Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/源通親 20241007
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選考終了日時:2024年10月21日 (月) 10:16 (UTC)
- (推薦)平安時代末から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家の記事です。源通親に関する主要な文献をもとに記述してあり、良質な記事の目安を満たすものになったと思うので推薦いたします。--上野ハム(会話) 2024年10月7日 (月) 10:16 (UTC)
- 賛成 :推薦者票です--上野ハム(会話) 2024年10月7日 (月) 10:16 (UTC)
- コメント平安末期の公家について、その経歴が分かりやすく書かれている記事だと思います。文化人的な側面があることが「著作・文学作品」節などに記載されていますが、重要な功績のひとつだと思いますので記事冒頭でも概説しておいた方が良いように思いました。同様に「評価」についても現在は廷臣としての評価しか記載されていないように見受けられますので、歌人としての評価などもあると当該人物についてより深掘り出来るのではないかと思います。当方は歴史分野に疎いためよく分かっていないのですが、この時代の人物の来歴がこれほど詳細に分かっているのは、一次資料が豊富に遺存しているということなのでしょうか。研究史的な側面を簡単で良いので触れておいて頂けると、当方のような主題についてあまり知識のない読者もさらに理解が深まるのではないかと思いました。--Gurenge(会話) 2024年10月11日 (金) 09:14 (UTC)
- 貴重なコメントをくださりありがとうございます。非常に参考になりました。ご指摘を受け、導入部に文学的事績を加筆し、「評価」節にも文化史研究の評価を追加しました。通親の伝記である橋本義彦の『源通親』(吉川弘文館、1992年)で使われている史料を見ると、通親が活躍した時代には複数の貴族の日記記録類のほか、『吾妻鏡』・『愚管抄』といった編著があるそうです。これらの史料を研究史がどのように扱ったかについては、改めて加筆したいと思います。加筆部分やその他の箇所で分かりにくい点や改善点などがありましたら、遠慮なくご指摘いただければ幸いです。--上野ハム(会話) 2024年10月13日 (日) 03:21 (UTC)
- 賛成 返信 (上野ハムさん宛) ご対応ありがとうございました。文化人としての評価を加筆頂いたことでより充実した記事になったものと思います。研究史については今後の拡充を楽しみにしたいと思いますが、現状で良質な記事の目安を満たすものと考えますのでひとまず賛成票といたします。--Gurenge(会話) 2024年10月13日 (日) 06:33 (UTC)
- 貴重なコメントをくださりありがとうございます。非常に参考になりました。ご指摘を受け、導入部に文学的事績を加筆し、「評価」節にも文化史研究の評価を追加しました。通親の伝記である橋本義彦の『源通親』(吉川弘文館、1992年)で使われている史料を見ると、通親が活躍した時代には複数の貴族の日記記録類のほか、『吾妻鏡』・『愚管抄』といった編著があるそうです。これらの史料を研究史がどのように扱ったかについては、改めて加筆したいと思います。加筆部分やその他の箇所で分かりにくい点や改善点などがありましたら、遠慮なくご指摘いただければ幸いです。--上野ハム(会話) 2024年10月13日 (日) 03:21 (UTC)
- 賛成 十分な記述になっているものと思います。--Tam0031(会話) 2024年10月13日 (日) 14:44 (UTC)
賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2024年10月15日 (火) 15:38 (UTC)