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Wikipedia:秀逸な記事の選考/均田制 20070829

賛成/条件付賛成/保留/反対 1/0/0/0 この項目の選考期間は、2007年11月29日 (水) 12:34 (UTC)(2007年11月29日 21:34 (JST))で満了しました。Wikipedia:秀逸な記事の選考/ルール#延長選考に基づき 2007年12月29日 (土) 12:34 (UTC)(2007年12月29日 21:34 (JST))まで延長選考期間です。 (ノート

(推薦理由)Wikipedia:査読依頼/均田制 20070120において、既に査読は終了しており、いつ、推薦しようかと迷っていた記事です。文章の構成は学術的であり、各論併記をする形で、文章の中立性も保たれているかと思います。こういう、学術的な記事がどんどん増えていけば、うれしいのですが。その願いも込めて、推薦させていただきたいと思います。--Tantal 2007年8月29日 (水) 12:34 (UTC)[返信]

(コメント)主執筆者です。ノートの方でご指摘を頂いたとおり、この項目は氣賀澤保規氏「均田制研究の展開」に拠る所が大きいです。別に依拠していることに対してや著作権の心配などは無いのですが。「均田制研究の展開」は専門的な研究史を紹介したものであるので、百科事典の体裁としてどうなのかなという危惧があります。その点にご意見がいただけると嬉しい限りです。らりた 2007年9月1日 (土) 11:55 (UTC)[返信]

(コメント)記述内容自体の是非を云々できるほどの知識を持たない門外漢ですので、気がついたことを順不同で書き連ねてみます。

  1. 《概要》の最後の行で「均田制は律令制の根幹とされたため、周辺諸国に対して唐律令が輸出されると共に均田制もまた輸出され、日本・ベトナムなどにおいても実施された。」とありますが、朝鮮半島ではどうだったのでしょうか。
  2. 《均田の系譜》の節の井田制のところで「この制度が実際に行われていたかは疑問の声が強い。」とありますが、代表的な論を脚注で紹介して欲しいところです。
  3. 《均田の系譜》からもう1点。「前漢では豪族による大土地所有が進み、一般の農民の困窮が深刻となっていった。」とあるのですが、これって本当なんでしょうか?門外漢からすると俄かには受け入れられないのです。いくら土地があったって、それを耕作して収獲を得なければ富を得ることになりません。とすると豪族たちは農民たちを大切にしていたんじゃないですか。恩典を与えてくれるもの、もっと端的に言ってしまえば食えるようにしてくれる者の下に人は集まるんじゃないでしょうか。食わしてくれないなら、そこから逃げていくと。そう考えると大土地所有者の出現と農民の貧困は直結しないように思うのです。
  4. 均田制は律令制の根幹との記述がありますが、その点をもう少し説明していただけるとありがたいです。もしかするとこれはこの記事でなく、律令制の記事が担うべきものなのかもしれませんが、概略程度はこちらにあっても良いかと思いました。
  5. 研究史の記述が百科辞典に馴染まないのではないかと心配されていますが、それは杞憂だと思います。むしろ研究の過程を俯瞰でき、私のような門外漢が自分で調べてみようとするときに、手がかりを与えてくれるものと思われ、有意義なものになるのではないかと思います。ただ心配な点があるとすると、今後の研究の進展がどの程度フォローされるかという点ですね。らりたさんが『ウィキペディア』に関わっている間は大丈夫かと思いますが、特定の個人の献身に頼っているのは危険です。仕事が忙しくなって『ウィキペディア』どころではなくなることだってありえるのですから。
  6. 「らりた(2007年)」とあると「らりた(2007年)」とマークアップされているのですが、これ意味のあるリンクとは思えません。むしろ、らりた(2007年)全体を[[]]で囲み、当該参考資料へページ内リンクをしておくのが良いと思います。(お名前、勝手に使わせていただき失礼しました。)
  7. 細かなことですが用字の誤りが残っているようです。これについては後ほど気がついたところ直しておきます。--赤い飛行船 2007年9月13日 (木) 07:06 (UTC)[返信]

(賛成)研究史に偏りがちな内容は、ややもすると敬遠されがちとも思いますが、内容的には既存の秀逸記事と比べても遜色ないと思いますので、すでに基準は満たしていると考えます。いちおう、今後の展望としてどのような記事に発展することが望ましいと考えるかだけは表明しておきます。

  1. 好みが分かれるところなのですが、概要部では内容を把握するには簡潔に過ぎ、歴史部は記述が細かすぎて繁雑になっているのではという印象を受けます。概要部をもう少し詳しくする、あるいは歴史部の中の些末な用語は思い切って説明を脚注でするなどの対処をしてみてはどうでしょうか。ただ脚注を多用することについては賛否両論ありますので、そうしたら秀逸だとも言えませんが。
  2. 中国史ではまだまだ難しいことですが、画像を入れてみてはどうかと思います。これも入れれば秀逸というわけではないのですが。
  3. あとは検証可能性と中立的な観点から、やや判然としないNPOVな記述が気になります。たとえば「皮肉なことに堀の著作以後は均田制研究は徐々に下火になり、吐魯番・敦煌両文献を基にした実証に力点が置かれ、均田制を全体としてどう理解するかという視点の研究は少なくなってきている。」「しかしその後、時代区分論争自体が結論のでないまま下火になっていく。均田制の研究が下火になった要因の一つに時代区分論争というエネルギー源を失ったことを挙げても良いであろう。」おそらく氣賀澤の見方ではないかと思うのですが、文責がはっきりしている学術論文と違って、フリーな百科事典であるウィキペディアでは、こういった場合はやはり主語を特定して、誰がこのように考えているかを明確にしたほうがよいと思われます。
  4. 最後に出典と参考文献の分け方が「本文中に登場した論文のリストである。このリストの中には他の文献に引用されている部分を参照しただけで直接には参照していないものがある。そのようなものは文字の色がグレーになっている。」という形なのはどうだろうかなぁと思いました。文字色を使うよりは節で分ける方が推奨されているのではないかと思うのですが、一方でそれほどガチガチにスタイルにこだわるべきと思っていません。--Kanbun 2007年9月14日 (金) 05:41 (UTC)[返信]
(コメント)お二方ともご意見有難うございます。修正できるところは修正しました。
「皮肉なことに」や「均田制の研究が下火になった要因の一つに」は氣賀澤先生の意見ではなく、私の所感に過ぎません。筆が滑りました。その点を修正しました。
画像に関しては出来れば入れたいのですが・・・、何の画像を入れるといいのかなぁと考えてしまいます・・・。
あと、朝鮮およびベトナムに於ける均田制に付いては私に知識が無いために書けませんでした。どなたかのご協力が仰げると良いのですが・・・。らりた 2007年9月16日 (日) 11:27 (UTC)[返信]

延長期間も満了しましたので、審査終了といたします。--あら金 2008年1月2日 (水) 10:30 (UTC)[返信]