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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街 20171011

選考終了日時:2017年10月24日 (火) 18:17 (UTC)2017年11月7日 (火) 18:17 (UTC)

  • (自動推薦)2017年9月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話2017年10月10日 (火) 18:17 (UTC)[返信]
  • 賛成 世界遺産としての記事であれば、十分な内容になっているものと思います。倉庫街や商館街に関する記事であれば、街の構造とか歴史をもう少し踏み込みたい感もあります。--Tam0031会話2017年10月14日 (土) 14:16 (UTC)[返信]
    • コメント コメント・投票ありがとうございます。仰るとおり、建築物・街区それ自体の記事であれば、構造的な要素などにも踏み込むべきだろうと思いますし、チリハウスにしても、表現主義の傑作としての側面を掘り下げるなら、叙述が明らかに不足していると考えています。反面、世界遺産登録の際にはそれらの側面はほとんど評価されておらず(チリハウスに至っては、登録名から削られかけたくらいですから)、あくまでも『時代の証言』としての側面が評価されているため、世界遺産としての叙述では、構造面などの要素はごく概略的で足りる、と認識しています。反面、肝心の『国際商業とハンブルクの関連』が、(載っていなかったので参考文献に挙げなかっただけで、参考文献に挙げたもの以外にも)ドイツ経済史系の著書・論文を色々調べてもあのくらいしか書けなかったのは、少々残念ではあります。--Sumaru会話2017年10月22日 (日) 14:10 (UTC)[返信]
  • 賛成 主執筆者になりますので、自薦的な票になります。上述の通り、国際商業との関連は今後の課題(可能なら、どなたかドイツ語に堪能な方に、ドイツ語文献などを元に充実させて欲しい)と考えていますが、現状でもGAの水準は満たしているものと考え、賛成票を入れます。--Sumaru会話2017年10月22日 (日) 14:10 (UTC)[返信]
  • コメント 選考終了時点で賛成2票、反対0票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--まさふゆ会話2017年10月25日 (水) 10:09 (UTC)[返信]
  • 賛成  Tam0031さんのコメント同様、各建築群の記事としては不足ですが、世界遺産の記事としては十分な内容であると思います。というより世界遺産でなければこれらの建築群を一つの記事にまとめる必然性はないので、各建築群やチリハウスについての詳細は当然、別記事として立項されるべきものでしょう。
§ 2.1 シュパイヒャーシュタット
  • 「ブロックA, B, C, J, K, MおよびOの東部は第二次世界大戦時に全壊しており、そのうち、いくつかの[...中略...]ブロックは世界遺産の対象からは除外されている」
世界遺産から外されたブロックはどうでもいいですが、世界遺産に含まれたブロックにある再建された建物については再建状況についてもう少し詳しく知りたいと思います。いつごろ再建されたのか、躯体から内装および設備まで往時と同じ建材を使ってまったく同じように復旧したのか、特に世界遺産の審議に当たって再建物件については問題にならなかったのか、といった点です。
  • 「旧ボイラー棟 (Boiler House)、旧中央動力棟 (Central Power House)」
 この二つがよくわかりません。まあボイラー棟については、おそらくセントラルヒーティング方式を採用していて、各棟に配管している蒸気管に送るための蒸気を作るボイラー設備が入った建物であろうと想像できますが、動力棟とは何の設備でしょう。電気の受電設備なら「変電室」とか「電気室棟」の方がよいと思うのですが、電気系の設備ではないように思われます。現代ではほとんど使われないあまりなじみのない設備ですが、もしかするとクレーン設備などの動力源として水圧配管(cf.en:Hydraulic power network)が設置されていて、その水圧生成エンジンが置かれていた棟でしょうか。
§2.2 コントーアハウス地区
  • 「19世紀末の時点で建てられた商館建築は、鉄骨鉄筋コンクリート構造で、表面を漆喰で仕上げる様式が採用されていたが、故郷保護運動の盛り上がりによって、伝統的素材のレンガが注目された」
「19世紀末の時点で...」以下の文がすべてハンブルグの話と思い、意味がとりにくかったのですが、結局「19世紀末の時点における一般的な(ハンブルグ以外での)商館建築はSRC構造で漆喰仕上げという作りが普通であったが、ハンブルグでは(SRCではなく)レンガ造りになった」という意味であろうと解釈しました。
ところが出典論文の該当ページ([1]コマ番号68)を読むと、やはり文章全体がハンブルグの話だったようですね。つまりハンブルグのコントーアハウス地区でも、19世紀末の時点までに建てられたものはSRCだったがそれ以降はレンガ造りになった、という意味に解釈しました。
ところがまたまた早とちりだったようで、出典論文をよく読み直したら「その仕上げのための『真の素材』(echte material)が問題となった」、「しかし建築家の目を捉えたのは煉瓦であった。石材も勿論使われていたが、当時でも最も贅沢な外装材であることには変わりなかった。」との記述がありました。ということは19世紀末以降も引き続き建物の躯体そのものはSRC構造で変らなかったが、外装仕上げが漆喰からレンガに変った、ということであろうとようやく理解しました。
それにしても当初の文章では、レンガが構造材か外装材か判別しにくいので、この部分は出典に従って変更させていただきました。差分
なお、同節にはこれ以下にも「レンガが建材」「レンガによる商館建築」という表記がたびたび出てきますが、そのレンガは構造材としての建材なのか、それとも外装・装飾材としての利用なのか、文脈上可能ならそれらのレンガが構造材なのか外装材なのかはっきり区別して分かるように記述していただきたいと思います。建築物としては、同じレンガでも構造材としての使用と外装材としての使用ではまるで意味が異なりますが、文脈上はどちらでも違和感無く意味が通るので、文脈からは判断できません。次のチリハウス節では、「チリハウスもコンクリート構造の建物ではあるが、外装材にはレンガ(クリンカー煉瓦)が用いられた」と明瞭に書かれていて間違いようはありません。他の部分でも(出典で確定できる限り)これくらい明瞭に書いて欲しいと思います。
--Loasa会話2017年10月29日 (日) 06:32 (UTC)[返信]
コメント 詳しいコメントに御礼申し上げます。以下簡略にですが、
  • 再建の詳細については私も分かりません。ただ、一般論として世界遺産の場合、材質、工法が当時のものを尊重していれば、再建は問題とされません。その辺りは奈良文書(en:Nara_Document_on_Authenticity)で規定されているのですが、jawpだとその辺の情報が乏しいなと改めて痛感します。その記事を立てるかどうかはともかく、世界遺産の方にそのうち加筆します。
  • 旧ボイラーと旧中央動力は、ドイツの推薦書にすら、両方ひとまとめの説明として、ウインチのための水力と地区全体のための電力を供給したということくらいしか書いていないです(今改めてざっと確認しなおしたレベルなので、読み落としがあるかもしれませんが)。ちなみに、ICOMOSの推薦書には名前しか載っていませんし、日本語文献だと名前すら載っていない(倉庫以外に6棟の別の建物があると書いてくれるならマシな方で、それすら書いていなかったりする)状況ですので、百科事典の記事として、そこまで踏み込むことは要請されない、と判断したという経緯があります。
  • 煉瓦が外装材なのか構造材なのかは仰るとおり、19世紀末のとチリハウスだけ明確に書いています。それは私自身、どっちなのか分からずに調べても特定できない物件が多く、珍しく明記されている例が印象に残ったから記事にも書いておいた、ということです。ですので、私としてもこの点は気になります。
以上になります。--Sumaru会話

賛成票のみ3票の状態で48時間以上経過したので早期終了、通過となります。--Karasunoko会話2017年11月4日 (土) 03:55 (UTC)[返信]