだため、当局と揉めることもあった」は、最初の段落にある「西側の人材も登用した」「新たなレパートリーを開拓した」とそれぞれつながっているのでしょうが、やはり間に挿入されたエピソードによって分断されてしまっています。また、同じ段落でレパートリーに関する引用の後の段落は「この結果」で始まりますが、「この」が何を指すのか一読しただけでは分りませんでした。前に出てくる人事の刷新やレパートリーの拡大を指すのでしょうが、現在の文構成では、「日本で試みられているオペラの字幕を研究した結果」というように誤読されるおそれもあります。
「この結果」を「スウィトナー体制下のシュターツカペレ・ベルリンは」に変更しました。なお、文章の順番については「ベルリン国立歌劇場でスウィトナーが行った具体的な施策→評価の向上→評価が向上したことによる介入」という流れにした方が良いかと個人的には思ったので、変更していません。もし読みにくければ、適宜ご変更いただいて問題ない旨、ここに明記いたします。
(MTBM3様のご指摘3)「世界各地での活躍」節の、演出家ヴィーラント・ワーグナーに関するコメントは、なぜここでわざわざ引用にしているのか、意味が分りませんでした。
同様に、ある程度長さがあり、かつスウィトナー自身の発言であることを明記するため引用といたしました。
(MTBM3様のご指摘4)また、注釈5の諸井誠のコメントは、ここまで長く引用している必要はないと感じます。
注釈に組み込んでいるので多少長くても良いかと思い、そのままにしております。他の方のご意見も伺えればと思います。
(MTBM3様のご指摘5)オーケストラ奏者や評論家のコメントはあって然るべきと思いますが、日本ばかりに偏っているのが気になるところです。海外の奏者や論評はもっとないのでしょうか。
海外の奏者や評論家による言及はあまりありませんでした。レコードレビュー誌で、スウィトナーの個別の録音について言及しているものはありましたが、どこまでWikipedia本文に組み込んでよいか判断が難しかったです。--Eugene Ormandy(会話) 2022年2月14日 (月) 11:54 (UTC)
(UTC)
- 返信 (Eugene Ormandyさん宛) :取り下げるか否かの判断は、今回の改訂を見てもらってからでも遅くはないと思います。選考終了までまだ2か月ありますし、未だ出来ることがあるのではないでしょうか。--Falcated(会話) 2022年2月14日 (月) 12:42 (UTC)
- 返信 (Falcatedさん宛) わかりました。ありがとうございます。今回の改訂を見ていただいた上で判断します。--Eugene Ormandy(会話) 2022年2月14日 (月) 12:46 (UTC)
- すみません、本記事の選考には関係ないのですが、本節に関して、節の区分用の「=」が2つになっていたことで、「秀逸な記事の選考」内で「選考中の記事」から独立の節として本節が区分され、さらに本項目以降に秀逸な記事の選考に推挙された記事が本節の中に格納されてしまう、という事態が生じていたため、=を4つに変更しました。ご容赦ください。--Sadmadjane(会話) 2022年2月15日 (火) 04:37 (UTC)
- バイロイト音楽祭への出演について、注釈が本文に組み込まれたことで、あらためて気がついたのですが、スウィトナーがベームに代わって振ったのは『ニーベルングの指環』だけで、『タンホイザー』と『さまよえるオランダ人』は最初からスウィトナーが指名されていたということでしょうか? バイロイトには1964年から1967年まで4年間出演しているわけで、何年に何を振ったかがわかるなら、順に書いた方がよいかと。また、ここにはヴィーラント・ワーグナーに対するスウィトナーのコメントがありますが、二人の交流について記述がないため、唐突感があります。ここでほしいのは、スウィトナーのワーグナー上演に対する反響であり、ヴィーラントからのコメントならまだわかるのですが。スウィトナーの演目をヴィーラントが演出したということかもしれませんが、ヴィーラントの項目によると彼は1966年10月に死んでいるので、共同作業はあったとしても限られるはずで、このあたりの事実関係は押さえておくべきでしょう。と思ったら、末尾の「評価」節にヴィーラント演出によるウィーン歌劇場『オランダ人』公演の話がありますね。ただしこれはバイロイト上演ではなないので、スウィトナーのコメントがどういうシチュエーションでなされたのか不明ですが、ここもコメントがバラけているように感じるところです。
- 「演奏スタイル」節において、堀正文のコメントが4種類ありますが、これらが本文でそのまま使われたり、カッコでの引用であったり、カコミであったりとスタイルが使い分けられているのは、なんらかの意図があるのかもしれませんが、読む方としては煩わしいです。N響団員のコメントとして、他のものと合わせてひとつにまとめた方がいいように思います。
- 「人物」節はおおよそこれでいいように思います。強いていえば、妻マルチナの名前が後から出てくること、マルチナといつ結婚したのかがわからないことが引っかかります。なお、城所孝吉が「引退後のスウィトナーが重病を負いながらも精神的にはまったく衰えていなかった」とコメントしているのは、「生涯」の「晩年」節で1990年にシュターツカペレ・ベルリンがスウィトナーを舞台に呼び戻そうとしたものの最初のリハーサルで断念したという記述(出典は城所)と矛盾するように思いますが、その原因は肉体的な問題だったということでしょうか。ここは出典どおりなら仕方ないかもしれません。
- 注釈にある諸井誠のコメントですが、正直なにに文句を言っているのかよくわかりません。『フィデリオ』は舞台でオペラとしてではなくコンサート形式でやれといいたいのでしょうか? 内容は少なくともN響とは関係がなさそうですが、スウィトナーにもあんまり関係ない気もします。あと細かい話で恐縮ですが、「顕彰歴」のような短い節で、東西冷戦下での体制問題に触れてあったりすると、このあたりスウィトナー自身はどう考えていたのかなど、もう少し充実させられないかなどと思ってしまいます。
- 「レコーディング」節では、前にちょっと思って書かなかったのですが、最初の段落でドイツ・グラモフォンが特筆されているため、これが主要レーベルのように見えてしまいます。自分で調べていないので体験上の感触ですが、スウィトナーの録音の中心はやはり後年のシュターツカペレ・ドレスデンあるいはベルリンとのものだったように思います。参考までに、私の手持ちの『名指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社 p.188-189)では、大川健(レコード会社勤務)が「これぞドイツ風、といった音作りをするスウィトナーだが、興に乗ると信じられないほど爆発した演奏をするムラ気があり、録音にも微温的平常心的秀演タイプが多い中にごく稀に非常にテンションが高く息もつかせぬ爆演タイプのものがある(大意)」として、ドレスデンオケとのストラヴィンスキー『春の祭典』、モーツァルトの交響曲、スメタナ『売られた花嫁』の録音を紹介しています。洋泉社のムック本なので取り扱い注意かもしれませんけど。
- 終わりに。前のコメントでも触れましたが、人物記事で秀逸をめざす場合、どういう構成を取って、どういう記述のわりふりをするのかが工夫のしどころであり悩みどころだと思います。この記事の場合、「生涯」節において、経歴や評価やコメントがかなりの程度まとめられているので、「レパートリー」や「レコーディング」節などで書くことが少なくなるんですよね。以下は私の問題意識であって、記事の性格や執筆者によってスタイルや好みが違うことから決まった話ではありませんが、個人的には記事主題がどのように主題たり得ているのかを書くべきと思っていて、例えば音楽家であれば、どんな音楽家だったのかが最重要です。したがって、生涯や経歴などが中心になっている記事はやや疑問であり、むしろ音楽性や各オケとの関わり、録音などでの実績や評価といった側面を充実させてこそ「秀逸」だろうと考えています。もちろん経歴は活動ですから音楽性とも結びついており、それを書くなといっているわけではありません。うまくバランスを取って切り分けてほしいということです。そうはいっても、音楽性などは抽象的で表現が難しい面があり、経歴と比べて分析されたり的確に捉えられている文献は案外少なく、ある程度知名度が高い指揮者であっても、ないものねだりになってしまっているかもしれません。--みっち(会話) 2022年2月15日 (火) 05:04 (UTC)
- コメント(保留):遅まきながらコメントいたします。私はクラシックには不案内で、スウィトナーの名前も今回の記事で初めて知ったほどですので、以下2つの観点から意見を述べます。第一に「選考基準2」(詳しくない読者でも主題が理解できる)が満たされているかどうか。第二に、他の指揮者に関する「秀逸・良質な記事」と比べたときの質はどうか、ということです。結論としては、本記事にはまだ改善の余地があると思います。本記事を読んだ第一印象は、「文章は決して読みづらいわけではないのに、なぜか内容が頭に入りづらく、結局スウィトナーがどのような人物なのか明確な印象が得られない」というものでした。以下、その理由を述べます。
- 第一に、伝記部分が、単に出来事を並べた「年表」のようになってしまっており、ストーリーが浮かび上がってこないということです。現在の記事では、起こった出来事は詳しく記載されているものの、「その時々にスウィトナー本人がどのような思いを抱いていたのか」という点にあまり触れられていないと思います。例えば「良質な記事」であるカール・ミュンヒンガーでは「ミュンヒンガーは…の経験を通し、…を志向するようになった」といった記載が随所に見られます。このような記載を交えながら書いた方が、人物像がクリアになってくるのではないかと思います。
- 第二に、スウィトナーの生きた時代背景についての記載が乏しく、スウィトナーの歴史的意義(特筆性)がわかりづらいことです。例えば、先述のカール・ミュンヒンガーでは、冒頭に「ミュンヒンガー(略)の演奏は高く評価されたが、(略)時代遅れとみなされるようにもなった」と、音楽史上の位置づけが端的に記載されています。また、フェルディナント・ライトナーでは、同時代の指揮者との対立などが述べられています。このように、同時代、あるいは前後の時代の流れの中でのスウィトナーの位置づけを明確に示すことで、前提知識がない人にも特筆性が伝わりやすくなると思います。さらに欲を言えば、スウィトナーは旧東ドイツで活動した人物であることから、彼の経歴を通じて20世紀ドイツ史が浮かび上がってくるような記事構成にすれば、多くの読者にとってより興味深い記事になりそうです。
- なお、スウィトナーのインタビューの引用が数か所ありますが、(少なくとも前提知識がない者にとっては)前後の文脈との関係性が読み取りにくいと感じました。MTBT3さんが指摘している通り、なるべく引用ではなく地の文に組み込む形に修正した方が良いのではないかと思います。
以上、自分を棚に上げてあれこれ述べてしまい恐縮ですが、少しでも改善のヒントになる点があれば幸いです。--Kinstone(会話) 2022年2月20日 (日) 17:51 (UTC)
- みっちさん、Kinstoneさん、コメントありがとうございます。大変勉強になります。3月中旬を目処に書き直します。--Eugene Ormandy(会話) 2022年2月21日 (月) 16:55 (UTC)
- 遅くなってしまいすみません。本件、時間をとっていつか書き直します。--Eugene Ormandy(会話) 2022年4月24日 (日) 12:59 (UTC)
選考期間終了時点で選出要件を満たしていないため、見送りとなります。--アリシア-jawiki(会話 - 投稿記録) 2022年4月24日 (日) 13:45 (UTC)