Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/タイの歴史 20191011
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選考終了日時:2019年10月25日 (金) 00:04 (UTC)→2019年11月8日 (金) 00:04 (UTC)
- (自動推薦)2019年9月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot(会話) 2019年10月11日 (金) 00:04 (UTC)
- 賛成 私自身あまりこのようなジャンルについては強くないですが、全ての目次ごとに非常によく書かれて丁寧に一文一文に出典が付けられており、良質な記事にふさわしいと思います。--パックリガム(会話) 2019年10月11日 (金) 06:22 (UTC)
- 賛成 幅広い範囲を扱っているので完全には自信がないですが、一通りのタイの歴史の解説ができているのではないかと思います。--Tam0031(会話) 2019年10月22日 (火) 14:42 (UTC)
- コメント 選考終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。
- 条件付賛成 大項目なので広く浅く歴史をカバーし、かつブツブツ切れずに文脈を提供することがポイントになるかと思います。
- 【先史時代~古代国家】第1章の「先史時代」は東北部のみ書かれ、タイ中部・南部は殆ど触れられていません。そして第3章の「古代国家」で急にタイ南部は7世紀に飛びますが、さすがに端折りすぎに感じます。青銅器時代に集落・村落 (ムーバーン) から、都市国家 (ムアン) に移行が進んだようですが、英語版によるとタイの青銅器時代は紀元前2500年~紀元前1700年あたりを指すようです。つまり、ムアンの黎明期から、第3章の始まりの7世紀まで、少なくとも2000年以上が抜け落ちています。日本だと縄文・弥生・古墳時代が殆ど触れられていないのに等しいタイムスパンなので、賛成確定票を投じるには厳しいです。
- 【目次のレベル感】特に気になったのが、第2章の「民族」と、第8章「立憲君主制」・第9章「民主化」です。
- 第2章「民族」は、指摘1番目とも関連するのですが、先史時代と古代国家の間に民族というレベル感の異なる章を入れたことで、読みづらさを感じます。私ならば民族はレベル2にせず、レベル3に落とした上で、第3章「古代国家」に内包させる構成にしますね。モン族系のドヴァーラヴァティー王国が一時、クメール人に支配されていた...云々を古代国家の章で説明するために、前もってタイの諸民族について言及したかったのだと推察されますが、第2章の民族と第3章の古代国家を分離した故に、逆にどの王国がどの語族なのかがつながりが見えづらくなったように感じます。
- 第8章「立憲君主制」・第9章「民主化」ですが、この書き方だと、現在は民主化したので立憲君主制はやめたのかと誤読する人が出てこないか心配です (意外と立憲君主制とはなんぞや、とか現在の日本も立憲君主制だなんてこと知らない人が多いので)。立憲君主制の前期は軍事政権であり、後期に徐々に軍事から民主に移行しようともがいている (現在進行形) わけで、第9章も本来的には立憲君主制に内包させないとおかしい気がします。
- 【記述粒度】過度に細かい節と、おおざっぱ過ぎる節があり、どこまで深く記述すべきかの粒度に大きなバラつきがあります。例えば、第二次世界大戦の節はもう少し減量すべきと感じます。現在はen: Thailand in World War II に{{Main}}で誘導しつつも、本体のタイの歴史に書きすぎたのかなと推察します。ゆくゆくは「第二次世界大戦のタイ」が子ページとして立項されれば、楽に減量できると思います。一方、チャクリー王朝の「近代化」の節では、チャクリー改革が軽く書かれすぎている感があります。タイが東南アジアで唯一植民地化されずに独立を保ったのが、奴隷解放や地方行政改革などを含むチャクリー改革のおかげとも言えるわけで。現在は外交中心の記事構成になっていますが、チャクリー改革をはじめとする内政も同じウェイトで書かないとバランスが悪いです。ついでにチャクリー改革のページが無出典なので、何とかしてほしいという願望もあります。
- 【宗教と政治】近代化以前の世界の歴史は、たいてい宗教が政治に与える影響について深く考察されているものだと思うのですが、タイの歴史では仏教に関する記述が薄すぎると思います。仏教の宗派対立や国内での宗教戦争 (軽い内紛) などがないのか、気になります。また、今でも敬虔な仏教徒の多い国ですしね。
- 【内部リンク】特に先史時代から古代国家にかけて、内部リンク先をクリックしないと文意がとれない箇所が多いです。クリックせずとも読んでいて読者の理解が途切れないように、軽く言葉を足していった方がいいと思います。たとえばドヴァーラヴァティー王国の節では「アショーカ王時代の創建といわれるタイ最古のプラ・パトムチェーディーも存在するが...」とありますが、プラ・パトムチェーディーだけでは寺院なのか、石像なのか、宮殿なのか分かりません。先史時代の章でも「青銅器の時代になると村落(ムーバーン)から「ムアン」へと発展した」と書かれていますが、ムアンをクリックしないと都市国家体制だと分かりません。
- いろいろ指摘しましたが、1点目の7世紀以前についてのみ軽く加筆さえされれば、賛成確定票に変更したいと思います (2点目以降は秀逸な記事の選考水準になってしまうので)。「軽く加筆」ですが、2段落ぐらいのボリュームのイメージです。--ProfessorPine(会話) 2019年10月29日 (火) 05:11 (UTC)
- 反対 個々の事象について出典と紐づけつつ良く書かれていると思いますが、それぞれの間の関連性が希薄であり構成にやや問題があります。
- §古代国家:本節についていえば、それぞれの王国の関係性やタイ史における位置づけが良くわからず、現状では各王国の一覧が羅列されている状態です。少なくとも文献から追うことができる狭義の「歴史」としては本節から始まりますが、その冒頭をシュリーヴィジャヤという汎東南アジア的な王国から始めるのであれば、「タイの歴史」におけるその位置づけの説明が欲しいところです。また、少なくとも登場する各王国を一つの節としてまとめるのであれば、例えばタイにおけるヒンドゥー文化やあるいは仏教の導入、あるいは統一的な政治勢力の登場など、何か軸となる事象に沿って構成するなどの工夫が必要であると思います。
- §スコータイ王朝以降:この節から近代に入るまでの期間は、やはり「タイ」という政治的一体性を持った領域が形成される過程の説明であり、「タイの歴史」という主題からは極めて重要な部位であると思います。全体的に年表風にまとまっていますが、タイという領域の形成過程から文章をまとめる必要があります。
- §立憲君主制以降:立憲君主制という節名ですが、立憲君主制自体の記述はほとんどなく、民主化にいたるまでの政治動向をまとめる節名としては不適当です。この名前で説明をまとめるならば、国王と政治の関係が中心となるか、あるいは立憲君主制の成立過程の説明が入ることになるはずです。実際は政治史的事件の経過が順次述べられているのであり、「近代」とくくるべきものが入っています。また§軍事政権と§冷戦などは同一のカテゴリーに属する話題ではなく、同じ大項目の中にくくられている理由の説明が必要であると思います。「共産主義の防波堤」としてのタイの役割と「軍事政権」の成立と存続は無関係ではないでしょうし、そうした記述によって両者を結びつけるか、あるいは適切な節に分離するなどの処置を取る方が良いと思います。
- 説明不足について:読んでいて文意がとりづらい箇所がかなりあるのが気になります。実例として2例をあげると、「タイ族のヨーノック (Yonok) とも呼ばれるグンヤーン(英語版)(チエンセーン)を中心とした国家的形態の1つが認められ~」では、「ヨーノック」という単語に説明がなく、タイ族のヨーノックと呼ばれることがどういう意味があるのか良くわかりません。また、「1917年4月のアメリカ参戦により連合国が有利と見極めたラーマ6世は、7月22日に連合国側としてドイツ帝国およびオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦した。これに伴い、同年9月28日、タイの国旗を現在の3色旗に変更した。」とありますが、第一次世界大戦への参戦と国旗の変更がどう結びつくのかわかりません。
- 細部には触れませんが、構成と文章はまだ改善が必要であるように感じます。--TEN(会話) 2019年10月31日 (木) 17:18 (UTC)
選考終了時点で賛成2票、反対1票のため、今回は見送りとなります。--Mogumin(会話) 2019年11月9日 (土) 00:44 (UTC)