Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/マルワーン1世 20201124

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選考終了日時:2020年12月8日 (火) 05:22 (UTC)

  • (推薦)ウマイヤ朝のカリフの記事となります。ベースは英語版の秀逸な記事からの翻訳で、若干加筆と文章構成を見直した箇所がありますが、この人物について一通りのことは説明できているものと思います。なお、この記事は加筆記事ですが、全面的に自分の方で作り直していますので、扱いは自薦と致します。--Los viajeros 77会話2020年11月24日 (火) 05:22 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。--Los viajeros 77会話2020年11月24日 (火) 05:22 (UTC)[返信]
  • 賛成 :詳しい出典つきで説明されているので賛成します。「ウマイヤ朝による統治の再確立に向けた軍事行動」の勢力図は、マルワーンの死後の年代のようですが、彼の統治の結果としてこのようになったという理解でよいでしょうか? そこだけ気になりました。 --Moke会話2020年12月1日 (火) 11:23 (UTC)[返信]
    • 返信 :Mokeさん、査読及びご意見ありがとうございます。勢力図はウマイヤ朝に関してはご指摘の通りマルワーンの統治の結果回復した地域を表していますが、その他のウマイヤ朝の支配が及んでいない地域はマルワーンの死後に変化があります(ムフタールの自立)。マルワーン死去時点の図がなかったのでこの図を流用していますが、ウマイヤ朝の勢力範囲がマルワーンの生前に回復したものであることを明記し、前節に先代カリフ死去時の勢力図を追加して勢力範囲の変化がわかるようにしてみました。--Los viajeros 77会話2020年12月2日 (水) 15:37 (UTC)[返信]
  • コメント 内容的には揃っているのだと思いますが、英語からの翻訳に起因する問題があると思います。たとえば、「第一次内乱における役割」の節、「その後に続いたアリーとクライシュ族の大半から支持を受けたアーイシャとの間の戦争において」は、わかりにくくないでしょうか。だれがだれを支持していて、だれとだれが戦争をしたのかがすぐには汲み取れませんでした。「マディーナにおけるウマイヤ家の指導者」の節、「ムアーウィヤが680年に死去したのち、全員がムハンマドの著名なクライシュ族のサハーバの息子たちであり、カリフの地位を要求する意思を持っていたフサイン・ブン・アリー、アブドゥッラー・ブン・アッ=ズバイル、そしてアブドゥッラー・ブン・ウマルは」は、英語版の原文を読むと確かにそういう意味なのですが、「全員がムハンマドの著名なクライシュ族のサハーバの息子たちであり」は係り受けがあまりにも理解しづらいです。この2か所は代表例ですが、全体にもう少し推敲できないでしょうか。--Tam0031会話2020年12月2日 (水) 15:41 (UTC)[返信]
    • 返信 :Tam0031さん、査読とご意見ありがとうございます。改めて原文を含めて記事全体を読み返してみましたが、個人的には翻訳そのものというよりは日本語としての説明の仕方のまずさ(この説明の仕方で判るだろうという思い込み)と原文ベースでの出来事の説明不足の両方があるように思いました。ご指摘の箇所は言われてみればもっともだと思いますので、注釈を含めた若干の説明部分の加筆と主述が明確になるように文章を分割して書き直してみました。その他も気づいたところを修正・加筆して、関連記事で補足が欲しいところはTemplate:MainとTemplate:See alsoを節の冒頭に追加しました。直し出すとあれこれ気になってしまいますが、現状の版で一区切りをつけましたので、ご確認いただければと思います。--Los viajeros 77会話2020年12月3日 (木) 04:30 (UTC)[返信]

賛成票のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2020年12月6日 (日) 15:35 (UTC)[返信]