Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/硫黄鳥島 20140111
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選考終了日時:2014年1月24日 (金) 15:43 (UTC)
- (自動推薦)2013年12月度の月間強化記事賞受賞記事 --ぱたごん(会話) 2014年1月10日 (金) 15:43 (UTC)
- 賛成 特異な歴史と環境を持つ無人島について、見事にまとめられた良質な記事かと思います。南西諸島の地図で硫黄鳥島の位置を見て、何故この島は鹿児島県所属ではなく沖縄県所属なのだろうか。さらに驚くことに、この島の所属する市町村が、沖縄本島を飛び越えた遥か西方の久米島(具志川村)だということを、中学生の頃から不思議に思っていました。すべてはこの島で産出される硫黄が絡んでいたのですね。薩摩藩、琉球王朝、中国との貿易、そして採掘に携わる人々、噴火災害による移住。こんな歴史があったのですね。最後の節にある、現在の久米島の鳥島集落では徳之島の方言が残されているという話も実に興味深く、近世から近代にかけての南西諸島の知られざる歴史の一端を垣間見ることの出来る内容と思います。もちろん歴史だけでなく地理的な部分についても詳細に書かれており、書式、構成、出典等も問題はありません。良質な記事として申し分のないものと思います。--さかおり(会話) 2014年1月11日 (土) 02:38 (UTC)
- 賛成 よくできた内容だと思います。--ロリ(会話) 2014年1月11日 (土) 07:16 (UTC)
- 賛成 1903年以降の人口が丁寧に記載してありますが、676人→93人→600人→86人→0人と、わずか64年間でめまぐるしい変化ですね。隔絶性が高く、樹木がなければ面積も2.5km2しかない島に700人弱もの人間が住んでいたのは驚きです。火山節に一部言及がありますが、航空写真からも文章からもトカラ列島の島々を想起しました。地図で硫黄鳥島の位置を確認すると実際にトカラ列島の先端のようであり、さかおりさんと同じように「なぜ沖縄県に属しているのか」という疑問が浮かんだのですが、その理由もわかりやすくまとめられていると思います。ところで、「なぜ久米島の具志川村の一部になったのか」はよくわかりませんでした。説明を読み落としていたら申し訳ないのですが、これも硫黄の採掘に関係しているのでしょうか?--At by At(会話) 2014年1月12日 (日) 02:09 (UTC)
- コメント はじめまして、この記事を執筆したKugelです。At by Atさんの「なぜ久米島の具志川村の一部になったのか」という問いですが、私が用いた文献にはその件について詳しい経緯は載っていませんでした。あるとすれば、『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』「硫黄鳥島」(1991年)p.137に、1903年に発生した硫黄鳥島の爆発鳴動により国・沖縄県の高官により移住計画が進められ、その後「久米島の具志川間切(後の具志川村)への移住が決まり、明治37年(1904年)に移住を完了、硫黄鳥島も具志川間切の管轄となる。」とだけ書かれていました(地名辞典なので詳細を省略するのは仕方の無いことだと思いますが・・・)。私もどのようにして久米島の具志川間切へ移住を決定したのか、さらに硫黄鳥島はなぜ具志川間切の管轄になった詳細も調査したかったのですが、沖縄県外の図書館ではそれらしき書物を探し切れず、申し訳ございません。余裕があれば、詳しく調べていきたいと思っています。Kugel(会話) 2014年1月12日 (日) 15:56 (UTC)
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