Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ルクトゥン 20190824
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選考終了日時:2019年9月7日 (土) 09:44 (UTC)
- (推薦)Have Content Completely for Good Article。--บุญพฤทธิ์ ทวนทัย(会話) 2019年8月24日 (土) 09:44 (UTC)
- 反対 日本国外の記事を積極的に書く者として、こうした国際的なカルチャー記事が選考に上がってくることを嬉しく思っています。ですが、執筆全体の半分程度が無出典なので、残念ながら良質な記事選考の俎上に載せる水準に至っていません。Wikipedia:出典を明記するなどをもう一度チェックして下さい。また導入節にも課題が多いです。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)で示されているように、記事本文で取り上げないなら導入部でも触れない、導入節の記述は重要性の強弱に大まかに一致すべき、などを気を付けて頂くと良いと思います。以下、改善ポイントの一部を挙げます。
- 最初のルクトゥンは1938年にラジオドラマで流れた『オー・ジャオサオカウライ』(おお、農家の花嫁) だと導入節で書かれています。本文でも、出典付きでこの事実を書かねばならないでしょう。しかし本文では、この楽曲ジャンルをルクトゥンと「命名」したのが1964年のラジオ番組だとだけ書かれています。初出からジャンル名が確立するまでの空白の26年間はどこにいったのでしょうか?
- 導入節では、その記事ページの主題のメインパートを書かねばなりませんが、なぜか田舎歌の「ルクトゥン」ではなく、イタリアから影響を受けた「ルククルン」の説明の方が多くなっており、バランスを欠いています。
- イタリア系「ルククルン」のルーツはラーマ5世末期~ラーマ6世の頃だと記述がありますが、ラーマ6世の退位は1925年です。しかし導入節ではルククルンに重要な年として「1931年」が挙げられています。そもそも国王の統治と西欧からの音楽文化流入に政策的な関係がないなら、ラーマXX世などは書かない方が良いでしょうし、関係があるならば本文中にもしっかり書くべきです。
- さらに本文中では「#競合」の節以降でしか、イタリア系「ルククルン」の説明は登場しません。田舎歌ルクトゥンとイタリア系ルククルンが初めて競合したのが1970年~1972年だと書かれていますが、だとしたら導入節に書かれた「1931年頃」という数字は、何を目的としているのでしょうか? 導入節と本文がうまくつながっていません。
- 「現在ルクトゥンはタイの音楽市場」として「半期で1,000‐1,500万バーツ超」と書かれていますが、無出典なので「現在」がいつなのか不明です。そして本文の「#事業としてのルクトゥン」を読むと、2006年時点のタイ音楽市場全体が約7,100万バーツで、ルクトゥンは45%の市場占拠率だと出典付きで書かれています。7100万 x 45% / 2 (半期なので) = 1597.5万バーツになるので、この本文の出典をベースに計算して、導入節に書いたのでしょうか? それとも2006年より後の最新データをどこかから入手して、導入節に書いたのでしょうか? いずれにしても、21世紀に入って音楽のデジタル化と海賊版横行で、音楽市場規模は大きな変化が生じています。さすがに10年以上前の市場規模しか分からないのでは、現状を捉えているとはいいがたいと思います。
- そもそも2006年タイの音楽市場全体が7100万バーツ (日本円で2億3000万円程度) というのは小さすぎでは? タイの人口は7000万人弱なので、1人あたり年間1バーツ (4円弱) しか音楽を消費していないことになります。2015年時点でタイのデジタル音楽市場だけでもUSD 25 million (27億円程度) との調査レポート (大元の出典はMcKinsey調べ) があります。en: List of largest recorded music markets 世界上位消費国の数字から、1人当たりGDPや総人口などの差を補正して他国と比較しても、さすがにタイの7100万バーツは1桁小さくて違和感があります。1バーツ = 3円前後、USDとタイバーツの為替もそこまで乱高下せず過去10年は推移しており、為替の影響でここまで数字がおかしくなるとも思えません。使用する出典そのものを見直す必要があるでしょう。--ProfessorPine(会話) 2019年8月31日 (土) 06:56 (UTC)
選考終了時点で反対1票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031(会話) 2019年9月8日 (日) 14:19 (UTC)