Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ラスール朝 20220211
選考終了日時:2022年2月25日 (金) 00:04 (UTC)→2022年3月11日 (金) 00:04 (UTC)
- (自動推薦)2022年1月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot(会話) 2022年2月11日 (金) 00:04 (UTC)
コメント 拝見いたしました。私が疑問を持った点は以下の通りです。全てを直す必要はもちろんありません。ただ改善の参考になれば幸いです。 全体的に、用語をぽんと述べられると、閲覧者はわからないため、そのページに飛んでその用語の概要を理解してからページに戻るという手間がかかります。そこを、前にサマリーを補うだけで改善されると思います。例えば、(下の方ですが「マドラサ」の前に「高等教育機関である」を補いました。しかし、冗長ならしなくてもよいと思います。)
- 「スルタン・カリフ」について。私はこれらが世界にただ一人のみ存在するものだと思っていたのですが、どうやら国によって複数いるようだと見受けられます。その事実を注釈で述べたらよりわかりやすいかもしれません。周知の事実なら申し訳ありません。
- マンスール1世の殺害について、記述が不十分に思います。「マルムーク」に殺害されたならば相応の理由があり、それがその後の権力闘争に関わってくるかもしれません。なので、そこについてもう少しあればよいと思います。
- 通史はうまく書けていると思います。中東史の知識があまりない私でも理解できました。しかし、政府・行政・社会・経済については、説明が足りないかもしれないので、もしもっと書けるならば書いていただきたいです。
- 王権節;スルタンとカリフについて注釈。「ムスタスィムがモンゴルに殺害される」どうしてモンゴルで死亡したのですか?
- 行政機関;「アイユーブ朝の体制を継承」とありますが、アイユーブ朝にはどのような政治体制か書いていないので結局わかりません。スルタンー宰相ー役人 とかの構図でも十分かと存じます。
- 交通節;「ザビード、タイッズとアデン」という都市名を述べられてもよくわかりません。その三都市の成り立ちとか、なぜ交通の要衝なのかを詳述すればよいと思います。
- 奴隷節;「奴隷がアフダームになった」とありますが、同じ奴隷と見受けられるマルムークとの関係は判明していますでしょうか?
- 税制説;「シャワーニー船団」とありますが、これは何でしょうか?
以上、気になった点を述べさせて頂きました。--Sethemhat(会話) 2022年2月16日 (水) 13:20 (UTC)
- @Sethemhatさん 詳細なコメントありがとうございます。
- カリフとスルターンは全く異なるものです。カリフは基本的には世界に1人ですが、カリフの承認を受けたスルターンは複数の国にいます。スルターンとカリフが異なるものであることは記事の注釈から把握できると思いますので、この旨を新たに注釈に書く必要は私としてはないと考えております。
- マンスール1世の殺害について、再度文献をあたってみましたが、殺害の経緯について詳述したものは見つかりませんでした。
- 王権節について、アッバース朝カリフがフレグ率いるモンゴル軍に殺害された旨の説明を追加しました。
- 行政節について、イエメン・アイユーブ朝などラスール朝に先行する王朝の行政機関が具体的にどのようなものだったのか全体像を示す文献が見つからなかったので、馬場(2017)に具体例として挙げられている機関を追加しました。
- 交通節について、各都市の説明を追加しました。
- 奴隷説について、アフダームとマムルークとの関係を示す文献は見つかりませんでした。
- 税制節について、シャワーニー船団について説明を追加しました。
- 変更点などは以上になります。いかがでしょうか。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月17日 (木) 03:53 (UTC)
- 賛成 わりと良質な記事だと思います。§背景。宗教的な文脈で使われる رسول には「使徒」という定訳があるので、その方がいいかも。§系図。ムザッファルが、「ムファッダル1世」と誤記されています。§ムザッファル1世以降。「直径子孫」なる漢字変換ミスがあります。あと、たとえば「ムザッファル1世の死去の報を聞いたアシュラフ1世の兄弟であるムアイヤド1世は、スルターン位を狙ってアシュラフ1世を攻撃した。アシュラフ1世はこれを撃退し、ムアイヤド1世は幽閉された」という記述における「ムアイヤド1世」という記載。王権王位への即位前に、王号で呼ぶことについて、わたしは違和感を感じるのですが、ほかの方はどうなのでしょう。このほうがわかりやすい?--ねをなふみそね(会話) 2022年2月22日 (火) 10:11 (UTC)
- ありがとうございます。「伝令」は「使徒」に修正しました。また、それぞれ誤字を修正しました。王号については正直言って私も違和感がありますが、当該記述の出典である馬場 (2017) では王号付きで記載されています。ただ、馬場 (2017) の系図にはそれぞれのフルネーム(ムアイヤド1世だとムアイヤド・ヒザブルッディーン・ダーウード)が記載されているので、「後にムアイヤド1世となるムアイヤド・ヒザブルッディーン・ダーウード」という書き方は出来ると思います。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月22日 (火) 11:42 (UTC)
- 「ムアイヤド・ヒザブルッディーン・ダーウード」と記載されているというのは本当でしょうか(「ビサブルッディーン」ではなく?)。誤記の訂正などおつかれさまでした、記事がさらによくなったものと思います。--ねをなふみそね(会話) 2022年2月25日 (金) 08:08 (UTC)
- @ねをなふみそねさん ありがとうございます。ムアイヤド・ヒザブルッディーン・ダーウードですが、馬場 (2017) にはラテン文字転写の al-Mu'ayyad Hizabr al-Dīn Dāwūd とあり、それをカタカナ転写したものになります。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月25日 (金) 08:34 (UTC)
- ラテン文字転写を手掛かりにネット検索したら、ムアイヤドのラカブの裏が取れました([1])。Ṣabr に「忍耐」という意味があるので al-Muayyad bi-Ṣabr al-Dīn の間違いなのかなと思いました。--ねをなふみそね(会話) 2022年2月28日 (月) 04:27 (UTC)
- @ねをなふみそねさん ありがとうございます。ムアイヤド・ヒザブルッディーン・ダーウードですが、馬場 (2017) にはラテン文字転写の al-Mu'ayyad Hizabr al-Dīn Dāwūd とあり、それをカタカナ転写したものになります。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月25日 (金) 08:34 (UTC)
- 「ムアイヤド・ヒザブルッディーン・ダーウード」と記載されているというのは本当でしょうか(「ビサブルッディーン」ではなく?)。誤記の訂正などおつかれさまでした、記事がさらによくなったものと思います。--ねをなふみそね(会話) 2022年2月25日 (金) 08:08 (UTC)
- ありがとうございます。「伝令」は「使徒」に修正しました。また、それぞれ誤字を修正しました。王号については正直言って私も違和感がありますが、当該記述の出典である馬場 (2017) では王号付きで記載されています。ただ、馬場 (2017) の系図にはそれぞれのフルネーム(ムアイヤド1世だとムアイヤド・ヒザブルッディーン・ダーウード)が記載されているので、「後にムアイヤド1世となるムアイヤド・ヒザブルッディーン・ダーウード」という書き方は出来ると思います。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月22日 (火) 11:42 (UTC)
- 賛成 わりと良質な記事だと思います。§背景。宗教的な文脈で使われる رسول には「使徒」という定訳があるので、その方がいいかも。§系図。ムザッファルが、「ムファッダル1世」と誤記されています。§ムザッファル1世以降。「直径子孫」なる漢字変換ミスがあります。あと、たとえば「ムザッファル1世の死去の報を聞いたアシュラフ1世の兄弟であるムアイヤド1世は、スルターン位を狙ってアシュラフ1世を攻撃した。アシュラフ1世はこれを撃退し、ムアイヤド1世は幽閉された」という記述における「ムアイヤド1世」という記載。王権王位への即位前に、王号で呼ぶことについて、わたしは違和感を感じるのですが、ほかの方はどうなのでしょう。このほうがわかりやすい?--ねをなふみそね(会話) 2022年2月22日 (火) 10:11 (UTC)
コメント:ねをなふみそねさんのご意見にある、 رسولrasūlに対してのみ述べます。私も同様のことを思っていまして、とにかく「ラス―ル」はシャハーダの第二文、「ムハンマド ラス―ルッラ― محمد رسول الله(ムハンマドはアッラーの使徒(預言者)である)」に出て来る、ムスリムにとっては大変重い言葉です。王朝名をラス―ルにするのは、息子をムハンマドと名付けるくらいの意味合いがあると感じます。出典ですが
- Cowan, J.Milton ed. (1994). Hans Wehr:A Dictionary of Modern Written Arabic (4th ed.). New York: Spoken Language Service,INC
を使っていただければ幸いです。語義には”messenger”とあります(p.391)。取り敢えずこれだけ先に送ります。--Falcated(会話) 2022年2月22日 (火) 12:23 (UTC)
- コメント 私も、通史はよく書けていると思いますが、その下の部分は、時代的に仕方がない面があるのかもしれないですが、まだ不十分に見えます。たとえば「農業」のところは、イエメンがアラビア半島では数少ない可耕地であることを説明していますが、何を栽培しているのかがよくわからないです。もう少し補強できないものかと思います。--Tam0031(会話) 2022年2月22日 (火) 13:55 (UTC)
- @Falcatedさん、Tam0031さん
- ありがとうございます。Falcatedさんが送ってくださった Cowan (1994) ですが、近所の図書館が所蔵していたので記述を確認したうえで追加いたしました。また、Tam0031さんにご指摘いただいた農業節などの部分ですが、農業節には具体的な農作物を追加いたしました。また、交通節にはマッカ巡礼について少々加筆しました。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月23日 (水) 02:11 (UTC)
保留: 結論から申しますと、現時点では賛成しかねます。最大の理由はTam0031さんがおっしゃるように、歴史節以降がまだ拡充の余地を残しているからです。可能でしたら、英語資料も使われてください。現状ではトリビア的箇条書きに見えます。以下各論。
- 背景節「ムスリムによる大征服の終了」。高校世界史の知識で推測できる内容ですが、百科事典としては不親切な記述に感じます。
- 「アッバース朝とビザンツ帝国の関係が安定したことや、西ヨーロッパが政治的・経済的に繁栄したこと」ビザンツって「西ヨーロッパ」なんですか?むしろ東でしょうし、「中世」に西/東ヨーロッパと呼ぶことに抵抗があります。ヨーロッパ西部/東部の方が違和感がなく感じます。
- 歴史節は予備知識が無いと、一読では理解が困難ですので、補助として、節の最後に簡単な年表を付けると宜しいかと存じます。
- 選考には含めませんが、地図が不十分です。版図の変化図が欲しいところですし、記事内に出て来る地名で載っていないものが複数あります。また、地図では“Mecca”になっているのですから、記事初出時はマッカ(メッカ)とすべきです(アラビア語表記だとmakkaمكة)。
- 「ペルシア語で「館」を意味する『ハーナ』」。細かいことですが、ペルシア語なら「ハ―ネخانه ḫāneh」です。アラビア語ですと「ハーナخانة ḫānat」になります。Cowan(1994)には、" خان pl.-at hostel,caravansary,inn."(p.261)とあり、ペルシア語由来とは書かれていないので、ペルシア語云々は無くて良いかと思います。
- マフジャムが何処か分かりません。
- 「カリカットやクーラム・マライといったインドの諸都市、キーシュといったペルシア湾の港」ここの地名も分かりません。
- 「ラスール朝以前から存在したモスクは老廃して利用されなくなるところもあった」これは書く必要ないのでは。
- 「ラスール朝の歴代のスルターンの多くは学者であり、幅広い分野に興味を示していた。スルターンたちは学問を奨励していた」は「…多くは、幅広い学問分野に興味を示し、奨励した。」で宜しいかと思います。
- 「ザビードで教鞭を取っていた著名なウラマーが法学書を作成した際には48,000ディルハムの報酬がスルターンから与えられた」「…4,000ディルハムが与えられた。」金銭価値が分からないと、比喩になりません。
- 「著名なウラマー」「著名な辞書学者」。WP:APTです。
- 「マドラサが最も多く建設され、過半数を占めている。」数値が欲しいところです。
- 「ムザッファル1世はムハンマドの言行録である『ハディース』の編纂を手掛けた」ハディースは文学ではありません。
以上です。--Falcated(会話) 2022年2月23日 (水) 15:17 (UTC) 修正--Falcated(会話) 2022年2月23日 (水) 15:21 (UTC)
- 追記 1.の「ムスリムによる大征服の終了」について、まず大征服はWP:APTですし、そしてこれは他の方にも伺いたいのですが、21世紀の歴史学において、「征服」の語は許容されているのでしょうか。そもそもWP:POVじゃありませんしね。--Falcated(会話) 2022年2月23日 (水) 15:32 (UTC)
- コメント 記事自体の選考からは離れますが、「アッバース朝とビザンツ帝国の関係が安定したことや、西ヨーロッパが政治的・経済的に繁栄したこと」という文章は西ヨーロッパにビザンツを含んでいないのではないでしょうか。ここでいう西ヨーロッパは具体的にはヴェネツィアやジェノヴァのようなイタリアが中心になるような気もしますが、文脈的には中世・近世に関連して地理的用語として西ヨーロッパ(西欧)という表現を用いるのはそこまでおかしなものではないと感じます。もう一つ、7世紀以降のイスラーム共同体の拡大を「イスラームの征服」等、「征服」という用語で表現するのは特殊な表現ではないです。別にそれが素晴らしいことであるというような価値判断を含むものではないので、「征服」という用語の使用がWP:POVではないというのは少々形式主義的であるように見えます。ちなみに「大征服」という表現も例えば小杉泰『諸文明の起源4 イスラーム 文明と国家の形成』京都大学学術出版会(2011)p. 18で「第二代のウマルの10年の治世の間に、『大征服』が始まった。イスラーム軍は...」という例があるように黎明期のイスラームの拡大を指して一般的に使用されることのある表現です。大言壮語というより、イスラームの勃興と拡大が大規模かつ急速なものであったことを強調して使用されるものであり、単にしばしば「大征服」「征服」と表現される歴史上の出来事であるという話に過ぎないと思います。これらのことが記事品質上大きな問題であるとはあまり思いません。ちなみに「アレクサンドロスの征服」「インドの征服」などは普通に見られる表現で、「征服」という用語が歴史学で許容されないというのはあまり聞いたことがないです。--TEN(会話) 2022年2月23日 (水) 16:49 (UTC)
- 返信 (TENさん宛) :貴重なご意見、ありがとうございました。納得致しました。--Falcated(会話) 2022年2月24日 (木) 13:04 (UTC)
- @Falcatedさん 詳細なコメントありがとうございます。各論ですが、
- ムスリムによる大征服について、些細ではありますが説明を加えました。
- 「…の関係が安定した。また、西ヨーロッパが…」と修正しました。
- すいません。ここがよく分かりませんでした。予備知識が必要なら年表を付けたところで理解が困難なのは変わらないのではないでしょうか。予備知識が必要であると考えるところを示していただければ、説明を付けるなり注釈をつけるなりいたします。
- マッカ(メッカ)としました。ただ、地図については、お恥ずかしながら私自身に地図を作成するような技術はなく、申し訳ないですが難しいです。
- 「ペルシア語で」を削除しました。
- マフジャムについて説明を追加しました。
- カリカットなどの内部リンクを追加しました。
- モスクの老廃について、この文章があることで、ラスール朝においてモスクの建設が進められた一方で、それ以前からあるモスクの維持がされていない場合があったことが示されると考えますが、不必要だと考える理由を示していただければ幸いです。
- 学者について、Falcatedさんの例文を参考にして修正しました。
- ディナールについて、恐らくFalcatedさんは当時の一般市民が生活するのにどれくらいのディナールが必要だったかというようなことを知りたいのだと推察いたしますが、とりあえずはスルターンの一族や、スルターンに仕えた人々の給与を注釈で追加しました。一般市民の生活費についての資料が見つかったらそちらに差し替えます。
- ウラマーや辞書学者について、「著名な」を削除しました。
- マドラサの建設について、、マドラサの数を追加しました。
- ハディースについて、文学節を削除しました。
- 追記についてですが、TENさんがコメントされているように、大征服という単語はムスリムによる初期のconquestを説明する際に用いられますし、そもそも征服という単語が歴史学的に許容されないというのも、少なくとも私は聞いたことないです。
- そして、Falcatedさんは保留とされる最大の理由として「歴史節以降がまだ拡充の余地を残しているから」とされていますが、このような書き方では何をどう拡充すればよいのかさっぱりわかりません。Tam0031さんのコメントでは農業節について指摘があったので、それについて加筆が出来ましたが、「まだまだ書けることがあるはずだ!」というようなことのみを言われても…というのが実感です。私は以前ソコト帝国という記事を加筆しました。それに比べるとバイト数の面でも確かにこの記事は小さいですが、しかし両記事を見比べても、本記事の歴史節以降が特段見劣りしているという印象は、少なくとも執筆者としてはありません。ただ、改善するための努力はいたしますので、2週間の延長をお願いします。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月24日 (木) 00:57 (UTC)敬称が抜けていたので追加しました。失礼しました。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月24日 (木) 00:59 (UTC)
- 「歴代君主」節のリストのうち、君主の名前と代数は日本イスラム協会 (2002)と馬場 (2017)を出典としていることが「系図」節から推定できますが、在位年も同様でしょうか。また、ウェブ出典の閲覧日付は年月日で書くのが通例のようなので、それを補っていただければと思います。--ネイ(会話) 2022年2月24日 (木) 11:38 (UTC)
- ありがとうございます。リストは馬場 (2017) のみを出典としていますのでその旨明記しました。また、ウェブ出典は私が追加したものではないですが、記述を確認したうえで閲覧日付を追加しました。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月24日 (木) 11:53 (UTC)
- 報告: 選考期間を2週間延長致します。返事は後ほど。--Falcated(会話) 2022年2月24日 (木) 12:49 (UTC)
- 返信 (Takenari Higuchiさん宛) :対応有難うございました。では上から順に。
- 背景節の第一段落は大変分かり易くなりました。但し、「西ヨーロッパ」はやはり不要に感じます。「イベリア半島では、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世治世にて、政治経済の基盤が整えられた。」でいかがでしょう。
- 年表があると良いのは、ぱっと見るには、文章より箇条書きの方が理解しやすい(と私が感じる)からです。図・写真・地図と同じことです。私のフィールドの話ですが、美術館での展覧会にて解説パネルがありますが、各章ごとのパネル(500-800字くらい)は骨のある文が多く、二度読まないと理解出来なかったりしますが、会場の途中ないし最後にある、作家の一生や時代背景を纏めた年表は、一度で理解出来ます(それ以前のパネルで学んだせいもあるでしょうが)。各章パネルより年表の方が読んでいる人が多いように見えます。PowerPointでも箇条書きでなく、文章にしたら読んでもらえませんよね。 また、なぜ歴史節が難しく感じるかと言えば、人物が多く出て来るので、相関関係が分からなくなるからです。ロシア文学が難しいと言われるのと同じことでしょうか。
- モスクの老廃について。 新たに建造されるものは意義が明白なのに、荒廃するマスジドは、その理由がまちまちで、全体の理解がしにくくなります。荒廃理由に法則が見いだせるなら、書く意義があるでしょう。日本でも寺院が建立されると同時に、災害や遷都、僧の不在、経済的理由による廃寺も起きますが、廃寺行為自体が脚光を浴びることはあまりないでしょう。
- 貨幣価値の例証、有難うございます。注釈6の冒頭、「参考に、」があるとWP:ORっぽく感じるので、削除願います。
- それと私が、政府・行政節以降が物足りないと言って件ですが、何が足りないと思うのか再度考えてみましたが、白い箇所(空欄)が多いからだと気づきました。私は選考の場において何度か、「読みづらいので段落を増やしてください。」と発言しておりますが、この記事は逆に、段落を統合すれば、文字が密になって良くなると存じます。 24インチ横長モニタで読み書きしていますが(ワープロ用には向かないです)、スマートフォンで見ると、PCほどには空欄感を感じませんでした。ではどこを繋げればよいか。
- 「王権」はすべてつなげる。
- 「行政・宮廷機関」第一段落と「タワーシー」を繋げる。
- 「司法」一段落にする。
- 「民族」イエメン人の定義が分かりません。「テュルク・クルド系」も説明が必要です。「彼らの子孫も存在した。」の意味がよく分かりません。
- 「交通」陸路か海路かよく分かりません。それぞれの手法(徒歩・馬・ラクダ等)や船の種類などもあると良いです。
- 「奴隷」一段落に。「現在のイエメン」はWP:DATEDですので、言い換えてください。「人間集団」は単に「集団」でいいのでは。アブドゥعبدʿabdには「人間human being」の意味もありますが。Cowan(1994:685)
- 「税制」一段落に。
- 「宗教」「スンナ派の王朝」。シーア派の動向の記載も。「アイユーブ朝の建築様式が継承されたもので、複数のドームがついているものだった[81]」。様式を詳しく書いてください。可能なら画像も。
- 「学問」第二、第三段落統合。そもそもどのような学問分野があったのかを提示する必要があります。「第×代スルターンである○○〇▲世」。初出以降は「×代○○〇▲世」でいいでしょう。
今日はここまでとします。--Falcated(会話) 2022年2月24日 (木) 16:14 (UTC)
- ありがとうございます。
- 西ヨーロッパについての記述を削除しました。
- 年表を追加しました。
- モスクの老廃についての記述を削除しました。
- 「参考に」を削除しました。
- 王権節を1段落にまとめました。
- タワーシーについてですが、これは行政・宮廷機関節の第1段落とタワーシーをまとめて1段落にするということですか?一度やってみましたが、プレビューで確認すると1段落が長すぎて可読性が低くなる印象を受けました。なので行政・宮廷機関節の下にタワーシーの記述を移動するかたちにしました。
- 司法節を1段落にまとめました
- 民族節についてですが、馬場 (2021) には「土着のイエメン人」の定義は記述されていないので、「元々イエメンに住んでいた人々」と言い換えました。ただ、民族的な定義が分からないという点で根本の問題は解決していませんが…。テュルク・クルド系は内部リンクを追加しました。また、「彼らの子孫も…」は蛇足だと思ったので削除しました。
- 交通節について、ラクダ引きについての記述があったのでその旨を追加しました。
- 奴隷節は1段落にしました。「現在」ですが、WP:DATEDには「記述の基準となった時期を文中において特定するか否かを判断するにあたっては、脚注等で出典の刊行年が明示されている場合には更に文中でも示すことが必要かどうかも考慮し、文脈上では単に「現在」とだけ書けば十分な場合もあることにも留意してください(例:太陽系が誕生した頃に対して現在の状態を述べる場合など)。」とあるように、13世紀から15世紀の王朝に対して現在の状況を述べているので「現在」で良いと思っています。「イエメン共和国にはアフダームと呼ばれる…」と書いたところで、それでは南北統一以前にはアフダームはいなかったかのような印象さえ与えうると思います。とりあえず「2021年現在」としました。
- 税制節を1段落にまとめました。
- シーア派の動向を記述しました。アイユーブ朝の建築様式についての説明ですが、Finster (1992) には複数のドームがついているとしか記述されておらず、どうしたもんかという感じです。とりあえずモスクの画像を追加しました。
- 学問節の第2段落と第3段落をまとめました。学問分野というのはどういうことですか?ラスール朝において何が広く学ばれていたかというのであれば回答は「分かりません。」です。とりあえずスルターンたちの研究内容について加筆しました。
- 変更点と疑問点は以上です。「今日はここまでとします。」というのが私からしたらだいぶ不穏な響きではありますが。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月25日 (金) 01:31 (UTC)2
- ありがとうございます。
条件付賛成:大変よくなったと存じます。あと引っ掛かってるのは、背景節の第一文だけです。「東はヒマラヤ山脈に至った」。これだと、現在のイタリア全土を治めたようにとれます。「ヨーロッパ」で支配下におさめたのはイベリア半島だけと思いますが。「ムスリムによる大征服の終了」。まず「大」は取ってください(WP:APT)。また「終了」と書くと、オスマン帝国の伸長が無かったかのように感じます。ですので、「ムスリムによる征服」で宜しいかと。「アッバース朝とビザンツ帝国の関係が安定した」。安定だと、友好関係のようにとれるので、たとえば「…帝国の勢力が均衡した。」というので如何でしょうか。--Falcated(会話) 2022年2月26日 (土) 15:53 (UTC)- @Falcatedさん ありがとうございます。
- ヒマラヤ山脈はアジアの山脈です。「西はイベリア半島のピレネー山脈…」と同じように「東はインド亜大陸の…」と追加しました。
- 「大」を取り、「終了」でなく「停止」としました。
- 「安定」を「均衡」としました。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月26日 (土) 23:28 (UTC)
- 賛成 :拝読いたしました。それでは賛成致します。それと一点、謝罪致します。私はヒマラヤとアルプスを勘違いしておりました。ヨーロッパの語に引っ張られておりました。申し訳御座いません。ですので、「インド亜大陸」は削除されても構いません。--Falcated(会話) 2022年2月27日 (日) 12:14 (UTC)
- @Falcatedさん ありがとうございます。
- コメント 「大征服」というのはそれ自体が歴史用語ですので、自由に大を付けたり外したりしてよいものではないと思います。オスマン帝国までを含む単なる征服ではなく、ムハンマドが始めた初期のイスラーム共同体による征服を特定した用語が「大征服」です。--taisai429(会話) 2022年2月27日 (日) 01:25 (UTC)
- 返信 (taisai429さん宛) :ご意見有難うございます。私はその語を存じませんので、複数の出典を明示して頂けますと幸いです。初出が分かれば猶良しですが。--Falcated(会話) 2022年2月27日 (日) 12:18 (UTC)
- コメント 横からになりますが、「大征服」のすぐ見つかる用例としては既に挙げた小杉泰『諸文明の起源4 イスラーム 文明と国家の形成』京都大学学術出版会(2011)の他、太田敬子「イスラームの拡大とシリア」『講座イスラーム世界3 世界に広がるイスラーム』栄光教育文化研究所(2003)などでも同様に表現されています。用語についてはイスラームの征服、ムスリムの征服、アラブの征服などと表現しても大征服でも用語の慣習上大きな相違はなく、個人的には「ラスール朝」という主題の記事で初期イスラームの拡大を「大征服」と書くか「~の征服」と書くかはどっちでも良いのではないかと思います。ただ、上にも書いたように初期イスラームの拡大を「大征服」とするのはイスラーム史の書籍で使用される表現であり大言壮語とは関係が無いです。WP:APTを理由に「大」は外さなければならない、というのは強い違和感を感じます。--TEN(会話) 2022年2月27日 (日) 15:20 (UTC)
- 返信 (TENさん宛) :情報感謝致します。小杉先生が言われるのでしたら大丈夫でしょう。使われるのでしたら、カギカッコに入れて、出典(できれば複数)を明記してくださるよう。--Falcated(会話) 2022年2月28日 (月) 11:06 (UTC)
- 賛成 主加筆者ですが、様々な利用者さんのご指摘のおかげで良い記事へブラッシュアップできたと考えるので賛成票とします。--Takenari Higuchi(会話) 2022年2月28日 (月) 00:29 (UTC)
- 賛成 もう通過に必要な票は揃っているようですけど、遅ればせながら賛成とさせていただきます。その後、歴史以外の部分もずいぶん強化していただけたようですし。細かいことを言えば、税制のところでシャワーニー税とハラージュについて触れていますが、前者の方が特徴的だから先に触れているのかと思います。では、歳入に占める割合だとどうなのだろう、というあたりが気になります。貿易のところも、アラブ産の馬の出荷に使われたことは触れられていますが、それ以外にどういう物品を取引していたのかはわからないものなのでしょうか。文化については、イスラム圏だから音楽は発展しなかったのでしょうけれど、文学とか料理とか、そちら関係は資料が手薄なのでしょうか。多分難しい面もあると思うので、そこまで求めずに賛成票ですが、まだいろいろ知りたいことは出てきますね。--Tam0031(会話) 2022年3月1日 (火) 13:17 (UTC)
賛成票のみ3票以上の状態が48時間継続したため、早期終了・通過となります。--アリシア-jawiki(勝錦)(会話 - 投稿記録) 2022年3月2日 (水) 03:07 (UTC)
@Tam0031さん ありがとうございます。音楽や文学、料理といった文化的な面のこれ以上の加筆は難しいと思いますが、歳入の割合や取引していたものなどについては探せばあると思いますので、見つかり次第加筆いたします。--Takenari Higuchi(会話) 2022年3月2日 (水) 10:32 (UTC)