Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/琉球の朝貢と冊封の歴史 20200221
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琉球の朝貢と冊封の歴史 - ノート
[編集]選考終了日時:2020年3月6日 (金) 14:32 (UTC)→2020年3月20日 (金) 14:32 (UTC)
- (推薦)月間新記事賞に漏れた記事です。琉球王国の朝貢・冊封体制について非常に詳細にまとめられており、また読みやすくて面白い内容になっていると思います。良質な記事の水準に十分達しているものと思い、推薦します。--Tam0031(会話) 2020年2月21日 (金) 14:32 (UTC)
- 賛成 :推薦者票。--Tam0031(会話) 2020年2月21日 (金) 14:32 (UTC)
- 賛成 :量・質、引用文献ともに内容は充実。申し分ないと思う。 --あおのひーたん(会話) 2020年2月21日 (金) 17:45 (UTC)
- コメント 内容面では非常に高品質であると思います。ただ、以下の通り気になる点があるのでコメントにとどめます。
- 構成について:説明が項目毎に整理されておらず、時系列に沿って随時、制度や貿易の詳細について説明が行われる形式を取るため、正直な感想としては見通しが良くないと感じます。明代・清代における一通りの朝貢・冊封の流れを通史としてまとめ、制度・構造・貿易をそれぞれ大項目としてまとめるべきではないかと思います。具体的には「§明と外交関係を結んだ新興国琉球」と「§明代における領封と頒封の意見対立と経過」に挟まれた二つの大項目、「§朝貢、冊封に関連する使節の種類」・「§朝貢と琉球の中継貿易の盛衰」などは(これらの節も通史の一部を形成しているので単純に節の位置の入れ替えだけというわけにはいかないですが)、通史とは別に外交プロトコルのあり方や中継貿易・経済との関連などを説明する節と分ける方が良いと思います。清代の説明にある「§冊封使来琉時の対応」や「§冊封使節による貿易とその影響」なども同様です。極端に言えば「琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事は通史的叙述だけにつとめ、制度や構造の話は「琉球の朝貢と冊封」に書く、という形もあるかもしれません。うまく表現できませんが現在の記事の内容は、例えば「日本の歴史」の記事の中で「古墳」「律令」「公卿」「大名」「幕府」「日本の政党」などについての詳細がそれぞれの時系列上の登場ごとに説明されている状態、というような感覚を受けます。
- 記事主題とのズレ:「朝貢と冊封の歴史」と銘打つものの、全体的に「琉球王国の対外関係史」に踏み込み過ぎており、記事主題に対して内容が膨らみ過ぎているように思います。例えば、「§三藩の乱とその影響」などは、三藩の乱に対する琉球の関与の説明ですが、朝貢と冊封そのものの説明においては具体的な経過の情報は必要ないので、5,6行にまとめてた上で後続の「§清代における領封と頒封の意見対立と経過」とまとめてしまって良いように思いますし、「§欧米諸国来琉の影響」なども、朝貢と冊封に直接関与しない部分は大胆に削った方が、理解に資するのではないかと感じます。
- 表現の問題:このあたりは執筆者毎の考え方もあるので自分の意見が正しいと必ずしも自信をもって言うものではないですが、「これほどの優遇措置を明が単なるサービスで行うはずは無い。」といったフレーズや「§果されなかった幕府、薩摩藩の狙い」という節名など、あまり百科事典的ではないと感じられる表現が目立ちます。特に「1372年、明の洪武帝は中山王の察度に使者楊載を送り、入貢を要請する。察度は洪武帝の招諭に応じ、弟の泰期を使節として派遣する。」というような、「~する。」という終止形の多用は、歴史関連の書籍・論文ではあまり見ないもので、あたかも視点が当時にあるかのように思われ、記事の物語的な印象を強めているように見えます。--TEN(会話) 2020年3月2日 (月) 16:56 (UTC)
- 保留:情報量が多く、勉強になるが、3点に於いて賛成しかねます。1.清朝のものも含めて、一次史料の引用が一切ない。2.註から参考文献リストに飛ぶように作られていない。著者五十音順になっているが、執筆年代昇順にしてほしい。3.TENさんも指摘されている、主観的な見出しが気になります。wikipediaは歴史小説ではないのです。--Falcated(会話) 2020年3月4日 (水) 10:23 (UTC)
- すみません、執筆者ではないのですが一言。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源で説明されているように、「一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです」とされていて、「一次史料の引用が一切ない」ことを問題視されるのはいかがかと思います。「著者五十音順になっているが、執筆年代昇順にしてほしい」というのも、この記事の出典明記法はハーバード方式を採用しているのですから、参考文献リストを著者五十音順にするのは標準のはずです。--Tam0031(会話) 2020年3月4日 (水) 15:10 (UTC)
- 出典についてはTam0031さんに同感で、一次史料の引用はあくまでも参考にあればより好ましい、程度のものでしかなく、それがなければならないという基準を使用するのはWikipediaの方針上むしろ好ましくないと思います。もちろんそれを読み解ける水準の執筆者がいれば喜ばしいことではありますが、沖縄史や明・清代中国史の一次史料は現代日本語訳も乏しくアクセスしやすいものではないではないので、それを必要条件とするのは仮に秀逸な記事の選考だとしても要求過剰かと思います。ついでながら、出典のページ内リンクの有無や並び順についても同様で、つとめて形式的な話に過ぎないので過剰にこだわる必要はないかと思います。--TEN(会話) 2020年3月4日 (水) 15:45 (UTC)
- Tam0031さん、TENさん、ご意見ありがとうございます。先に記した、2.の「執筆年代昇順にしてほしい」は取り下げます。但し、wikiはハーバード方式ではないですよ。「出典」はハーバードですが、参考文献リストは、発行年が2番目に来ていないので、ハーバード方式ではありません。1.一次史料が一切載っていないのに、その二次資料が、「一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる」内容なのか、読者には理解できません。私の例で恐縮ですが(『桑実寺縁起絵巻』)、一次史料は注釈に入れて、本文には基本含めません。私が読み込んだ意味がないからです。二次資料を読んで一次史料に出会ったら、基本、二次資料に載っているものではなく、再度一次史料に当たるようにしています。仮名や区切る箇所は、引用者によって異なる場合がありますし、引用間違いがないとは言い切れないので。琉球資料が乏しいことはありません。沖縄県史資料編とか那覇市史資料編に載っていますし、薩摩藩側の史料も使えます。宮城栄昌(1977)琉球の歴史.吉川弘文館.のような一般書にも、引用文が本文に頻繁に出てきます。清朝の外交文書も台北故宮などにありますし、バリバリの楷書で墨されてありますから、高校の漢文と中国史の知識があれば、読めます。2.の「註から参考文献リストに飛ぶように作られていない」は是非実行してください。私も当初はやり方が分からなかったのですが、ある方から、頼んだわけでもなく「査読」を受けたので、使用できるようになりました。筆者にとっては分かり切ったことでも、読者に親切な書式であることが大切だと思います。--Falcated(会話) 2020年3月5日 (木) 17:26 (UTC)
- コメント 選考終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Tam0031(会話) 2020年3月9日 (月) 15:50 (UTC)
- 賛成 :「概要」に出典が欲しいとも考えましたが、本文の出典で確認はできるので、現バージョンで賛成します。 --Moke(会話) 2020年3月10日 (火) 10:21 (UTC)
賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2020年3月12日 (木) 14:48 (UTC)