Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/出家とその弟子 20190812
表示
選考終了日時:2019年8月25日 (日) 17:06 (UTC)
- (自動推薦)2019年7月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot(会話) 2019年8月11日 (日) 17:06 (UTC)
- コメント 7月の月間強化記事賞に投票参加した者です。出家とその弟子を私が投票対象から外した理由を記述します。出家とその弟子#あらすじの節で、あまりにセリフの丸写し引用が多かったためです。この作品は作者が没してから70年以上経過しており、著作権法上はパブリックドメインに帰しており、どれだけ引用しようが法的には問題ありません。しかし、良質な記事や秀逸な記事に選ばれると、それを手本として他の記事執筆の参考にする方々も多いでしょう (少なくとも私はいつも参考にさせて頂いてます)。そのため、今の引用量のままで良質な記事に選ばれてしまうと、このようなセリフ丸写しがWikipedia的にOKなんだと間違ったシグナルを送ってしまうのではないかと懸念されます。良質な記事の選考目安のうち、Wikipedia:スタイルマニュアルには引用量は定義されていませんが、著作権関連なので選考目安以前の基本的な注意点と考えます。ちなみに英語版の良質な記事では、選考目安を見る前に即時アウト規定として、著作権侵害が明文化されています。ご参考までに。セリフ丸写しの部分を大幅カットすれば、賛成票に転じても良いと考えておりますので、現時点ではコメント止まりとします。--ProfessorPine(会話) 2019年8月14日 (水) 02:39 (UTC)
- 賛成 全体としてよくまとまっています。若干、「驚くほど飛ぶように」とか「一躍世間に知らしめた」とかの表現が装飾過多(大言壮語的)ではないかな、という気もしましたが、帰属化ですぐに改善できるものと思います。ProfessorPineさんの論は、問題のある記事の出現を防ぐために問題のない記事の内容を問題視するという点で、スピード違反の論理に近い状態に陥っているのではないでしょうか。言うならば、高速道路で100km/hを出すと一般道で速度超過になるから好ましくない、というような。--Rasalghul(会話) 2019年8月15日 (木) 13:06 (UTC)
- 追記 Rasalghulさんからご指摘ありましたので、先述コメントの補足を致します。説明を端折ってしまい、誤解を生む表現となり失礼しました。Wikipediaにセリフ丸写しが大量にあると、そもそも百科事典という目的から大きく外れて違和感がある、というのが私の根本的な問題関心です (したがって良質な記事とは呼べない)。このような文芸作品のケースならばWikisourceを使用し、Wikipediaの記事ページから参照リンクを貼るというのが、本来の使用目的に沿った使い分けだと考えます。たとえば夏目漱石の『s:吾輩は猫である』をご覧いただければわかりますが、Wikisource上ではきちんと底本や初出情報が明記されたうえで、分かりやすいようにパブリック・ドメインの表記とカテゴリ分けが掲示されています。Wikisourceの場合、Wikipedia以上に著作権関連のルールが厳格なので、ユーザがうっかりパブリック・ドメインに帰していないドキュメントを転載するリスクが低減できるようになっています。このような用法は、そもそも百科事典であるWikipediaでは想定されていません。ですから、今回の『出家とその弟子』のようなことをWikipedia上でやると、目的外利用による著作権侵害を誘発するおそれがあります。なお参考までに、底本からの移入量が多い場合、Wikisourceでは章などの単位でページ分割できます。『出家とその弟子』も序曲、第一幕...と分割しやすい単位になっているので、「出家とその弟子#あらすじ」の幕別にWikisourceの該当ページをそれぞれリンク挿入することもできます。『s:源氏物語』が巻ごとにページ分割していますので、使用例として挙げておきます。Wikisourceへ青空文庫などから移入する具体的な手順は、s:ヘルプ:資料を追加するをご参照下さい。--ProfessorPine(会話) 2019年8月15日 (木) 23:36 (UTC)
- 賛成 一時代を築いたともいえる大ベストセラーについての十分な内容の記事と言えます。ただし、上のコメントにもあるように、粗筋の解説におけるセリフの引用についてはほぼ不要と考えます。たとえば、これらのセリフが評論家や研究者によって引用され、そのセリフについていろいろ評価や掘り下げた解釈などがされている、というのならともかく、そうでないのなら、これほど長々と引用する必要はないでしょう(そうだとしても、その評論家等による評価や解釈に関する解説の中でその部分だけを引用すればよい事です)また、これらのセリフの引用がなくても粗筋を理解する上ではまったく差し支えないと思います。
- といっても、セリフが不必要に多く引用されていることにより「目的外利用による著作権侵害を誘発するおそれがある」とは考えられないし、「良質な記事」として致命的な問題点とも考えられません。本記事におけるセリフの引用は、不要と考えるならばっさり除去しても問題ない部分と思います。--Loasa(会話) 2019年8月17日 (土) 12:46 (UTC)
- コメント 加筆した者です。査読と投票ありがとうございます。皆さまのご意見を受けてセリフの引用部分を除去しました。いかがでしょうか?--Semiprecious stone(会話) 2019年8月17日 (土) 16:18 (UTC)
- 賛成 作品の執筆背景から内容のあらすじ、評価に至るまで、よく書かれた記事になっているものと思います。--Tam0031(会話) 2019年8月18日 (日) 15:29 (UTC)
- @Semiprecious stoneさん、セリフ引用の除去対応、ありがとうございました。問題ないと思います。あらすじ以上にテーマ性、作者の創作背景、評価などが充実しており、またその説明する順番も読者の頭に入ってきやすい絶妙な構成になっていて、素晴らしいと感じます。--ProfessorPine(会話) 2019年8月19日 (月) 10:00 (UTC)
- 質問 ところで念のため確認なのですが、画像の著作権が切れていることは確実なのでしょうか? 青空文庫に収録されているので、戯曲のセリフがPDなのは確実だと思うのですが、たとえば「ファイル:The priest and his disciples act IV,scene2.jpeg」(第4幕のシーン写真) を見ると、出典が『現代日本戯曲選集』1955年になっています。しかしファイルとして使用しているのは言語著作物である選集ではなく、写真著作物なので、著作者 (写真家) の「死後」50年が保護期間です (註: 2018年12月に改正されて70年に延伸していますが、一度保護期間が切れた著作物は過去に遡及しないため、あえて50年と記述しました)。特にこの写真が、ライブ上演を報道目的で撮影したのではなく、プロモーション用に別撮影されている場合、フリーランスの写真家が被写体である役者にポーズを指示するなどしていると、写真家個人の創作性が認められるため、上演とは別の写真著作物として著作権が発生するはずです。したがって、写真家がこの選集の出版者へ権利移転 (譲渡契約の締結) をしていない限り、この写真を収録した選集の出版1955年ではなく、写真家の生存年に依存して保護期間が決まる可能性があります。--ProfessorPine(会話) 2019年8月19日 (月) 10:00 (UTC)
- コメント アップロードした当事者ではありませんが、この場合は写真の著作権の問題はないと思います。発行が1955年の本に掲載されているとのことなので、旧著作権法の「1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された」の条件にあたり、写真がパブリックドメインになっているものと思います。詳しくは著作権の保護期間#写真の著作物を見ていただきたいのですが、明治の著作権法では写真の著作権は公表から10年しか保護されておらず、その後段階的に法改正で延長されて、今の著作者死後70年へと変わってきた経緯があり、1956年までに発行された写真は、たとえ撮影者が今も生存していたとしても、保護期間が切れています。--Tam0031(会話) 2019年8月19日 (月) 11:35 (UTC)
- Tam0031さん、こちらの凡ミスなのに、説明のお手間おかけして誠に申し訳ないです。こちらの表を読んだときに眼がかすんでいて、昭和45年以降の適用法 (死後50年) と、著作物の1955年を対照しておりました (笑)。懸念事項はすべて払拭されましたので、 賛成 票を投じます。--ProfessorPine(会話) 2019年8月19日 (月) 13:42 (UTC)
賛成票のみ3票以上の状態が48時間以上継続のため、早期終了・通過となります。--Loasa(会話) 2019年8月21日 (水) 06:30 (UTC)