「猿江」の版間の差分
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2007年2月21日 (水) 12:57時点における版
猿江は東京都江東区の地名で同区の北部に位置する。東西南北を川に囲まれており深川の名に相応しい地理的性質を備え、また周囲と同様に海面よりも標高が低いゼロメートル地帯に当たる。
歴史
町名は康平年間(1058年頃)に「源義家臣猿藤太」と書かれた鎧を着た武士の死体がこの地に流れ着き、住民たちが祠を建てねんごろに弔ったという伝説に由来する。名前の通り海岸に面した漁師町だったようで、江戸期にはすでに猿江村とよばれていたことが当時の地図などから分かる。
昭和9年(1934)に、深川東町の一部、深川猿江裏町の一部、深川猿江町、深川本村町の一部、深川上大島町を合併し深川猿江町とし、昭和43年に猿江となった。町並みは江戸時代の長屋の町割りの名残で、細い路地が碁盤の目のように縦横に交差し、通りの左右に住宅が間隔を狭めて並んでおり、当時の様子をしのばせるものとなっている。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では地区のほとんどが甚大な被害を被ったほか、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲でも工場地帯であったため、墨田区本所地区と並んで深川地区はアメリカの標的の中心となっており、こういった下町特有の町並みがいずれの場合にも膨大な犠牲者を出す要因の一つになったといわれている。